近代福祉国家の社会構造と「道徳」の意味論 | Accel Brain

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近代福祉国家の社会構造と「道徳」の意味論

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目次

派生問題:「戦後復興」は如何にして可能になったのか

日本の敗戦に伴う戦後処理は、ポツダム宣言の執行を任務とした連合国軍総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers: GHQ)の主導の下で実施された。大義名分として言えば、第二次世界大戦の理念は、自由と人権民主主義の確保を求める反ファシズムの理念であった。一方、帝国主義的な列強間では、植民地の獲得とその再配分を巡る闘争も繰り広げられていた。これに伴い二次大戦は、帝国主義的な支配からの脱却を求める民族独立と解放もまた、理念として掲げられていた。この大きく異なる三つの要因によって、日本の戦後処理は複合性の高い問題として派生した。

当初は反ファシズムの理念から、自由、人権民主主義を重視していたGHQ観点も、最終的には概ねこの三つに大別することができる。しかしその一方で日本社会外部環境では、アメリカとソ連の「冷戦」が発生していた。それは、戦後の世界社会を二分した西側諸国の民主主義と自由主義を主張するアメリカ陣営と、東側諸国の共産主義と社会主義を主張するソ連陣営との闘争である。日本国内の戦後処理も、この「冷戦」の社会構造から影響を受けることとなった。つまり、日本の戦後処理はアメリカの国益の観点からも影響を受けていたのである。

この関連から重要となるのが、アメリカの戦争責任可能性を追及することが、戦後日本社会における禁忌になっていたという点だ。連合国に占領されていた時期、日本はGHQによる情報統制を受けていた。GHQはWGIP(War Guilt Information Program)の一環として、あらゆる媒体に対して、アメリカへの批判禁止していたのである。GHQの下では、報道機関が東京大空襲や原爆投下を批判することは、的に禁止されていた。個人が個人としての<批判的な意識>を表明することは不可能ではなかった。だが公人による批判禁止されていたのである。

アメリカに限らず、連合国に対する批判もまた検閲の対象とされた。GHQそのものへの批判、東京裁判への批判GHQ日本国憲法を制定したことに対する批判も封じ込められていた。一方、日本の国体に関しては、「神国」や軍国主義、ナショナリズム、大東亜共栄圏などを喧伝することも、戦争犯人を正当化することも禁止された。こうした言論統制は、連合国が日本を占領統治した6年と8か月の間続いた。一連の情報統制や検閲が指し示したのは、日本が大戦によって被った被害は、全て例外無く戦争を招いた日本がもたらした被害であるという一点に尽きる。

この情報統制は、原子爆弾によって焼き払われた広島と長崎の悲惨な光景が、「自由の国」としての国体を誇るアメリカの理念との間に生じていた矛盾隠蔽する上で、有効に機能していた。アメリカは、「邪で野蛮な軍国主義国としての日本を降伏させる」という大義名分の下に正義の戦争を企てたのだから、原子爆弾の非人道を指摘される謂れはないという訳だ。

戦後日本における「神道指令」も、この影響下にある。GHQは、明治維新以来続いた「国家神道」に終止符を打ったのである。これにより、世俗社会における政治権力宗教の癒着が禁止されることとなる。神道意味論はもはや、正統化の機能を喪失したのである。GHQ意思決定内容は、日本における「神道」の意味論に対して、多大な影響を与えた。GHQの教科書検閲基準によれば、「現御」や「現人」をはじめとした天皇に関する用語、「八紘一宇」や「皇国の道」をはじめとした国家拡張に関する用語、「国体」や「我が国」をはじめとした愛国心に結び付く用語、日本国の神話の起源や英雄、皇族に関する用語、そして「神道」や「祭祀」、「神社」に関する用語などが、教科書から徹底的に排除された。「天皇」の意味論に関わる用語と「国体」、そして「神道」の意味論は、同時に禁止されるようになったのである。「神道」の意味論は、教育機能的問題領域からも排除されるようになった。これにより、教育宗教機能的な分化が徹底されるようになった。

一方、靖国神社は廃棄されなかった。この神社は、政治機能的問題領域における「国家神道」の象徴として導入されていた。確かにGHQでも、当初は靖国神社の廃棄が検討されていた。だが1947年に公布された国有境内地処分がこうした「神社」に適用されることで、靖国神社の廃棄も保留となった。更にその後、日米安保条約を背景とする1951年のサンフランシスコ講和条約を契機として、最終的には靖国神社も存続維持させることになった。一見すれば靖国神社宗教機能的問題領域で導入されたかのように思われる。だが、これまで政治機能的問題領域に導入され続けていた靖国神社のみを残存させるという処置は、むしろ他の神社で活動している神道との機能的差異を際立たせている。むしろ靖国神社こそが、政治宗教機能的な分化を強調しているのである。

戦後日本における宗教機能的問題領域は、「神道指令」の公布以降、国家権力による介入という政治的なコミュニケーションからの機能的な分化が進行したことで、仏教寺院、キリスト教、天理教をはじめとした新宗教の全てが、宗教人として、文部大臣や地方長官への届け出のみで自由に活動することが可能になった。いわゆる朝鮮特需も相まって急速に復興を遂げた日本経済は、高度経済成長期に突入した。高度経済成長期の日本では、農村から都市への人口移動が生じたことで、都市部の過密化と農村部の過疎化が派生した。国民の生活を支える日本経済社会構造は変動し、大量生産と大量消費で駆動された大衆消費社会展開された。この大衆構成は、マスメディア発達と表裏一体の現象でもある。

これまで日本の中心や頂点に位置することで階層的な分化社会構造を支えてきた「神道」、「仏教」、そして「天皇」の意味論は、近代社会機能的分化した社会構造に対応することで、それぞれの機能的問題領域に分離することになる。「神道」と「仏教」は、「国家神道」への<批判的な意識>を経由して、最終的には宗教機能的問題領域における意味論として特化した。一方「天皇」の意味論は、大日本帝国憲法日本国憲法の制定によって、政治機能的問題領域における意味論として特化することになる。

こうした社会背景観察すれば、神道仏教は、もはや社会の主導的な位置にはいないことを改めて理解できる。宗教システムは全体社会機能的なサブシステムの一種に過ぎない。それは何より、「世俗化」という宗教システムそれ自体の自己記述が指し示していることである。もはや各機能的問題領域の意味論には統一性が無い。しかし、それぞれの機能的なサブシステム社会構造には、共通性が全く無いという訳でもなかった。日本においてこのことは、GHQによる情報統制下における日本の戦後復興如何にして可能になったのかを観察することで、確認することができる。

問題解決策:初期状態としての「近代化」

日本の社会システムは、戦前において既に「近代化」を果たしていた。社会システム理論的に言えば、「近代化」とは、全体社会機能的な分化意味する。機能的分化した近代社会としての日本には、既に制御中核を担う中心や頂点は存在しなくなっている。とりわけ政治システム経済システムは、相互に別様の固有の論理で自的に作動し続けている。故に、政治システム経済システム制御し得ない。仮に政治システム経済システム制御の働き掛けを実施したとしても、経済システムは、あくまでも経済システムそれ自体のコミュニケーションを介して、これに反応する。

あらゆる制御自己制御である。制御とは、システムがそのシステム自己言及的な作動によって構成した<外的環境>に対する制御となる。その<外的環境>は、システム外部環境差異システムの内部に「再導入(re-entry)」することで構成される。したがって政治システムの政府が経済システム市場制御できているという認識は、政治システム自己言及であって、経済システムを含めた他のシステムにとっての共通認識とはなり得ない。

初期状態としての「資本主義」

教科書的な知識信頼するなら、戦後の日本経済は、アメリカ軍の占領政策によって「民主化」されたと捉えることができる。曰く、GHQ指導があったからこそ、戦後の日本経済に「資本主義」を根付かせることが可能になったという訳だ。それは、恰も日本経済が「生まれ変わった」かのような認識である。

しかしこの歴史認識は、戦前から戦後までの過程における日本の経済システムの作動の連続性否定することで初めて成り立つ認識である。元来日本経済には、アメリカの占領政策を待つまでもなく、もとより資本主義の精神が根付いていた。資本主義の土壌がまず構成されており、そこにアメリカの占領政策が加わったことで、戦後の経済システムの基盤が整ったのである。

概要を素描しておこう。明治維新期当初の日本では、まだ産業が発展していなかった。そのため明治初期には、官営による産業振興が図られていた。だが産業が発展していくにつれて、徐々に官営事業は民間に払い下げられるようになった。日本経済は徐々に民間中心の産業形態へと移行していったのである。大正時代には、第一次世界大戦による好景気で成金が出現している。金融の自由化もまたこの時代に進捗している。企業株式を公開することで至上から資金調達していた。経済的な規制も現代ほどは導入されていなかった。その結果、貧富の格差という非常に「資本主義的な」問題も顕在化していた。

ところが第二次世界大戦が始まると、日本は戦時体制として構造化されることとなる。これにより、日本の経済システムは統制経済に移り変わる。日本経済の「資本主義的な」コミュニケーションは、戦争における政治的なコミュニケーションによって棄却され続けていたのである。だが終戦を迎えると、GHQが一つずつこの統制を否定することになった。これにより、それまで排除され潜在化していた日本経済の「資本主義的な」コミュニケーションは、再び顕在化することとなる。アメリカが日本の統制経済を「民主化」したというのは、厳密にはアメリカの政治システムの日本の政治システムに対する政治的なコミュニケーションとなる。つまりそれは、政治システム経済システムコミュニケーションを「資本主義的な」コミュニケーションとなるべく制御していた訳ではない。それができたのは、ただ経済システム自己言及的な作動のみである。つまり、戦後日本の経済システムは、戦前の日本における「資本主義的な」コミュニケーション自己観察することで、更なる「資本主義的な」コミュニケーションについての「資本主義的な」コミュニケーション可能にしたのである。

財閥による棄却

それどころか戦後日本の経済システムには、アメリカや日本の政治システムによる制御資本主義の論理で背面腹背的に棄却する「強かさ」も備わっていた。GHQは確かに、財閥が軍国主義の温床であったと捉えたことで、財閥への解体命令を下している。それと同時に、独占禁止や過度経済力集中排除なども制定することで、市場の競争を促進する政策も展開していた。だが戦後日本経済における集中排除は、単なる「カルテル」の打破には留まらなかった。と言うのも財閥解体は、この局面ではシェアの高い企業を潰すことを意味したからだ。シェアが高いということは、それこそ競争で勝ち残り続けた結果でもある。財閥解体は、この意味では競争力の高い企業を一に破壊してしまう政策となる。

そこで日本の経済システムは、GHQが導入する財閥解体の影響を<緩やかな結合>と<緊密な結合>の区別によって解消することになる。つまり、それまで<緊密な結合>によって構成されていた既存財閥を完全に解体するのではなく、<緩やかな結合>によって構成された「グループ」として生存させたのである。企業間の「グループ」は、取引における保険のようなものとして機能した。「グループ」があれば、新たに顧客を開拓しなくても、「グループ」の中で一定の売上を上げることが可能になる。と言うのは、自社製品を同一「グループ」内の他企業が優先的に購入してくれると期待できるためだ。その期待は、安定的な経営が可能であるという期待へと結び付く。そのため戦後の日本の企業は、一定の売上の保険を保持した上で、新しい事業に挑戦することも可能であると期待できるようになっていたのだ。

こうした背面腹背が可能になったのは、日本企業の中に戦前から続く資本主義文化存在していたためである。民間企業GHQを誤魔化すことで、上手く規制を回避できていたのである。

経済復興の初期条件

戦後日本経済復興は、日本社会機能的な分化を前提とした経済的なコミュニケーションである。それは、経済復興という経済的な問題が、政治的な問題解決策解決されるのではなく、ただ経済的な問題解決策によってのみ解決されることを例示している。日本社会機能的な分化は戦前には既に成立していた。そのため、この経済的な問題としての経済復興経済的な問題解決は、決して戦前の歴史を無視したコミュニケーションとして可能になっていた訳ではない。戦後の経済復興は、戦前の歴史によって培われた社会構造意味論を前提として成り立っていたのである。

戦前と戦後の歴史的な連続性を前提とすれば、戦後日本の経済復興にも、戦前から引き継いだ初期条件があることがわかる。香西泰は、この初期条件を国富、労働力、そして対外経済関係の三つに区別している。

戦後日本社会における経済システムは、生産設備や流通網の破損や若手労働者の戦、そして経済封鎖によって、国内総生産(Gross Domestic Product: GDP)を戦前の半分程度にまで低下させることになった。1945年の日本のGDPは、1940年の日本のGDPの5割程度である。この影響から日本国民は、生活物資を獲得できない状況が続き、物不足と物価高騰にしむことになった。しかしながら、これに比して1945年の国富は、1935年の国富と同水準であった。これは、極めてゆとりのある状況である。

太平洋戦争による物的損害は甚大であった。だが、どういう訳か、そうした被害は戦時中に撤去転用された消費財産業の設備ばかりで、重化学工業においては存外に少なかった。重化学工業設備の資本ストックは、戦前をも上回るほどであった。それ故、戦後日本経済は大きな資本備蓄を必要としない状態で、生産回復可能にする条件を整えていた。その限界資本係数(marginal capital coefficient)、つまり生産量を一単位増加するために必要となる資本の追加量は低位に留まっていた。

労働力もまた、戦後日本の経済復興を後押ししていた。戦争は人的被害を伴わせた。だが外地からの復員やいわゆる「引揚者」を中心として人口は急増したことで、1944年から1947年にかけて上昇傾向が続いた。有業者数は増加したものの、工業労働者は増加せず、農林業が労働力を吸収する形となっていた。そのため、戦後日本の経済復興は、むしろ過剰人口の環境を前提に進められることになったのである。

資本労働力が経済復興を後押しする初期条件であったのに対して、対外経済関係は経済復興においては負の遺産として残っていた。確かに資本労働力があれば、多少の物価騰貴に耐久すれば、日本の経済復興は容易に実現するかのように思える。しかし、日本経済は戦中から継続して「封鎖」の下に置かれていた。もともと太平洋戦争で日本経済が崩壊したのは、本土空襲が本格化する遥か以前に、潜水艦によって海上輸送が切断され、原料入手が不可能になったためである。この経済封鎖状態は戦後も継続された。国民所得においても、最も落ち込みが激しかったのは輸出入であった。しかしこのことは、逆に言えば、封鎖の解除により輸出入が再開すれば、日本経済は急速に蘇生する可能性があったということを意味する。

傾斜生産方式

資本ストックを引き継ぎ、農林業に過剰人口を抱えることとなった日本経済は、結局のところ工業化に活路を見出すこととなる。しかし経済封鎖がボトルネックとなった。経済封鎖の下では、海外原料を入手できない。そのため日本経済は、石炭や鉄鋼のような海外原料の代替物を自らで生産する必要があった。そのために採用された生産体制が、「傾斜生産方式(priority production system)」である。

傾斜生産方式は、資材と資金を石炭や鉄鋼などのような重要産業部門に集中的に投入することで、石炭と鉄鋼の生産を相互循環的に上昇させようとした生産体制である。もともとこの方式は、「三月危機」の予測によって導入されている。1945年から約1年の間、鉱工業生産は消費財を中心に緩やかながらに増加していた。軍事的な武器を生産していた工場が、ナベやカマの生産に転換したのである。しかしながら、原料の入手難から生産財の生産増加には限界があった。後に原料在庫を食い潰してしまうと、消費財の生産も不可能になる。1946年の夏以降、鉱工業生産が緩やかに停滞し始めたことで、日本経済の崩壊が予測されることとなった。軍事用の原料のストックが尽きるのは、1947年の3月頃であると予測された。

この三月危機を回避するためには、対外経済関係の初期条件である「封鎖」が解除されない限り、国内生産財の増産に努めるほかない。そのためにはまず石炭の生産に注力しなければならなかった。だが石炭産業は、上述した通りの労働力不足に加え、更には労務管理の混乱を招いていた。更に鋼材の不足が増産の制約となっていた。一方、鉄鋼業では、専ら石炭不足に制約されたことで、生産が低迷していた。そこで導入されたのが傾斜生産方式である。この方式における生産体制は、生産された石炭を鉄鋼業に投入する一方で、そこで生産された鋼材を今度は炭鉱に投入するという二部門間の相互循環的な拡張によって構造化される。

しかしこの傾斜生産方式それ自体は、経済復興の戦力とはならなかった。確かに傾斜生産方式が導入された1947年後半から日本経済は徐々に生産を回復させることになった。だがそれは傾斜生産方式の功績ではない。日本の生産を回復に向かわせたのは、アメリカからの重油や原料炭、鉄鉱石などの緊急輸入である。

「この間、渇水や輸送障害のため、傾斜生産の思惑どおりの資材配分が行なわれたわけではない。それにもかかわらず、ともかく石炭、鉄鋼の生産回復が軌道に乗ったのは、日本人の努力によるとともに、この間占領軍が日本経済危機を認め、重油、原料炭、鉄鉱石等の基礎資材の輸入・放出に踏みきったことによるところが大きい。この意味では傾斜生産の貢献をそれほど高く評価すべきではないかもしれない。しかし傾斜生産は、戦争経済から引継いだ資本ストックとあふれる過剰人口をかかえた日本経済には、工業化以外の方向で生存する道のないことを改めて自覚させた。」
香西泰(著)『高度成長の時代 現代日本経済史ノート』日経ビジネス文庫、2001、pp62-63より。

傾斜生産方式が成功であるという認識は、政治システムによる経済システムへの認識というよりは、政治システムによる政治システムに対する自己認識である。と言うのもこの生産方式は、アメリカから物資を引き出すための説得材料として、政治的な機能を担っていたためである。むしろ、この生産方式が経済的な問題解決策としては機能していなかったからこそ、アメリカは日本経済危機的状況を認識することができた。実際、石炭や鉄鋼の生産拡大は、傾斜生産の可否ではなく、鉄鉱石の輸入数量に左右されていた。つまり、アメリカが鉄鉱石を回してくれた場合には、日本の生産も回復していたのである。逆にアメリカが鉄鉱石を回してくれなければ、日本の生産は落ちぶれていくことがわかった。原材料が無ければ、日本政府も産業界も何もできなかった訳だ。傾斜生産方式はアメリカからの援助を受ける契機を生み出したという意味で、経済復興における経済的な問題解決策としてではなく、あくまでも政治による政治政治的な問題解決策として機能していたのである。

「従って、1947 年の遅い時期からの生産の回復は傾斜生産方式の成功を示すものではなく、占領軍、アメリカの援助が効果的であったことを示すものである。ただし、日本政府が傾斜生産方式を打ち出したのはそれが生産回復の決め手となると考えたからよりも、これによって占領軍からの原材料の援助を引き出すことができると考えたからであり、その意味では見事に成功していた。」
大来洋一(著)、エルビラ・クルマナリエバ(著)『傾斜生産方式は成功だったのか』GRIPS Policy Information Center、2006、p1より。

傾斜生産方式の政策を決定するところから「占領軍からの原材料の援助を引き出す」ところまでは、紛れも無く政治的な問題解決である。だがその後に実行された資源の輸入は、日本の経済復興という経済的な問題に対する経済的な問題解決策である。この政治的な問題解決経済的な問題解決区別が表すのは、一方が他方を制御することがあり得ないということだ。既に「近代化」を果たしていた日本社会機能的な分化という社会構造は、如何なる政治的なコミュニケーションにも、経済システムはもとより経済の部分領域や一国家で括られている「日本経済」という領域においてすら、制御可能性を与えない。何故なら、そうするためには、政治的なコミュニケーションというよりも、むしろ経済的なコミュニケーションそれ自体が必要になるからである。

政治システムと経済システムの構造的な結合点:公的な財政投融資

ここでいう経済的なコミュニケーションとは、貨幣支払いを通じたコミュニケーションに他ならない。貨幣は、支払いという形式でのみ、つまり経済システムそれ自体においてのみ使用されるメディアである。公営銀行が実行する最初の支払いは、確かにまだ政治によって条件付けられている。だがその最初の支払いが為された後は、既にその貨幣使用に関して、政治的な制御は及ばなくなる。貨幣使用は常に経済的に制御される価格に依存し続ける。したがって政治システムは、経済機能的問題領域の中では、貨幣所有者として、その他の貨幣所有者と同じ位置付けになる。だがそれによって、政治システムもまた、自己自身で規定した支払い目的に応じて貨幣を支出するという所有者それぞれが有している自由を活用できる。政治システムが更に別の財源を開拓する場合や信用を想像する場合にも、この点は何ら変わらない。政治システム貨幣支払いを通じた経済的なコミュニケーションに参加しようとすれば、その後の経済内部での貨幣使用形式は、経済システムによる反作用によって指し示される。場合によっては、それ相応に貨幣価値が高騰することで金融市場に過剰な負荷が掛かる場合もあるであろう。また別の可能性があり得るとすれば、あるいはインフレーションが引き起こされる場合もあり得る。

これを前提とすれば、公的な財政投融資は、古くからある政治システム経済システム構造的な結合形式の一種であると考えられる。双方はこの構造的な結合点を介して、より多くの自由度を得ている。貨幣の支出は、政治が自由にできる手段の枠組みで政治的に動機付けられる。とはいえ、経済文脈政治にとって透明になる必要は無い。政府や国家は、経済的なコミュニケーションに参加している限りにおいて、皆所有者である。そうであるからこそ、他の所有者と同じように、経済的なコミュニケーションに参加する政府や国家は、経済的な文脈に対して、ある程度無知でも構わない政治的な文脈構成できるのである。一方、経済システムの側は、経済システムそのものの構造に規定された形で反作用することもできれば、政治的な貨幣調達や貨幣支出を単なる外部環境からの刺激として観察することもできる。こうした可能性の全ては、構造的な結合を前提とした自由なのである。

組織システムとしての中央銀行

この記述は、とりわけ「高度成長は通産省の指導のおかげ」などと嘯き英雄的な官僚像を高らかに謳い上げてきた者たちを不快にさせる指摘となっているかもしれない。特に、政治システム経済システム制御することが不可能であるというこの記述は、確かに政府の「成長戦略」に期待するということが、誤った認識から生み出されていることを殊更露呈させてしまう。また同様に、企業指導や公的な財政投融資を可能にする役人が、一度経済的なコミュニケーションに参加しようものなら、単なる所有者として位置付けられてしまうという上述した論理は、役人の威光を吹き飛ばす結論を招きかねない。しかし、事柄に即した分析に徹するなら、この類の吹けば飛ぶような武勇伝は、直ちに一掃されるであろう。

近代社会のほとんどの国家では、貨幣は政府ではなく中央銀行によって発行されている。しかしそうした貨幣も、政治システム経済システム機能的な分化が十分に進捗していなかった頃には、中央銀行ではなく政府が発行していた。例えばアメリカ合衆国でも、イギリスの植民地であった時代には、政府とは独自の貨幣を印刷することを違法とするイギリス国王の政策に反発していた時期がある。その際アメリカは、13州の代表が大陸会議(Continental Congress)を開催し、独立戦争の戦費を調達するための新しい貨幣を発行することを決定している。

独立後のアメリカは、合衆国憲法第1条8項において、議会貨幣発行の権力(power)を持つと規定した。それは、紙幣を含めた貨幣を発行すると共に、その価値や外貨の価値をも規定する権限である。しかし建国以来、この権力(power)は、政府と民間の中央銀行との間で奪い合い奪い返す権能として扱われることとなった。例えば1791年に議会によって公認された民間の第一合衆国銀行や1816年に同じく公認された第二合衆国銀行は、それぞれその公認期間となる20年間、貨幣発行権を掌握し続けてきた。しかしその後第7代大統領となるアンドリュー・ジャクソンは、第二合衆国銀行の公認延長に対して拒否権を発動することで、貨幣発行権を民間銀行から取り戻している。その後は約80年の間、貨幣発行権は政府によって掌握された。

だがその後1913年になると、連邦準備制度(Federal Reserve Act)が成立したことで、連邦準備制度がアメリカの中央銀行として組織されることとなった。この中央銀行には、「連邦準備紙幣(Federal Reserve Note)」という名目上、政府から独立して貨幣を発行する権限が与えられている。それ以来、この中央銀行と政府という組織システム区別形式的に導入されることによって、経済システム政治システム機能的な分化が進捗することとなった。

法システムにおける裁判所政治システムにおける国家と同じように、銀行経済システムにおける中心として位置付けられる。銀行観点かられば、経済的なコミュニケーションとして構成されている全ての要素は、銀行の周辺に位置付けられる。経済システムの中では、銀行だけが中央銀行、商業銀行銀行顧客の間の文化に関して、階層的な構造構成している。

組織システムとしての銀行には、経済システムに対して絶えず支払い能力を供給する義務があると考えられている。組織システムとしての銀行は、企業あるいは計が必要な自己資金を使えない場合にも、あるいは企業計が投資して物的財という形に固定された貨幣を流動化させたくないものの、しかし支払い能力は保持しておきたいと思うような場合にも、支払い可能にする。

銀行という組織システム意思決定により、経済システムの自的な作動にとって十分な区別が導入される。つまり物的資産や労働需給と貨幣手段との間の差異構成されるのである。これによって初めて、市場分化させ、自需要のためではなく市場のために生産することが価値ある営みと見做される規模で、取引が遂行され得るようになるのである。

アメリカ合衆国が例示しているのは、国家から独立した中央銀行組織化が、政治システム経済システム機能的な分化決定的な出来事であるという点だ。それは日本社会とて例外ではない。しかし、日本社会における政治システム経済システム機能的な分化は、政府と銀行の表立った対立を繰り広げてきたアメリカとは別の様相を呈している。

合衆国憲法とは異なり、日本国憲法には貨幣の発行権に関する規定が無い。それは便宜上「政府に属する」とされるだけである。政府貨幣の製造と発行は、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」で規定されている。その第四条には、「貨幣の製造及び発行の権能は、政府に属する」という記載が存在する。政府は硬貨以外にも、政令として定めれば、記念貨幣として一万円なども発行することができる。その他にも、貨幣素材、品位、量目、形式もまた、政令で定めることができるという。しかしその第七条には、「貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、貨として通用する」という制約規定も含まれている。

この政府貨幣貨としての制約規定を前提とすれば、日本銀行券は大口支払用の代替物と見做せる。言い換えれば日本社会では、政府貨幣が制限付き貨とされているが故に、その埋め合わせとして、日本銀行に日本銀行券という紙幣発行権が付与されたのである。日本銀行第四十六条で規定されているように、日本銀行が発行する銀行券は、「貨として無制限に通用する」。

したがって、日本社会における政治システム経済システム機能的な分化は、日本国憲法を介して法システム構造的に結合している政治システム本来的に無制限に発行できる政府貨幣の通用範囲をあえて的に制約するところから始まる。そして、日本銀行という政府とは独立した別組織に対して、貨として無制限の通用範囲を有した銀行券の発行権を付与することで、日本銀行国家組織システムとしての分化を促したのである。

この組織システム形式的な分化政治システム経済システム機能的な分化決定的なものとしたという点では、アメリカと日本の間に大差は無い。しかしその過程は全く異なる。アメリカに比して、日本における双方の機能的な分化は、政府貨幣の欠陥を造るところから始まっていたのである。政府貨幣の通用範囲の制約が言い表しているのは、政府や国家という組織システム支払い能力が、銀行券の発行権限を有する中央銀行という組織システム支払い能力に劣るということである。中央銀行は、政府に比して、経済機能的問題領域に特化している。それは中央銀行が、政府に比して、経済的な問題解決策として機能する可能性を有していることを意味する。

二値コードとプログラムの差異

機能的分化した日本社会の社会構造は、常にそれぞれの機能的サブシステム自己言及的な自を初期条件としている。この社会構造は、何かが全体社会を代表する可能性排除している。如何に国家や政府が政治システムの中心に位置しているとしても、それがすなわち全体社会の中心となる訳ではない。仮に国家や政府が政治システムの中心に位置するとしても、経済システムには中央銀行が、法システムには裁判所検察庁が、科学・学問システムには大学や研究所が、マスメディア・システムにはテレビ局新聞社が、それぞれその機能的問題領域の中心に位置している。こうした全体社会の社会構造は、もはや「ハイアラーキー(hierarchy)」としては記述され得ない。むしろ重要なのは、「ヘテラルキー (Heterarchy)」であり、機能的分化した多種多様なモジュールへの観点である。

機能システムはそれぞれのシステムに固有の区別、固有の現実構成、固有の「二値コード(binarer code)」に応じて、自己自身を方向付ける。例えば経済システムならば「支払い(Zahlung)」と「非支払い(Nicht-zahlung)」の二値コードに準拠するのに対して、政治システムは「与党(Regierung)」と「野党(Opposition)」の二値コードに準拠している。この二値コード質は、「0」か「1」かという形式情報を処理するコンピュータを連想させる質だ。このバイナリ形式を前提とすれば、ある範囲を「0」と見做したならば、その他の範囲は全て「1」と見做せる。「2」や「-1」などのような無限に遍在する「第三項」は全て捨象することが可能になる。

その一方で各機能システムは、それぞれの自己言及的で自的な作動の脈絡で構成した「構造(Struktur)」に「プログラム(Programm)」を組み込むことで、構造的に結合した他の機能システムによる攪乱を受ける機会を有する。多文脈的な社会では、単一の文脈に対応した二値コード選択することに必然性は無い。二値コード選択は、常に偶発性に曝された状況下で実行される。更に二値コードだけでは、具体に欠ける。例えば支払いと非支払い二値コードだけでは、個別具体的な状況や条件でどのように貨幣支払い、どのように貨幣を支払わないのかが未規定に留まる。ある機能システムが特定の二値コードを具体的な局面で冗長的に使用し続けるためには、「構造(Struktur)」が必要となる。

こうして、二値コードの個別具体的な運用を可能にする社会システム構造を、そのシステムの「プログラム」と呼ぶ。例えば「投資(Investition)」や「消費(Konsum)」は、経済システムプログラムとして構造化されている。一方、政治システムプログラムは「綱領(Manifest)」である。政治システム経済システム制御の働き掛けを実施する場合、一方から他方への観察は、構造的な結合点を介して実行される。その際、政治システムは、経済システムプログラムとしての投資や消費に制御を働き掛けることになる。しかしながら経済システムは、あくまでも自己言及的で自的に作動する。外部環境による攪乱を如何に処理するのかは、経済システム自身が規定することである。確かに、その攪乱が結果的に制御されたかのようなシステムの状態へと帰結する可能性もあり得ない訳ではない。だがシステム制御されたかのように振る舞うか否かは、そのシステム自身が決めることである。この意味制御とは、既に述べたように、自己制御なのである。

プログラム機能の一つは、二値コードの高い抽象を無害化することである。二値コードは確かに機能的問題領域を限定する形式として機能する。しかしその抽象があまりにも高いために、あらゆる対象を当該問題領域に包摂してしまう。世界の全体を内部に導入してしまう形式に準拠すれば、システムの内外の区別パラドックスが伴う。当の機能システムは、システム外部環境差異を確保できなくなる。プログラムとは、この二値コードの適用範囲を限定することで、二値コードに伴うパラドックス脱パラドックス化する意味形式なのである。

二値コードは、それぞれ不変である。逆に言えば、二値コードが変わればシステムも変わってしまう。仮に与党野党二値コードから支払いと非支払い二値コードへと変化した場合、そのシステムはもはや政治ではなく経済となるのである。これに対して、プログラム歴史や時代や状況によって変異していく。それは一般に、構造変異として生じる。したがって、プログラム二値コード使用を方向付ける以上、如何なる二値コード歴史的に相対的だということになる。

二値コードが不変であるのに対して、プログラムは、対応する二値コードが不変である限りにおいて変更可能である。機能的分化したそれぞれのサブシステムは、この二値コードプログラム区別を導入することで、外部からの干渉を処理する。例えば政治システムの政府が経済システム市場制御しようと試みた際には、その影響は、経済システムプログラムとなる投資や消費によって処理される。この投資と消費は、あくまでも経済システムがその自己言及的な作動によって構成した構造である。

故に、如何に政治システム経済システムに対する制御の働き掛けを企てても、その制御影響を如何に被るのかは、投資と消費を構成する経済システムが自的に決定する。政治システム可能なのは、精々のところ、経済システム投資や消費に関する自己制御の制約条件の一部を設定する程度のことに過ぎない。逆に、政治システム経済システムに対する制御の企ては、政治システム綱領によって方向付けられる。政治システムもまた、綱領を介した自己言及的な作動を実行し続けるべく、自己制御することができる。たとえ経済システム市場が全く政府の制御に従わないという洞察が得られたとしても、あくまでも政府は市場制御できるという自己認識を抱き続けながら、政治システムは、平均所得、所得格差、失業者数、地域格差などのような政治的に重要な数値に注視し続けることができるのである。

政治システムは、プログラムとしての綱領に準拠することで、政治的な成功や失敗に関して、自己自身を制御できる。だが政治システム経済システム自己制御に干渉できるのは、経済システム自己制御の方向や条件を正しく見極める場合に限られる。あるシステムが他のシステム自己制御に干渉しようとする場合、いずれにせよ、それに先立って、そのシステム如何にして作動しているのかを観察しなければならない。しかし多文脈機能的分化社会では、そうした政治的な観察による区別の導入は、経済的な観察による区別の導入を棄却してしまうか、もしくは逆に棄却される可能性がある。

問題解決策:象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア

政治システムの中の国家経済システムの中の中央銀行は、こうした機能システム間の双方向的な棄却のせめぎ合いを背景として作動し続けている。中央銀行経済的なコミュニケーション政治システムによって棄却される場合もあれば、国家政治的なコミュニケーション経済システムによって棄却される場合もある。そうした棄却は、それぞれのコミュニケーション可能となるはずの問題解決のための意思決定を阻害してしまう。それ故に機能的分化した近代社会の社会構造は、各種機能的問題領域における問題解決策となるコミュニケーション棄却されずに受容される可能性を高める機構を配備している。

あらゆるコミュニケーションは、それがコミュニケーションとして理解されることを成立条件としている。コミュニケーションが成立するか否かは、それが受容されるか拒否されるかの分岐に対応している。この分岐が設定されることで、それ以降のコミュニケーションは異なる道筋を辿ることになる。だがいずれの場合も、コミュニケーションの状態は、コミュニケーションによって変化する。受容されたコミュニケーションは、更なるコミュニケーションの前提として機能する。特に、一度受容された意思決定コミュニケーションは、後続の意思決定コミュニケーション影響を与える。上司の判断が部下の行動を方向付けるのと同じように、一度受容された意思決定コミュニケーションは、後続の意思決定コミュニケーションにおける選択肢を予め限定するのである。

一方、拒否されたコミュニケーションにおいても、受容されたコミュニケーションと同様に、システムに何らかの痕跡を残す。システムは、二度とその拒否されたコミュニケーションが実行される前の状態に回帰することはできない。コミュニケーションは、純粋無垢な状態には回帰できないということである。コミュニケーションは、そうした拒否されたコミュニケーション記憶を想起することで、「その拒否されたコミュニケーションは差し控えるべき」などといった具合に、以降のコミュニケーションの前提を構築する。他方、受容するか拒否するかという問題を未定にした状態で、まさにこの受容と拒否の問題を主題としたコミュニケーションが生起する可能性もある。この場合のコミュニケーションは、<コミュニケーションについてのコミュニケーション>という反省的な自己言及となる。だがこれは受容と拒否の決定を先延ばしにしているに過ぎない。コミュニケーション時間有限であるために、やがて受容と拒否の決定が下されることになる。

原理的に如何なるコミュニケーションも、拒否される可能性を有している。だが政治経済科学・学問マスメディア教育宗教芸術族、医療などのような各種機能的問題領域のコミュニケーションは、受容される可能性が高くなければならない。と言うのも、これらの機能的問題領域のコミュニケーションが容易に拒否できるようでは、全体社会の社会構造が不確実化してしまうためである。それ故に全体社会は、機能的コミュニケーションの受容可能性を高めるような構造構成している。社会システム理論は、こうした受容可能性の増大に資する機構を「象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア」と名付けている。

象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアは、コミュニケーションの受容と拒否の分岐に対応するために構成されている。それは、あるコミュニケーションの受容が社会的に機能すると認識される場合に、にも拘らずそのコミュニケーションが拒否される可能性否定できない場合に構成される。社会的に機能するというのは、社会における問題を解決するということである。近代社会はそれぞれの機能的問題領域で機能的分化しているのだから、象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアもまた、この各機能的問題領域に対応する形で構成されている。例えば政治システムには「権力(Macht)」が、経済システムには「貨幣(Geld)」が、科学・学問機能システムには「真理(Wahrheit)」が、システムには「愛(Liebe)」が、宗教システムには「信仰(Glaube)」が、それぞれ対応している。こうしたコミュニケーション・メディアは、コミュニケーションの接続における「選択(Selektion)」と「動機(Motivation)」を予め方向付けることで、コミュニケーションの成果の不確実性を埋め合わせるべく機能する

コミュニケーション・メディアの形式としての組織

象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアという概念は、先に取り上げたフリッツ・ハイダーの言う意味での「メディア(medium)」と「形式(form)」の区別におけるメディア概念に照応している。メディア形式区別が言い表しているのは、<緩やかな結合>と<緊密な結合>の差異である。メディアは、結合を解かれた互いに独立な出来事から成り立っている。このことは象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアにも該当する。例えば貨幣はその都度互いに独立した事象となる支払いから成り立っている。また権力も、やはりその都度互いに独立した強制の可能性背景とした要求から成り立つ。

確かにメディアは、メディアそれ自体と非メディアとの境界を明確に設定しなければならない。だがメディア内部の諸要素は、諸関連の拘束を最大限排除した出来事の集合であり続ける。つまりメディアにおいては、相互依存は少なければ少ないほど良いのである。例えば貨幣支払いにおいては、支払われる貨幣如何にして取得されてきたのか、あるいはその後その貨幣が何に使用されるのかには左右されない。価格に依存して実行される支払いの量的規模も、次々に実施されるそれぞれの支払いについてはその都度新たに規定することができる。量は、支払いによって規定されると同時に、集まってくる貨幣貨幣ストックの中に入力される時、支払いによって再び解体されるのである。

だがこの個別具体的な出来事の結合解除が可能であり続けるためには、出来事の量に関する前提条件が満たされていなければならない。メディア形成する出来事が大量に存在しなくてはならないということである。さもなければ、メディアの維持は割に合わなくなる。それ故、メディアはまず組み合わせ可能性が過剰で、かつ組み合わせの機会が十分頻繁に発生する場合には、緩やかに結び付けられている諸要素に関する選択と集中の可能性を提示することになる。そうしてメディアによって提示されるのが、形式である。形式は、メディアによって解除された結合可能性の再結合可能にしているのである。

メディア形式区別は、メディア形式の双方が高度に抽象的な関係概念であることを言い表している。端的に言えば、ここでいうメディアとは、比較的緩やかに関連付いている諸要素の集合である。これに対して形式とは、メディアが提示する諸要素の集合の中から、相互依存比較的高い関係にある諸要素を選択することで、緊密に関連付いている諸要素を指し示す。

このメディア形式区別を前提とするなら、銀行株式会社、あるいは国家や研究所や医療をはじめとした支払いに参加し得る様々な組織システムが、メディアとしての貨幣によって緩やかに結合されている支払い可能性を緊密に結合する形式として位置付けられる。このメディアとしての貨幣形式となる組織システムは、この限りにおいて、その意思決定構成されたコミュニケーション経済的な問題解決策として機能させることが可能になる。この限りにおいて、そうした組織システムコミュニケーションは、同時に経済システムコミュニケーションとなるのである。

貨幣の導入は、貨幣形式が刻印されることを前提としている。そうした形式の刻印として想定される出来事は、例えば衣食住や鉄鋼業の資源などのように、市場を通じて稀少な財の占有へと動機付ける政治的な需要である。経済システム観点かられば、この場合に重要となるのは、程度の差はあれ、とにかく当てにできる消費である。もし消費が当てにできるなら、それに基づいて生産を計画することができる。そうした事業計画が立てられるのならば、自ら計算して支払い能力を維持していくような組織システム構成することが可能になる。そうした組織システムも、何にどの程度支払うべきかを決定する機会を利用するという意味ではメディアとしての貨幣に依存している。だがメディアとしての貨幣がそもそもメディアとして維持され得るのは、こうした組織システムによる形式化があってこそなのである。

形式としての組織システムは、メディアとしての貨幣を利用することで、その内部に形式のサブ集合構成する。あるいはハイダーが述べたように、あるメディアに刻印された形式は、別の形式を刻印させるメディアとして機能するとも言えよう。形式としての予算配分や形式としての給与は、支払い結合関連を緊密化することで成り立つ一例である。階層構造を前提とするなら、この形式化の決定前提となるのは、経営陣や人事部の意思決定である。故にこれらの形式は、組織内部に、地位を形式化させる上でのメディアとして機能する。この<形式としての地位>がメディアとして機能する時、そこに刻印される形式となるのは、権力である。回り回って組織システムは、象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアとしての貨幣を、同様のメディアである権力へと変換しているのである。つまり、ある<象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア>によって形式化されている組織システムは、別の<象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア>を形式化させるメディアとして機能することで、ある機能的問題領域から別の機能的問題領域への緩やかな結合可能にしていることになる。

これを前提とすれば、経済システムの中に位置する中央銀行株式会社に限らず、原理的に如何なる組織システムも、貨幣支払いに参加することで、経済的なコミュニケーション展開することができる。そして如何なる組織システムも、メディアとしての貨幣に地位の形式を刻印することによって、メディアとしての権力を発生させることができる。それは、如何なる組織システムも、政治機能的問題領域と無縁ではないということでもある。貨幣それ自体を権力と同一視するかのような政治経済学的ないし政治社会学的な主張は、ここでは取り下げなければなるまい。そうした観点では、近代社会の社会構造分化している各種機能的問題領域の差異に対する鈍感な認識を育んでしまうと共に、貨幣から権力へのメディア変換が、組織の地位の形式によって促されているという実態を度外視してしまう。

むしろ重要なのは、機能システム組織システム区別を導入し続けることであろう。この区別観点から、貨幣権力のようなメディアそれ自体の問題と組織の地位の問題とを区別しなければならない。さもなければ、地位の形式を刻印する組織の問題が、まるで機能的分化した近代社会の社会構造全体の問題であるかのように錯覚してしまうことになる。そうした錯覚に基づいた問題設定では、精々のところ、近代社会そのものを否定する社会運動に興じることしかできなくなってしまうであろう。

問題解決策:朝鮮特需

日本経済復興したと言えるのは、1950年代の朝鮮戦争によるいわゆる「朝鮮特需」が派生してからである。戦後から特需が派生するまでの間に復興が遅延していたのは、日本の経済政策が「緊縮派」と「緩和派」という二つの流派に分裂していたためである。

日本の降伏後における非軍事化と民主化を目指したアメリカの初期の対日政策とは異なり、1947年以降のアメリカの対日政策は、工業国家としての日本の経済復興世界市場への復帰を重点としていた。アメリカの政策転換は、二つの政治的な問題設定に根差している。一つはアメリカ国民負担軽減の必要である。それは納税者の論理である。もう一つは、日本をアジアにおける共産主義勢力に対する防波堤として位置付けようとする冷戦の論理である。1947年中間選挙において進出した共和党は、納税者の負担軽減をアメリカ国内の政治的な問題として設定していた。同時にこの共和党は、反共主義は一層強弁であった。

政治システムと経済システムの構造的な結合点:租税

上述した納税者の論理は、日本の経済システム構造的に結合しているのが日本の政治システムだけではないということを例示している。機能システムは、組織システムとしての国家ほどには、国家の地理的な差異を重視しない。ある問題解決策問題解決策として機能するか否かは、地理的な差異ではなく、機能的な問題領域ごとに規定されるためである。地理的な差異に囚われない社会システム理論は、ある国家における納税者の論理が別の国家の地理的に接している経済システムに対して影響を及ぼすという事態が如何にして可能になっているのかを解き明かしてくれる。

社会システム理論的に言えば、「租税(Steuern)」は、政治システム経済システム構造的な結合点として位置付けられる。政治システムの中の国家は、外部環境で作動する経済システム背景に、現実に手に入る租税収入に依存し続けている。租税収入への配慮は、政治システム経済システム構造的な結合点であり続けているのは、上述したもう一つの構造的な結合点となる公的な財政投融資が、如何に政治的な政策が経済システム制御に明け暮れていようとも、経済システムにそれなりの影響を及ぼすものの、結局は経済システムの固有の力学に基づいて調整されるからである。政治システムには、こうした経済システムに固有の力学を変更することができない。

開かれた選挙に準拠した民主主義的な制度という条件の下では、選挙結果は、当該国家と関連した経済状況を映し出す、と想定されている。経済システムがそれ固有の二値コードに従う自己言及的で自的なシステムであるにも拘らず、経済上の良ししを、政府や国家に帰属できるようになる。それはひとえに、帰属のための経済政策上の手段が存在しているためである。納税義務、補助金政策、科学技術の振興促進、投資促進のための立法、産業の国外立地を促進するための立法国家の信用保証、労働市場への介入政治的な投融資によるインフラ設備投資、そして多くの場合には更に中央銀行の政策など、これらの政策それぞれの効果がどの程度なのかは、経済システムの自的な作動が織り成すシステム複合性を前にすれば、直ぐに測定困難であることがわかる。

しかし、経済の肯定的な発展否定的な化の責任を政府や国家に対して政治的に帰責させるには、これらの主題政治的な問題として設定できるという前提を構築するだけで十分なのである。納税の負担軽減のみならず、物価上昇、失業、過剰人口、住宅不足、特定の産業や農業の経済的な衰退などのような一見して本来経済的な問題であっても、政治システムにおいては、それを政治的な問題として設定できるということこそが重要事となる訳だ。公的な財政投融資と租税という構造的な結合点は、この意味で、経済的な問題を政治的な問題として再設定する機能を有している。

冷戦の社会構造

納税者の論理が政治システム経済システム構造的な結合点に対応した意味論であるのに対して、冷戦の論理は政治システム社会構造に対応した意味論である。この論理は、政治システムプログラムとしての綱領を、主に東西の区別によって形式化させる意味論である。

1947年以降の冷戦の社会構造は瞬く間に発展した。1947年3月、アメリカは共産主義の封じ込みを目論んだ「トルーマン・ドクトリン(Truman Doctrine)」により、ギリシアやトルコへの援助を決定した。6月には「マーシャル・プラン(Marshall Plan)」において、ヨーロッパ復興援助計画構想を発表した。だがソ連と東欧諸国はこのプランに参加せず、遅くてもこの時点で米ソの対立が明白となった。一方、10月にはソ連と東欧諸国により「コミンフォルム」が結成された。そして11月のロンドン四ヶ国外相会議はドイツ問題を巡り決裂している。同年夏頃から中国大陸の国民党対共産党の内戦も激化している。

1948年になると、2月には朝鮮民主主義人民共和国が成立し、チェコスロバキアでの共産党による政権奪取が生じた。6月になると、ドイツでは西側の占領地域において通貨改革が実施された。これに対しソ連はその報復としてベルリンを完全封鎖した。アメリカは大量の空中輸送によってこれに対抗する。東西対立は一触即発の様相を呈していた。

西ドイツの通貨改革は期待以上の成果を収めた。この政策の構想は、もともと1946年のドイツ占領アメリカ軍西部財政部長ジョセフ・ドッジによって提案された内容に由来する。この成功体験と、元々彼が共和党系の財界人であるというキャリアに着目したアメリカ政府は、当時デトロイト銀行頭取に復帰していたドッジを再度起用することで、日本経済指導に当たらせることにした。繰り返すように、日本の経済復興はアメリカ国内の納税者の負担軽減として機能することが認識されていた。この意味でドッジの起用は、共和党系のキャリアを前提とした冷戦の論理のみならず、アメリカ国内の納税者の論理とも相が良かった。

ドッジの安定政策

かくして1949年より、ドッジの安定政策が開始される。その参照問題は日本や世界インフレーションであった。戦後の世界社会では、インフレの傾向が強まる時代を迎えていた。消費者の需要に生産者の供給が追い付かなくなったために、物価が高騰してしまうのは避けられない状態となった。「戦勝国」のアメリカですら、インフレ傾向が強まっていた。そのインフレ率は1946年で8.3%、1947年14.4%、1948年8.1%と、高い水準を維持していた。このインフレ傾向を良しとしなかったアメリカ政府やGHQは、日本の降伏後勅語から緊縮案を掲げていた。

アメリカ政府と中央銀行の連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board: FRB)は、インフレ率が10%に近い水準で維持される状況を改善しようとするために、緊縮を決定した。FRBは公定歩合を徐々に引き上げることで、金融を引き締め、インフレを抑制しようとしたのである。公定歩合を引き上げれば、民間の銀行融資は貸出金利を引き上げなければ利益が得られなくなる。それ故、自ずと企業の金利負担は増加する。公定歩合の引き上げは、資金需要を低下させることで、インフレ率の低下をもたらすというのが、「緊縮派」の問題解決策なのである。

一方、日本政府は物不足の解消を優先していた。そのため1947年に政府は全額政府出資で政府金融機関となる「復興金融金庫」を設立することにより、「復興金融債」を発行した。そしてそれを日本銀行に引き受けさせたのである。主要な融資先となったのは、産業の根幹となるエネルギーと鉄の生産に関わる石炭産業と鉄鋼業である。しかし、この日本政府の問題解決策は、日本銀行による通貨の増発を派生させる。それはインフレをむしろ強化する。それはアメリカとGHQの方針と矛盾することになる。そのためGHQは1949年、日本のインフレ政策と対峙するために、ドッジを金融政策顧問として送り込むことになる。

「緊縮派」と「緩和派」の差異

ドッジをはじめとするアメリカ政府と日本政府の対立関係は、「緊縮派」と「緩和派」の差異に対応している。「緊縮派」とは、物価の高騰を毛嫌いする思想の持ち主である。「緩和派」は、この「緊縮派」の案に反して、物不足の解消を優先する。

ドッジは日本政府に対して復興金融金庫による融資の停止を提言すると共に、後に「ドッジ・ライン(Dodge Line)」や「ドッジ・プラン(Dodge Plan)」などと称される案、「超均衡予算」と「価格差補給金」の停止を提示した。「均衡予算」とは、歳入と歳出が同値である予算を意味する。だが「超均衡予算」とは、歳出を最低限にする一方で、余剰金を全て国家の借金返済に回す予算を意味する。「価格差補給金」は、生産者を保護する国庫支出金を表わす。重要物資である石炭と鉄鋼の消費者価格が生産者価格よりも低くなる場合には、その差額を政府が負担することで生産者を保護するのである。

敗戦国となる日本の政府にとって、GHQの「ドッジ・プラン」は外圧として作用した。日本政府は半ば強引に1949年4月の予算を組み換えることで、歳出削減を実行せざるを得なかった。この外圧による緊縮予算と金融引き締めが、日本の経済復興の遅延を招いていたのである。

このように概するだけでも、アメリカ政府のデフレ政策と日本政府のインフレ政策の差異が、「緊縮派」と「緩和派」の差異に対応していたことがわかる。とはいえ両者の差異は均衡していた訳ではない。「ドッジ・プラン」は優れたインフレ抑制策として機能したために、日本政府がその緊縮の策を実施した結果、日本経済デフレによる不況に見舞われてしまった。そこで日本政府は、「ドッジ・プラン」を否定することで、今度は金融緩和に注力することになった。日本政府は、民間が保有する復興金融債、優良社債、日本興業銀行が発券する金融債権などを日本銀行に積極的に購入させることで、民間の市場貨幣を供給し続けたのである。だが日本政府に「ドッジ・プラン」を否定されると、ドッジは再び1949年10月に来日し、公務員給与水準や経済統制を主題とした緊縮政策を提言した。

日本経済がドッジ・ラインの実施によってデフレ危険に直面していた。しかし1950年、朝鮮戦争が勃発すると、事態は急変することになる。日本は兵站基地となった。特需が集中し、世界的な軍備拡張と軍需物資の買付けによって輸出が急伸した。戦争開始後数年で、国際収支も改善され、資金も潤沢となり、利潤も膨張した。ドッジ・ラインによるデフレは容易に忘れ去られるようになった。

かくして、「緊縮派」と「緩和派」の競合関係に基づいた政治的なコミュニケーションは、決着が付かないまま、「朝鮮特需」という経済的なコミュニケーションによって棄却されることとなった。図らずもドッジのデフレ政策から解放された日本経済は、1950年代から徐々に復興を進めることが可能になった。1950年から1952年までの日本の経済成長率は10%を超えている。1955年には鉱工業生産が戦前の最大値を超える成果を出している。1956年には、日本のGDPが1940年のGDPをも上回り、日本政府の『経済白書』では「もはや『戦後』ではない」と記述されるほどの経済成長を遂げることに成功している。そして、1955年から1970年代に至る高度経済成長により、1968年には日本のGDPはアメリカに継ぐ資本主義国第二位の値にまで上昇した。

問題解決策:福祉国家

高度経済成長期により、日本の社会構造も大きく変異した。農村から都市への大量の人口移動が生じ、都市の過密化と農村部の過疎化や高齢化を進行させた。これに伴い、国民の生活様式も大きく変異し、大量生産と大量消費に象徴される大衆消費社会構成された。同時に、社会保障制度が整備されることで、日本国家は「福祉国家(Wohlfahrtsstaat)」としての様相を呈するようにもなった。

福祉国家では、<解決されるべき問題>として想定される諸問題を<解決可能な問題>として想定することで、広い範囲で政治的な問題設定が実施される。国家は、政治普遍化の参照点となる。産業立地、生産活動や研究におけるリスク制限、麻薬使用に対抗する措置、高等教育へのアクセスの拡大、患者治療医療システムにおけるコスト調整、雇用の創出とその維持まで、多種多様な問題が政治的な問題として設定される。

要するに福祉国家は、より多くのミルクを得るために、雌牛を膨らませる試みに類似している。その基礎となるパラドックスは、解決が待たれる諸問題は解決可能な問題であるという形態として発現する。何故なら、そうした問題は、全体社会機能的な分化政治システムの中に「再導入(re-entry)」することで、本来政治システム外部環境で発生している諸問題すら政治システムの内部の諸問題として記述されているためである。それと同時にそうした問題は、政治システムが全体社会機能的な分化の中の一つのサブシステムに過ぎないということに起因しているためである。

福祉国家は、解決可能な問題を政治的に解決可能な問題として再設定することによって、福祉国家に固有の自を確保している。常に、何らかのすべきことは確実に存在している。日常は、慌ただしさやせわしない攻撃によって規定される。しかし、こうした政治的な作動を活発にさせる推進力は、政治の良き意図などではなく、まして民主主義的な制度でもない。むしろこうした活性化を促進しているのは、政治システムの内的な分化である。

福祉(Wohlfahrt)」は決してそのための手段の選択を正統化できる政治的目的などではない。そう理解されてしまうと、この概念は、政治体制を専制政治へと変えることになるであろう。福祉の概念は、未知の未来に対する願望の定式に他ならない。それと同時に、この概念は、合意形成の定式でもある。誰も福祉に対しては異を唱えることができない。何故なら、それは未来と関わるからだ。たとえ福祉政策を続けることで、直ちにどのように分配するのかという論争を引き起こし兼ねない問題が設定されているとしても、誰も福祉に対しては異を唱えることができないのである。だが分配の問題は常に現在所有されている財や機会と関わっている。分配を実施するには、それ以前の問題として、豊かさを作り出さなくてはならない。しかしこうした派生問題が議論されるや否や、福祉の定式が未来と関連していることが盲点となる。

したがって、福祉の定式がとりわけ第二次世界大戦以後の復興期において納得のいく定式であったことは、決して偶然ではなかった。その後社会福祉の限界に直面すると、政治的な問題は、再び経済的な問題として再設定される。そうなると、政治の問題は、国際的に流動する資本労働をどの程度まで自らの領土に引き入れて繋ぎ止められるのかという問題へと縮減される。

福祉の棄却

未だに政治システム法システムは、他の機能的サブシステムに比して、空間的領域の境界を前提とした作動の偶発性には鈍感なままである。しかし、地域ごとに具体化される政治は、「グローバル化」する様々な機能システムの諸問題にますます対応できなくなる。こうした事態は、政治のプライドを踏み潰すことになるであろう。だが政治以外の、とりわけそれぞれの機能システムの作動の実態を観察して記述することに徹する冷徹な観察者ならば、次のように認識するはずだ。すなわち、政治社会進化における指導的な立場を喪失したのである。言い換えれば、世界社会観察する者は、世界政治的な一体など考えもしないのだ。世界社会は、世界国家ではない。

近代社会は、空間的領域という概念によって分化しているのではない。何度も述べているように、初めから近代社会機能的分化している。つまり、空間的領域ではなく機能的問題領域によって分化しているのが、近代社会なのである。様々な機能的サブシステムへの機能的な分化は、空間的領域を超克しているという意味では普遍主義的であり続ける一方で、それぞれの機能的問題領域への特化に注力し続ける社会構造構成する。この社会構造により、空間的領域の境界解消されていく。「グローバル資本主義」なるものを国内だけで論じる意味が無いことからもわかるように、システム機能が特化すればするほど、システム外部環境境界空間的領域によって定義することは原理的に困難となる。

したがって、政治システム法システムは、一方では空間的領域の意味論に準拠しながらも、他方ではもはや空間的領域を超克した政治機能的問題領域に特化させた社会構造構成している。政治システム法システムは、確かに<福祉国家としての日本>という空間的領域を制御しようと試みる。だが経済システムをはじめとした他の機能的サブシステムは、その社会構造そのものからして、<福祉国家としての日本>という空間的領域の境界を容易に横断していく。如何に政治機能的問題領域が<福祉国家としての日本>の諸問題を空間的に限定したところで、他の機能的問題領域では、空間的領域を無視した派生問題が容赦無く産み出され続ける。

控えめに言っても、こうなるであろう。グローバル金融システムとして構造化されている経済システムは、日本をはじめとした各地域の福祉国家意味論棄却していく。福祉経済的なコミュニケーション主題として設定されるか否かとは無関係に、既に経済システム社会構造が、そう作動するように方向付けている。討議合意形成主題として浮上するか否かに拘わらないのだから、道徳的な当為要求を繰り広げる<批判的な意識>も、為す術は無い。

問題解決策:「道徳からの自立」

日本の「戦後復興」を単に経済政策との関連からのみ観察した場合、それによって得られる認識利得は、精々のところ機能的分化したサブシステムである経済政治の作動の実態に関して、それが<一体の理性>によって営まれている訳でもなければ、理性的な合意形成で進展している訳でもないということである。日本の「戦後復興」を全体像を把握するには、機能的分化した近代社会としての日本の全体社会観察しなければならない。

そこで有用な手掛かりとなるのは、日本社会外部環境差異である。日本の戦後は、戦争責任との関連から、「道徳的優位性」とは無縁の立場にあった。一方ではGHQによる情報統制により、アメリカの戦争責任を追及する機会は奪われていた。他方では特定アジア勢力が「謝と賠償」のビジネスを展開したことにより、日本は常に「道徳的優位性」を主張する側ではなく主張される側に立たされていた。この日本の外部環境の状況により、日本の社会システムは、「道徳への依存」という選択肢を奪われることになった。それは、図らずも逆を言えば、日本の社会システム社会構造が、「道徳への依存」への期待を強めることなく、むしろ「道徳からの自立」の選択肢を常に手にしていたことを意味する。

道徳への依存」は、機能的分化した近代社会の社会構造とは矛盾した姿勢である。全ての問題を道徳化する観点は、各機能的問題領域に特化した各機能的サブシステムによる自的な問題解決策を阻害してしまう。例えば政治の問題と科学・学問の問題を道徳の問題と混同してしまえば、もはやその観察者には、政治の問題と科学・学問の問題の差異を認識できない。ひたすら「道徳的優位性」を主張することで「道徳への依存」を強化してしまうような国家の周辺では、機能的分化した各機能的サブシステム機能不全に陥る。それ故そうした国家では、本来機能的解決可能な未解決の諸問題が山積みとなってしまう。それは、分業や専門分化のような機能的な分化の制度が機能しなくなることで、それによって解決可能であった複合的な諸問題の複合性を野放しにすることを意味する。

道徳からの自立」があってこそ、各機能的問題領域に特化した各種機能的サブシステムの自的な問題設定問題解決策可能になる。アメリカの戦争責任を追及できず、特定アジアから「謝と賠償」を要求され続けてきたこの日本の境遇は、むしろ機能的分化した社会構造を安定的に維持することを可能にしていた。そして、まさにこの機能的な分化という近代化の徹底こそが、日本の「戦後復興」を加速させたとさえ言える。

道徳教育

機能的分化した日本の近代社会が「道徳からの自立」を容易にしてきたのは、他国の戦争責任を追及することを封じ込められていたためだけではない。それは「謝と賠償」をビジネス化している特定アジア勢力との比較によってより一層明解になる。福沢諭吉が分析しているように、これらの勢力の間では、「道徳的優位性」を主張したくなるような儒教主義が蔓延している。日本はそうではない。これまで何度も述べてきたように、明治維新意味論は、「天皇」と「皇帝」の区別、「尊王攘夷」と「衛正斥邪」の区別、そして「尊王」と「攘夷」の区別を導入することで、これらの勢力との差異を確保していたのである。

「本来朝鮮人は数百年来儒教の中毒症に陥りたる人民にして、常に道徳仁義を口にしながら其衷心の腐敗穢、殆んど名状す可らず。上下一般、共に偽君子の巣窟にして、一人として信を置くに足るものなきは、我輩が年来の経験に徴するも明白なり。」
福沢諭吉(1897)「事実を見る可し」時事新報より。

特定アジア勢力と日本の差異はここにある。確かに、特に中世の時代の日本は歴史的に儒教影響も受けていた。だが日本においては、「神道」の意味論と「仏教」の意味論が「天皇」の意味論と関連付けられることによって社会構造を方向付けてきたことは、既に何度も説明済みである。そしてこの「天皇」の意味論は、古代律令制の時代以来、常に中国における「皇帝」の意味論との差異を確保する上で機能していた。

福沢が生きた時代の観点からても、日本には口々に「道徳的優位性」を主張したくなるような風土は無かったと考えられる。確かに、当時の日本社会には「教育勅語」に携わった元田永孚や中村正直のように、儒教意味論から影響を受けていた教育者たちも散見される。だがその意味論は、既に述べたように、「天皇」と「皇帝」の区別、「尊王攘夷」と「衛正斥邪」の区別、そして「尊王」と「攘夷」の区別を導入する明治維新意味論影響下にある日本の社会構造によって方向付けられていた。如何に東洋的なるものの国家像を理想とする国粋派であろうとも、常に欧米の文化を積極的に採り入れようとする開明派との関連から、儒教主義的な道徳を記述せざるを得なかったのである。

無論、戦後の日本社会が完全に道徳から卒業できている訳ではないということは、「教育勅語」のその後を観察するだけで直ぐにわかる。戦後の教育改革では、修身科の授業が停止された。1951年版の「学習指導要領一般編(試案)」では、道徳教育は教科を設けずに、学校の教育活動全体を通じて実施するという原則が示された。この原則は、「教育勅語」のもとで戦争の体制を造り上げたとされる修身科への批判的な意識に基づいている。

だがアメリカとソ連における冷戦の対立が進むと、アメリカによる日本の民主化の政策が見直されることとなる。そして1951年にサンフランシスコ平和条約が調印されたことで、日本と連合国の戦争状態が終了し、日本の主権回復した。この関連から再び「教育勅語」やそれに類する教育方針の復刻を求める声もあった。だが世論の支持は得られなかった。

しかし、学校の教育カリキュラムの中に道徳教育を導入する動きは掻き消されることなく、文部省の教育課程審議会が「道徳教育の特設時間」として検討することとなる。1958年には小学校と中学校の「道徳」の実施要綱が文部省によって発表され、学習指導要領の道徳版が作成される。そして同年8月の学校教育施行規則の一部改正によって、その年の9月から、道徳教育が学校で実施されるようになった。これにより、週に1時間の「道徳時間」が設定されるようになった。尤も、児童生徒の通信簿には道徳の項目が掲載されていなかった。教科書を検定する基準も存在しなかったため、授業は教科書ではなく、読み物の資料や視聴覚教材を中心とした形式を取っていた。

道徳時間」に対する批判は、道徳と「愛国心」を混同した者たちによる国民統制への批判に留まらなかった。道徳教育の問題は、単にそれが「教育勅語」の修身科との間で如何に差異を確保し得るのかという政治的な問題としてではなく、あくまで教育機能的問題領域において記述された。つまり、教科書も評価基準も不明確な制度の中で、道徳教育如何にして可能になるのかという問題設定との関連から、「道徳時間」は批判されたのである。

学習指導要領はほぼ10年ごとに改正され続けてきた。道徳教育の問題はその都度主題となった。しかし、道徳道徳教育の必要が疑われることは無かった。道徳教育を巡る議論は、それ自体、「道徳からの自立」とは無縁であった。それ故に道徳教育主題としたコミュニケーションは、機能的分化した近代社会の社会構造とは矛盾した姿勢を取ることで、教育機能的問題領域に特化した教育システムによる自的な問題解決策を阻害してしまう。例えば左翼の教職員が君が代を拒絶して訴訟に持ち込む場合には、教育の問題、政治の問題、そしての問題が、種種雑多に主題化することになる。

「二十世紀最大のパラドックス」

このように「道徳からの自立」と「道徳への依存」の区別を導入することで日本の社会システム外部環境差異を徹底して注視するなら、丸山眞男が語ったあの「二十世紀最大のパラドックス」に対しても、明確な形態を与えることができるようになる。帝国主義の最後進国であった日本が、敗戦を契機とすることで、平和主義の最先進国になった。丸山はこの現象を「二十世紀最大のパラドックス」と呼ぶ。丸山は、マスメディアに登場する戦後民主主義日本国憲法批判者たちを指して、その<批判的な意識>を表明できること自体が、戦後民主主義の大日本帝国に対して有している「道徳的優位性」の表われでもあるという。丸山は半ば皮肉な言い回しを以って、日本社会の戦後民主主義が「道徳的優位性」を示していると主張しているのである。

この日本の有する「道徳的優位性」とは、日本に対する<批判的な意識>の持ち主たちが「道徳的優位性」に執着することで、間接的に獲得できた優位なのである。それは、日本の「道徳的優位性」が劣勢となることによって、逆説的にも増大した優位なのだ。「道徳からの自立」を実践せざるを得なかった日本が、にも拘らず獲得できた「道徳的優位性」とは、丸山が述べる「負けるが勝ち」の結果として得られた優位なのである。

歴史においてはよく逆説というか、パラドックスというものが起ります。これはおそらく歴史というものには、しばしば極限状況があらわれるからだと思います。極限状況においては、逆説的真理がしばしば出現します。ご承知のように論語とか、聖書といった古典のなかには、至るところパラドックスの形で、人生の教えが語られております。というのは、やはり人間が直面する極限状況における真理を表現しているからだと思います。(略)極限状況というものは、必ずしも戦争とか革命とか、そういう『異常』な状況をいうのではなく、われわれの日常生活のなかに、いくらでもころがっているものです。したがって誓書をまたずとも、たとえばイロハガルタのなかにも『急がばまわれ』とか、『うそから出たまこと』とか、『まけるが勝ち』というような、パラドキシカルな命題がいろいろあります。(略)しかし皆さんの日常生活を通じて、『急がばまわれ』という逆説の真理を承認する機会を経験されていると思います。『負けるが勝ち』というのもそうであります。これは普通の形式論理をもってすれば、勝ちはどこまでも勝ちであり、負けは負けであります。しかし歴史においては『負けるが勝ち』という結果になることが必ずしもめずらしくありません。」
丸山眞男(著)、杉田敦(編集)『丸山眞男セレクション』平凡社ライブラリー、平凡社、2010、pp440-441。

派生問題:「道徳的」なコミュニケーションは如何にして可能になっているのか

近代社会機能的分化した社会であって、社会システムコミュニケーションの総体として記述する等価機能主義的な社会システム理論観点から言えば、道徳の概念は、ある種の特殊な種類のコミュニケーション意味する。つまり道徳とは、人間のある種の性格や特定の信条を意味するのではない。道徳とは、規範でもなければ、人間行動の規則でもない。道徳は、心理的な状態でもなければ、まして文言でもない。道徳の概念が現実と関連する概念であるためには、コミュニケーション概念を経由するしかない。つまり、道徳について論じるべきなのは、常に特定の仕方で「道徳的」と認定されるコミュニケーションである。そしてそのような認定が意味論に及ぼす影響だ。

コミュニケーションという概念を記述する際、自我と他我の区別が主導的差異となるのは、とりわけこの区別によって実行される観察心理学化され、個人化される場合である。だがそのように把握するだけでは、道徳的なコミュニケーションそのもののシステム作動を心理学的な概念や個人に還元するだけで満足してしまうことになる。コミュニケーションコミュニケーションとして観察するには、この自我と他我の区別と交差する別様の区別を新たに導入する必要がある。

自己と他者のどちらかをそれに続く考察の出発点にするために、常に自我観察者として扱うこともできる。しかし、循環的な自己言及が軌道に乗ると、常に自我も他我も同時に、自我にとっての他の自我であるということや、他我にとっての他の自我と呼ぶことができるようになる。そうなると、この区別情報価値を失う。

自我と他我の区別は、情報を喪失し易い区別である。自我自己言及を想定するなら、自我も他我も常に、自我にとっての他の自我存在や、他我にとっての他の自我存在を仮定せざるを得なくなる。こうした自我と他我の参照循環は、独自の区別によって観察すべき独自の社会的な世界を生み出す。出発点となるこの自我と他我の立場は、相互の関連において<ブラックボックス>となる。自我も他我も、内部を視ることはできない。それらは共に、外面に現れる行動の規則に基づいてのみ観察可能存在となる。この規則が回帰的なネットワークとして結ばれるようになると、それが新たな社会システム社会構造構成する。

だがこう述べただけでは、<ブラックボックス>の不透明如何にして処理し得るのかが明らかとはならない。どのような区別に基づく観察を実行すれば、<ブラックボックス>に対する道徳的な判断を下せるのかが明らかではないのである。明らかなのは、このことについては自我も他我も決定的な立場にはあり得ず、ましてやその立場に立っていない互いに観察し合う個人の自然的本姓なるものが決定打となることもあり得ないということである。

そこで、立場を超えた新たな<客観>が問われることになる。超越論や功利主義は、この問いに対する<科学的な>答えを探究してきたのである。それが無駄な努力であるとは断定できない。しかし社会はもはや、相互行為の水準でのコミュニケーションだけでは成り立っていない。社会は、相互行為以外にも、組織機能的分化社会、そして運動などのようなシステムによって構成されている。その全てに道徳が如何に関わるのかは、超越論や功利主義だけでは何もわからない。

問題解決策:「尊敬」と「軽蔑」の区別

あるコミュニケーションが「道徳的」な質を持つのは、人間としての尊敬や軽蔑が表現される場合である。その場合に限られると言っても過言ではない。そうしたコミュニケーションは、直接的には賞賛や非難という形式を採る。だが暗示的に留まる場合もある。つまり道徳は多くの場合、如何なる見解、如何なる行為が尊敬や軽蔑に値するのかを規定する諸条件が示されることによって表現される。

道徳主題になる場合は、尊敬あるいは軽蔑の諸条件が、自我と他我の間で同一でなければならない。自我が他我に対して自分なりの尊敬や軽蔑の諸条件を提示する場合、自己自身もその諸条件に服することになる。この意味道徳的なコミュニケーションはある種の拘束を生み出す。相手の行動に道徳を用いて制約を課そうとした場合でも、まさにそうすることによって、自らをも拘束することになる。だから、道徳的に非難された者は、「そういうお前はどうなのか」と反問する機会を常に手にすることになる。

「自我」と「他我」の差異

道徳においては常に、自我と他我の区別と尊敬と軽蔑の区別の間の関係が重要な役割を示す。後者の区別は前者の区別を中和するために用いられる。あるいは後者の区別は、前者の区別から目を逸らさせるために用いられるとも言えよう。尊敬と軽蔑の区別を顕在化させることによって、尊敬と軽蔑を決定するための諸条件が同一であるということが伝達されるのである。これらの区別は、善悪区別とは無縁である。むしろ重要なのは、自我自己自身を尊敬するということが、まさに他我を軽蔑することを可能にする諸条件に基づいているということである。それがコミュニケーションで伝達されると、そのことによって拘束力を持つようになるのである。

小規模な社会では、尊敬と軽蔑の区別の諸条件が社会的に制限される。その条件は、その社会の成員にしか妥当しない。部外者に対してならば、不道徳な行動も許容される。これに対応して、道徳の諸条件が定式化されない状態で自明化され続ける場合もあり得る。あるいは、比較日常生活に近いところで、道徳の諸条件が直接主張される場合もあり得るであろう。その場合、道徳的なコミュニケーションが頓挫するリスク比較的低いままである。しかし、社会が大規模化すると、直接面識の無い複数の赤の他人に対しても道徳が問われることになる。社会がそうした規模になって初めて、複数の別のあり方でもあり得る道徳の諸条件が矛盾した場合でも道徳道徳が喪失しないようにするための本格的な意味論が必要となる。こうした意味論の記述を担ってきたのは、いわゆる「倫理学」である。

自我と他我の区別道徳の出発点である。コミュニケーション過程それ自体においても、話し手と聞き手の形式で、この区別は導入される。一方、コミュニケーションの実行者とその主題となる対象人物との間にも、この区別は導入される。それは、自我が三人称で提示された人格道徳を評価する場合に成り立つ。道徳的なコミュニケーションは、この自我と他我の区別に横断する形で、もう一つの区別を付け加える。それが尊敬と軽蔑の区別である。この区別は、表現されるのが尊敬なのか軽蔑なのかに応じて、自我と他我の関係を区別すると共に、尊敬あるいは軽蔑の表現から恣意排除する。つまり、自他に共通妥当するような形式表現を条件付けるのである。この意味道徳的なコミュニケーションは、自我と他我という「実存的な」差異を架橋するのに適している。

尤も、道徳的なコミュニケーションは、身体的な実存精神的な実存区別のような形式排除する訳ではない。むしろそうした区別への言及は保持される。しかし道徳的なコミュニケーションは、合意形成のための諸条件を象徴化することで、その諸条件をコミュニケーションの中で指し示すことができるようにすることで、社会への包摂を実行する。実際にその諸条件の選択が実行される契機が何であるのかは、問題ではないのである。

問題解決策:役割の対称性

道徳人と人の区別を導入することもある。だが重要なのは、そこに役割の非対称形成されていないということだ。道徳的なコミュニケーションは、道徳的なコミュニケーションに参加する人格の全員に妥当する諸条件を掲げるのである。それ故、尊敬と軽蔑の区別は、人格の全体に、また人格社会への包摂と所属に関連する概念なのである。

ただしこのことは、コミュニケーションの中で用いられる意味としてのみ妥当する。それが、「人格」という用語を使用している理由でもある。道徳的なコミュニケーションは、社会システムの作動の一種なのであって、心理的過程や有機的過程とは区別される。ここで重要なのは、あくまでもコミュニケーションにおいて機能する意味だけである。道徳的なコミュニケーションによって、このコミュニケーションの外部の現実について何が主題化されるのかは問題ではない。

あらゆる道徳的なコミュニケーションは対称的なコミュニケーションである。道徳として想定される諸条件は、自我と他我の双方に妥当する。更にはそれを超えて、道徳的なコミュニケーションを実践すべきであるとされる全ての者に妥当する。これに対して、近代社会の社会構造組織システムに関わる分業と専門制の領域では、他我の業績を承認しなければならない。それが自我にできない業績であれば、尚のことだ。分業や専門制は、買い手と売り手、弁護士と顧客、医者と患者などのように、役割の非対称構成している。しかし、他我に対して道徳的な判断を下す場合には、必ず、判断を下した本人に対しても同じ条件が妥当することも同時に伝達される。命令的であろうと、定言的であろうと、関係は無い。あらゆる道徳的なコミュニケーションは、例外なく自己拘束的である。

自らが道徳自己拘束から逃れたいと思うなら、他者に対しても道徳の拘束を強制することはできない。その場合は、役割の対称化が進行している他のコミュニケーション形式選択するか、あるいは曖昧な表現に留めておいて、誤解が生じた場合にはそれを指摘し、必要ならば修正するようなコミュニケーションを始めていくしかない。

問題解決策:「包摂」と「排除」の区別

道徳的なコミュニケーションへの包摂は、こうした対称によって確保されている。他者は無論、その道徳的な判断の主題に掲げられることによって、拒絶や修正、あるいは<批判的な意識>の対象にはなり得る。しばしば、本人の知らぬ間に、蔭で批判され、その道徳的なコミュニケーション包摂されることもあり得るであろう。しかし、道徳的なコミュニケーションを表舞台で実行している発話者の方も、自身の発言によって拘束されることになるのだから、上手くやっていくためには予めそのことを理解しておかなければならない。

一方、社会から人格排除することはできない。道徳的な判断は確かに特定の人格を<人>として排他的に扱うことも可能にする。しかしながら、そもそもにおいて社会システムには、人格排除可能にする機構が無いのである。社会システムコミュニケーションの総体である。ある人間コミュニケーションに参加した場合、それが刑務所の中であろうが、テロリストの隠れであろうが、その人間社会にも参加しているのである。コミュニケーションの参加者である他者は、殺害でもしない限りは、排除することができない。したがって、他者が道徳的な諸条件に従わないにも拘らず、そこに居続ける場合、その者を殺しでもしない限りは、耐えるしかないのである。その者を道徳的に非難することも不可能ではない。軽蔑することもできるであろう。しかし、それでもその人にとっては何ともなく、尚も話し続け、自分の意見を広めようとしているようならば、我々にはもはや耐える以外にやりようがないのである。

社会システムの外部環境としての人間

コミュニケーションの総体である社会システムは、自らの秩序に従う。社会コミュニケーションによってコミュニケーション構成し続けるシステムである。したがって、人間社会から排除できるのは、非コミュニケーション、すなわち社会システム外部環境にある何かである。例えば水害によって高級なタワーマンションを失った者たちは、もはや売り逃げ以外にやれることがなくなり、不動産のコミュニケーションからは排除されるであろう。また誰も来ないような山奥の雪崩に巻き込まれた者ならば、その理不尽な自然現象によって、社会から排除されることになる。一方、社会システムには、人間排除することはできない。人間社会システムの内部に属するのではなく、その外部環境に位置するためである。

それ故に道徳そのものには、包摂排除区別を導入したとしても、人間排除することはできない。道徳可能なのは、ただ包摂形式を提供することだけである。まさにその包摂形式化こそが、道徳コードとしての機能なのである。こうしてれば、道徳機能の一つは、人間排除可能性を軽蔑によって「埋め合わせ(Kompensation)」することにある。それは排除したくてもできない相手とのコミュニケーション負担を軽減するために機能している。まさに人間排除可能性によって、道徳に独特の強調、狂、厚かましさが付与される。

道徳には、人間排除することはできず、ただ評価することしかできないのである。だからこそ際限ない道徳的な議論は、やがて憤激と攻撃を伴わせる。いわゆる「道徳的優位性」とは、例えば相手を殺したくても殺せない場合や殺したくはないものの共存したくはない場合に導入される、代償的な埋め合わせなのである。「道徳的優位性」とは、実はその<批判的な意識>の批判対象との共存を強いる環境を甘んじて受け入れ、今後も嫌でも付き合っていかなければならない相手に対して主張される。

道徳化のリスク

これを前提とすれば、物事を道徳の問題へと接続させる試みは、リスクを伴わせる選択である。道徳化する者は、リスクを冒している。自らの道徳的な判断がひとたび反対されれば、より強い手段を探索せざるを得なくなるリスクや自尊心を損なうリスクに直面する。したがって道徳は、主張する内容が自明ではなく、その点で不必要な主張である場合には、争いを派生させる傾向がある。それは複数の参加者間における道徳的な判断の競合を主題とした矛盾についてのコミュニケーションである。またそうした闘争から道徳的な問題へと発展した場合には、更に当の闘争を激化させる傾向を持つ。この意味で、やたら「道徳的優位性」を主張する政治屋が国のトップに君臨し、剰えその点で勝ち負けに執着するような愚策を敢行するような国は、他国との揉め事を生み出し易い。そうした国々は、道徳とは闘争を呼ぶ自然状態へと回帰することであるということを、図らずも実証しているのである。

機能的分化した社会では、政治においては国家が、経済においては企業が、科学・学問においては大学や研究所が、教育においては学校が、においては裁判所法律事務所が、医療においては病院が、族においては庭が、宗教においては団体や寺院神社が、マスメディアにおいてはテレビ局新聞社が、それぞれ人間包摂する組織システムとして作動している。基本的に個人は、これらの無数のシステムへの帰属によって包摂を達成する。

包摂のその他の統制は道徳に委ねることもできるであろう。しかし道徳はただ、その人物の出自と行為に照らして尊敬に値するか否かを、またどのような行為が軽蔑されることになるのかを定めるだけのものとなる。しかしこの道徳の諸条件は、機能的な分化が万人にとっての生活条件になるまで進行すると、二次的な、重要ではない諸条件となる。何故なら、機能的な分化が進行すれば、各人が完全に所属し、その内部で生活していくことのできる多機能的統一体は存在しなくなるためである。人格は、常に一定のシステム包摂され続けている訳ではなくなる。包摂という問題は、各人が必要に応じて自由かつ可能な限り平等に全ての機能システムに対し、コミュニケーションによって参加するという問題へと再設定されたのである。その結果道徳包摂機能は空洞化することになる。

問題再設定:「道徳からの自立」は如何にして可能になるのか

機能的分化した社会では、それぞれの機能システムが、それ固有の作動領域において、それぞれの二値コードによって分化しているシステムが、それ以外の全てのものを棄却することを可能にしている。真理は無条件に妥当する可能にしている訳ではない。は無条件の支払い能力を可能にしている訳ではない。支払い能力があるからといって、政治権力を持つことが可能になる訳でもない。それぞれの機能システムにおける二値コードは、その機能的問題領域に対応した二値コードによって構成されているシステム外部環境かられば、自らが形成したシステムを受容しなければならない。

しかし道徳は、他の領域とは異なり、独自の機能システム形成しない。道徳は、他の機能的問題領域における主導的差異が実行する偶発的かつ自己関連的な受容と棄却には関与できない。とはいえ、こうした社会的な背景を度外視すれば、道徳を無条件に基礎付けることは可能になるのではないかという錯覚は構築できる。しかしその場合でも、道徳が導入した区別によって排除された第三項が如何に処理されるのかは未決に留まってしまう。尊敬と軽蔑の区別にせよ、区別にせよ、道徳によって導入された二値論理構造は、第三項排除に準拠している。したがって、道徳的なコミュニケーションを継続するためには、この排除された第三項排除されたままにしておかなければならない。しかし、それが如何にして可能になるのかは、未決に留まっているのである。

問題解決策:二値コードの区別

一つの解決策となるのは、道徳二値コードに基づいて善悪のいずれかの一方の側に決定する能力を有していない者に対しては、鋭い注意を向けることである。この能力が人間自然に有していると仮定し、その点で人間動物から区別されるのだと信じ込むことができるのならば、ここに道徳における排除された第三項存在すると仮定することができるようになる。無論この仮定は、道徳的に非難し得るものを道徳的な無能力者から区別することが如何にして可能になるのかが、未決に留まる。この場合、道徳的にきことを道徳的無能力者の振る舞いから区別することが不可能になる。無能であるが故に道徳的に行為をする者の振る舞いの道徳的な善悪がわからなくなる。

機能システム二値コードはいずれも道徳二値コードとは合致し得ないことは、経験的にもよくわかることである。道徳たちも、財産のある金持ちを積極的に尊敬するような真似はしないであろう。もし仮にそうであるのならば、財産が相続された際には、相続された側を積極的に尊敬することになると共に、相続した側への尊敬は非尊敬へと変換されるということになってしまう。

むしろ機能的分化した全ての機能システムは、その機能的問題領域に固有の二値コード道徳二値コードから区別することに準拠している。道徳二値コードとの差異を確保することが、機能システム二値コード二値コード足らしめている必要条件となっているのである。機能システム固有の二値コード道徳二値コードから独立していることが確かめられて初めて、独自の諸条件が支配する機能システムの中で、道徳を再度許容することが可能になるのである。例えば合法違法二値コードは、道徳善悪二値コードから区別される。意ある殺人と正当防衛による殺人との差異観察するだけでも、これら二つの二値コードが完全には合致しないことは確認できるであろう。むしろ合法違法二値コード道徳的な二値コードから独立した状態で導入されているからこそ、違法として観察される犯者たちに対して、改めてその善悪を問えるのである。

これを前提とすれば、道徳二値コードは、全体社会のメタコードなのではない。それは、機能的な分化という近代社会の社会構造に従って区別されている。においては機能的問題領域に特化した合法違法区別についての道徳があり得る。経済においては経済機能的問題領域における所有と非所有や格差などに関する道徳があり得る。逆に言えば、「我こそが全体社会のメタコードである」と欲張る道徳たちや、機能システム道徳で基礎付けられる可能性に執着する道徳たちは、近代社会の社会構造否定することになる。むしろ道徳的なコミュニケーションを安定化させるには、各機能システム二値コードに応じた、それぞれの機能的問題領域と接続可能形式での道徳を記述するしかない。これができなければ、道徳は、近代社会の社会構造の足枷でしかなくなる。

派生問題:宗教における「道徳からの自立」は如何にして可能になるのか

機能的分化した各機能的サブシステムはそれぞれ固有の自的作動を展開することで、独自の境界設定、すなわちシステム外部環境区別を導入している。それ故、宗教が全体社会自己記述に関わることは、困難極まりない状況となっている。これは、宗教日常生活への影響力が相対的に低下したことを物語っている。実際戦後日本の都市部や農村部では、仏壇も棚も持たない庭が急増した。冠婚葬祭の分野にも資本主義や商業主義が関わるようになったことから、これらの儀礼体系の持つ宗教的意味合いも希薄化されることになった。高度経済成長期により人々の生活が安定化していくと、次第に民衆の不安を糧として生き延びていた新宗教流行も淘汰されるようになった。

しかし、そうであるにも拘わらず、「近代社会の全体」に民俗学的に抗う「伝統」概念や「近代の西洋文明」に抗う「東洋的なるもの」といった宗教機能的問題領域で育まれてきた意味論は、今も尚、とりわけ仏教徒や神道たちによって、主題として取り上げられている。だとすれば、この世俗化された日本社会において、尚も宗教的な<批判的な意識>が導入され得るとするなら、それは如何にして可能になっているのかという問題を設定することもできる。

問題解決策:宗教と道徳の融合

機能的問題領域を機能的比較するなら、それぞれの機能的サブシステムは「道徳からの自立」によって安定的な作動を可能にしている。しかしながら、機能的サブシステムとしての宗教は、例外的にむしろ道徳との結合を密にしている。これは、宗教システム社会構造それ自体の変異によって引き起こされた意味論的な変異であるというよりも、他の機能的サブシステム機能的な分化が進捗したことによる副作用であると考えられる。

宗教道徳の融合は、機能的な分化による近代社会への社会進化がもたらした比較的後期の帰結である。機能的な分化が進行した結果宗教システムは、全体社会を、宗教システム外部環境として観察することになった。社会的な行動と救済との間の連関が別のあり方でもあり得る偶発的な関連付けにあるというのは、高度宗教が成立してからである。当初、宗教社会と関わりを持とうとすれば、その関連は道徳的な関連となった。今もそれは続いている。と言うのも、宗教道徳を介してしか、社会における有用を確保できなかったためである。

仏教と、それと密に発展してきた神道もまた、救済観点と無縁ではいられない。特に仏教の宇宙における道徳は、善悪区別とその連関が、後の見通しに対して如何に関連付くのかに関する思弁を不可避にしている。道徳的な判断が、各人に相応しい後の在り様を規定するという訳だ。天国と地獄の区別救済と罰則の区別を導入することで、現世の世俗社会における道徳的な制裁の不完全性を埋め合わせるのである。この点は旧いヨーロッパの時代から続くユダヤ教と変わりは無い。救済と罰則の区別は、それ自体が救済として機能している。何故なら宗教意味論は、少なからず如何にして生きていけば救われるのかを記述しているためである。

近代社会における機能的サブシステムとしての宗教道徳の関連を把握するためには、一次的な二値コードと二次的な二値コード区別を導入する必要がある。宗教システム内在超越二値コードに準拠している。この関連から道徳は、宗教システムにおける二次的な二値コードとして機能しているのである。例えばユダヤ教の「罪の文脈」も、善悪区別とは無縁ではない。人は人であり続けるものの、それでも尚人が意識を持ち続ければ、救済の希望を持つことができるという訳だ。だがそのためには、人は絶えず道徳的に自問自答し続けなければならない。自らの行動を善悪区別自己観察しなければならないのだ。道徳的に立派に生きて初めて、果たして自分は救われるのかと、自問できるようになるのである。

宗教システムは何よりも内在超越区別を重視する。この区別道徳における二次的な二値コードによって補完することで、初めて宗教は、あらゆる道徳歴史的なものであるということに、折り合いを付けることができるようになる。尊敬と軽蔑の区別から構成された道徳的な判断基準は、各時代の社会構造に対応した意味論にも左右されてきた。これに対して宗教の一次的な二値コードは、超越内在歴史からも区別することを可能にしている。

一次的な二値コードと二次的な二値コードの組み合わせは、その機能的サブシステム機能的な分化を更に徹底する。このことは宗教に限らず、他の機能的問題領域でも発生している。例えば経済システムでは、貨幣による所有の二次コード化が生じている。つまり、所有と非所有二値コード支払いと非支払い二値コードによって再形式化しているのである。この再形式化によって、最終的に旧世界所有秩序全体を流動化させることが可能になる。つまり一度固定化された所有者と非所有者の差異も、貨幣支払いを通じた経済的なコミュニケーションによって、可変性を高めることになるのである。

一方、政治システムにおいても、同様の再形式化が生じている。物理的暴力を含めた集合的な拘束力を有した意思決定を実行する職権は、顕現を有した者ならば誰でも発動することができる。だが職務の担い手はの枠組みにおいてのみそれを実行することができる。そうなると、政治機能的問題領域においても、合法違法二値コードが、確実に優勢であり続けていた既得権益への接続可能性を変換することになる。この二次的な二値コードによって、政治権力への接続可能性は、合法的な接続可能性に限定されるのである。法システムは、経済システムにおける貨幣と同様に、期待一般化貢献することができる。それは単なる物理的暴力の行使によって可能になる範囲を超えている。まさにがそうした働きを担うことで、この二次的な二値コードは、政治権力への接続可能性を大幅に増大させているのである。

注意しなければならないのは、二次的な二値コードが成立するためには、まず一次的な二値コードが成立していなければならないということだ。一次的な二値コードが二次的な二値コードの前提となるのである。所有と非所有区別が無ければ、支払いと非支払い区別も成り立たない。これは、物理的暴力に基づく集合的な拘束力を有した意思決定権力が確保されていなければ、究極的には合法違法区別が成り立たなくなるのと同じことである。要するに二次的な二値コードとは、機能的な分化が進行することで十分な複合性構成されることで初めて成立可能になるのである。

ここにきて我々は、宗教システムの作動の実態を他の機能的サブシステムから明確に区別することが可能になる。確かに宗教システムは、他の機能的サブシステムと同様に、一次的な二値コードと二次的な二値コード区別を導入することで、機能的な分化を進行させてきた。だが、宗教システムだけが、その二次的な二値コードとして、道徳を採用しているのである。その結果宗教システムだけが、「道徳からの自立」において、後れを取ることになる。したがって、宗教に肩入れするということは、上述した道徳化のリスクを常に背負う羽目になるということを意味する。

問題解決策:「機能志向」と「遂行志向」の区別

全体社会を問題視する宗教それ自体の問題への視線は、常に全体社会へと誘導されてきた。世俗社会に対する宗教たちの<批判的な意識>は、<批判的な意識>それ自体への<批判的な意識>を封殺することで成立していた。彼らは反対する者を<肯定的>であると言い張ることで、自分は<批判的>であり続けようとする。だがその際、<肯定的>と<批判的>の区別が、全くて以って<無批判的>に導入されてしまっている。そうしなければ、宗教たちの飯の種となる<批判的な意識>を抱き続けることができなくなるからだ。要するにその<批判的な意識>は、全体社会の内部に位置する観察者が全体社会批判するということが如何にして可能になるのかという派生問題を度外視することで成立していたのである。

宗教たちの視線誘導は、全体社会に向けられる。それは日本における仏教神道とて例外ではない。戦後日本において、度々民俗学や禅宗が主題にされ続けてきたのは、神道仏教意味論に基づいた宗教システムが「機能志向(FUnktionsorientierung)」から「遂行志向(Leistungsorientierung)」に切り替わったことの表れでもある。機能志向とは、機能システム社会(Gesellschaft)との関連から自らの作動を営むことを意味する。一方で遂行志向とは、機能システムが他の機能システムとの関連から自らの作動を営むことを意味する。キリスト教ならば、機能志向宗教的コミュニケーション形式化してきたのは、伝統的に教会(Kirche)であった。神道仏教においては、神社寺院が担ってきた。一方、遂行の役割を担うのは「奉仕(Diakonie)」である。

宗教システム宗教に関わる組織システムは、その手段と動機社会的な援助へと集中させることができる。実際、貧困者に対する救済には宗派を超えて長い歴史がある。日本では「寄進」や「布施」などといった形式で「寄付」が奨励されてきた。貧困者の救済のための「寄付」という意味論は、イスラム教では「サダカ」や「ザカート」として語り継がれ、仏教では「喜捨」として知られている。キリスト教に基づいた「慈団体」は、社会福祉の制度化に多大な貢献を果たしている。世俗化は、宗教を消滅させたのではなく、宗教的救済形式を組み替えたのである。

遂行志向宗教システムは、とりわけ政治システムにおける福祉国家と相が良い。立憲国家は、政治システムの――進歩ではなく――進化が進行したことによって、福祉国家へと変異することとなる。これは、国家がその憲法を維持できなくなったということを意味するのではない。無論、国家憲法を必要としなくなったことを表すのでもない。立憲国家から福祉国家への移行が意味するのは、憲法規範では解決可能な新しい諸問題が生起したということである。

通常、福祉国家が記述される場合は、国家責任歴史的に強まっているという経緯が主題となる。福祉国家で描かれる我々の日常生活は、増大する財政負担、官僚制度と制度、そして国家制御された諸々の決定に依存しているとされる。福祉国家として記述された国家では、進歩の是非は問わずとも、その発展無限に持続する訳ではないという現実を前提とした上で、進歩に組み込まれた危機的状況が主題となるのである。

言い換えれば、福祉国家とは危機的状況にある国家である。しかしそれは必ずしも絶望的な状況を問題視している訳ではない。と言うのも、福祉国家においては、弱者を擁護して保護する立場を表明することによって、自身の政治的な優位を獲得すると共に、国家に政権交代のような変異をもたらすと期待できる国家でもあるためだ。

もう少しアイロニカルに言い換えるなら、福祉国家とは、自らの権力を維持または増強しようとする者たちが、国家の危機的状況を願う国家である。しかしこの指摘は、パラドックス発見に資する指摘ではない。社会の<持続する成長>とは、パラドックスなのではなく、単に不可能であるだけだ。この不可能性が、遂行志向としての宗教システムに、尽きることのない隙間産業を与える。福祉国家の悲劇の主人公たちは、決して救済が約束される訳ではない。もし救済が成立してしまえば、もはや宗教は不要となる。逆に、救済が約束されている訳ではないからこそ、救済を約束するという宗教的コミュニケーションが、いつまでも主題となり続け得るのである。

問題再設定:「遂行志向」のマインドフルネス瞑想

ここで、当初の文脈に戻ることにしよう。近代社会宗教システムが「遂行志向」に傾いているというのは、仏教とて例外ではない。だとすれば、「マインドフルネス瞑想」に言及してきた我々の文脈も、宗教システムによる遂行の影響を受けているはずである。

仏教徒ではない多くの者たちが原始仏教に由来するマインドフルネス瞑想を実践することができているのは、現代の宗教システムとしての仏教による遂行の結果である。遂行とは、ある機能システムが別の機能システム問題解決に資することを指す。マインドフルネス瞑想宗教システムによる遂行として観察できるのは、例えば教育システムにおける試験勉強や経済システムにおける頭脳労働のように、集中力や注意力や記憶力を要する活動に貢献しているためである。

こうした機能的問題領域でマインドフルネス瞑想を実践する者は、あくまでも当の機能的問題領域における問題解決に取り組んでいるのであって、必ずしも宗教機能的問題領域での問題解決に取り組んでいるのではない。宗教機能的問題領域で蓄積されている仏教歴史意味論に対してはたとえ表面的な認識に留まっていたとしても、我々はマインドフルネス瞑想を他の機能的問題領域における「ライフハック」として活用することができている。

遂行志向マインドフルネス瞑想がライフハックのノウハウとして観察されるようになると、マインドフルネス瞑想の実践形式がそれぞれの機能的問題領域の主題として参照されるようになる。例えば経済システムマスメディア・システムにおいては、商業主義的な関心から、マインドフルネス瞑想の「ノウハウ本」が売り出されるようになる。一方、科学・学問システムにおいては、マインドフルネス瞑想の実践形式自体が研究対象として認識されるようになる。既に取り上げたように、フランシスコ・ヴァレラの著作や論文は、この実践形式神経生理学や神経現象学観点から探究する内容であった。

しかし、仏教に由来するマインドフルネス瞑想科学・学問機能的問題領域で主題化する場合、注意しなければならないのは、宗教システムの作動の実態である。仏教宗教システムコミュニケーションであるが故に、その二次的な二値コードとの関連から、容易に道徳化され得る。科学・学問システムは、マインドフルネス瞑想の「理論の問題」が「道徳の問題」に摺り替えられることに対し、抵抗しなければならない。科学・学問は、あくまでも純理論展開するべきなのである。道徳形式は、様々な問題を、尊敬と軽蔑の区別善悪区別のように、人格の問題として単純化する。それにより、かかる問題の複合性を極度に単純化してしまう。道徳的な主題選好され易いのは、無知に留まりながら学習を放棄できるためである。現実に対する道徳的な当為要求は、「この点については学習するつもりがない」ということを意味する。だが、科学・学問機能的問題領域では、そうした態度は通用しない。

宗教としての仏教が未だ道徳化のリスクを背負い続けている以上、マインドフルネス瞑想理論は、宗教機能的問題領域ではなく科学・学問機能的問題領域で記述される必要がある。もし道徳的な当為要求に構ってしまえば、我々は多くの時間を浪費することになるであろう。それは、「ライフハック」の観点からマインドフルネス瞑想に関心を抱いている者にとっては、時間の無駄以外の何物でもない。

道徳化のリスクを回避しようとする者にとって、仏教宗教的機能に関与するのではなく、あくまでもその遂行に関与することこそが合理的な判断となる。宗教システムとしての仏教社会構造の深部には関与せず、あくまでもその形式と表面から浮かび上がるマインドフルネス瞑想意味論観察して記述するフットワークの軽さが求められるのである。

そこで次頁からは、科学・学問機能的問題領域における仏教意味論に、観点を絞り込むことにしたい。科学・学問が、宗教の遂行としての仏教を如何に科学・学問的な主題として観察しているのかを、観察していかなければならないのだ。

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参考資料