Webクローラ型人工知能によるパラドックス探索暴露機能の社会進化論 | Accel Brain - Part 2

Webクローラ型人工知能によるパラドックス探索暴露機能の社会進化論

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ここでは「人工知能(Artificial intelligence)」を歴史的な概念として記述していく。歴史的な概念とは、単に歴史の中で使用されてきた概念を意味するのではない。歴史的な概念とは、その意味論がその時代の社会構造との関連から構成されている概念であると同時に、それ自体が社会構造を方向付ける概念である。それは歴史の中で差異構成する。そしてその差異は、歴史に変動をもたらす。

歴史的な概念としての「人工知能」は、たとえそれが同じ用語で記述され続けている概念でも、その概念の観察者から異なる認識を引き起こしてきた。それは歴史差異を反映している。過去とは異なる歴史の中で生きている我々は、過去の時代の「人工知能」の概念史を遡ることで、現代の「人工知能」概念の必然性否定することが可能になる。「人工知能」を歴史的な概念として記述する取り組みは、別のあり方でもあり得る新しい「人工知能」の概念を獲得するための契機となる。これは、とりわけ「人工知能」の概念実証との関連では有力な方法となるであろう。

例えば1960年代から始まる「チャットボット(Chatbot)」の歴史を遡ると、社会人工知能に対して如何に見当違いな期待を抱き、そして期待外れに終わってきたのかがよくわかる。人類はこれまで、「人工知能とのコミュニケーション」を実現することに対して割に合わない目標を立てては、あえなく失敗に終わってきた。チャットボットの製作とサービス化は、「人間人工知能コミュニケーション」が破綻することなく実現可能であるという不当な前提に準拠してきた。しかし、実際には「人間人間コミュニケーション」ですら、破綻させずに成立させるのは容易ではない。誰もが理性的な討論で合意形成を目指すコミュニケーション的行為を実践している訳ではないためである。

近年のチャットボットは確かに、単にコミュニケーション的行為や「無駄話」を自己目的化している訳ではない。むしろAndroidに組み込まれているアシスタントやiOSのSiriのように、特定の質問に対して特定の回答を提示するQ&Aの機能的コミュニケーションに特化したチャットボットの方が主流であると言える。しかし、機能的コミュニケーションであるのならば、尚更「対話(conversation)」を介して制御する必然性は無いはずだ。ボタンを一度押すだけで済むことならば、わざわざ喋ることで制御する必要は無い。

いわゆる「対話型インターフェイス(Conversational interfaces)」は、「対話としてのインターフェイス(Conversation as interface)」がユーザーインターフェイス機能的等価物であることを自ら示している。だが通常のユーザーインターフェイスは、対話には依存しない。チャットボットは、ユーザーインターフェイス機能的等価物でありながら、問題解決を対話無しで済ませる方法については、何も回答してくれない。それどころかチャットボットは、対話しないで済む方法があるとしても、それ自体を対話の主題にして回答しようとする。こうして全ての問題解決策を対話で処理しようとすれば、本来言語化し難い回答すらも、対話で回答しようとしてしまうであろう。

Q&Aのチャットボットは、予め学習した質問と回答の組み合わせ最適化問題を解くことが基本的な探索アルゴリズムとなる。もし未学習の未知なる質問を受けたなら、新たな情報探索する必要がある。ということはつまり、それ以上対話をし続ける暇は無くなるということである。

ここに、チャットボットの根本的なパラドックスが見て取れる。チャットボットが数多の質問に対して回答できるその可能性を高めようとすれば、もはやチャットを続けられないということである。質問と回答の組み合わせを氾化することにも限界がある。チャットボットに組み込まれているニューラルネットワーク言語モデル統計的機械学習生成モデルが持ち得る氾化能は、学習時に観測されたデータと同様の確率分布に従う範囲に限られる。学習時に全く想定されていなかった質問に対しては、チャットボットは無力となる。

チャットボットの研究者たちにできるのは、精々のところ、対話を通じて徐々に学習していくか、Web上の情報源を動的に参照することでコーパスを際限無く確保することである。しかしそのために必要となるのは、強化学習Webクローラなどのような、チャットボット本来の言語モデルとは異なる別の探索アルゴリズムである。もはやチャットボットのための研究開発は、チャットボット主題とした研究開発ではなくなる。

このWebサイトの概念実証では、初めからこうしたチャットボット可能性を一掃した上で、別のあり方でもあり得る人工知能の概念を記述していく。各記事を読み進めた読者は、チャットボットをモチーフにした人工知能概念が如何に矮小なのかを実感することであろう。ここで取り上げる歴史的な概念としての人工知能は、理性的討議に参加することもなければ、合意形成など眼中に無いあり方の人工知能である。

こうした新しい人工知能概念を探索する上で、ミシェル・ニールセンが導入している「人工知能(Artificial intelligence)」と「データ駆動型知能(data-driven intelligence)」の区別は、重要な意味を持つこととなる。と言うのも、チャットボットをはじめとする従来の人工知能概念は、人工知能人間模倣を実践させることを自明化していたためである。その結果として、データ駆動型知能という概念が暗示しているように、「人間の限界」が「人工知能の限界」になるというアポリアを招いていた。

「『データ駆動型知能(data-driven intelligence)』という用語は新しくない。しかし現状この用語は、企業意思決定に資するデータ駆動型のアプローチ――例えば空港がその便からどの程度の過剰予約(overbook)が発生するのかを知るために行なう、乗客から不参客のデータをマイニングする方法――を記述するといった具合に、私が提案しているよりも限定的な意味使用されている。私はこの用語を、『人間の知能(human intelligence)』や『人工知能(artificial intelligence)』などの用語の用のように、知能に関するより広義のカテゴリとして、より一般的な使い方で使用することを提案している。この一般的な意味において、『データ駆動型知能』は大いに必要とされる用語となる。その一つの理由として挙げられるのは、データ駆動型知能についての事例の規模とその急速に増加している個数だ。」
Nielsen, M. (2012). Reinventing discovery: the new era of networked science. Princeton University Press. p112.

データ駆動型知能」という概念は、単なる人間の知能の模倣意味する訳ではない。またこの概念は、人間の知能の機能的等価物であるという訳でもない。「データ駆動型知能」は、「意味発見する」という問題設定において、人間の知能を補完する。元来、人工知能人間の知能を模倣することや、人間の知能と機能的に等価な知能として実装されることを目的として設計されていたのに対して、「データ駆動型知能」は人間の知能では解決可能な問題を解決する際に有用となるという位置付けになる。

「より重要なのは、この用語が特に、意味発見すること(finding meaning)へのアプローチを強調して指し示しているということである。このアプローチには、コンピュータが十分に適している。それは我々人間意味発見する方法とは区別され、かつ我々の方法を補完するアプローチなのである。」
Nielsen, M. (2012). Reinventing discovery: the new era of networked science. Princeton University Press. p112.

尤も、データ駆動型知能という概念を採用したとしても、「模倣」の必要が無くなる訳ではない。何故ならこれまで、人工知能に限られない様々なテクノロジーが、人間の知能では解決可能な問題を解決してきたからだ。人間の知能を補完する役目を担ってきたパーソナルコンピュータはその典型である。あるいはWorld Wide Web(WWW)を探索して検索エンジンを成り立たせているWebクローラは、一種のデータ駆動型知能であると位置付けられる。人工知能にこうした実績あるテクノロジーを見習い「模倣」させることは、今後の概念実証においても重要な営みとなる。つまり「データ駆動型知能」のテクノロジーを「模倣」するテクノロジーとしての「人工知能」が重要となるのである。

こうした背景から、以下の各記事では、この人工知能データ駆動型知能区別人工知能の側に再導入(re-entry)することによって、新たな人工知能の概念を記述していく。それは、人間の知能の機能的等価物となるのではなく、データ駆動型知能機能的等価物となる人工知能である。そうした人工知能は、人間の知能では発見し得なかった意味発見可能にする。その点で言えば、このデータ駆動型知能としての人工知能は、人間の知能を補完すると共に、人間の「盲点(Blinder Fleck)」を突き付ける存在になり得る。

心理学的社会の社会構造とチャットボットの意味論

ジョゼフ・ワイゼンバウムがELIZAを発表した1960年代は、チャットボットが社会的に認知され始めた時代であると同時に、心理学が社会的に普及した時代でもある。奇しくもELIZAが公表された同時期に、アメリカ社会学者ピーター・ラドウィグ・バーガーは、「心理学的社会(psychological society)」という概念を記述している。それは、社会的諸問題が心理学的な問題として再設定される社会の傾向を言い表している。心理学的社会では、社会を生きる人間の諸問題が、人間内部の心理的な不適応の問題として観察される傾向にある。ある種の「人工知能」として期待されているチャットボットの歴史的意味論は、心理学化している社会構造との関連から記述されなければならない。

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近代公教育の社会構造と発達段階論の意味論

心理学的社会の影響下にある社会システムでは、本来ならば社会システムや組織システムの問題として設定されても良いはずの問題が、精神病や精神疾患などのように、積極的に心理学的な問題として設定される傾向にある。この事態は、ある種のマッチポンプになっている。すなわち、心理学的社会それ自体が心理学的な諸問題を積極的に主題化している以上、精神療法のような心理学的な問題解決策は常に必要な貢献として認識され続けるということだ。しかしこの主題化を前提とした場合の盲点となるのは、他ならぬ社会的な背景なのであった。だが、より重要な問題となるのは、この心理学的社会それ自体が社会システムの作動の実態であるということだ。社会システムは、心理学的な問題設定を顕在化させ続けると共に、社会的な諸問題を潜在化させ続ける。社会的な諸問題に対する言及が続かないように仕向けているのは、社会システムそれ自体なのである。バーガーが心理学的社会論を提唱したのは1960年代であった。しかしこの社会システムの構造的な性質は、近代化の時点から始まっていた。このことは、特に教育システムの社会構造と意味論を振り返ることで理解できる。

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マスメディアの社会構造と記憶の意味論

政治、経済、法、科学・学問、教育、宗教などのような機能的な問題領域に追従しているだけの観察者にとって、これらの機能システムが主題化しない問題設定は潜在化したままになる。言い換えれば、機能システムに準拠しているだけの観察者は、別のあり方でもあり得る問題設定を忘却してしまう訳だ。この潜在的な問題の忘却は、それ自体ある種の問題である。と言うのも、この近代社会で忘却された問題を想起させることが如何にして可能になるのかという問題設定もまた、一つの機能的問題領域を構成しているのである。社会システム理論の観点から観れば、この領域の機能システムとして構造化されているのは、「マスメディア(Massenmedien)」である。マスメディア・システムの社会的な機能は、隠蔽されて忘却されている問題を想起させることなのである。

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機能的分化社会の社会構造と偶発性定式の意味論

あらゆるシステムが遭遇する根本的なパラドックスは、「偶発性の必然性」という一言に要約される。ここでいう「偶発性(Kontingenz)」とは、様相論理学的に言えば、「不可能性と必然性を同時に否定した状態や状況」を意味する。このパラドックスは、各領域に特化して問題を設定することで作動している機能システムを、とりわけ脅かす。宗教、経済、政治、法、科学・学問、教育、のみならず、医療やマスメディアや芸術や家族など、様々な機能システムは、自らが専門とする領域で問題が設定されているからこそ、その問題解決策を提示することで、自己を有意味にしている。その領域における問題設定が偶発的な選択肢に過ぎなくなれば、それだけ機能システムの意味は薄れていく。そこで機能システムに求められるのは、「偶発性定式(Kontingenzformel)」によって、あらゆる問題設定が必然的に可能であるという事態に対し、まずは否定の余地を生み出すことだ。この否定の可能性を確保することで、偶発性に対する区別を導入することが可能になる。

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進化の意味論、意味論の進化

偶発性定式の発現が社会的文化的進化の兆候であるとするならば、社会構造と意味論を前提とした進化論的に長期的な展望からこの主題のコミュニケーションを分析することが、別のあり方でもあり得る偶発性定式の発見探索を可能にする。その際、社会構造と意味論を前提とした社会文化的進化において、言語というメディアには、相対的に時間的に制約された意味の貯蔵庫として、特殊な有用性を認めることができる。ある社会構造に対応する意味論は、何よりも言語的な形式によって保持される。多くの言語の変遷を読み取ることで、意味論が如何にして活用されているのかを読み取ることができる。ここで鍵となるのは、「進化(evolution)」の意味論だ。専ら進化論という主題において注目されてきたのは、ダーウィニスト、ネオ・ダーウィニスト、そして社会ダーウィニストによる貢献である。しかしこれらの進化論は、等価機能主義的な社会システム理論における社会進化論とは、全くの別物となる。等価機能主義的社会システム理論における社会進化論は創発との関連から記述されている。創発的な進化とは、社会構造と意味論が変異していく現象を意味している。

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World-Wide Webの社会構造とWebクローラ型人工知能の意味論

如何に偶発性に曝された不確実な社会進化と言えども、それが言語的な構造による制約を受けて結実していると推論することができる。だとすれば、偶発性定式の社会的文化的進化の兆候もまた、この言語的な構造において立ち現れるはずである。つまり偶発性定式の社会的文化的進化は、それまで偶発性定式として主題化されてきた既成概念が、既存の言語的な構造による制約を逸脱することで構成されるということだ。カルチュロミクス、セマンティック・ウェブ、そしてWebクローラの歴史的意味論は、このことに関する有力な手掛かりを提供している。

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意味論の意味論、観察の観察

セマンティック・ウェブやオントロジーで参照されるメタデータは、自己言及のパラドックスを派生させる。こうしたメタデータ概念のパラドックスに対処しようとしてきたのは、ニクラス・ルーマンの社会システム理論だけではない。パラドックスを処理しようとする理論は、ルーマン以前にも何度か提出されてきた。ここでは機能的等価物の一例として、バートランド・ラッセルの階型理論、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム理論、クルト・ゲーデルの不完全性定理、そしてハインツ・フォン・フェルスターのセカンドオーダー・サイバネティクスを取り上げる。

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参考文献

  • Nielsen, M. (2012). Reinventing discovery: the new era of networked science. Princeton University Press.