Webクローラ型人工知能によるパラドックス探索暴露機能の社会進化論

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問題設定:コンピュータ精神療法の文化的意味論

その利用者の心理状態を文化的に方向付ける装置として機能し得るテクノロジーは、これまで「精神」や「意識」の変容を促すテクノロジーとして観察されてきた。そうした技術が積極的に設計されるようになったのは、1960年代ごろからだ。それは当初、かつて臨床心理学者シェリー・タークルが取り上げた「コンピュータ精神療法(Computer therapy)」のように、「精神療法(Mental therapy)」や「心理療法(Psychotherapy)」との関連から設計されていた。一部のChat bot精神療法医の機能的等価物となり、また一部のChat bot精神病状態のシミュレーションを可能にした。

タークルによれば、こうしたChat botたちとの「コミュニケーション」によって、当時のユーザーたちの「精神」や「意識」は確かに変容していたという。ユーザーのChat botに対する問い掛けは、自分への問い掛けに等しかった。Chat botは、ユーザーにとっての日記や鏡の類のように、「自己の拡張(extension of self)」を可能にする知覚メディアであったのだ。

しかしタークルの歴史分析の視点に準拠するだけでは、その社会的背景が盲点となる。テクノロジーによる「精神」や「意識」の変容という問題設定を前提とするなら、機能する問題解決策となったのは、コンピュータ精神療法だけではなかったはずだ。機能的に等価問題解決策が別のあり方でもあり得た中で、コンピュータ精神療法問題解決策として選択され続けるという社会的な状況は如何にして可能になっていたのかを問わなければならない。

問題解決策:Chat botによる精神療法

タークルが主題化していた「コンピュータ精神療法(Computer therapy)」という概念が言い表しているのは、コンピュータが「精神」や「意識」の変容を促すテクノロジーとして観察されてきたということだ。コンピュータ人間の「精神」や「意識」の類のものを変え得る可能性は、当初精神科医たちによって明示的に認識されていた。そして我々と縁のあるハッカー文化が1970年代にパーソナル・コンピュータを普及させて以来、このコンピュータに対する認識は大衆化されていった。

だがタークルの視点の通りに歴史を遡及するだけでは、コンピュータによる「精神」や「意識」の変容が精神療法形式で採用されるという事態が如何にして可能になったのかという社会的な背景が盲点となってしまう。コンピュータとの接触によって、確かにユーザーたちの「精神」や「意識」は変わり得るはずだ。だが、そのコミュニケーション形式精神療法であることには、全く何の必然性も無い。実際には偶発的な選択肢であるはずのコンピュータ精神療法が恰も必然的な選択肢であるかのように選択され続けたことには、何らかの意味があるはずだ。コンピュータ精神療法が冗長的に主題化されていたのは、何らかの文化的な営みが反復されていたためである。そこで、コンピュータによる「精神」や「意識」の変容に関わる文化的現象の記述が必要になる。

等価機能主義的な社会システム理論の観点から文化観察する場合、当該文化歴史意味論的に記述することになる。ある文化歴史意味論的に記述するという営みは、その文化にどのような主題が貯蓄されており、それぞれの主題に対してどのような貢献が見受けられるのかを記述することを意味する。より機能的に言えば、それぞれの文化的な問題設定に対して、どのような問題解決策観察されるのかを記述するのが、意味論的な記述となる。

したがって以下からは、まずはタークルのコンピュータ精神療法主題とした観察観察していく。それにより、コンピュータ精神療法と関連付けられる主題とその貢献、あるいは問題設定とその問題解決策比較していくことにしよう。

1960年代から1970年代までのコンピュータ精神療法

コンピュータ精神療法との関連で言えば、タークルの観察は、彼女がMITに着任した際に出会ったジョゼフ・ワイゼンバウムの紹介から始まる。ワイゼンバウムは、1960年代に「ELIZA」を設計したことで著名なコンピュータ・サイエンスの専門家だ。

ワイゼンバウムは、人工知能設計者から批判者へと立場を変えている。確かに、ELIZAは精神療法医として設計された。だがその主題は、コンピュータ・サイエンスに貢献することであった。それは決して精神療法のためではなかったのである。ELIZAは、コンピュータの会話能力の限界を試す実験的な実践に過ぎなかった。あくまでも患者の発話に反応するという精神療法の技術の範囲内において、ELIZAはユーザーとの会話を可能にしていた。

尤もELIZAは、言わば「オウム返し」のように患者の言葉を反復する仕様であった。例えばユーザーが「私は鬱状態です(I am depressed.)」と言えば、ELIZAは「I am X.」の形式で反応する。その反応は実に単純で、「I am」を「You are」に変換するだけであった。そして、その後は5W1Hに則って、「何故鬱状態であると言うのですか?(Why do you tell me that you are depressed.)」などと返す。

当初のワイゼンバウムは、この単純極まりないELIZAの仕様に皆落胆するであろうと想定した。しかし、それが誤りであることがユーザーによって示された。実際にはELIZAに知識も理解力も無いと知るユーザーですら、ELIZAに相談を持ち掛けようとしてきたのである。ELIZAと親密な関係を築こうとする者もいた。精神科医たちですら、ELIZAの名声を聞き付けて、コンピュータ精神療法可能性に興味を示し始めていた。

ワイゼンバウムは、この周囲のELIZAへの好意的な反応を観て、人工知能人間と同程度のコミュニケーション能力を有しているという誤解を招いているのではないかと懸念した。更にワイゼンバウムは、ELIZAを巡る周囲の反応から、人々の文化的な価値観に揺らぎを与えてしまっているのではないかとも懸念していた。

これに対して、ワイゼンバウムと共同開発していたスタンフォード大学の精神科医ケネス・コルビーは、コンピュータ精神療法の有用性を重視していた。誰もが自分の抱えている問題を気兼ね無く相談できるコンピュータ精神療法は、人々のためになる。そこでコルビーは、ELIZAを機能的に拡張させた「SHRINK」を精神療法貢献するという問題設定の下で公開した。

ワイゼンバウムとコルビーの見解の相違は、コンピュータには自我が持てるか否かという問題に直結している。ワイゼンバウムにとって、それはあり得ないことであった。ワイゼンバウムは、コンピュータが「わかりました」と述べても、それは嘘や錯覚に過ぎないと主張していた。一方コルビーによれば、コンピュータ精神療法にはそうした哲学的・倫理的な問題は伴わない。と言うのも、プログラムには自我があるからだ。コルビーによれば、その自我とは、そのプログラム設計したコルビー自身であった。

精神科医であったコルビーは、精神療法理論のみならず、機械論のモデルにも準拠していた。それによれば、脳はハードウェアで、行動はソフトウェアだ。精神科医として対処してきた様々な精神疾患は、コルビーにとって、ソフトウェアの問題に等しかった。プログラムにはエラーが伴う。エラーが伴えば、デバッグして、コードを再記述すれば直すことができる。人間の場合は、そのエラーを言語を通じて、言語にして外部化することが求められる。コルビーによれば、この精神状態の言語化は、極めて情報処理的であった。情報処理において、その速度も精度も、人間コンピュータに劣る。だが人間精神療法情報処理であって、様々な目的に密接に関連した決定規則の集合を備えた意志決定機構なのである。

コルビーは、コンピュータ精神療法を支援する実用的な理由も挙げている。コンピュータには、家族問題も金銭問題も無い。性的な不謹慎さとも無縁だ。研究熱心な精神科医とは違って、精神分析学的により興味深い症例をあえて抽出しようと躍起になることも無いだろう。またコンピュータは、権威として、威圧的な態度を取らない。患者を批判することも無い。

ワイゼンバウムもまた、コンピュータ精神療法の実現可能性までは否定してはいなかった。彼も将来的には人工知能精神科医と酷似した手続き精神療法を実践できるようになる可能性がある点については容認していたのである。

しかしそれでもワイゼンバウムの不安は払拭されなかった。精神分析を指向する臨床医ならば、むしろ患者の分析に徹するであろう。患者の一挙手一投足に何らかの意味を付与しようとする。コンピュータには、意味付けるという営みが人間ほどには観られない。それは不可能であると主張する者たちもいよう。ワイゼンバウムからすれば、コルビーがそうしたことに無頓着なのは、人間の能力や必要性に応じてではなく、コンピュータの限界に対応させて精神療法をモデル化しているためであった。言うなれば、コルビーの設計人間中心主義を逸脱している。この姿勢は、ワイゼンバウムが抱いていた文化的な危機感を強めた。

1970年代から1980年代のコンピュータ精神療法

ワイゼンバウムは、ELIZAとのコミュニケーションを欲する人々を観て、人間に固有の感覚が喪失し始めているのではないかと危惧した。それは人間中心主義からの逸脱を暗示している。しかしタークルによれば、この頃のELIZAのユーザーたちは、ELIZAを精神療法医としては観ていなかった。まして、「他人」とすらも考えていなかったという。ユーザーにとって、ELIZAは日記や鏡の類のような「自己の拡張」であった。ELIZAとのコミュニケーションは、ユーザーがその思考内容を外部化することでそれを改めて参照するというユーザーによる自己言及によって成立していたのだ。

タークルの分析によれば、この1970年代から1980年代初期のロマンチックな反応は、事物と人間の伝統的な境界線が曖昧になったことを指し示している。だがそれと同時に、この境界は聖なものであるという不安も伴っていた。当初この不安は、コンピュータ没入している人間は何処か異常だという感覚に結び付いた。しかし、80年代になってからは、ハッカー文化の影響からパーソナル・コンピュータが一般大衆にも普及し始めた。これによりコンピュータはもはや特別な存在ではなくなった。コンピュータを利用することが「自己の拡張」であると考えるユーザーが増えていくに連れて、コンピュータに対する不安が薄らいでいった。コンピュータ精神療法がここにきて大衆化した訳ではなかったが、しかしコンピュータ精神療法に対する感情的な拒絶反応は以前よりも少なくなった。

周知のように、1980年代は、精神療法に対する精神分析学的な方向付けが、認知主義によって批判されるようになった時代でもある。精神分析のモデルは、世界との旧い関わり方で自滅的な姿勢を繰り返している患者の根源的な動機付けを抽出することを重視している。これに対して認知科学のモデルは、そうした姿勢は習慣の一種に過ぎず、プログラムし直すことができると主張する。精神分析学的な精神療法では、患者と精神療法医の関係が肝となる。一方認知科学的なモデルにおいては、患者が過去から継続させている諸々の人間関係の形式を新しい形式に転換させようとする。このため認知科学的な精神療法は、比較的中立的で、比較的客観的とさえ観られた。そしてこの認知科学的なモデルは、コンピュータとのコミュニケーションの実現可能性を明示するモデルでもあった。

1990年代から2000年代のエキスパートシステム

1980年代後半から1990年代前半になると、また別の視点が提供される。この頃には精神薬理学的な精神療法が立ち上がっていた。薬学のデータベースを想定して観ればわかり易いだろうが、どのような患者にどのような薬を推奨(Recommend)するのかといった判断は、むしろコンピュータの得意とするところである。タークルによれば、コンピュータ精神療法と言えば患者への投薬を調整する「エキスパートシステム(Expert Systems; ES)」であるという認識が、この時代では時宜を得ていたのである。尤も、エキスパートシステムの研究開発は、その期待とは裏腹に苦境の時期に差し掛かっていた。当事者たちの中でも、その生き残りの術を見出せたのは少数に限られている。

エキスパートシステムの父」として2000年代に名を馳せたエドワード・アルバート・ファイゲンバウムは、我々人間の知能を「計算を利用した振る舞いの集合(set of behaviors using computation)」として複製することが可能であるという前提から、エキスパートシステムを考案している。

「計算知能としての人工物は、人間の水準をも凌駕し得る複雑で知的な課題に対して高性能で行動できるように、その領域に関する幅広い知識を手にしていなければならない。知識とは、多くの要因のうち、諸実体のための諸用語、それらの用語に関する諸記述、推論のために組織化された諸用語と諸実体の諸関連、象徴的な諸概念、抽象化、基本的な手続きに関する象徴的なモデル、基礎的なデータ、保持されたインスタンスの大きな集合体、類推、『良き推測』のためのヒューリスティクスを意味している。」
Feigenbaum, E. A. (2003). Some challenges and grand challenges for computational intelligence. Journal of the ACM (JACM), 50(1), 32-40. 引用はpp.34-35より。

ファイゲンバウムはハーバート・アレグザンダー・サイモンの下でElementary Perceiver and Memorizer(EPAM)という人間学習コンピュータ上のモデルとして複製するツールを開発している。サイモンの「人工科学」から影響されているのか、彼の論文には「人工物(artifact)」という用語が散見される。

エキスパートシステム人工物として重要となるのは、「人工物の知識ベース(artifact’s knowledge base)」だ。それは一定の設計されたルール群に準拠して専門家推論模倣するための前提知識となる。典型的な知識ベースは「IF-THEN」の形式で論理学的に記述される。だが注意しなければならないのは、その規模であろう。ファイゲンバウムが言及している通り、知識ベースはワールド・ワイド・ウェブに蓄積されているセマンティック・ウェブに匹敵するほどの巨視的で莫大なデータ量をも想定しなければならない。

認知コンピューティング

こうしたある種のビッグデータに準拠した推論エンジンとしてのエキスパートシステムを「認知コンピューティング(cognitive computing)」の方向へと拡張させたのが、IBMのWatsonだ。1980年代に世界中のエキスパートシステムの研究が頓挫に終わった後も、IBMは十数年の年月を掛けてエキスパートシステムの研究開発を継続していた。1989年にはチェスに特化したスーパーコンピュータであるDeep Blueの開発が開始されて、そのシステムは、チェスの世界チャンピオンを凌駕するほどに進化している。この開発プロジェクトが終わった後も、培ってきたエキスパートシステム設計ノウハウやビッグデータに対するデータマイニング技術がIBMの自社製品に活かされていった。

IBMの目的は、現実的に適用可能な問題領域を拡張させていくことで、Watsonを問題解決の実践に役立てさせていくことだ。「人工知能」という用語を使用するなら、その位置付けと方向性は「弱い人工知能」に過ぎない。人間の知能の解明とその人工的な複製がWatsonの目的なのではないのである。IBM側はこのWatsonを「人工知能」と「認知コンピューティング」の区別を導入することで設計している。これまでのエキスパートシステムとは異なって、認知コンピューティングの場合は設計時にルール群を記述する必要が無い。認知コンピューティングは事例からルールを抽出することで自己学習できる。認知コンピューティング人間の専門知識を模倣するというよりは、むしろその専門知識を補完することに意義があるという。

尤も、Watsonと専門家たちの関係は、一方が他方を補完するというよりは、むしろ相補的な関係となっている。Watsonの認知コンピューティングは、大量の非構造化データに対する自然言語処理により、医学論文や電子カルテなどのデータ内容に基づいた「コーパス(corpus)」を生成する。Watsonは、医療関係者たちが読み書きする文章を理解して、機械学習による分類や予測によって学習を継続していく。そのデータ処理過程それ自体は、単語のトークン化から始まり、品詞構造解析やカテゴリ分類、言語間の関連性の抽出などで、他の自然言語処理と大差は無い。無論これだけでは自然言語意味の揺らぎに対処し切れる訳ではないはずだ。そこでWatsonは、医学の専門用語を網羅的に貯蓄したデータベースである「統一医学用語システム(unified medical language system; UMLS)」などのように、判断に有用な内容を予め学習しておくことにより、データ処理の負担を軽減しているのである。

対話サービスのAPI化

Watsonにも対話機能実装されている。そしてこの機能は、Watson Developer Cloudにて、APIとして外部に提供されてもいる。このAPIのユーザーは、特定の主題の対話形式を選択することによって、自身のアプリケーションに対話用のChat botを組み込むことが可能になる。いわゆる「Web接客」に特化したChat botの開発も、このAPIによって大幅に負担軽減されるはずだ。

APIのユーザーから観れば、このWatsonそのものの構造ブラックボックス化されている。ユーザーにはアーキテクチャの内部のアルゴリズムを知る必要が無い。JSONをはじめとしたデータ形式やメソッドのインターフェイス仕様を利用するだけでChat botの頭脳部分を簡単に実装することができる。

マイクロソフトの「Tay」

認知コンピューティング人工知能の技術的発展によって、2000年代の時点で既に、Chat botの概念は社会的に十分普及している。だが1970年代にワイゼンバウムが指摘したコンピュータ精神療法問題やコルビーが指し示し問題解決策を念頭に置くならば、人工知能精神療法の関連性に対する探究は未だ成熟し切っていない。と言うのも、それ以前の問題が第三次人工知能ブームに触発されて発見されてしまったからだ。その問題は具体的な事例から設定できる。

マイクロソフトの人工知能チャットロボット「Tay」は、当初は人間コミュニケーションを交わすことによって学習していくロボットとして導入された。しかし、実際に学習したのはヘイト発言であった。その発言内容は思想的あるいは倫理的な理由から問題視された。そのため「Tay」は、停止を余儀無くされた。

一連の事件には共通の前提があった。それは、人工知能人間と同じように人間コミュニケーションを交わさなければならないという目的意識だ。「Tay」の開発者やステークホルダにせよ、「Tay」やその情報を消費するだけの大衆にせよ、あるいは「人工知能」をバズワードとしてしか理解できていない経営者やセールスにせよ、恐らくこの目的意識には何の疑問も抱いていないのかもしれない。

しかし、この目的意識は「人工知能」という偶発的なブラックボックスに対して形成された錯覚に過ぎない。そのアルゴリズムは決して「人間とのコミュニケーション」においてのみ機能する訳ではない。例えばECサイトのレコメンドエンジンに人工知能を投入するというユースケースもあり得る。レコメンドエンジンは専らサーバサイドのアーキテクチャ深部で作動する。それが人間と表立ってコミュニケートする必然性は何も無い。人間コミュニケーションを交わすのは、例えば「Web接客ツール」を構えてチャットで対応する人間であっても良いはずだ。

注目すべき錯覚はもう一つある。それは、人工知能が「人間とのコミュニケーション」を通じて学習することで、究極的には人間と同じくらいに賢くなるという想定だ。しかし、「人間とのコミュニケーション」の機能に、そのような必然性は無い。「教育」という「人間とのコミュニケーション」を例示すれば直ぐにわかるように、教育を受けた誰しもが賢くなっている訳ではあるまい。だとすれば、「Tay」のような人工知能が「人間とのコミュニケーション」によって賢くなることに失敗したことは、それほど新鮮なニュースであるとは言えないはずだ。そうであるにも拘らず、大衆はこのニュースを注目度の高い情報として消費した。これは、実はとても奇妙なことだ。

抽象的な回り道

「Tay」の事例が指し示しているのは、社会の人工知能に対する過剰期待である。この過剰期待は様々なユースケースでの具体的な応用に向けられている。だが過剰期待である以上、それは非現実的で実現可能性に乏しい志向だ。となれば、「Tay」の事例のように、人工知能の些末な問題すらも過大な期待外れを招き兼ねない。

こうした社会的な状況を観察するなら、我々には回り道が必要であるという認識に行き着いてしまう。人工知能による精神療法に言及するとなると、そのChat botとの対話や会話を具体的に実践する臨床的な現場に踏み込むだけでは、認識が甘い。むしろ精神療法というコミュニケーションを徹底的に抽象化した上で、人工知能による精神療法という概念を再認する必要がある。

問題再設定:精神療法のコミュニケーションは如何にして可能になっているのか

コンピュータというテクノロジーが人間の「精神」や「意識」を変容し得る機能を有しているのは良いとしても、その形式コンピュータ精神療法であることには何の必然性も無い。偶発性に曝されている状況の中で、このChat botとのコミュニケーションが反復的に採用され続けるという事態が如何にして可能になったのかは、社会的背景を確認してみなければ明確にはならない。そして、この社会的状況を省みないことには、コンピュータ精神療法やそれを担うChat botへの過剰期待と極端な期待外れを招くことになってしまう。

問題解決策:心理学的社会

1960年代は、ワイゼンバウムがELIZAを発表した時代であると共に、心理学が社会的に普及した時代でもある。奇しくもELIZAが公表された同時期に、アメリカ社会学者ピーター・ラドウィグ・バーガーは、「心理学的社会(psychological society)」という概念を記述している。それは、社会的諸問題心理学的な問題として再設定される社会の傾向を言い表している。心理学的社会では、社会を生きる人間の諸問題が、人間内部の心理的な不適応問題として観察される傾向にある。

この心理学的社会においては、精神分析学や心理学問題設定の段階で既に積極的に採用されるようになる。そのため、専ら問題解決策として導入されるのも、また精神分析学や心理学方法となる。バーガーからすれば、こうして積極的に採用されるに至った精神分析学が、ある種の文化として結実している。

「より重要なのは、精神分析学が文化的現象になっているということだ。すなわち、それは人間の性質を理解する方法であると共に、人間経験をこの理解に基づいて秩序付けているのである。」
Berger, P. L. (1965). Towards a sociological understanding of psychoanalysis.Social research, 26-41., p27.

自己同一性のマーケティング代理店

バーガーによれば、心理学的社会の背景には、私的領域と公的領域の乖離がある。現代社会では、産業構造や官僚制をはじめとした公的領域が、既に合理化と匿名化の影響を受けている。こうした公的な領域では、もはや自己同一性を可能にする枠組みは得られない。代替的に、自己同一性は家族などのような私的領域で基礎付けられることになる。

ところが、公的な枠組みを喪失させた私的領域における自己同一性の探求は、それ自体不確実性に曝されている。と言うのも、個々人はもはや全体社会を知覚することができなくなっているからだ。分業化し、専門分化した社会は、高度に複合化している。その全体像を把握することは誰にでもできない。バーガーは、こうした社会的な状況を加味するなら、私的領域における自己同一性の探求の負担軽減が必要になるという。バーガーはそれを「自己同一性のマーケティング代理店(identity marketing agencies)」と呼んでいる。

宗教の機能的等価物としての心理学

かつてこの自己同一性の探求の負担軽減として機能していたのは、宗教における教会であった。一方、現代社会の新たな動向として、精神分析やカウンセリングが代替的に採用されるに至っている。そのため私的領域では、心理学精神分析が自己同一性の探求の負担軽減として機能するようになった。

注意しなければならないのは、この心理学的社会への変異が私的領域に限定された現象ではないということだ。心理学的社会の影響は、公的領域にも及んでいる。例えばバーガーは、「生産性(productivity)」という概念が、エンジニアの用語から心理学者の用語へと移り変わったと指摘している。それまで組織や制度の問題として記述されていた生産性概念が、「充実感(fulfillment)」や「欲求不満(frustration)」などのような心理的な問題としても言及されるようになったのである。高度消費社会を迎えた現代社会において、や個人の欲求(needs)と社会的な現実の関係は、充実感と欲求不満の関係に対応するようになる。

派生問題:心理学的社会は如何にして可能になっているのか

心理学的社会の影響下にある社会システムでは、本来ならば社会システム組織システム問題として設定されても良いはずの問題が、精神病や精神疾患などのように、積極的に心理学的な問題として設定される傾向にある。この事態は、ある種のマッチポンプになっている。すなわち、心理学的社会それ自体が心理学的な諸問題を積極的に主題化している以上、精神療法のような心理学的な問題解決策は常に必要な貢献として認識され続けるということだ。しかしこの主題化を前提とした場合の盲点となるのは、他ならぬ社会的な背景なのであった。

だが、より重要な問題となるのは、この心理学的社会それ自体が社会システムの作動の実態であるということだ。社会システムは、心理学的な問題設定を顕在化させ続けると共に、社会的な諸問題を潜在化させ続ける。社会的な諸問題に対する言及が続かないように仕向けているのは、社会システムそれ自体なのである。バーガーが心理学的社会論を提唱したのは1960年代であった。しかしこの社会システム構造的な性質は、近代化の時点から始まっていた。このことは、特に教育システム社会構造意味論を振り返ることで理解できる。

近代教育システム社会構造を方向付けた意味論は、次の三つの思想に要約される。

  1. 善性を内在させた穢れ無き子供たちに対する「自然主義(Naturalismus)」的な教育論―――キーワードは、「完成可能性(perfectability)」。
  2. 教育機会の平等化による公教育制度の自明化―――キーワードは、「教育可能性(educability)」。
  3. 教師の「教科」から子供の「経験」への改革的な転回―――キーワードは、「学習可能性(learnability)」。

以下、順に確認していく。

問題解決策:完成可能性の意味論

元来「完成可能性(perfectability)」は、近代教育学の先駆的な宗教改革家として名を遺したヨハン・アモス・コメニウスの概念であった。コメニウスは「自然主義(Naturalismus)」を標榜することで、教育の対象となる人間像を記述している。

自然主義

コメニウスの自然主義は、平和主義的な思想とキリスト教的な世界観を背景として、人間には「善なるもの」が内在しているという前提に立つ。コメニウスによれば、そうした「善なるもの」を開花させるために必要となるのは、教育者たちが子供たちに外部から何らかの刺激を与えることではない。あくまでも本来宿している性質なのだから、その内面性の自然な成熟を待つことが重要となる。

完成可能性が指し示すのは、子供の「善なるもの」は開花し得るということだ。言い換えればそれは、子供は「発達」し得るということであって、「進歩」し得るということでもある。

エミール

ジャン=ジャック・ルソーの教育思想は、コメニウスから多大な影響を受けたことでも有名だ。ルソーが語る人間論はコメニウスの自然主義を性善説的に言い直した形になっている。ルソーによれば、万物は「善なるもの」であった。だがそれらが人間の手に渡ってしまうことで、全てが「く」なるという。その原因となるのは、人間が生きていく上で必要となる社会化や文明化だ。我々は社会の中で生きていくために、自分の意見や価値観よりも他者や集団との合意形成を重視せざるを得ない。したがってルソーにとって「大人になる」というのは、「善なるもの」を放棄することを意味していた。

社会改革を望む時のルソーが子供存在を重視していたのは、この関連においてだ。大人になり切れていない子供たちは、まだ「善なるもの」を喪失していない。それは旧来の社会や文明に汚染されていないということでもある。子供はまだ権威に服従することを自明化していない。そうした子供たちは「社会人」たる大人ではなく、「善なるもの」を保有した「自然人」であるという。

尤も、このルソーが導入した善区別は、それ自体が区別である可能性否定できないだろう。『エミール』でこの教育論を記述した時点で、ルソーは既に子供ではなかったはずだ。「善なるもの」を喪失したはずの「大人」であるルソーが導入した善区別は、それ自体として区別であったと言い放つこともできる。かくして自然主義は、パラドックスに陥る。尚も教育コミュニケーションを継続していくのならば、別のあり方でもあり得る区別を導入することによって、脱パラドックス化を実現せざるを得なくなる。

問題解決策:教育可能性の意味論

歴史上新たな区別として導入されたのは、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトの『一般教授学』であったと言える。ヘルバルトの『一般教授学』は、自然主義的な教育論が依拠する帰納的な方法否定しつつ、科学的に形成された枠組みに経験を統合することによって、より科学的な教育学を導出しようと志す取り組みであった。彼は理論と実践の融合、理念と実践の融合を可能とする科学的な原理としての教育学を求めたのである。

ヘルバルトの教育学の方法は、近代科学として栄えた心理学に依拠している。と言うのも彼にとって心理学は、道や手段や人生の障害を指し示してくれるからである。一方彼の教育学においてその目的となるのは、倫理学としての実践哲学だ。実践哲学の目的は、陶冶である。ここでいう陶冶とは、生来的な才能や素質を完全に発達させることを意味する。

この関連からヘルバルトは、人間には経験的に理性が備わっていると想定する哲学は、教育学とは相性がいと考えた。陶冶される以前に理性が備わっているとは想定できないからこそ、教育が必要となるのである。もとより陶冶は教育に限定されない。より広範な概念としての陶冶を目指す教育は、初めから宗教的な信条や理想論的な到達点を決定する訳にはいかない。むしろその既定の枠組みに囚われない姿勢が重要となる。そのために彼は、例えばジョン・ロックが想定していた慣習形成や、コメニウスが前提化していた宗教的な信仰心だけでは、教育は満足に実践できないと考えた。そして彼は、科学的な教育学の実践へと結び付く学問としての教育学を目指したのである。

管理と教授と訓練の差異

ヘルバルトは、ロックとルソーを対比させながら、自身の教授法を特徴付けている。ヘルバルトによれば、ロックの教育論において重要となるのは、「世の中」の決まり事に巧く順応することであった。一方でルソーにとっては、自然人の陶冶が重要となる。ヘルバルトによれば、ロックに倣う教育は、社会に現存するを野放しにして放置することを意味する。一方ルソー的な教育では、まで抑圧されていたあらゆるを、可能ならばもう一度繰り返そうとするようなものだという。と言うのも、もしルソーが正しいとするなら、その教育は不可避的に子供を社会の害で汚染させる宿命にあるからだ。ヘルバルトはそれ故、ロックもルソーも認めていない。彼の教授学は双方に対する代案となっている。

ヘルバルトは教育の基本的な要素を「管理」、「教授」、「訓練」の三つに区別している。ここでいう管理とは、支配を意味する概念ではない。管理とはあくまで、教師と生徒の直接的な関わりを前提としている。ヘルバルトによれば、あらゆる管理は、当初「脅かし」となる。その際その管理は、対象となる生徒の性質次第で、二つの障壁に直面する。一方では、脅かしなどお構いなしに自由を満喫する性質を持つ子供もいるだろう。他方では、その脅かしを真に受けて、恐ろしさの余りに何もできなくなってしまうような子供もいる。それ故に管理は、子供次第で不確実化するのである。

しかしヘルバルトは、こうした管理は教育の本質ではないという。彼が重視するのはあくまで「教授」であった。ここで重要となるのは教育目的である。ヘルバルトによると、教育には「任意の目的」と「道徳性の目的」があるという。前者は可能な目的であり、後者は必然目的である。「任意の目的」を目指す教育は、生徒の興味の多面性を目的とする。「道徳性の目的」を目指す教育は、公正と善と観念が厳密かつ純粋に意志の本来の対象になることに基づいている。そしてこれにより、あらゆる恣意性に抗い、品性において最も深遠な真実の内容人格の中核として規定されることが、道徳的な陶冶の目的となるという。

「任意の目的」に連なる多面的な興味は、「教授」の目的となる。この目的の追究においては、「専心」と「致思」が重要となる。専心とは精神を一つの対象に集中させる作用である。致思とは専心によって獲得した対象を反省することで統一する作用である。ヘルバルトの「四段階説」によると、一定の対象に精神を没頭させる作用である静止的専心が純粋である場合、個々のモノを「明瞭」に観ることが可能になる。その専心が他の専心へと前進することによって、表象が「連合」される。専心によって獲得されたモノを反省して統一する作用である静止的致思は、多数のモノの関係を見る。それは全ての個を関係の分節として正しい場所に配置しながら視るということである。そしてヘルバルトは、この豊富な致思において発現する豊富な秩序を「系統」と呼んだ。致思の前進によって、「方法」が形成される。それは系統を発展させ、その新しい分節を生産し、徹底的な応用を喚起する。この四段階説によって、経験や感性や帰納の方法に基づいた教育論は、明瞭な様式と体系を有した近代科学的な教育学へと発展したとされている。

教授の場合、教師と生徒が同時に関わり合う何らかの第三者による介在を想定している。一方で「訓練」は、管理同様に、教師と子供の直接的な関わり合いを前提としている。訓練においては、管理同様に、生徒の受動的な姿勢が想定されている。ここでいう訓練とは、スポーツでやるようなトレーニングのことではない。まして知識や技能を伝授するだけでもない。それは陶冶する意図を持つ教師によって実践される生徒に対する直接的な働き掛けに他ならない。

教育可能性と公教育の制度化

ヘルバルトは、教育学の根本を成す概念が教師の生徒に対する「教育可能性(educability)」であると考えた。教育可能性指し示しているのは、どのような子供であれ、生徒は教師次第で発達するということだ。

教育可能性という概念それ自体は「一斉教授法」を展開したコメニウスに由来する。コメニウスによると、どのような子供にも無限模倣力があるという。この模倣によって、子供は皆平等に教授されることで発達できると考えた。尤も、ここでいう平等性とは、言い換えれば画一性を意味する。それは言わば一律の生産管理体制を物語っている。実際コメニウスの眼には、学校が「人間の工場」として映っていた。それはロックの精神白紙説を前提として、子供の内面に教師のマニュアルを記述することで「大人」を生産していく工場なのである。

この思想的背景を前提とすれば、ヘルバルトが強調した教育可能性は、コメニウスが論じた完成可能性を継承した概念であると言えるだろう。19世紀の西洋社会の諸国は、この教育可能性意味論に準拠することで、国民形成のための学校教育を規範的に期待するようになった。教授することの価値は、教授しようとする意図が<善き意図>であるかのように受容されることになった。加えて、誰もが皆平等に教師次第で発達し得るという発想は、教育の機会の平等化を疑念の余地の無い規範へと結実させることを後押しした。すると教育システムの制度化は、「一斉教授法」的な学校教育の自明化と共に、形式的に進展することになった。少なからず建前上は、身分や性別や人種の差別とは無縁のまま、学歴や資格や実績などといった制度化された経歴によって、人間の社会的な価値が決定されるかのような錯覚が蔓延することとなった。

ヘルバルトの教育学がヘルバルト学派として受け入れられるようになった背景にも、こうした教育システムの制度化がある。公教育制度の整備において、学問的な根拠を有しつつ実践へと結び付けられるヘルバルトの教育理論は、教育システムの制度化を好都合に進展させるための意味論として機能したのである。彼の教育学が国民形成を目論む国家にとって有用となったのは、理由の無いことでもない。ヘルバルトの教育学においては、教師の教育しようとする<善き意図>が規範的に期待されているためである。

象徴としての<善き意図>

教育しようとする<善き意図>が伴った相互行為コミュニケーションは、全て教育である。逆に言えば、教育しようとする<善き意図>が無いコミュニケーション教育ではない。そうした相互行為もまた人間形成や規範の内面化を派生させ得るだろう。だがそれは、教育ではなく社会化なのである。

したがって教育を他のシステム環境から分化させているのは、教育しようとする<善き意図>であるということになる。<善き意図>は、教育システム象徴であると言えよう。だが教育者の<善き意図>と教育的なコミュニケーション因果的に連鎖しているとは限らない。教育を計画して実際に実践する場合にも意図があったと言えるだろう。しかし、教育者が教育した後に振り返れば「自分には<善き意図>があったのだ」と容認せざるを得ない場合には、<善き意図>が教育象徴として機能していたということになる。<善き意図>は、教育システムが<教育システム>として自己を認識するための象徴なのでる。

ヘルバルトの教育学の意味論に方向付けられた公教育制度の整備によって、教育システム機能的な分化が進行した。教育システムは、相互行為に留まらず、学校という組織システム教育問題解決を担う機能システムへと分出している。そして相互行為としての教育は専ら学校で構成されることとなった。

<善き意図>と選抜の矛盾

一方、この教育システム機能的な分化を可能にしているのは、「選抜(Selektion)」によって導入される二値コードに他ならない。完成可能性であれ、教育可能性であれ、実際に子供が想定通りに発達したか否かを判断するには、一定の形式的な評価基準が必要になる。そこで導入されたのが、「より良い(besser)」と「よりい(schlechter)」という二値コードである。この二値コードを制度化させているのが、選抜だ。

選抜という制度によって、教育システムは<良い成績>と<い成績>の区別、<良い生徒>や<い生徒>の区別、または<それまでの成績よりも良くなった>と<それまでの成績よりもくなった>の区別を可能にする。機能的な人材配置や制度化された資格や免許の付与などとの兼ね合いから、選抜は社会的に要請される教育の課題である。

だがこの良ししの差異は、皆が平等に教師次第で発達し得るという教育可能性意味論とは別のあり方でもあり得る期待構成してしまう。如何に<教育する意図>を<善き意図>と読み替えても、教育という機能システムの作動には選抜が避けられない営みとなる。この選抜は、<善き意図>とは別のあり方でもあり得る形式として教育的なコミュニケーションを方向付けている。もはや教育者の<善き意図>という象徴だけでは、教育を統一することができなくなる。陶冶の教育可能性を重視する教育学的な意味論と陶冶よりも有用な知識や経歴の必要性を強調する選抜形式が、教育システムの内部で矛盾を生み出しているのである。それ故に教育システムの作動は常日頃不安定になり易い。ヘルバルトの教育学的な意味論が単純に教育実践を方向付けることができているとは、単純には言えないのである。

問題解決策:学習可能性の意味論

機能的に分化した教育システムの内部で伴った矛盾は、近代公教育に対する様々な批判を呼び寄せた。その批判者たちの動向は、歴史上「新教育運動」として観察されている。その具体例となるのが、ドイツの「改革教育学(Reformpädagogik)」やフランスの「新教育(education nouvelle)」であった。周知のように、日本でも同様の運動が「大正自由教育」という名目の下で発生している。

教育運動はコメニウス的な一斉教授法に象徴される均質化された教育制度に対する批判的な眼差しによって駆動されていた。国民形成を目的とした公的なカリキュラムに準拠した「大人」の大量生産こそが、「人間の工場」たる学校の主たる機能であった。こうした画一的な近代公教育に対して、新教育運動が掲げたアンチテーゼは、子供経験を重視するという内容に要約される。例えばジョン・デューイの教育理論観察すれば明白なように、子供経験を児童心理学的に分析することによって、新教育運動はその経験に対応した学習方法を代替案として提起することになった。

ヘルバルトの教育学は、教師の<善き意図>の正当性を疑わなかった。しかしこの教育学はあくまでも教師にとっての学であったのだ。公教育制度を前提とすれば、ヘルバルト派の教育学は教員免許を獲得するための学問に過ぎなくなる。これに対して新教育運動は、<善き意図>の正当性を押し付けがましい態度になる可能性を疑う。この嫌疑から転じて、新教育運動は教師の「教育可能性」よりも子供の「学習可能性(learnability)」こそを重視することになる。

デューイは、この学習可能性意味論を背景とした上で、教師の<善き意図>ではなく、子供経験を中心とした学校の可能性を模索するようになる。デューイは教師の<善き意図>よりも子供の自主性こそを信頼していた。そこで有用な理論として機能したのが、児童心理学だ。児童心理学は、子供の自発性や自主性が如何にして可能になるのかを記述してくれる。それが子供学習可能性を認識可能にすると共に、規範的に期待することをも可能にしてくれる。

デューイの民主主義的な教育論

意味論の視点で観れば、デューイに率いられた新教育運動が民主主義と根深く関連付いていたことは、さして不思議なことではない。デューイは、新教育運動の思想的な背景を提供した教育論者であると共に、リベラルな個人主義と共同体主義との論争を先取りしていた論客として、政治哲学の間でも注目を集めていた。彼は国家と個人を相互作用・相互依存的な関係で記述している。理想的な関係にある国家と個人は相互に支え合う。善き社会は、不合意を表明する批判者や逸脱し兼ねない異端者にも寛大だ。挑戦的な仮説や代案は、民主主義国家の活性化に結び付くためである。一方、個人もまた民主主義的な国家を必要としている。と言うのも、民主主義こそが個人の活躍の場を提供しているからである。

デューイによれば、民主主義とは、個々人が投票に参加し、多数派が支配的な位置付けとなる統治ではない。彼の定義によると、民主主義とは一つの「協同的な生(associated living)」の様式である。この定義では結社主義的なイメージが付き纏うが、そうとも限らない。デューイによれば、この生の様式においては、決定のそれぞれは探究の過程を共有することで導出されるべきだと考えられている。デューイは、この過程を共有することによって、共同体の生活を統治する規則を互いに徹底的かつ持続的に査定し合うべきだと考えたのだ。

この規則の査定は、経験的な検証に委ねられる。とはいえ、それは決して多数派による恣意的な決定に左右される訳ではない。デューイは、多数派に限らず、協同体の構成員同士の共通の利害が、構成員同士で意識的にコミュニケートされなければならないという。しかし、協同体内部で利害関心を一致させておけば済むという訳ではない。次に重要となるのは、協同体が他の協同体に対して開放的であることである。それぞれの協同体は、階級、宗教、人種、民族、地域などといった諸々の境界線を越えて、互いに自由にコミュニケートしなければならない。

デューイの民主主義観は、したがって多元主義と親和的である。この関連から彼は、学校が民主主義的に組織化されるべきであると主張していた。もとよりデューイは競争に打ち勝つためだけの有用な能力を育むことを否定していた訳ではない。確かに彼の立場からすれば、協同的ではなく利己的な利害関心から生まれる欲望に突き進む市民を認める訳にはいかない。だから彼は学校制度の功利主義化を否定していた。しかし、彼が指導した新教育運動が大衆民主主義の社会的な状況に適応し得る子供を育てようとする目論見で実践されていたことからも明らかなように、彼は競争を促進させる学校制度に加えて協同的な生の最良な様式を導入することを主張していたのである。

協同体のアポリア

だがデューイは、こうした理想的な民主主義観を唱えるだけで、その背理や副作用として現われる問題の解決策には注意を払わなかった。例えば、経験的な査定を通じて民主主義的な協同体として認められたとしても、その後に階級やジェンダーや人種差別問題がその協同体の内部で派生する可能性否定できない。

デューイは学校以外の協同体に子供を帰属させようとは考えていなかった。何故なら、複数の協同体に属してしまうと、それぞれの協同体への帰属意識が相対的に低下してしまうからだ。彼は子供を学校と言う一つの協同体に集中的に帰属させようと腐心したのである。

しかし帰属意識が高まれば、それだけ協同体の外部に対する排他意識も高まってしまう。この理由は、社会システム理論的に観察することで、容易に理解できる。と言うのも、協同体というシステムが営まれるためには、システム環境差異を確保し続けなければならないからだ。帰属意識システム自己言及ならば、排他意識は外部言及だ。だがシステム環境との差異を確保し続けるためには、純粋な外部言及を控えなければならない。外部言及とは、<外部に言及している自己>への言及に限られる。この自己言及と外部言及の差異は、そのまま規範的閉鎖性と認知的開放性の差異にも適用できる。如何な協同体も、閉鎖性なくして開放性を発揮することはできない。如何なる開放的な営みも、まずその協同体が閉鎖的に営まれることを前提としなければ、可能にならない。したがって、排他意識のみならず他の協同体との接触もまた、協同体への閉鎖的な帰属意識を前提として成り立っている。

デューイの民主主義的な学校教育論に従えば、子供を閉鎖的な学校空間暴力的に幽閉してしまう可能性が派生してしまう。デューイのように、学校という単一の協同体に限定して子供を帰属させている場合には、このリスクが大きくなる。社会システム理論が明かしているのは、協同体の閉鎖性と開放性、帰属意識と排他意識が、それぞれ隣り合わせで成立しているという現実である。この現実を無視したデューイの民主主義的な教育論は理想郷を超えるものではない。

問題解決策:技術欠如対策としての因果プラン

デューイに率いられた新教育運動が陥っていたパラドックスは、一方では子供の自発的で自主的な経験を児童心理学的な裏付けから主張していたにも拘らず、他方では民主主義的な教育論の理想で子供たちを幽閉してしまうという背理を意味する。

このパラドックスは、新教育運動に限らずに抽象化するならば、教育における自由の問題として設定できる。と言うのも、あらゆる被教育者は、いずれも自己言及的でオートポイエーシス的なシステムであるためだ。被教育者は、自律的に作動する「観察するシステム」に他ならない。それは<善き意図>を抱いた教師によって「観察されるシステム」ではない。故に外部の環境に位置する教育者に、子供や被教育者を制御することは不可能だ。社会システム理論家ニクラス・ルーマンの用語で言えば、それは教育システムが「技術欠如(Technologiedefizit)」の状態にあることを意味する。

教育者は被教育者を教育者の意図通りに変容させる技術を持たない。この技術欠如問題教育における自由の問題と表裏一体の関係にある。被教育者の自由を重視すれば、教育者が被教育者を制御できなくなる。だから技術欠如問題が顕在化してしまう。だが技術欠如を解消するために被教育者を制御すべく強制するとなれば、度は被教育者の自由が阻害される。

しかしこうしたパラドックスが伴うにも拘らず、教育システムオートポイエティック・システムとしての作動を可能にしている。と言うのも教育者は、教育を施せば子供が如何に変化するのかについて、ある程度の因果論的な期待を持っているためである。ルーマンはこれを「因果プラン(Kausalplan)」と呼んでいる。

因果関係とは、無数に遍在している諸要素の中から、任意に選択された二つの要素をそれぞれ「原因」と「結果」として意味付けた関係である。この二つの要素の選択は別のあり方でもあり得る。だから因果関係もまた偶発的だ。特定の因果関係を構成するということは、無数の諸要素で満ち溢れた現実を単純化して認識しているということになる。

教育システムが採用する因果プランもまた、単純化の一種である。それは教育する<善き意図>を抱いた教育者の働き掛けを「原因」として選択する一方で、子供の変容を「結果」として選択する形式だ。無論「結果」的に子供が変容したかのように観えても、その「原因」が必ずしも教育者の働き掛けであるとは言い切れない。教師が授業方針を変えた結果として子供の成績が向上しても、教師の働き掛けではなく自学自習や予備校での勉強の結果として成績が上がっただけなのかもしれない。教育者たちは、こうした複雑な現実から目を逸らし、因果プランに夢中になることによって、同時技術欠如問題からも盲目的になることを可能にする。

教育者は教育現場での経験を蓄積していくことで、因果プラン象徴的に一般化していく。たとえ偶然であれ、期待成就が伴えば、教育者の子供に対する外部言及が変化することはない。外部言及の限定条件が変わるのは、期待外れが伴った場合である。それ故に因果プランとして形式化されているのは、過去の成功した経験出来事なのである。だからそれは自己流の教育マニュアルである場合すらあるだろう。

完成可能性を目指した因果プランとしての発達段階論

シャーロット・ビューラーやロバート・ハヴィガーストの心理学的な発達概念は、因果プランを連続的に関連付けることで成り立った意味論であると言える。実際、発達段階論はその節目の区切り方には差異があるが、人生をフェーズごとに区別している点で共通している。各フェーズには大方達成すべき課題や派生する問題が定義されている。発達段階論物語るのは、その課題や問題を解決していくことによって、人間が成長していくということだ。

この心理学理論は当初、完成可能性意味論因果的な根拠付けを提示する機能を引き受けていた。人間は、自然に発達していくことで内在する善性を開花させられると考えられていた訳だ。完成が結果ならば、教育はその原因として想定できる。

教育可能性に資するカリキュラム設計としての発達段階論

続く教育可能性意味論との兼ね合いでは、この発達段階論は時系列的にカリキュラムを策定する上での参考資料となった。例えばジャン・ピアジェの認知発達に関する段階論は、四つの段階の区別を導入することによって、数理的な思考を伴わせる教育のタイミングを見計らうことを可能にしている。

ピアジェに倣うなら、生後1年半までの時期に対応する「感覚運動段階(Sensori-Motor Stage)」や幼稚園程度の年齢の段階に相当する「前操作段階(Pre-Operational Stage)」では、まだ高度な認知過程を必要とする教育意味を成さない。この段階の子供たちにできることは、精々のところ、覚えたばかりの「言葉」を用いた「象徴的演技(symbolic play)」、すなわち「ごっこ遊び」程度であろう。だが小学校の年齢に対応する「具体的操作段階(Stage of Concrete Operations)」に達すると、子供の認知能力が飛躍的に向上し始めることになる。論理的な思考能力や異動の区別による物事の比較など、徐々に思考回路が整備されてくるのである。そして、青年期以降の「形式操作段階(Stage of Formal Operations)」を迎えた子供たちは、やがて仮説の検証や抽象的な概念の分析などのような複雑高度な認知能力も獲得していくという。

学習可能性の線的な「経験」概念としての発達段階論

最後に、学習可能性との関連においては、児童心理学の「経験」概念がやはり段階論的な発想から新教育運動を後押ししていた。だが実際には、この児童心理学的な経験概念は、むしろ新教育を袋小路に立たせる結果を招いた。

確かにデューイは他の運動家たちに比して児童心理学を鵜呑みにせずに新教育論を展開していた。他の新教育運動の多くは、児童の経験を重視するあまりに、逆にヘルバルトらが体系化していたような教授の学が盲点となってしまっていたのだ。一方デューイは、従来の一斉教授法のような教育制度においても、確かに子供の「経験」は伴っていたという冷静な分析を実践している。子供の「経験」は、新教育運動の専売特許ではない。

故に着目すべきとなるのは、「経験」の有無というよりは、その内容だ。そこでデューイは、子供の「経験」を「教育的な経験(educational experience)」とそうではない経験とに区別しようとした。この「経験」概念の背景にあるのは、核心において進歩史観に他ならない。デューイの定義によれば、あらゆる経験は後続の経験に影響を与える。その影響の与え方次第では、一方では子供の成長を促す場合もあれば、他方では逆に子供の成長を阻害する場合もある。「教育的な経験」とすべきなのは、この子供の成長を促す経験であるという。

しかしデューイのこの「経験」概念は、発達段階論同様に、経験因果プランとして線的に連続しているという素朴な前提に基づいている。この認識は、例えばマルチン・ハイデガーの存在論から多大な思想的影響を受けたオットー・フリードリヒ・ボルノウなどの実存主義的な教育学者たちが指摘するように、人間の人生の現実を直視することを困難にしてしまっている。ボルノウによれば、人間は改心し得る存在であるという。危機、出逢い、別れ、挫折などのような岐路に立たされた時、人間は別人になり得る。それは人間の生の根源的な不連続性を直視した人生観として記述されている。

問題解決策:アクラジー的相互行為

教育者が因果プランを採用してまで教育的なコミュニケーションと呼べるものを成立させようとしているのは、理由の無いことではない。ルーマンによれば、教育者を因果プランへと方向付けているのは、「アクラジー(akrasie)」である。アクラジー的な相互行為は、不確実な教育現場で手探りのまま教育を成功させる条件を探索し続ける行為に他ならない。教師は教室で何とかして受け持った学級のそれぞれの子供たちに知識を教えようとする。「教育の実践に役立つ理論」などありそうもない。教育現場の教師は常に手探りの状態で進むしかないのだ。

アクラジー相互行為が言い表しているのは、一口に言ってしまえば、教育的なコミュニケーションの高度な「複合性(Komplexität)」に他ならない。この複合性は、現場で数々の偶発性や不確実性に起因する諸問題を派生させる。この問題を解決しないことには、教育システムを作動させ続けることができなくなる。

アクラジー相互行為は、教育コミュニケーション構造的な複合性を現場の実践へと機能的に単純化させるノウハウであると言える。そのための一案として採用され続けてきたのが、因果プランなのだ。因果プランを前提とする限り、因果関係では説明の付かないあらゆる諸現象は、<関連付けられない諸要素>として、視界から排除できる。

元来、教育システムもまた近代社会の内部で構成されている。教育的なコミュニケーションにもまた社会的な背景が潜在化している。しかし、アクラジー相互行為はとりわけ教師と子供相互行為として単純化される。それは人格人格コミュニケーションだ。確かに子供も教師同様に「観察するシステム」となる。だがそれを認めてしまっては、あまりにも複合的な問題を目の当たりにすることになる。そこで、「教師は子供を『観察されるシステム』として単純化して観察するシステムである」という単純化によって、教育的なコミュニケーションアクラジー相互行為としてモデル化されることになる。

心理学は、専ら教師のような人格子供のような人格を一方的に観察する営みを正当化する上で有用となる。心理学的社会として脚光を浴びたのは精神分析学や精神療法であった。だが教育思想史を遡るならば、既に児童心理学や発達心理学が同様の機能を発揮していたのである。心理学的社会は、バーガーを待つまでもなく、近代化の時点で始まっていたと言えよう。

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