近代国家神道の社会構造と国学の意味論 | Accel Brain

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近代国家神道の社会構造と国学の意味論

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問題再設定:神社の近代化は如何にして可能になったのか

近代社会における日本の社会構造を大きく変動させたのは、日清戦争日露戦争である。この二つの戦争に勝利した日本は、列強の先進国の仲間入りを果たした。ここで日本は、アジアで唯一植民地を持つ帝国主義の国家として立ち上がった。一方、この二つの戦争が勃発した前後の時期には、日本の社会構造にも産業革命が生じていた。これにより、資本主義的な経済システムの体制が本格的に成立した。このほぼ同時期に発生した帝国主義化と資本主義化は、日本の「国家神道」の意味論変異させることとなった。

日清戦争日露戦争が発生した段階では、既に神社の内外環境は大きく変動していた。1875年には大教院が解散され、祭論争が勃発していた。それと同時に、国民の教化政策を神社宗教から道徳教育へと移行したことで、国家政策の中に占める神社の重要が相対的に低下した。産業革命による資本主義の本格化と相まって、近代日本の社会構造政治宗教教育経済などのような機能的問題領域へと、機能的な分化を緩やかに進めていたことがわかる。

問題解決策:宗教システムの自己記述としての「世俗化」

いわゆる「信教の自由」は、個人の私的領域での自由と民衆の公的領域での義務を区別することで、むしろ神社に対する国家的な保護と支援が後退する結果を招いた。更に追い打ちとなったのが、財政状況である。1881年、西南戦争後の財政の立て直しと軍事拡張のために実施されたデフレ政策として知られる「松方財政」の影響によって、神社への財政的な保護が大部分削減されることになった。

近代社会機能的な分化は、それぞれの問題領域に特化した社会の部分である機能システムが、それぞれの問題設定に準拠した問題解決策展開していく社会構造である。ある機能的問題領域における問題解決策合理性が、別の機能的問題領域におけるそれと一致する保証は何も無い。近代社会に<一体の理性>が存在する訳ではなく、ただその合理性別のあり方でもあり得るだけである。様相論理学的に言えば、それぞれの機能システムにとっての合理性が、偶発性に曝されるということでもある。つまり、その機能システム合理性は、可能合理性なのであって、必然的な合理性ではないということだ。

神社合理性は、確かに宗教機能的問題領域や政治機能的問題領域で通用する合理性なのかもしれない。しかし、それは別のあり方でもあり得る。したがって、「神道宗教に非ず」と主張しても、「神社国家宗祀である」と主張しても、神社への公的国家的な支援が得られる保証は何処にも無い。1898年に全国的な組織として結成された全国職会が直面したのは、まさにこの近代社会偶発性である。

全国職会が主張する「神道宗教に非ず」や「神社国家の宗祀である」といった主張は、従来の日本であれば、むしろ国家の側から一方的に提示される主張であった。しかしこの全国職会の主張は、神社職の側から提起されている。しかも上層神社のみならず、中小神社や零細神社を含めた職全体が一丸となって主張した内容でもある。

しかし、神道職が直面した問題は、宗教機能的問題領域における問題である。「神道宗教に非ず」や「神社国家の宗祀である」といった主張は、宗教機能的問題領域における問題解決策に他ならない。何故なら歴史上、<宗教としての神道>と<非宗教としての神道>の区別が導入されたのは、宗教機能的問題領域における出来事であったためだ。したがって、<宗教としての神道>を否定することで<非宗教としての神道>を強調する全国職会は、あくまでも宗教として機能している。宗教と代替できるのは、宗教だけである。宗教機能的問題領域における問題解決策として機能するのならば、それは全て宗教となる。「宗教に非ず」とは、宗教システム自己記述に他ならない。

社会システム理論的に言えば、「宗教に非ず」は、宗教と非宗教区別の導入を前提としている。それは、社会システムとしての宗教とその外部環境区別に対応している。だがこの区別それ自体は、宗教システムとしての神道によって構成されている。それは宗教システムの内部に「再導入(re-entry)」されている<宗教システム>と<外部環境>の区別に他ならない。この再導入によって、宗教システムは、自己自身と外部環境境界を、自己自身で規定するようになる。

この境界自己規定は、宗教システムが、もはや他のシステムには関与しなくなることを意味している。宗教システムは、宗教機能的問題領域の中で、宗教問題解決に取り組む。宗教システムは、自己自身の内部に「再導入」された<外部環境>を観察するだけで、純然たる外部環境に対しては盲目的に機能する。それが、他ならぬ宗教にとっての生き残りの術となったためである。

中世社会から近代社会への社会進化は、社会システム社会構造機能的な分化という形態へと再構成した。この近代社会における宗教システムは、機能的分化した社会における機能的なサブシステムとして生き残っている。外部環境に対して盲目的に機能していく宗教システムの生き残りの術は、他の機能的サブシステムの自を容認するという代償を支払うことで可能になった。それが、いわゆる「世俗化」である。

問題解決策:政治システムの自己記述としての「国家」

意味論上あるいは社会構造上の分化を果たした宗教システムは、生活の他の領域を宗教の支えの無い状態として放置することになった。宗教システムは、宗教機能的問題領域の内部でしか作動しなくなったためである。宗教システム自己記述としての世俗化は、宗教意味論がもはや全体社会の社会構造を方向付ける正統性を喪失させたことを意味する。事実、宗教機能的問題領域における全国職会の主張「棄却」される出来事が、政治機能的問題領域で発生している。それは「否定」ではなく、「棄却」である。

政治システム(politisches System)は、宗教システム同様に、近代社会機能的分化したサブシステムの一つである。それはまず、機能として、宗教システムから区別される。政治システムは決して、宗教の問題を解決する訳でもなければ、宗教的問題解決策を採用する訳でもない。政治システムは、あくまでも政治機能的問題領域における政治的な問題解決策に特化したシステムである。近代社会機能的な分化とは、全体社会の社会構造が、機能的問題領域ごとに分化したことを意味する。この分化形態は、社会構造意味論の関連にも反映される。つまり意味論もまた、機能的問題領域ごとに区別されるようになるのである。したがって、宗教システム政治システム機能的な分化は、宗教意味論政治意味論機能的区別を含意している。もはや一方のサブシステムが他方のサブシステム制御する訳でもなく、また一方の意味論が他方の意味論を方向付ける訳でもない。宗教意味論を記述するのは宗教システムであって、政治意味論を記述するのは政治システムである。

実際、日清戦争日露戦争を通じて、かつてないほど多数の国民が戦争に参加することになった。そこで日本の国家は、日本の国家のために命を捧げた国民の戦没者たちへの公的な鎮魂の場を整備した。それは、個々人の冥福を祈るための葬送儀礼とは明確に区別される。国家はこの鎮魂の場に国家の宗祀という資格を与えた。そして兵の安全と戦争勝利を神社に祈願することによって、日本社会に「国家神道」が更に浸透することとなった。政治システムは、全国職会の主張を棄却することで、宗教システムからは自した上で、<非宗教としての神道>の意味論を記述し始めたのである。

公的鎮魂の場となったのは、無論、靖国神社である。元来は東京招魂社という名称であったが、1869年の勅命によって、鳥羽・伏見の戦いから箱館戦争に至るまでの戊辰戦争の戦没者を合祀する施設として創設された。元々招魂社は旧津和野藩士福羽静らが1862年に倒幕運動で倒れた尊王志士を京都東山の霊山に祀ることで、翌年八坂神社境内に小祀を建設したことに始まる。その後、倒幕諸藩を中心に、各藩でもそれぞれ招魂社が建設された。1879年、東京招魂社は靖国神社と改名された。そして別格の官弊社に移行され、戊辰戦争の戦没者に加え、1853年以来の告示殉難者や西南戦争などの官軍方戦者も合祀されることになった。

靖国神社宗教機能的問題領域ではなく政治機能的問題領域に位置する点は、靖国神社と他の一般的な神社差異観察することで明らかになる。靖国神社に祀られる祭は、あくまで国家天皇のために命を捧げた軍人や軍属に限られていた。更に、一般神社は内務省管轄であるのに対して、靖国神社は内務省のみならず陸軍省と海軍省の三省で運営されていた。実際には陸軍省の予算で運営されていたため、その主導権はあくまで財政を担う陸軍省が握っていた。また祭主も現役の陸軍武官や海軍武官が務めていた。靖国神社はあくまでも国家による鎮魂施設である。それ故、軍隊の統括責任者である天皇の弔祭を受け、昭和の敗戦に至るまで天皇、皇后、皇太子による行幸や行啓が実施された。靖国神社は、元々旧武士層の者たちが祭となっていたために、一般的な国民とは直接的な関わりが無かった。しかし日清戦争日露戦争を契機として、国民もまた大きな関わりを持つことになった。こうして靖国神社は、やがて「英霊」たちの偉業を讃える場となったのである。

靖国神社宗教システムではなく政治システム社会構造に対応した意味論を前提としているのは、「国家神道」という用語からもよくわかることである。ここでいう「国家」という修飾語は、政治機能的問題領域と宗教機能的問題領域の差異の曖昧化を回避するために機能している。それはまさに政治システム自己同一性(Sichselbstgleichheit)を担保することにより、機能的なサブシステムとしての政治システム政治システム社会構造を維持する意味論となっている。この意味国家とは、政治システムのサブシステムなのではない。それは公的官僚制でもなければ、それぞれの決定が帰責される集合人格という的な虚構に尽きる訳でもない。それは政治的な行為参照点として、政治システムに「再導入」された政治システムである。

派生問題:「国家神道」批判は如何にして可能になったのか

1910年代から1920年代までの間に展開された「大正デモクラシー」の運動により、日本の政治経済社会構造も変動した。経済システム社会構造では、海運、造船、銀行などのような部門で独占資本形成された。一方、政治システム社会構造においては、資本主義発展による産業構造の変化に伴って、専制主義的な支配に対する民衆の反発が発生した。労働者人口や都市人口の増加、都市部の下層民の生活難、あるいは個人の私的領域の拡充によって、専制主義的な支配の改革が目指されるようになった。また1917年にはソビエト連邦の社会主義革命が成功している。その影響から日本でも、社会主義運動や労働運動、部落解放運動などのような社会運動も相次いで勃発した。

こうした背景から、この時代には、公共の領域で堂々と「国家神道」を批判する言論も展開されている。もとより日本の近代化には、神仏分離令、王政復古、キリスト教の受容、信教の自由、そして政教分離などのように、神道という概念を巡る複合的な要因が絡んでいた。古代から連続してきた日本固有の社会と近代化以降の日本の社会と間には、断絶があった。確かに社会システム理論的に言えば、近代化とは社会進化の一種である。それは「進歩」ではない。創発的な飛躍があってこその進化である。しかし神道意味論内在してるなら、ある意味で近代化とは国体の衰退を含意していた。近代化とは、国学理念無常化を表していたのである。

問題解決策:国学の反省理論としての民俗学

柳田國男は、上記の問題設定から、「国学」を日本国民自己反省の学として取り戻そうとした。1918年、柳田は「国家神道」の政策を痛烈に批判している。柳田によれば、「国家神道」は一般庶民の生活形式に基礎付けられた日本の伝統的な神道とは全く異質な神道であった。したがって、「神道宗教に非ず」という主張は、そもそもが誤りであるという。柳田の批判的な意識は、兼ねてより歴史的に受け継がれてきた日本民族固有の信仰としての神道と「国家神道」の差異に向けられている。そして柳田は、日本固有の、本来的な「神道」への回帰を主張するのである。つまり柳田は、神社成立以前まで遡ることで、本来的な「神道」を取り戻すべきであると主張しているのである。

柳田は文献至上主義的な近世日本の国学意味論を補完する形で、神道史と民俗学を接続させた。そうすることで、「国家神道」の歴史を跡付けることを重視した。これにより柳田は、「国家神道」に代わる「真の神道」論を構築すると共に、その国学を「新しい国学」と呼んだ。

柳田の民俗学救済観点から記述されている。農政官僚出身の柳田は、農村の危機からの救済如何にして可能になるのかという問題設定に取り組んでいた。柳田の観点は、地域に伝来されている郷土の文化歴史、文献や文字に記述されていない常民文化を中心に、その伝承のコミュニケーション構造を見直そうとしていた。

民俗学的な問題設定の分析方法となる「郷土文化研究」は、政策的には「村おこし」や「まちづくり」と結び付かなければならない。そうした地域の幸福を実現するためには、まずそこにある文化的概念を抽出することが求められる。そこで柳田が促そうとしたのは、郷土の自己認識である。だが文献だけでは、郷土の自己認識は成り立たない。何故なら柳田にとって、多くの文献は時の為政者たちによって記述されている傾向にあったためだ。古来、一般の民衆はほとんど文字が読めなかった。だからこそ、文字の読めない人々の中に伝わっている庶民の文字化されていない伝承文化を中心として、日本人の信仰や生活を発掘することが必要であると柳田は考えた。そして彼は、そこに潜在化している知恵や豊かさを跡付け、再認することが重要であると主張した。

「先祖」の伝統

戦後の民俗学における最も重要な参照問題の一つは、戦争で亡くなられた人々の鎮魂である。『先祖の話』を敗戦直後に出版した柳田にとって、それは先祖を祀ることの形式意味再認と再継承という問題であった。『先祖の話』は1945年、昭和20年に書かれている。この時期は、東京への大規模な空襲が展開された時期と重なる。実際問題として柳田は、戦者たちが仏教徒の言うところの「無縁仏」になることを危惧していた。確かに、国家としては靖国神社や護国神社という晴の祭場が用意されている。霊の鎮まるべき場所が設けられている。しかし柳田は、こうして者を「英霊」として祀るだけでは不十分であると指摘する。何故なら、者は本来「先祖」として「」に祀られる存在であるためだ。柳田の危機意識は、その「」で者を祀る人々もまた空襲の被害を受けた点に向けられている。

柳田によれば、「先祖」という概念は、一般的には「を創った最初の人」であると認識されている。だが一方で柳田は、自分たちの「」で祀らなければ、他の誰も祀る者がいない人の霊を、漠然と「先祖」と捉える人々もいるという。一人の名前を持った個人に「先祖」を定めてしまうことで、系図の上に「先祖」との繋がりを見出す発想は、近代国家の思想である。靖国神社による祀りは、伝統的な「神社」の祀り方に準拠している訳ではなく、近代化の過程で国家主導で設計された新しい祀り方に準拠していた。柳田の観点は近代化以前の伝統的な祀り方に向けられる。伝統と近代の区別は柳田の民俗学の主導的差異である。この区別が、いわゆる「祖霊学」にも結び付いていく。それは、文字で物を考えず、伝達されてくる言葉の中にある内実が一体何であるのかという問いから考え始める方法である。この方法により柳田は、「常民」と彼が呼ぶ民衆の心や「普通の人々」の中に潜在化し、伝承されてきた「心意伝承」の文化を分析しようとしていた。

柳田によれば、日本には古くから「生まれ変わり」の思想が存在していた。だがそれは、仏教意味論が指し示す「輪廻転生」から区別される。輪廻転生において人は、動物をはじめとする様々な存在に転生する。一方、日本人における「生まれ変わり」とは、自分たちの「血筋の末」に生まれ変わるという意味での転生であった。

柳田が語る「生まれ変わり」の思想の根底にあるのは、「」である。彼はこの「生まれ変わり」について、祖父母の名前を孫に付けるという古来の伝統的な習俗から手掛かりを得ている。「生まれ変わり」が「血筋の末」にあるとするなら、「生まれ変わり」を可能にするには、その血筋を護るための「」が存続していなければならない。だから柳田の『先祖の話』では、先祖祭祀と「生まれ変わり」の事象との間で、思想が相互に関連しているのである。柳田にとって、「」の存続とは、先祖を如何に祀るかという問題であった。

柳田のこの問題設定は、「」を基盤とする「新しい社会組織」を造り上げるために導入されている。ここで目指される「新しい社会組織」とは、十分に確実な、「反動の犠牲」となってしまわないような「民族の自然」と最も良く調和した社会組織である。この「民族の自然」とは、「第二の自然(zweite Natur)」に他ならない。それは純然たる自然ではなく、歴史習慣、そして何よりも「民族」の自然である。

日本の近代化は、「民族」に根差した社会システム構造化に失敗してしまった。だが、だからこそ柳田は、もう一度それを試みるべきだと主張しているのである。それは、戦時の「愛国心」や近代国家の中での「伝統」を復古させることでもなければ、無論「歴史修正主義」に陥ることでもない。言わば「民族」の自然史を学ぶことで、そこから如何なる社会を新たに紡いでいくのかを考証することが、柳田の参照問題であったのだ。故に柳田の観点は、近代国家についての批判的な意識などではなければ、まして天皇批判でもない。柳田はあくまで、この近代社会において、新しい社会システムの設計が如何にして可能になるのかを問いているのである。

<国学についての国学>

柳田と共通問題設定から出発した折口信夫は、「民族史における他界念」の論文で、この柳田の問題設定を引き継がれている。折口はこの論文で、柳田の問題設定を「未完成霊」の鎮魂の問題として再設定した。「未完成霊」とは、いわゆる「成仏」を果たしていない霊魂を意味する。「未完成霊」と述べた場合の「完成」とは、その霊魂を鎮め祀ることを意味する。

一般的に戦後の民俗学は、国家の軍国主義的なイデオロギーに対する批判的な意識として観察されている。実際、折口は自らの民俗学を「新しい国学」であると明言していた。近代化の中の新しい「国学」があり得るとするなら、国学が軍国主義のイデオロギー的な元凶となることはあり得ない。国学はむしろ、そうしたイデオロギーに対して批判的であらねばなるまい。そう想定していた折口にとって、民俗学国学反省理論として機能した。それは<国学についての国学>に他ならない。

国学反省理論としての民俗学は、もし国学国家のイデオロギー装置として利用されてしまうものなら、国学に厳しい批判を投げ掛けることもできるであろう。日本人の民衆生活の中にある文化や概念史の中から、もう一度価値ある思考や叡智を抽出することができるのならば、その発想は国家のイデオロギーからは明確に区別されるであろう。それが民俗学者である柳田と折口の共通理念であった。

「まれびと」としての神

しかし、近代社会における「新しい社会組織」の設計に観点を向ける柳田に比べれば、折口の民俗学は、「社会」や「集団」をそれほど重視していない。柳田にとって、とりわけ「」は重要な観察対象であった。何故なら、は共同体の核となる構成要素であったためだ。彼はを如何に存続させるのかが共同体の形成社会的な秩序の基本であると認識していた。彼の観点は「個」ではなくを中心とした「集団」に向けられていたのである。このように、柳田の民俗学が「集団」や「」を重視していたのに対して、折口は徹底して「個」を重視していた。折口の民俗学は「私」の民俗学であった。いわゆる「まれびと」や「漂泊芸能民」は、稀なる「個」であって、「私」であり、異形者であった。

柳田は養子として迎えられ、柳田を継いだ。彼にとって、「」を如何に存続させるのかは最初から人生の至上命題であった。これに対し折口は、「」に対して「自分」の居場所を見出せない人間であった。柳田とは対照的に、人生の至上命題以前の問題として、そもそも自分が生まれてきて良かったのかと苦悩する人間であった。そのため、折口には「」を存続させなければならないという使命感も無かった。故に彼には、「」を中軸とする発想が無かったのだ。

それでも尚国学問題設定に取り組もうとする折口が着目したのが、「個」と「共同体」の関連である。「個」と「共同体」との関連を、折口は「まれびと」という概念で記述した。「まれびと」とは、ただ一人の、稀にやってくる客人を意味する。折口にとって、まさに折口自身が「まれびと」であった。それは旅人のようにやってきて、不思議な言葉や所作を残してまた何処かへ去っていく不思議な存在である。

折口が記述した国学反省理論としての民俗学は、同時に彼個人の自己記述でもあった。彼の記述は、自己自身の「個」の記述を「共同体」へと拡張していくような構成になっている。実際、日本人のに対する信仰根源は、「あの世」からやってきて、「この世」に幸いをもたらし、贈与し、また「あの世」に帰っていく「まれびと」の存在であった。「まれびと」が発するのは呪言であって、言葉である。言葉を伝承することが、芸能となり、歌となり、叙事詩となり、文学となる。神社に鎮座し続ける存在ではなかった古代日本社会ならば、確かに「八百万の」は、様々な場所や時間に遍在していた。故にこの「まれびと」としての「」という概念は、神社形式化される以前の神道意味論を前提に記述されている。

学生時代の柳田は詩人であった。だが彼は、やがて文学よりも農業政策の本を読んだ方が有意義であると考えるようになる。そしてその後、柳田は農商務官僚になった。柳田は、言うなれば文学を捨てた詩人である。柳田は農業政策を立案し、実施してきた。その政策立案と実施の中で、日本の農民が如何に安心して豊かに生きていくことができるのか、そして人々の幸福とは何かという問題を常に意識していた。そこで彼においては、政治的かつ政策的な問題設定民俗学的な問題設定が関わることとなる。

一方、これに対して折口は、文学を捨てることのできない「個」であった。彼にとって文学を辞めるということは、自殺するようなものであった。それに照応するかのように、彼の文学は生の問題と隣り合わせにある。彼の文学における問題設定は、事実、者の魂の鎮魂如何にして可能になるのかという、生主題に直結していた。そして折口は、芸能の力や、各村に伝承されている様々な祭祀を分析していくのである。

近代化の埋め合わせとしての民俗学

民俗学批判的な意識は、「神社宗教に非ず」から始まる国家神道教派神道区別に向けられている。既に取り上げたように、明治時代の初期には、国家が一神仏分離令を発した。同じを拝んでいるにも拘わらず、<宗教としての神道>と非<宗教としての神道>の区別を導入することで、一方には国家公認の資格を与え、他方には排他的になるという矛盾した政策を敢行していた。

こうした歴史背景観察すれば、柳田と折口の批判的な意識は、一見すると政治システム自己記述としての「国家」に向けられているように思える。しかし上述した通り、「宗教に非ず」とは、宗教システム自己記述に他ならない。したがって彼らの批判的な意識は、実際には宗教システム自己記述としての「世俗化」に向けらていることになる。確かに、常民の生活の中に潜在化している文化的概念を抽出しようとする柳田の愚直な姿勢は、宗教システム機能的な分化によって、宗教の支えの無い状態として放置されることになった民衆の救済を志向している。折口の悲哀に満ちた「まれびと」としての「個」も、宗教意味論によって方向付けられていた社会的な「集団」から放り出された「個」を主題にしている。

こうしてれば、柳田と折口の民俗学は、近代社会機能的な分化という社会構造に対する「埋め合わせ(Kompensation)」として機能していたことがわかる。彼らの民俗学が提供した意味論は、近代化を欲しない民衆や民族たちの眼には、伝統的な、古き良きものとして映るであろう。「反近代」や「反国家」を標榜する者たちにとっても、「全体性」や「一体」や「連帯」や「融和」を希求する者たちにとっても、彼らの民俗学はある程度有用な意味論として機能するかもしれない。しかし、注意しなければならないのは、宗教機能的問題領域に導入されるあらゆる問題解決策は、全て既存の宗教的問題解決策機能的等価物となるということだ。宗教と代替できるのは、宗教のみである。宗教と代替されたものは、全て宗教として機能する。したがって、柳田と折口の民俗学もまた、「宗教に非ず」と同様に、宗教システム自己記述によって構成された宗教機能的等価物である。

あらゆる意味論宗教的意味論であるとは限らずとも、やはり宗教意味論の宝庫である。宗教社会的な機能は、宗教が司ってきたのが社会的な事象の中でも人間の手に余る事柄であるということを念頭に置けば、直ぐにわかるであろう。人間存在の限界は、社会の限界と同じではない。宗教的コミュニケーションとは、社会的なコミュニケーションが充分ではないところを「人間」の立場で埋め合わせようとすることを意味する。どのような学も、世界意味を持つということを前提としている。「救済」という発想も、苦悩している現在が将来的に意味を持つという前提が無い限り、維持しようがない。

別の言い方をすれば、宗教は兼ねてより社会の味気無い機能的意味とは本来的に異なる意味を司ってきた。宗教は、まさに社会構造偶発性に曝されている状況の中に意味を見出す。偶発的であるというのは、可能性に満ちていながらも、必然的なものが何も無いという状態を意味する。それは、「必然的なものが何も無い」ということが、全く以って必然的となる状態である。古より宗教偶発性に対処してきた。つまり宗教は、何が起こるかもわからない不確定な世界において、儀式により意味構成してきた訳だ。宗教は、個人だけでは意味に転化できない不条理で突発的な出来事――重病や人生を左右する運命的なショック体験――について、集団の立場から面倒を見ようとしてきたのである。

機能的分化した近代社会には、中心や頂点が無い。それぞれの機能的なサブシステムは、それぞれの機能的問題領域において、それぞれの機能に特化した問題解決策展開し続けている。各サブシステムは、その機能的問題領域の外部環境に対して盲目的なまま作動していく。つまり近代社会は「全体性」や「一体」や「連帯」や「融和」などに関する意味論は記述してくれないのである。そうなると、機能的意味とは本来的に異なる意味を提供しなければならない宗教は、自らがこの近代社会機能的なサブシステムとして組み込まれていながらも、この近代社会機能的な分化という社会構造それ自体を否定せざるを得なくなる。

以上を前提とすれば、国学反省理論としての民俗学による「国家神道批判は、機能的分化社会の内部に位置しながら、機能的分化社会の社会構造否定するというパラドックス脱パラドックス化し続けることで可能になっている。その際、民俗学の主導的差異として導入されたのは、近代と伝統の区別であった。だがこの区別パラドックス化され得る区別であった。何故ならこの区別は、近代と伝統の区別を近代の内部に「再導入」することで構成されていたためである。民俗学の伝統的な日本という概念は、あくまでも近代社会宗教的コミュニケーションによって構成された概念なのである。

機能的等価物の探索:「東洋的なるもの」

こうしてると、同時代に鈴木大拙が「戦後仏教」の立場から「国家神道批判可能にしてきたのも、同様の社会背景から判読することができるようになる。その主著『日本的霊』もまた、1944年、昭和19年という世界大戦末期に記述された「国家神道批判の主流として知られている。とはいえこの意味論もまた、柳田と折口の民俗学と同様に、近代国家に対する批判というよりも、宗教システム自己記述としての「世俗化」を背景とした近代社会に対する批判として機能している。記述した当人の意識はどうあれ、その意味論機能は、世俗化された近代社会に対する対抗戦略を練り上げることにあった。

民俗学の主導的差異が近代と伝統の区別であるなら、鈴木の戦後仏教の主導的差異は「西洋」と「東洋」の区別である。鈴木はあくまで「東洋」の立場から近代社会観察することで、近代社会としての日本が「西洋」の影響下にあると共に、日本国内の「東洋」的なものが希薄化してしまっていることを批判している。

鈴木の「西洋」と「東洋」の区別は、「二分」と「不二」の区別に対応している。鈴木によれば、「西洋」は「二分」の思考に準拠している。一方「東洋」は、「二分」が導入される以前に準拠している。「西洋」の人々は、二元論的な世界を生きている。「西洋」の人々は、あくまでも物が二つに分かれてからの世界に腰を添えて、そこから物事を考えるという。一方、これに対し、「東洋」の人々は、物がまだ二分されていないところから考え始める。

鈴木によれば、「西洋」の人々は主客の対立の無い世界を考えることができないという。そうした世界は、「無」や「空」であって、反駁してくる。だが「東洋」の人々は、「無」は「無」として、「空」は「空」として、受け入れることができるという。鈴木は、「西洋」の人々にはそうした世界を考えることができないのだと断定している。この「考えられない」ということが、重点となるという。「西洋」の人々は「考えられない」で済ませてしまう一方で、「東洋」の人々は、その「考えられない」ところから出発するのである。

「東洋」の人々は「考えられない」ところから出発する。確かにそれは、「考えられない」ということを「考えている」とも言える。だが鈴木は、「既に考えている」というその「考え」を、「二分」や主客分裂後の「考え」から区別する。「東洋」の人々は、そのような「考え」を考えているのである。そうした「考え」は、時折意識に浮上してくるかもしれない。だが無意識にそのような物事を「感じて」いる場合もあり得ると鈴木は主張する。「東洋」の人々は、言わば「無意識の感覚」が心の働きの全ての奥に潜んでいるということを、知らず知らずのうちに、知っているのである。鈴木は、これが「東洋的なるものの性格」であると主張する。

鈴木によれば、「西洋」で発達した科学や哲学は、こうした「わかったような、わからぬもの」を無視していくという。無視しなければ、「二分」の考えによって可能になる計算の邪魔になってしまう。数学的に計算ができなくなるのだ。鈴木によれば、「西洋」の人々は「東洋」の人々の「ぼんやり」とした「考え」を嫌うという。それは、「西洋」の人々が科学的な「二分」を最も重視しているためであるという。

「西洋」の「二分」は、「科学なるもの」の影響下にある。科学は、第一に、分析者である自分と分析対象となる対象とを分けてから出発する。科学には、知覚に対する客体が無ければならないのである。そうして、それから働き出す知を中心に考える。知の用処は、能所の「二分」の上に立っている。鈴木によれば、主体客体区別が無いところに、知は皆無である。人間の感覚も成立しない。仏教的に言えば、「西洋」の人々の世界は「八識」の所産である。八識以外には何も無いのだ。鈴木によれば、「西洋」には、仏教で言うところの「悟り」に該当する言葉が見当たらないという。似たような言葉があっても、「東洋」の人々の耳には響かないと断定している。

鈴木は「西洋」の「二分」を否定している訳ではない。「東洋」の人々は、「二分」の思考においては、「西洋」の人々に劣る。だから「東洋」の人々は、この点については学んでいかなければならないという。これを顧みずに「東洋主義」や「愛国心」を叫ぶべきでないとも述べている。鈴木が「西洋」の「二分」に対して注意を喚起しているのは、「二分」から生じる排他や主我に関してである。「二分」を超越して、しかもそれを包含することになるなら話は別だ。だがそうした超越が無ければ、争いが絶えなくなる。

「西洋」では造物主と所造者とを区別する。造物主は「」と呼ばれる。は絶対者として所造者を統率している。そこから出る命令は至上命令で、それを乗り越えることはできない。「二分」は人間にとって所与で、離脱不可能である。能造と所造とを区別すると、そこから次々と、あらゆる対立が生じる。自分と汝、人と聖者、黒と白、始めと終わり、生と、地獄と極楽、運と不運、味方と、愛と憎しみ、その他あらゆる方向に対立が可能になる。したがって、「二分」は、無限の分裂を可能にする。

鈴木の主張が言い表しているのは、「二分」で人間生活を割り切るべきではなく、また割り切れるものでないということである。このことを彼は漢民族の歴史と関連付けながら説明している。鈴木によれば、隋から唐にかけて、漢人種の精神的かつ「霊」的な分化は、その頂点に達したという。宗代に至り、その成熟期に達し、そこから次第に下り坂となった。インドから輸入された仏教の思想は、唐宗で全く異なる漢人的な考え方や感じ方の中に融化してしまった。涅槃や煩悩などといったインドの言葉は、日の目を見ることがなくなってしまった。

鈴木によれば、インドの抽象的な思想は、漢人特有の具象に転化してしまったという。だが鈴木によれば、それは抽象と具象区別が導入されたことを意味しない。具象即抽象抽象即具象といった具合に、「二分」を持たない状態を形成していたのだという。鈴木はこの状態を「不二」と呼ぶ。鈴木が訴えているのは、この「不二」こそが「東洋的なるもの」であるという点である。

禅の実践

鈴木にとって、この「東洋的なるもの」としての「不二」を最も良く表しているのが、禅の実践であった。禅は漢民族の間で発生し、成熟した歴史がある。故に禅は、厳密には「シナ禅」と呼ばれる。鈴木が生きた時代の禅には、既に漢民族特有の性格が織り込まれていたという。これを「東洋的なるもの」として定義しようというのが、鈴木の目論見である。

鈴木によれば、「不二」の世界で重要となるのは、文字言語や行動にさえ顕在化しないそれ以前の状態を伝えることであるという。この「不二」の世界を生きる禅問答には、「二分」の論理は無い。禅録の大部分が矛盾や誇張や放言や無意識文字によって充たされているのは、このためである。鈴木は、「二分」を超絶しようとする場合には、この非合理性をむしろ合理性として承認しなくてはならないという。非合理性合理性になる時、「Aが非Aの故にAだ」ということが理解できるようになるのである。「不二」の要点は、まさにこの矛盾や逆説にある。

鈴木によれば、人間の本質は、理性的で知的なものではなく、むしろ情的で意欲的なものであるという。知は根本的に「二分」を帯びている。それ故に表面的になるという。これに対して情的なものは、未分的で全一的である。それは人間をその根本から動かす本能を有している。人間行為を最優先にして、そこから反省が生じる。そうすることで初めて知的になる。

禅が物言う時は、論理的に絶対矛盾形式表現される。存在論的に言えば、何事も「そのまま」に肯定する。禅の本分は、物それ自体、あるいは自我の本源などのように、自己自身の奥にあるものを体得するところにある。単なる概念的な把握ではなく、感覚の上で声を聴き、色を視、香りをかぐように、心それ自体がそれ自体を契証する経験である。「二分」の世界における知覚は、知覚する側と知覚される側の区別を前提としている。「二分」の世界において、双方は相対時する。だが心それ自体の場合では、能所的対峙が無い。能者が所者で、所者が能者である。知覚する側が知覚される側となり、知覚される側が知覚する側となる。「一つ」が二つに分かれるというよりも、「一つ」が「一つ」を「一つ」と視るのである。

鈴木はこのことを「子供」と「大人」の区別によって説明する。子供には「分別」が無い。無邪気な子供は「無分別」である。「分別」するということは、「一つ」のものを二つに分けるということだ。故に「分別」は「二分」の世界思考である。すると大人は「二分」の世界を生きているということになる。と言うのも、大人が「分別」の無い行動を取れば、直ちに社会で問題視されることになるからだ。だが鈴木はあえて「分別」を捨てるようにと主張する。彼は無心の生活に還れというのである。鈴木のいう意味での「東洋」の「哲学」は、この無分別から出発する。「分別」と「無分別」の分別を放棄することによって、「分別」して「分別」しないという絶対矛盾を貫く。

鈴木はこの「分別」と「無分別」の区別を更に「西洋」の宗教的世界にも適用している。「東洋」の人々は「西洋」の人々に比べ、「哲学」よりも「哲理」を重視する。「哲学」では生活それ自体に即さない。「哲理」はこれに対し、「霊」の生活面から生きていこうと努める。「哲理」を「霊」の生活面から導出しようとするのである。理から行に至るのではなく、理から行に移るのではなく、行から理を開き出そうとする。

知が行を支配するようになるのは、知がその本質から離れて、その底にあるものと「一つ」になるところが生じなくてはならない。鈴木によれば、アダムとイブの世界には行のみがあり、知が無かった。だからこそ「エデンの楽園」が成立していた。一旦知が生じると、そこから失楽園が始まったのである。「不二」の世界では、その知をそのままにして、元の行の世界、意の世界を、新たな面から再現させている。

鈴木によれば、情意の世界とは、すなわち「詩」である。エデンには「詩」が無い。それを可能ならしめる条件が成立していないためだ。「詩」には情意の他に、「東洋」的な鍛錬を経た「不二」の体得が必須条件となる。これが加わるからこそ、文学芸術の外において、人間の生活それ自体が、「詩」となるのである。それは文字に出る「詩」ではなく、人間の一挙一動が尽く「詩」となり、芸術的にしいものとなる。人間の動きそれ自体が「詩」になるのである。歌唱や鼓舞のような具体的な動作が芸術的にしくなるという訳ではない。それは「二分」の世界事象である。そうではなく、鈴木が主張している不二的な世界しさとは、「霊」においての事象である。

日本的霊性

鈴木によれば、「東洋」の人々は生活に直結した物事に関心を持つらしい。「東洋」の人々は生活の物質的な向上ではなく、「霊」的方面の向上を重視するという。鈴木はここでいう「霊」という用語を「宗教意識」とも言い換えている。ただし鈴木は、「宗教」という用語が誤解を招くため、使用を避けている。鈴木にとって日本人とは、「宗教」に対して深い了解を持っていない存在であった。

この前提から『日本的霊』を記述した鈴木は、まず「霊」と「精神」の区別を導入する。精神意志と同一視される傾向がある。その意志とは注意力に他ならない。しかし「日本的精神」と述べた場合、この「精神」という概念は、必ずしも意志や注意力を含意しない。鈴木によれば、「精」も「」も、元は「心」を意味していた。だが「心」もまた多様な意味を持ち得るため、「心」と言い換えたところで、「精神」の内容がわかる訳ではない。

「日本的精神」という場合の「精神」とは、理念や理想を意味する。理想は必ずしも意識されなくても良い。歴史の中に潜在化しているものを、その時々の時勢の転換に連れて、意識に浮上してくれば、それが「精神」となる。「日本的精神」は、民族生活の初めから明確に意識されている訳ではない。意識に浮上するにしても、それは常に同じ様式で浮上する訳ではない。理想は未来志向に思える。だが精神にはむしろ過去が関与する。事実の上では、精神は常に未来を孕んで意識される。鈴木は、未来に関係しない精神精神ではないという。

精神は時折「物質」から区別される。精神意味は、必ずしも宗教を有している訳ではない。「二分」の世界精神が記述される際には、それが物質との二項対立図式によって形式化されている。つまり精神は、常に二元論的な思想の中で記述されているのである。精神と物質の区別を導入する鈴木は、この双方の奥に、もう一つ見出さなければならないものがあるという。二つのものが対峙する限り、矛盾闘争は避けられない。何か二つのものを包み込むものが必要であるという。端的に言えば、この包み込むものが、「霊」である。二元論的に二分された双方を互譲し、交換し、相即相入するようになるのは、「人間の覚醒」を待つしかないと鈴木は断言する。言わば精神と物質の世界の裏にもう一つ別の世界が開けて、前者と後者とが、互いに矛盾しながらも映発するようにならなければならないという。そのためには、「霊的な直覚」が必要になる。

鈴木によれば、精神には倫理性がある。だが、霊はそれを超越している。超越とは否定ではない。精神は「分別」の意識を基礎としている一方で、霊は「無分別」である。霊意志や直覚に基づく。精神もまた意志や直覚に基づく場合もある。だが、どうやら鈴木によると、「霊の直覚力」は精神のそれよりも高次元に位置するらしい。

鈴木によれば、霊は「民族」が「ある程度の文化段階」に進まない限り覚醒しないという。原始民族の意識にも霊が無い訳ではない。だがそれは極めて原始のものに過ぎないという。鈴木は、自身が生きた時代における日本人が、既に霊目覚めていたという。つまり、鈴木の生きた近大社会とは、「ある程度の文化段階」を経た社会であった。この段階を踏んだ発展は、「進歩」である。したがって『日本的霊』とは、「民族」の進歩史観を前提としている。

鈴木によれば、霊精神の奥に潜在化している「はたらき」である。これが目覚めると、精神の二元解消されるという。目覚める以前の精神は、精神主体自己の正体それ自体には触れていないのである。そして鈴木によれば、「宗教」は、人間精神がその霊を認得する経験である。「宗教意識」は霊経験である。霊によって精神が二元解消した時、初めて人間は「本当の意味での宗教」に触れ合うという。

ここで鈴木は「本当の意味での宗教」と「一般に解して居る宗教」の区別を導入している。どうやら鈴木にとっては、自身の語る宗教こそが「本当の意味での宗教」であるらしい。その鈴木によると、「一般に解して居る宗教」は、制度化された宗教である。それは個人的な宗教経験を土台にして、集団意識的な工作を加えた宗教であるという。彼が生きた時代背景を加味するなら、ここでいう「制度化された宗教」には、「国家神道」も含意されていると考えられる。確かに、制度化された宗教もまた霊の問題を扱う。だが多くの場合、その営みは「単なる形式」に過ぎなくなると、鈴木は断定している。

宗教意識の覚醒は霊の覚醒である。それはまた精神それ自体がその根源において動き始めたということになる。霊はそれ故に普遍性を有している。それは民族に固有の質ではない。鈴木は、漢民族の霊も、欧州諸民族の霊も、日本民族の霊も、霊である限り、同じであると断じる。しかし、霊の覚醒からそれが精神活動の諸事象の上に現れる様式には、各民族に差異があるという。そこで鈴木は「日本的霊」に着目する。

鈴木は首尾一貫して禅宗とその背景にある浄土系の思想を強調して採用する。鈴木の断定口調によれば、純粋に日本的霊と言えるのは浄土系思想や禅である。鈴木はその理由に仏教を挙げている。浄土系も禅も、仏教の一角を占めている。仏教は確かに外来宗教である。それは日本的霊の覚醒とその表現ではないとも考えられるかもしれない。しかし鈴木は、仏教をそもそも外来宗教とは捉えていない。禅も浄土系も、外来を有していないのである。あくまで外来してきたのは、仏教儀礼とその付属物であった。仏教の外来そのものには、日本的霊喚起する性格は無い。

民俗学が記述してきたように、一見日本の民族に古くから定着してきた神道は、日本的霊を純粋に表してはいない。鈴木は、神社神道古神道も、日本民族の原始的な習俗を固定化した習俗に過ぎないという。鈴木は一貫して禅を讃える。鈴木は、禅が日本人の生活の中に根深く食い込んでいる訳ではなく、日本人の生活それ自体が禅的であるという。禅宗の渡来は日本的霊発火の機縁を与えたのである。禅が渡来した時には既に、発火すべき主体それ自体は十分に成熟していた。禅は漢民族の思想や文学芸術影響を受けながら日本に伝来された。しかし日本的霊は必ずしも漢民族の表面的な印象に左右されることは無かった。単に奈良時代に仏教文学が伝来され、上層生活と概念的に結び付いたた時とは異なり、禅は鎌倉時代の武士生活の真っ只中に根を下ろした。

派生問題:近代社会の多文脈性

鈴木の記述からパラドックス発見するのは容易いことではある。鈴木は「西洋」的な「二分」では不十分であることを主張していながら、その主張は「二分」と「不二」の区別の「二分」の枠内に留まってしまっている。民俗学が伝統と近代の区別を近代の内部に「再導入」していたのと同じように、鎌倉時代より伝わる禅の意味論に準拠しようとする鈴木の記述もまた、前近代と近代の区別を近代の内部に「再導入」する営みに過ぎなかった。鈴木の意味論仏教の側から提起された「国家神道批判として位置付けられていながらも、それは宗教システム自己記述としての「世俗化」に対する自己言及に留まっている。

しかし問題は、パラドックスが指摘され得ることにあるのではない。パラドックスそのものが問題になるか否かは、観察者次第である。むしろ鈴木の記述において注視せざるを得ないのは、禅の実践に準拠するという観点に立つ以上、絶対矛盾に留まることを殊更強調することになるために、脱パラドックス化の有用を見過ごしてしまうという点である。脱パラドックス化は、パラドックス化している当の区別を「棄却」すると同時に、別のあり方でもあり得る区別を導入することで可能になる。それは、別様の観点へと切り替えることによって、新たな発見を得るための探索形式である。それ故、禅の実践を採用し続けることで、脱パラドックス化を放棄し続ければ、それだけ発見探索的な姿勢を欠落させてしまう。

この問題は、近代社会機能的な分化という社会構造においては、不可避的に起こり得る問題である。鈴木の記述は、宗教システム自己言及に過ぎない。如何に「東洋」の「全体」を叙述しようとも、全体社会はもはや「一体」ではない。かといって、二値論理構造を前提とした「二分」の世界なのでもない。ある機能的問題領域で導入された区別は、常に別の機能的問題領域との関連から棄却される可能性に曝されている。この機能的問題領域はそれぞれ固有の文脈形成している。故に多数の機能システムが交差する社会は、「単一文脈的(mono-contextual)」ではない。社会は、「多値(many-valuedness)」のシステムである。それは「多文脈性(poly-contexturality)」の世界である。一つ一つの文脈は、確かに二値論理的に構造化されているであろう。それぞれの文脈に適用可能区別を導入すれば、その区別が、文脈観察可能にする。

全体社会には、宗教政治のみならず、経済科学・学問教育芸術マスメディア族、医療など、様々な機能的問題領域が、固有の論理と文脈構造化されている。この機能的分化社会を前提とすれば、鈴木の意味論は単に宗教機能的問題領域に対応する宗教システム社会構造のみを方向付けているに過ぎない。それは、全体社会の記述とはなり得ない。それは、別の機能システムによって、直ぐに棄却される可能性を持つ。それ故、宗教的コミュニケーションとしての「国家神道批判も、必ずしも政治システム社会構造へと影響を与えるとは限らなかった。実際、政治システム社会構造を方向付けているのは、政治機能的問題領域において記述される政治意味論である。宗教意味論ではない。

機能システム機能的な分化は、その機能に特有の二値コードによって条件付けられている。またこの社会構造機能的な分化によって、そうした二値コード意味論の必要が正確に把握され得るようにもなる。例えば宗教においては「内在」と「超越」の二値コードが、政治においては「与党」と「野党」の二値コードが、科学・学問においては「真」と「偽」の二値コードが、においては「合法」と「違法」の二値コードが、それぞれ機能システムの作動を条件付けている。こうした二値コード二値論理構造は、システムがそれ自体のあらゆる状態に対して、後続の作動を接続させることを可能にしている。正負で区別された二値のうち、正の値に直接接続される場合もあれば、逆に負の値が正の値を特定化させる諸条件を制約する形で接続する場合もある。ある行為は「合法」であるか、そうでなければ「違法」である。いずれの場合でも、そうした決定を下せば、それが作動を継続させるための手掛かりとなる。

二値コードは、機能的問題領域における問題解決コミュニケーションを継続させることを保障する。この二値コードが提供する接続可能性によって、機能システムは、自らの機能的問題領域において起こり得るあらゆる問題を主題にすることを可能にする。逆に言えば、機能システム主題にできるのは、自らの機能的問題領域で生じる問題だけであって、それ以外の問題ではない。宗教政治の問題を解決することはできず、その逆もあり得ない。政治問題解決策として機能しているのは、政治システムである。たとえその問題解決コミュニケーション宗教意味論を記述してきた用語を使用していたとしても、「与党」と「野党」の二値コードに従う国家組織システムコミュニケーションに接続されるならば、それは政治システムの作動となる。

現に機能している機能システムの全ては、こうした二値コードの技術を利用している。この二値コード意味論こそが、近代社会の社会構造機能的な分化へと方向付けてきた。この二値コード意味論は、道徳意味論とは無関係な状態で構造化されている。この二値コード意味形式は、善悪区別を初めから棄却しているのである。したがって二値コードの値は、正当な体験行為に関する如何なる判断も容認しない。科学・学問における「偽」は、「真」と全く同様に正当なものとして体験される。正当な行為は、非正当な行為が正当な仕方で非正当化された行為であるのと全く同じように、正当に正当化された行為なのである。

正当や有用の規定は、機能システムプログラム機能して初めて得られる。科学・学問ならば「理論」や「方法」が、政治ならば「綱領」が、ならば「法律」や「契約」が、それぞれプログラムとして構造化されている。プログラム機能は、その都度、個別具体的な事柄に即して、二値コードの値を割り当てることである。言い換えれば、ここでのプログラム機能は、二値コードの高い抽象を無害化することである。二値コードは確かに機能的問題領域を限定する形式として機能する。しかしその抽象があまりにも高いために、あらゆる対象を当該問題領域に包摂してしまう。世界の全体を内部に導入してしまう形式に準拠すれば、社会システムは「一つ」であって、機能的分化してはいないことになってしまう。故にプログラム二値コードを適用範囲を具体的に限定しているのである。

二値コードは、それぞれ不変である。逆に言えば、二値コードが変わればシステムも変わってしまう。仮に内在超越二値コードから与党野党二値コードへと変化した場合、そのシステムはもはや宗教ではなく政治となるのである。これに対して、プログラムには歴史や時代や状況によって変異していく。それは一般に、構造変異として生じる。したがって、プログラム二値コード使用を方向付ける以上、如何なる二値コード歴史的に相対的であるということになる。

こうして二値コードプログラム区別を導入することが、近代社会機能的分化した社会構造特徴であるなら、機能的分化した宗教がこの特徴を共有するということが如何にして可能になっているのかを確認しなければならない。何故なら、そこにもしこの特徴を十分に共有できていないと考えざるを得なくなるような何らかの派生問題があり得るなら、宗教はもはや近代社会問題解決策とはなり得なくなるためである。それは、民俗学や禅宗を引き合いに出してきた宗教たちにとっては、とりわけ面白くない結論となるであろう。

問題解決策:「内在」と「超越」の二値コード

宗教システム二値コード構造化させている超越内在区別は、宗教機能的問題領域に特有のコードとして条件付けられている。この二値コードによって保障されているのは、機能システムとしての宗教が、宗教機能的問題領域における問題解決策として、起こり得る全ての問題に取り組むことが可能になるという点である。超越内在区別二値コードとして導入されている場合、その全てのコミュニケーションは、宗教的コミュニケーションとして、宗教の問題の解決策となる。

民俗学宗教として機能し得るのは、その主導的差異となる「近代」と「伝統」の区別が、内在超越区別に対応しているためである。「近代」と「伝統」は、いずれも内在世界を形容しているように思える。だが民俗学の問題意識は、自らが「近代」の内部に位置していながらも、その「近代」を「伝統」の側から観察するかのように振る舞うことで成り立っている。だが実際、「近代」の内部に位置する観察者にとって、古代社会や中世社会の「伝統」として叙述されいる世界は、もはや手の届かぬ場所である。この意味で「伝統」は、「近代」にとっての超越なのである。

内在世界に住まう観察者にとって、超越的なものの表象は、世界の外部にある参照点を利用する。こうした表象は、世界を、外部から観察することができているかのように扱う。それ故に超越的なものの表象は、ダグラス・ホフスタッターが述べたような、システムの中にあって、恰もそれがシステムの外部に位置するかのようにシステムに働き掛ける不思議の環」を構成している。

超越内在区別において、世界は<内部から観察される世界>と<外部から観察された世界>とに、二重化される。世界は、それ自体としては「一つ」であるにも拘わらず、いやまさに一度しか存在しないからこそ、二重化されるのである。それにより、内在から超越への接近は、不必要であるばかりか、不可能になる。超越観察それ自体は内在世界の出来事であるが故に、超越を介した内在の完全なる二重化が保障されるのである。

「東洋的なるもの」を「西洋」から何度も区別しようとしていた鈴木の主張も、内在超越区別に対応している。「東洋的なるもの」の意味論を記述した鈴木も、近代社会内在を「西洋」の社会として位置付けることで、それを外部から観察することが可能であるかのように振る舞っていた。そうして彼は、この日本の近代社会を「東洋的なるもの」と名付けることで、日本の<内部から観察される世界>としての「東洋」と日本の<外部から観察された世界>としての「西洋」を、只々区別し続けたのである。

内在超越区別の二重化とは、意味論的に言えば、超越内在区別内在の側に「再導入(re-entry)」されることを意味する。だが二重化の対象となるのは、内在の側に「再導入」された超越だけではない。内在の側に「再導入」された内在もあり得るのだから、内在もまた二重化され得るのだ。超越を参照することで、超越を<体験している>作動は、自己自身を世界内在的なものとして観察しているのである。

「再導入」はパラドックス以外の何物でもない。二値コードパラドックス化し得るということは、機能システム機能システム足らしめている構造が不確実になるということである。しかしながら機能システムが現にあるようにあり得ているのは、このパラドックス脱パラドックス化させる機構機能しているためである。宗教は、パラドックス化している内在超越区別に対して、その<差異統一>に<名を付与する>ことにより、内在超越区別脱パラドックス化している。名を付与することによって、宗教宗教たらしめている自らの二値コード脱パラドックス化可能になるのである。これが如何に実行されるのかは、宗教には決して明かされない。何故なら、そこから分析を始めれば、例外無く、脱パラドックス化の作動それ自体をパラドックスとして暴くことになるためである。既に述べたように、<差異統一>とはパラドックスに他ならない。

それでも尚宗教システムは、内在超越区別を導入し続けるしかない。宗教内在超越区別活用しているのは、宗教自己自身の作動を他の――宗教かられば、単なる<現世的なもの>の――機能システムとの差異を確保する上でも有用となるためだ。宗教システムは、この単なる<現世的なもの>という特徴付けが、他の機能システムにとっては益体の無い特徴付けになるということを把握することができる。何故なら、他の機能システムは、それ固有の二値コードによって構造化されているためである。

問題解決策:プログラムとしての「経典」

プログラムはこうした二値コードに伴うパラドックス脱パラドックス化としても機能している。プログラムは、パラドックスとは別問題として、その二値コードの適用の適切や正当、そして有用に関する区別を導入することで、二値コードパラドックス隠蔽しているのである。

機能システムとしての宗教における二値コードの適切な適用を方向付けるプログラムとなるのは、聖書や経典である。例えば唯一を崇拝してきたユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は、長らく『旧約聖書』に方向付けられてきた。ただしこれら三つの宗教システムは、それぞれ別様の形式で、このプログラムそれ自体を規範的に期待してきた。『旧約聖書』を最大の正典として位置付けたのはユダヤ教である。だが一方でイスラム教においては、『コーラン』が『旧約聖書』よりも重視されている。キリスト教では、ユダヤ教との差異を確保するために、福音書を中心とした『新約聖書』が重視される。もともと『旧約聖書』には、地理的にも気候的にも厳しい自然環境を生き抜くために必要となる厳しい戒が記述されていた。だからこそ失楽園やノアの洪水などのように、の激怒によって打ちひしがれる者たちが強調されているのである。だがこれに対して『コーラン』で強調されるのは、正しき信徒には「天国」が約束されるということだ。それは「慈悲深く、慈愛あまねき御」が描かれている。恐怖の対象とは限らないのだ。福音を強調した『新約聖書』でも、は慈悲深き父なる存在として崇められることになる。厳しい戒もさほどない。例えば割礼や断食や偶像崇拝の禁止令は除外されている。

古事記』や『日本書紀』をはじめとする「典」は、神道プログラムとして位置付けられる。「典」は公式に規定された「正典」ではない。だが、歴史意味論としての神道は、繰り返し「記紀神話」をはじめとする様々な文献を参照することで、古代から中世の社会構造を方向付けてきた。例えば「天孫降臨神話」は、超越的な存在となる「々」が住まう高天原と内在世界たる日向国高千穂峰の差異を前提として叙述されている。我々が「々」と人格としての天皇区別できるのも、この内在超越区別が導入されているためである。

仏教における経典は「仏典」と呼ばれる。「仏典」は、蔵、経蔵、論蔵という分類形態から、「三蔵」とも呼ばれる。釈迦の時代にはまだ文書化が許されなかったため、「経典」に記述されるべき内容は弟子の暗記によって伝承された。「仏典」が記述されるようになったのは、釈迦の入滅後間も無くのことである。その後文書化を許さないと考える者は現れず、釈迦の教説を正しく記録に残すことが重視されるようになったために、経典としての編集が開始されたのである。

派生問題:宗教の多文脈性

このように、各宗派ごとの「経典」を分類して整理するのは容易いことではある。しかしながら、多数のプログラムが導入されていることを前提とするや否や、その複数ゆえの派生問題が顕在化することになる。つまり、内在超越二値コードとそれぞれのプログラムの関連を如何にして分析し得るのかが、未解決に留まってしまうのだ。仏教神道、あるいは「西洋」の宗教や「新興宗教」までも含めて、それぞれの宗派が近代社会日常生活介入してくれば、どの内在超越二値コードに準拠すれば良いのかがわからなくなる。機能的分化した社会においては、神道にせよ、仏教にせよ、キリスト教にせよ、新興宗教にせよ、内在超越区別する限りは宗教システムなのであって、機能的に等価問題解決策となる。

宗教を「反近代」や「反国家」の旗印として使うことで<単なる現世的なもの>の「全体」を批判したいと願う<批判的な意識>の持ち主たちにとっては、この機能的等価は多種多様な選択肢の表われとして好意的に解釈できるであろう。一方、特定の宗派を信仰する者たちの眼には、この機能的等価しき「相対主義」として映るであろう。しかし、機能的等価が言い表しているのは、各宗派が常に、機能的比較観点に曝されることになるということである。それは相対ではなく偶発性を前提としている。宗派は、選択可能」な選択肢なのであって、選択することが「必然」とはなり得ない選択肢となったのである。

神道仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などのような宗教は、地域的にも意味論的にも、それぞれ全く異なる基礎の上に立っている。しかし、それぞれが「一つ」の機能システムとしての宗教である。釈迦やモーゼ、キリストやムハンマドは、いずれもこの地域における普遍主義に対して、事実的かつ歴史的に特定し得る出発点を与えている。

だがこの類型の実現は、同時に限界と派生問題も示している。地域的な社会同士が接点を有すると、それらは互いにコミュニケーションを始める。日本社会においては、とりわけ「神仏習合」との関連から、神道仏教が幾度となく関連を持った。しかし、特に仏教やユダヤ教やキリスト教などのように、壮大な宇宙世界をその意味論の内実に宿しているそれぞれ宗教は、いずれも世界社会的あるいは普遍主義的な指向を有しているために、架橋不可能差異も有している。

したがって、これらの上位に、更に十分に強い信仰心ととりわけ十分な生活様式の規則を持ち得るような「メタ宗教」が成立することなどありはしない。如何に普遍主義的な宗教であろうとも、プログラムが異なる以上、そこから導入されることになる内在超越二値コードも、全く照応しないのである。この種の宗教は、別の宗教の内部では、言葉で言い表すことすら不可能なのである。

このような歴史的状況の下では、宗派に宿る普遍主義を別の区別によって区別することで指し示し、同定し、その新たな区別文脈の中で境界付けることが、結局は意味を持つことになる。多文脈性として構造化されている機能的分化した近代社会に抵抗してきた宗教は、それ自体が多文脈にならざるを得なくなったのである。こうした宗教多文脈性とその背景にある宗派の偶発性は、プログラムとしての経典が指し示してきた普遍主義が、別のあり方でもあり得るという認識を可能にしている。この普遍主義の多数ゆえの偶発性が、「新興宗教」に付け入る隙を与えてしまう訳だ。

社会それ自体、いや、世界それ自体は、多文脈的にしか記述し得ない。世界社会複合性とは、可能な記述の縮減不可能な多数から構成された複合性に他ならない。そうした複合性によって与えられる「自由」は、何らかの「全体」の理念を提示しようとして見せる宗教でなかったとしても、ほとんど耐え難い。何故なら、観察や記述を実行した際に、自らの観察や記述には尚否定し難い現実性があるという保証を改めて見出すことが、そうした複合性によって不可能になってしまうように思えるからである。

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