「記憶」想起の人間学的唯物論的なメディア美学

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派生問題:複製技術時代の仮象無き遊戯空間

映画理論家ミリアム・ハンセンは、ヴァルター・ベンヤミンの有名なアフォリズム集である『一方通行路』を起点として、彼のメディア美学の注釈を展開している。批評、注釈、引用翻訳を主眼とする前期ベンヤミンの言語メディア理論は、『一方通行路』を経て、後期ベンヤミンの知覚メディア理論へと接続されていく。ハンセンによれば、この『一方通行路』で言及されている「神経刺激(innervation)」という概念が、ベンヤミンの前期と後期を結び付ける鍵となるという。この概念は、特に前期から論じられてきた「模倣(Mimesis)」や「類似性(Ähnlichkeit)」との関連から、言語メディア論と知覚メディア論の橋渡しを可能にしている。

1933年にベンヤミンが提出した『複製技術時代の芸術作品』に登場する「アウラ(Aura)」や「知覚メディア(Medium der Wahrnehmung)」や「遊戯空間(Spielraum)」などといった後期ベンヤミンを象徴する概念の背景にあるのは、言葉や「星座(Konfiguration)」などといった概念を巡る彼の初期の頃の思想に他ならない。この論文の決定的な特徴となるのは、歴史の転換期や危機的状況を知覚メディアに関連付けている点にある。

ベンヤミンは、この歴史の転換期や危機的状況における複製技術機能を積極的に見出そうとしていた。ベンヤミンによれば、複製技術知覚メディアには複製対象を脱アウラ化する機能が備わっているという。

「そもそもアウラとは何か。それは空間と時間から織り成された見慣れない蜘蛛の巣状の織物である。つまりそれは、どれほど近接していても、遠距離が独自の兆候となるものなのである」。
Benjamin, Walter. (1935/1936) “Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit (Zweite Fassung),” In Gesammelte Schriften Bd.7, Frankfurt am Main : Suhrkamp, S.350-384. 特にS.355を参照。

ここで彼が使用している「織物(Gespinst)」というドイツ語には、他にも「クモの巣」、「クモの巣状(web)のもの」といった意味が込められている。アウラを実感する対象は遠方(Ferne)にある。だが、決してその対象との関連性が断ち切られている訳ではない。アウラとは、確かにウェブ(web)の如く結び付いているのだが、接近しても辿り着けない場所に存在している対象を視た場合の感覚なのである。これを前提に言えば、脱アウラ化とは対象の近接化に他ならない。複製技術は、複製対象をより身近な事物に仕立て上げる知覚メディアだということになる。

もう少しベンヤミンのアウラ概念に対する観察観察してみよう。

「第一に、真のアウラはあらゆる事物に現われる。皆が想像しているように、それは特定の事物にだけ現われるのではない。第二に、アウラは、アウラであることを示す、事物が採り得るあらゆる運動に連れて完全に変更される。第三に、決して真のアウラは、通俗的な神秘主義の書物が図解して描写しているように、形式的な心霊術的魔術ではない。」
Benjamin, Walter (1985) “Protokolle zu Drogenversuchen,” In: Gesammelte Schriften Bd.6, Frankfurt am Main., 1991, S.558–618. 引用はS.588より。

このようにベンヤミンは、アウラが、芸術作品に限らず、原理上如何なる事物にも宿ると述べている。そしてアウラは、事物における装飾的(ornamentale)な部分に備わるという。言わば、事物やその本質が裏地に縫い込められているように接着された装飾の模様として備わるのが、アウラなのである。故にアウラの認識は、事物に対する表面的な観察によって知覚される。そして、とりわけ注意すべきなのは、脱アウラ化の射程範囲だ。あらゆる事物にアウラが宿るということは、あらゆる事物が脱アウラ化の対象になり得るということでもある。それは、遠方にある全ての事物を近接化させることが可能であるということだ。

ベンヤミンがアウラに拘ったのは、理由の無いことではない。彼は旧来の伝統的な芸術作品に対して複製技術時代の写真や映画のような芸術作品が有している関連性を説くために、この概念を導入したのである。従来の伝統的な芸術作品は、作品の一回限りの発現によって特徴付けられていた。そうした作品は、「独創的(Original)」であると共に、「真正性(Echtheit)」を誇る芸術であったのである。これに対して、複製技術時代の芸術作品は、一回的な発現ではなく、大量生産による発現によって特徴付けられている。この特徴は、決して本物がまず先にあり、そのコピーによって贋作が複製されるということを意味している訳ではない。むしろ複製技術時代の芸術作品特徴となるのは大量生産的な発現というその展示形式にこそある。大量に焼き増しすることができる写真にせよ、何度も反復して上映された映画にせよ、展示された個々の作品は皆固有に発現している本物である。本物が反復的で冗長的に展示されているという点で、それは決して贋作とは言い切れない。

複製技術時代の芸術作品アウラの喪失を招くのは、本来遠く儚くかけがえのない本物である芸術作品が、反復的かつ冗長的に展示されるためである。複製技術がこうした作品を展示することによって、その作品に宿る一回限りの伝統的な歴史性が排除される。大衆は、反復的かつ冗長的に発現している作品に時間や場所を問わず接近することが可能になる。脱アウラ化による複製対象の近接化は、したがってその対象に備わる伝統的な歴史危機的状況に陥れる過程を意味するのである。

問題解決策:美的仮象と遊戯の区別

この脱アウラ化は、仮象を主眼とするシラーやニーチェの美学を一掃する。鍵となるのは「模倣(Mimesis)」の概念だ。ベンヤミンの視点から言えば、元来模倣とは芸術における根源的な振る舞いである。ベンヤミンによれば、複製技術時代以降の知覚メディアを前提とした場合、この模倣概念には劇的な修正が必要となるのであった。

このことを説明するために、ベンヤミンは模倣概念を二つの側面へと区別していた。すなわち、「美的仮象(schonen Scheins)」と「遊戯(Spiel)」の区別だ。「美的仮象」は模倣の手掛かりである。何故なら模倣者は、模倣対象を深く観察するのではなく、ただ表面的な見掛けの上で模倣するからである。その上で模倣者は、模倣対象を演じることになる。ベンヤミンはこうした演技を「遊戯」として見立てている。単純に考えれば、遊戯は強制された労働の対極にある。労働はマニュアル化できるだろう。だが遊戯にマニュアルは無い。演技についても同様である。演技にも決まり切ったやり方など無い。模倣者は、様々なやり方で演技することができる。そこには実験的な側面が帯びている。演技においては、一度の失敗は数の内に入らない。失敗しても、別のやり方で試行錯誤すれば良いだけだ。失敗した演技は、無駄に終わる。それは有用ではない。だがその無駄は試行錯誤の礎となる。この意味で言えば、遊戯は「冗長性」を生み出す上で、一役買っているのである。それは、まるで拳銃の引き金に付加されている「あそび」が誤射や暴発を防いでくれるように、失敗の痛手を緩衝してくれるのだ。

脱アウラ化と遊戯空間の構成

ところが複製技術時代が訪れると、この模倣概念に劇的な変化が加わった。映画をはじめとした複製技術は、美的仮象の衰退を招くと同時に、巨大な「遊戯空間(Spiel-Raum)」を生み出したのだ。ここでいう美的仮象の衰退は、脱アウラ化と連鎖している。ベンヤミンによれば、美的仮象の意義は、アウラが喪失する以前の時代で基礎付けられていた。

美的仮象は、言葉通りの意味で表面的な幻想だ。それは距離を取り眺められることを前提とした見掛け上の幻想である。ならば、脱アウラ化された事物に美的仮象が伴わないのは道理である。徹底的に近接化された事物から距離を取った上でそれを眺めることなど不可能だからだ。したがって脱アウラ化は、模倣概念の一端であった遊戯だけを前面に押し出す結果を招く。巨大な遊戯空間は冗長性を生み出す。この空間では、拳銃の「あそび」が誤用を回避するように、一度の失敗は数の内に入らなくなる。だから複製技術のユーザーは、大量に複製された事物に何度でも享受することができるようになる。

問題解決策:模倣の実践形式

まだ美的仮象が残存していた時代では、模倣仮象と現実の表面的な「類似性(Ähnlichkeit)」によって成り立っていた。だがベンヤミンが論じる模倣の真意はそれだけではない。模倣は、実践の形式でもある。この模倣というのは、主体と客体、経験メディアのような二項図式では説明できない実践である。と言うのも模倣とは、身体メディアとした知覚形式でもあるからだ。この点からハンセンは、模倣神経刺激の接続可能性を追究している。神経刺激は、身体外部環境の事物との類似性を介して、双方向的な関連を結ぶ模倣の一形式であるという。

模倣の実践は神経刺激から始まる。神経刺激を享受した模倣者は、元来身体の外部にあるはずの知覚対象と自身の感覚器官を接続させる。この接続により、自己自身と外部環境差異は曖昧化する。それは身体の脱中心化とも言えよう。自身の感覚器官が、身体を超えて、知覚を刺激する外部の対象へと一体化するのである。そうすることで、言わば身体拡張する。そしてそれのみならず、外部の知覚対象を無意識のうちに自身の方へと引き付ける。そうすることで、模倣者はその事物と同化するのだ。この関連は、決して外部環境の事物による感覚への一方通行的な入力を意味するのではない。それは何処か、双方向的な刺激による創発的な秩序を連想させる。

こうしてハンセンは、模倣神経刺激の切っても切れない関係を「技術の模倣的神経刺激(mimetic innervation of technology)」という概念で再記述している。模倣的神経刺激による脱中心化された身体拡張は、情動的で感覚的な知覚として成立する。一方で知覚の対象となる事物との同化は、例えば映画俳優をモデルとした自己演出として結実する。この演技の成功の度合いは、ハンセンによれば、俳優がカメラやマイクという外部の複製技術に同化する度合いに比例するという。

ベンヤミンが述べているように、映画撮影とは、一種の介入(Eingriff)であって、手術である。それは視覚的な無意識として潜在化している事物の細部を暴露する。映画をはじめとした知覚メディアが可能にしているのは、言わば事物の精神分析のようなものだ。この分析によって解明された事物の細部が、模倣的神経刺激を経由して、事物の触覚的な享受を敢行する観察者と同化していく。知覚メディアのユーザーは、この事物の細部との結合によって、身体拡張させる。

類似性の意味論

模倣の実践形式は、歴史的に変容してきた。複製技術時代の前史と後史において、この実践形式には共通性可変性も指摘できる。模倣事柄を演技する遊戯の実践であるという点では差異は無い。そしてこの演技が、事物間の「類似性(Ähnlichkeit)」を読み取る能力によって起因している点でも共通しているであろう。この類似性の読解能力は、古代では天体と人間を同化させる占術で応用されていた。尤も、占術の着眼点には、単に視認できるほど類似している事物の関係だけではなく、「知覚できない事物間の類似性(unsinnliche Ähnlichkeit)」も含まれていた。古代の占術では、およそ自然のあらゆる事物に対して、その類似性を発見できていたのだ。

だがこの能力は、現代では既に衰退しているように思える。しかしベンヤミンによれば、類似性の発見能力は、衰退したというよりは姿を変えているのだという。好例となるのが、文字である。文字は単なる記号ではない。言語は確かに、シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifie)の関連付けを可能にする。だがベンヤミンが注視するのは、むしろ記述された文字に宿る「文字像(Schriftbild)」である。彼はこの言語の活字書体から「知覚できない事物間の類似性」の本質を見出している。文字は、その文字像と指示対象との間に、隠蔽され、暗号化された類似性を成立させている。言わば文字は、「知覚できない事物間の類似性」のデータベースとして機能している。

それ故にこそ「記述する」という振る舞いは、古代における模倣の実践形式機能的に等価となる。文字像から「知覚できない事物間の類似性」を読み取り、記述することで指示対象を模倣するという実践形式は、複製技術時代以降では、活字や印字による類似性の記述の形式へと変異した。次いでタイプライターが登場してからは、指による入力行為が模倣の実践形式と化す。この模倣実践は、模倣的神経刺激に他ならない。文字に文字像が宿るように、タイピングされた文字には「フォント(font)」が宿る。それはディスプレイを介して我々に神経刺激を呈示する。だからタイプライターは、指による神経刺激を可能にする知覚メディアなのだ。

技術史の流れを汲み取れば明らかなように、複製技術時代以降における模倣の実践形式は、知覚メディアの導入によって多様化したのである。それは決して衰退したのではない。古代における模倣的神経刺激は、自然における事物間の類似性を読解するところから始まった。その場合の模倣は、あくまで身体のみで実践されていた。これに対して、複製技術時代以降の模倣的神経刺激は、技術と身体の双方向的な共生によって成立する。

尤も、言語による類似性の発見は、文字像だけで結実する訳ではない。ベンヤミンが注意を促すように、語や文の記号論的な意味(Bedeutung)の連関が文字像と共に認知されて初めて、類似性が創造されるのだ。その発見は電光石火のような突然の閃きとなる。だがそうして連想された形象は、次の瞬間には儚く無常にも忘却するかもしれない。言語における記号的な側面と模倣的な側面を融合させる上での問題となるのは、記述と読解の「テンポ(zeitmaß)」であるとベンヤミンはいう。

問題解決策:触覚的な享受と視覚的な享受の区別

ベンヤミンは、アウラの喪失と仮象なき遊戯空間構成によって、知覚メディアのユーザーに伴う感覚の変容を指摘している。遊戯空間に位置するユーザーは、大量に複製された事物を反復的に何度でも享受できる。ユーザーはこの反復可能性によって、大量に複製された事物に習熟し易くなる。この習熟された事物を利用し続けていけば、やがてはその利用が「習慣(Gewohnhei)」となる。この習慣形成をベンヤミンは「触覚的な享受(taktische Rezeption)」と名付けた。触覚的な享受は、意識的に注意を働かせる方法ではなく、習慣形成という方法で成し遂げられる。そしてこの習慣形成は、注意力が散漫な人間であっても可能である。熟考せずとも、身体が慣れ親しんでいくからである。

絵画や彫刻などのように、複製技術時代以前の芸術作品の鑑賞者たちは、熟考して注意を集中させる形式でその作品を享受していた。ベンヤミンはこうした享受を「視覚的(optisch)」な享受と呼んでいる。それは触覚的な享受とは対極的な享受として位置付けられる。触覚的な享受が「利用することを通じて(durch Gebrauch)」可能となる一方で、視覚的な享受は「眺めることを通じて(durch Wahrnehmung)」可能となる。

予備考察:Gebrauchというドイツ語に関して

この二つのドイツ語はそれぞれ多義語である。特にGebrauchには「慣れ」の意味も含まれているのは見逃すことができない。ちなみに英訳版では「use」と「perception」という言葉が使われており、浅井健二郎と久保哲司が翻訳した『ベンヤミン・コレクションⅠ』では、「使用すること」と「眺めること」という言葉が採用されている。英訳版については以下を参照して欲しい。

  • Benjamin, Walter. (2008) “The Work of Art in the Age of Its Technological Reproducibility : SECOND VERSION,” In Benjamin, Walter., Doherty, Brigid., Levin, Thomas Y., Jephcott, Edmund., The work of art in the age of its technological reproducibility, and other writings on media, Jephcott, Edmund., Livingstone, Rodney., trans., Harvard University Press, p40.

日本語訳版に関しては、以下を参照されたい。

  • ヴァルター・ベンヤミン(1995)『ベンヤミン・コレクションⅠ 近代の意味』浅井健二郎、久保哲司(訳)、筑摩書房。

原著に関しては、以下を参照していただきたい。

  • Benjamin, Walter (1935/1936) “Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit (Zweite Fassung),” In: Gesammelte Schriften Bd.7, Frankfurt am Main : Suhrkamp, S.350-384. 特にS.381を参照。

迫り来る事物たち

複製技術知覚メディアが複製対象を脱アウラ化するということは、複製対象となる事物に対する知覚形式が、視覚的な享受から触覚的な享受へと移行するということである。如何に視覚的な刺激であろうと、その知覚刺激が冗長的に呈示されるならば、習熟形式化する。それ故次第にその視覚性は触覚性へと変異していく。事物は、複製されるに連れて、徐々に意識的な注意対象ではなくなっていくのだ。

しかしながらこの事態は、決して複製された事物が平穏な日常の一部として緩やかに享受されていく過程を物語っているのではない。むしろ逆である。このことは絵画と映画比較して観ればよくわかる。絵画で描かれた対象は、静止している。それ故鑑賞者は、その対象について視覚的に熟考することができる。一方映画は、常に動態的で様々な画像が展示されている。次々と映し出されるシーンの一つ一つを熟考している暇など無い。映画のような複製技術は、我々の全身に事物に関する度重なる過剰な刺激を呈示してくるのである。

「我々が事物の中に移動するのではない。事物が我々の生活の中に踏み込んで来るのである」。
Benjamin, Walter. (1928-1929/1934-1940) “Das Passagen-Werk”. In: Gesammelte Schriften Bd.V Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S.273.

問題解決策:ショックの体験

ベンヤミンは、複製された事物による過剰な刺激が、感覚器官の正常な知覚能力を超越する強烈な「ショック効果(Schockwirkung)」となると述べている。脱アウラ化された複製対象が徹底的に近接化されたために、そのショック作用が至近距離から感覚器官へと四面楚歌の如く流れ込む状態となった訳だ。ベンヤミンがこの類のショック作用を「視覚的な無意識(Optisch-Unbewusten)」であると判断したのは、視覚的な享受では不十分であるということを端的に言い表している。もはや如何に心理システムが注意を集中させて熟考しても、その刺激を視覚的に享受することは不可能なのだ。こうしたショックの処理は、触覚的な享受による習慣形成を経て、少しずつ実施していかなければならない。

ベンヤミンが論じるショックの概念規定は、災害神経症の患者を対象としたフロイトの精神分析学に基づいている。重要なのは、ショック意識の関連だ。意識は、有機体が刺激から我が身を守る「刺激保護(Reiz schutz)」として機能する。外部の環境による過剰刺激は、破壊的なエネルギーとして、有機体の存続を脅かす。有機体がその内部のエネルギー転換を形式化させるためには、環境による破壊的なエネルギーを自身から遠ざけておく必要がある。それ故に有機体は、環境に接する表面に過剰刺激に対するフィルターを配備することになる。フロイトによれば、こうした「刺激保護」が生じることで、意識は初めて生じるのだという。

このフロイトの知見において特筆すべきことは、フィルターとして機能的に特定化された有機体の表面が、内部の有機体に比して、より無機的となるということだ。つまり有機体は、有機体自身の作動によって、<より有機的な有機体>と<より無機的な有機体>とを区別している。前者が有機体の内部に位置付けられ、後者がその表面となる。表面は環境に接してはいる。だがこの表面となる<より無機的な有機体>は、あくまで有機体だ。それは環境ではない。つまり有機体は、自らの存続のために、有機体と非有機体を自己自身で区別することで、環境との「差異」を確保しているのである。より環境に近接する<より無機的な有機体>の部分は、恰も蜥蜴の尻尾が蜥蜴自体を護るかの如く、過剰刺激から内部を保護する。

フロイトも認める通り、こうして「刺激保護」が機能している場合、環境による刺激から構成される興奮量は、小規模に留まる。精神分析学的に言えば、興奮量が小規模に留まるということは、不快感が伴う可能性が制約されるということだ。意識ショックをより容易に受容することができるようになれば、それだけそのショックが外傷性神経症の作用を与える危険はなくなる。外傷性神経症は、生命の危険に結び付いた生態的な破局に遭遇した場合に生じる病である。生態的な破局に満ちた環境は、膨大な外的エネルギーとなる。この膨大な外的エネルギーは、意識の「刺激保護」を突き破るほどの過剰刺激となる。これに対して有機体は、膨大な内的エネルギーを消費することで、この外的エネルギーから身を守ろうとする。この内的エネルギーが高ければ、外的エネルギーを制御する力も強まる。逆に内的エネルギーが低ければ、外敵エネルギーに対する拘束力も弱まる。したがって外傷性神経症を引き起こす過剰刺激となるのは、それが意識の「刺激保護」と有機体の内的エネルギーを上回るほどの外的エネルギーを持つ場合となる。

ここでフロイトが念頭に置いているのは、「驚異(Schreck)」と「不安(Angst)」と「恐怖(Furcht)」の区別だ。「驚異」は、準備の無い状態で不意打ちの如く直面した恐怖状態を意味する。一方「不安」は、たとえ未知なるものであっても、危険に対する予期や危険に対する準備を整えた状態を意味する。他方、「恐怖」は、既知の、特定の対象に向けられた恐れを意味する。外傷性神経症が発病するのは、破局が不意打ちとして突き付けられたことで、意識が驚いた場合である。逆に言えば、「不安」に陥っている者が外傷性神経症に直面することはあり得ない。「不安」は、外傷性神経症に対する防衛反応なのである。したがって、ある破局ショック体験となるのは、その破局が事前に「不安」の対象になっていない場合となる。

ベンヤミンがフロイトを引き合いに出したのは、記憶意識の相関関係に関するフロイトの仮説を証明するためではなかった。ベンヤミンがフロイトの仮説を参照したのは、フロイトが想定していた事態に限らずより広範な事態にも、この仮説が応用できるか否かを検討するためであった。

複製技術による視覚的に無意識的なショック効果は、意識刺激保護を突き破るほどの過剰刺激となる。人間意識はこうして複製された事物の過剰刺激を処理できる程に優秀ではない。このことは端的に、触覚的な享受の必要性を物語っている。

派生問題:文化産業の聴衆、アドルノとベンヤミンのメランコリックな不協和音

複製技術知覚メディアが複製対象を脱アウラ化するということは、複製対象となる事物に対する知覚形式が、視覚的な享受から触覚的な享受へと移行するということである。如何に視覚的な刺激であろうと、その知覚刺激が冗長的に呈示されるならば、習熟形式化する。それ故次第にその視覚性は触覚性へと変異していく。事物は、複製されるに連れて、徐々に意識的な注意対象ではなくなっていくのだ。

しかしながらこの事態は、決して複製された事物が平穏な日常の一部として緩やかに享受されていく過程を物語っているのではない。むしろ逆である。このことは絵画と映画比較して観ればよくわかる。絵画で描かれた対象は、静止している。それ故鑑賞者は、その対象について視覚的に熟考することができる。一方映画は、常に動態的で様々な画像が展示されている。次々と映し出されるシーンの一つ一つを熟考している暇など無い。映画のような複製技術は、我々の全身に事物に関する度重なる過剰な刺激を呈示してくるのである。

ベンヤミンが複製技術知覚メディアを積極的に取り上げたのは、政治神学的な動機による。既に彼は、ファシズムにおける政治的なコミュニケーションから、「政治の美学化(die Ästhetisierung der Politik)」という事態を読み取っていた。ファシズムの政治は、まさに視覚的に享受される美的な対象であったからだ。大衆は、ただ政治家たちによって展示された政治の動向を注視するばかりで、自ら動こうとはしない。大衆は視覚的な意識によって、ただ観察に専念する。だから大衆に向けて芸術作品を展示する側となるファシストたちも、視覚的に魅力的な演出に終始するばかりであった。当時の最新メディアであったラジオやテレビ、映画などのような複製技術は、自らの政治思想を宣伝するために機能した。

だが、こうした「政治の美学化」を巡る一切の努力は、全て戦争という一点に収束していく。ベンヤミンがこのように言い切ったのは、理由の無いことではない。と言うのも、ファシストたちが愛用した複製技術時代の芸術作品は、脱アウラ化をもたらすためである。複製技術知覚メディアが放つ視覚的に無意識的なショック効果は、視覚的な享受を実践するための十分な距離を容赦無く剥奪していく。大衆は、もはや政治を眺めているだけではなく、政治を触覚的に享受することもできるようになる。そうなれば「政治の美学化」は不可能になる。そこでファシストたちは、複製技術知覚メディアによって変えられてしまった知覚の美的な満足を兵器で実践される戦争に求めるようになったのである。

ベンヤミンは、こうしたファシズムによる「政治の美学化」に対して、「芸術の政治化(der Politisierung der Kunst)」の必要性を主張した。「政治の美学化」が政治家による美的なものの追求を意味するのならば、「芸術の政治化」は芸術による政治への着手を意味する。

この芸術の政治化を背景にしたベンヤミンの論調は、元来貴族の営みであったはずの芸術が写真や映画のような複製技術によって大衆化したことを積極的に肯定する論調であった。彼の複製技術論をこのように解した盟友テオドール・アドルノは、技術の合理性問題視する。と言うのも、ある技術が合理的で、剰え進歩的と見做されるか否かは、その技術が全体社会や個々の芸術作品の中で閉じられた位置付けによって定まるからである。

ここでいう閉じられた位置付けとは、社会的な評判、より現代風に言えば「ステータス」を言い表している。実際アドルノは、このことを交換価値と使用価値の区別に応じて、音楽大衆化が、音楽内容それ自体と向き合う姿勢から音楽の「所有」を重視する姿勢への倒錯した転換によって進行すると考えた。音楽を聴く大衆にとって大事なのは、音楽内容ではなく、その音楽を知っていること、その音楽家のコンサートに出向いたこと、あるいは有名なメロディを歌えること、言わば「流行」に乗ることができていることなのである。

したがってアドルノからすれば、複製技術によって可能となった大衆音楽大衆表現手段になることはあり得ない。それはむしろその「退化(regeression)」を招いている。この関連からアドルノがベンヤミンの論文に修正を求めるほどに批判的となったのは、それまで文化に無縁であった者たちが文化に参入可能になるという可能性への楽観的な展望に関してである。大衆文化に対する姿勢は、物神崇拝の成れの果てだ。音楽文化商品的性格を帯びると共に大衆化した。歌手の官能的な魅惑をはじめとした感覚刺激は、音楽内容意味、質を忘却させると共に、音楽の表面的な物象化を招く。

映画をはじめとした複製技術は、美的仮象の衰退を招くと同時に、巨大な「遊戯空間(Spiel-Raum)」を生み出した。ここでいう美的仮象の衰退は、脱アウラ化と連鎖している。ベンヤミンによれば、美的仮象の意義は、アウラが喪失する以前の時代で基礎付けられていた。

しかしこれに対してアドルノは、むしろ複製技術が逆に派生させる仮象に注意を向ける。よりアドルノ流の弁証法的観点に近付けて言えば、大衆音楽は「規格化(standardization)」された音楽に他ならない。規格化された音楽においては、その全体と細部の弁証法的な展開運動が損なわれている。元来、芸術的な音楽という作品の特徴は、全体から細部の音楽的な意味が付与されると共に、逆に細部は全体を構成する諸要素として運動する。しかし規格化された音楽は、予め形式が設定され、その中に部分が埋め込まれていくだけである。それ故に部分は全体との有機的な関連を持ち得ない。部分は、単なる機械の部品のようなものとなる。

それ故に大衆音楽には、複合的な表現能力が無い。それは設計上単純な表面のみを聴く者に提示する。規格化された音楽は、その音楽聴取方法をも規格化する。単純な音楽を聴く者の頭の中には、単純な思考しか生まれないという訳だ。この関連から付言すれば、規格化は、更に音楽の個性も奪う。規格化された音楽は一定の形式パターン化された「お約束」となるのだ。それは、アドルノが兼ねてより重視していた自律的な思考からは程遠いものであった。

大衆音楽は、幅広い支持を得るために、様々なマーケティング的な手法によって宣伝される。尤も、宣伝のためにはある程度の新奇性が無ければならない。だが規格化された音楽は一定の形式を追従するのみで、冗長的でしかない。そこで大衆音楽は、疑似的な自己個性化を成し遂げる。アドルノの全く以ってマルクス主義的な言い回しを真似るなら、「お約束」のコード進行という名の下部構造に、少々奇を衒ったメロディという上部構造が添えられているのである。もとより、その宣伝が華やかで衆目を集めれば集めるほどに、その音楽内容は偽証の輪郭に埋め込まれた仮象ということになる。

大衆音楽に対するアドルノの批判的な観点は、複製技術がむしろ「政治の美学化」の側に加担する可能性を言い表している。二者の観察観察するなら、アドルノのこの指摘がベンヤミンの盲点を突いている可能性は決して否定できない。と言うのも、音楽聴取という聴覚的な享受を、視覚的な享受触覚的な享受区別による「排除された第三項」として位置付けることが可能であるためだ。事音楽に至っては、複製技術知覚メディア設計されていようとも、視覚的な享受から触覚的な享受への移行が成立すると無条件に肯定する訳にはいかない。

大衆音楽がむしろ「政治の美学化」こそを助長するという観点は、とりわけ第一次世界大戦直後のライブ・コンサート・イベントの変容を例示することで、より現実味を帯びてくる。18世紀末の近代市民社会の成立と共に社会的に受容されてきた交響曲の文化は、大戦による市民社会の没落と共に終焉を迎えた。ウィーンの聴衆たちは、戦争がもたらした物質的な危険、戦死した親族への悲哀意識、そして永続する対象喪失としての憂鬱気質を発現させたために、趣味としてコンサートに出向くことができなくなった。その代わりとしてコンサート会場には、戦争による利益を享受した群衆が、かつての聴衆たちを押し退ける形で一斉に押し寄せて来た。この頃の聴衆は、中産階級や労働者などの聴衆が幾重にも入り乱れた群衆として構成されていた。言わば大戦は聴衆を再構築したのである。

音楽に関するパウル・ベッカーの歴史哲学も、こうした聴衆の歴史的変容と密接に関わっている。フランス革命以来、それまで教会と貴族が規定してきた音楽の様式に、社会的な機能が加わるようになる。とりわけ交響曲の様式における音楽機能は、群衆啓蒙である。音楽群衆に呼び掛けて、人生の新しい価値観を抽出する。そうすることで、前例の無い社会的な規模で、音楽は人々を啓蒙することができるのだという。交響曲は、一見して無秩序に思える群衆に一体感を吹き込む。そしてこの音楽的な機能の最も力強い表現が、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『第九交響曲』であった。それは群衆に階級を超えた共通の関心対象となる意志と目標を与えることで、その無秩序性を公共性へと変換する。その公共性においては、もはや階級の差異問題とはならない。群衆は一つの共同体として統一されるのである。

ベッカーの歴史哲学によれば、19世紀の音楽史は、ベートーヴェン的な理念の無常化の歴史である。もはや全人類に呼び掛けるような音楽は登場しない。19世紀の多くの音楽は、教養市民の聴衆しか相手にしなかった。近代社会が再び全人類に呼び掛ける音楽を手にするのは、グスタフ・マーラーの『第八交響曲』が登場するまで待たなければならなかったのだ。マーラー音楽において、漸く社会は音楽による公共性の再構築を可能にした。ベッカーがマーラーの交響曲を知ったのは第一次世界大戦の最中であった。だが彼は直ぐにそのスコアを判読し、マーラーの交響曲がベートーヴェンの倫理的な理念と古き良きコーラルの宗教的な規範を統一することで、より長大な目標を設定できるようになると考えた。

社会が音楽を作るというベッカーの音楽社会学的分析は、音楽が社会を批判する力を有するということを言い表している。社会もまた音楽家と同様に音楽の著作者なのである。それ故に音楽理念的凋落は社会の没落を反映する。マーラーはこの見解を社会主義的に展開する。音楽は言わば階級無き社会の芸術である。ベッカーは社会を交響曲の理念で統一することを夢見たのだ。しかしベッカーの夢は、戦争の末期に途絶えることになる。彼は次第に『第九交響曲』が始まりではなく終焉であったと認識するようになった。両大戦間の音楽に与えられた社会的な機能は、確かに群衆の統一化に類する機能であった。だがそれはプロパガンダ的な機能である。戦場の兵士たちを激励するだけではない。音楽は国民をも駆動する。その結果、音楽は既得権益や既存の体制にとって無害な金儲けの手段に過ぎなくなっていった。宣伝と娯楽以外に、音楽が要求される理由は無かったのである。

問題解決策:人間学的唯物論

複製技術を巡るアドルノとベンヤミンの不協和音は、この大衆音楽による「政治の美学化」の可能性に対する応答として判読することができる。ただし二者の応答は極端な思考極限まで突き進めた思想であるという点で、後に音楽理念に対して諦念にも似た認識を形成していたベッカーとは対照的となっている。彼らはそう簡単に妥協などせず、常に全体性を志向している。彼らにとっては思考がラジカルであることの方が、論理的整合性よりも重要となる。意図的な飛躍、過剰な展開、極端な思考極限まで突き進める彼らにとって、討議合意形成など眼中に無い。しかしそれ故にこそ二者のラジカリズムは、近代の社会構造に対する痛烈な波状攻撃を可能にする意味論を提供しているのである。

極限まで異なる方向へと突き進んだアドルノとベンヤミンの見解に一致点があるとすれば、それは複製技術知覚メディアによって放たれた事物の洪水が、自律的な個人ではなく社会の集団に向けられているという点である。ベンヤミンは、複製された事物による過剰な刺激が、感覚器官の正常な知覚能力を超越する強烈なショック効果となると述べている。脱アウラ化された複製対象が徹底的に近接化されたために、そのショック作用が至近距離から感覚器官へと四面楚歌の如く流れ込む状態となった訳だ。複製技術の脱アウラ機能は、模倣の一旦である美的仮象を追放すると同時に、模倣のもう片方である遊戯空間を巨大化させる。遊戯空間における絶え間ないショック効果の反復は、決して無駄ではない。それは決定打ではないにせよ、社会進化の加速化させる「革命」を繰り返す試みとなる。ベンヤミンの複製技術論を前提とすれば、この「革命」の鍵となるのは、脱アウラ化と共に仮象を喪失させた遊戯空間である。

ベンヤミンは、この遊戯空間の形成と並行して、技術にも変化が伴ったことを指摘していた。複製技術以来の技術は、自然支配を目的としていた。だがその努力には犠牲が伴う。人間は機械の奴隷と化してしまう。一方、これに対して複製技術時代における複製技術は、自然人間の共生を可能にする。ベンヤミンは、前者を「第一の技術(erste Technik)」と呼び、後者を「第二の技術(zweite Technik)」と呼んだ。遊戯空間の形成と共に存立したのが「第二の技術」である。失敗を緩衝し得る遊戯空間によって、「第二の技術」のユーザーは自然における人間の犠牲を回避することが可能になるのである。

この複製技術論の背景には、歴史的唯物論が根付いている。ただしそれは単に生産力と生産関係のマルクス主義的な弁証法と結び付いているのではない。何故ならベンヤミンの歴史的唯物論は「人間学的唯物論(anthropologischen Materialismus)」へと結実していくからである。彼の人間学的唯物論は、普遍性を志向した没歴史的な個々の人間身体ではなく、歴史的に構成された集団の身体に照準を定めている。マルクスの着眼点が事物であるのならば、ベンヤミンの着眼点は集団の身体となる。そしてベンヤミンにおいては、集団の身体を「第二の技術」の遊戯空間の中で展開させることこそが、近代資本主義に対する闘争となるのである。

ベンヤミンの『一方通行路』は、既にこの人間学的唯物論の前提を構築していた。第一次世界大戦が勃発したのは、この展開が失敗に終わったためである。兵器をはじめとした巨大な技術は、尚も「第一の技術」として君臨していた。つまりこの類の技術は自然支配を目的としていたために、人間は機械の奴隷と化してしまったのである。「第二の技術」というベンヤミンの構想は、技術による自然支配からの脱却を可能にする。

ただし注意しなければならないのは、ここで改変されるのは支配の形式だということだ。つまり「第一の技術」が自然を支配していたのに対して、「第二の技術」は自然人間の関係を支配するのである。実際ベンヤミンはこのことを教育の比喩で説明している。仮に教育が支配の形式だとするならば、それは大人による子供の支配を意味するのではない。教育は、大人と子供の関係を支配する形式なのである。

テクノロジーによる美的な陶酔

これを前提とすれば、人間学的唯物論自然目的論に反する姿勢で記述されている。自然目的論的に観るのならば、自然は達成すべき目的を指向していることになるだろう。自然主義的に人間を捉えるのならば、連続的に発達していくという進歩史観こそが自然だということになる。しかしベンヤミンは決して自然人間が連続的に進歩していくとは考えなかったのだ。彼にとって自然とは、本来の自然を取り囲んで閉鎖された硬い殻に過ぎない。それ故に彼は、この殻を噛み砕くことができる非人間的な野蛮人の鉄の顎が必要になるという。

このことが意味するのは、彼の人間学的唯物論が反自然目的論的であると同時に反人間中心主義的でもあるということだ。事程左様に『一方通行路』は、「プラネタリウムへ(ZUM PLANETARIUM)」と題された驚くべき格言で幕を閉じている。第一次世界大戦は、一つの「陶酔(Rausche)」の最中で現実化した。それは、陶酔することで宇宙と美的にコミュニケートしてきた古代人の経験人間中心主義の所産となる近代科学によって抑圧されたために、その埋め合わせとして生じたのである。

「先の戦争は、宇宙の諸力との新しい前代未聞の結婚を試みるものであった。人間の集団、ガス、電力が平原に投下され、高周波の音が風景を貫き、新しい星々が天空を昇り、大気と深海ではプロペラが唸り、母なる大地の至る所に人間は犠牲者を埋める穴を掘った。宇宙へのこうした大規模な求愛は、初めて惑星規模で、つまり技術の精神で実施された。しかし、支配階級の私利私欲が技術における自分の意志を満たそうと考えたために、技術は人類を裏切り、初夜の寝床が血の海へと変わった」。
Benjamin, Walter. (1928) “Einbahnstraße”. In: Gesammelte Schriften Bd.4, Frankfurt am Main : Suhrkamp. 1980a, S.83-148. 引用文については、S.147を参照。

ベンヤミンにとってこの戦争は、人類が宇宙との陶酔に満ちたコミュニケーションに失敗したことで派生した。もし人類がこの時点で「第一の技術」から「第二の技術」への移行を承認していれば、世界大戦は起こり得なかった。この類の戦争を回避するためには、「第二の技術」の遊戯空間で集団の身体展開させる必要がある。つまり肝心なのは、遊戯空間における「第二の技術」を宇宙との陶酔に満ちたコミュニケーション形式化させるメディアとして位置付けることなのである。

「先の戦争における死滅の夜に人類の肢体を震撼させたのは、癲癇患者の至福にも似た感情であった。そして、その後に起きたいくつかの革命は、新しい身体を自由に操る最初の試みであったのだ」。
Benjamin, Walter. (1928) “Einbahnstraße”. In: Gesammelte Schriften Bd.4, Frankfurt am Main : Suhrkamp. 1980a, S.83-148. 引用文については、S.148を参照。

神経システムへの加速的な過剰刺激

ここでいう新しい身体とは、「第二の技術」の遊戯空間展開可能となった集団の身体に他ならない。これを前提とすれば、複製技術時代における芸術作品の社会的な機能となるのは、集団の身体を「第二の技術」の遊戯空間展開させるという革命の試みを反復することである。複製技術知覚メディアに求められているのは、宇宙との陶酔に満ちた美的なコミュニケーションを成功させるメディアとしての機能なのだ。そこで集団には、是非とも自らの身体遊戯空間適応させて貰わなければならない。

「この適応を加速させることが、革命の目的なのである。革命とは、集団の神経に刺激を通わせることなのだ。より正確に言えば、歴史上初めて成立した新しい集団の神経に刺激を通わせる試みなのである。この集団の器官となるのが、第二の技術だ。この第二の技術の体系においては、社会の基礎的な力に対処することが、自然の基礎的な力に対処することにおける前提条件となる」。
Benjamin, Walter. (1935/1936) “Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit (Zweite Fassung)” In: Gesammelte Schriften Bd.7, Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S.350-384. 引用については、S.360を参照。

尤もこの革命論には、具体的な実践の過程を記載した計画書や公約文書は無い。即興と不意打ちこそが肝要だ。だがこの人間学的唯物論を思想的背景とした知覚メディアのテクノロジーによる美的な陶酔の企画は、政治的な領域を「革命」の舞台とする。この革命論は、政治の領域から道徳を追放する代わりに、政治的な領域に100%の「形象空間(Bildraum)」を見出すことになる。この形象空間は、「全方位的で積分された現実の世界(des Welt allseitiger und integraler Aktualität)」に他ならない。この空間の内部では、政治的唯物論と身体的生物とが、内面性、心、個性、あるいは我々が非難したくなるような対象の全てを、弁証法的な公正性に従って何もかも破壊した上で共有し合うことになる。

だが、そうであるにも拘らず、否、まさにこの弁証法的な破壊の後でこそ、この空間形象空間であると共に、集団の器官を有した「身体空間(Körperraum)」となる。ベンヤミンによれば、集団もまた身体を有しているのだ。そしてこの集団の身体は、複製技術時代以降、遊戯空間を形成している「第二の技術」によって組織化されている。ただしこの技術的に組織された集団の身体が発現するのは、その政治的で事実的な現実性の全てにおいて、形象空間の中に限定される。脱アウラ化された事物との結合を前提とした身体空間形象空間とが深く相互浸透すれば、その結果として、ショック体験による革命的な緊張の全てに集団の身体が反応することになる。言い換えれば、知覚メディアと接続された身体形象空間とが相互浸透することで、革命のあらゆる緊張が「身体的で集団的な神経刺激(leibliche kollektive Innervation)」となる。革命においては、「集団の技術的器官の神経刺激(einer Innervation der Technischen Organ des Kollektiv)」が、集団の身体で放電されるのである。

問題解決策:啓蒙の弁証法

アドルノもまた、大衆音楽の集団への影響を重視していた。ただし彼の眼差しには、決して大衆への肯定的な期待が込められている訳ではない。大衆音楽が集団的な影響として波及し得るのは、単に同時代に特定の音楽を他者と共有することによる安堵に基づいている。

アドルノがマクス・ホルクハイマーと共に記述した『啓蒙の弁証法』の視点に立つなら、芸術は既に「文化産業(Kulturindustrie)」に組み込まれていることがわかる。社会に依存する寄生的な存在として生み出されるが故に、芸術それ自体は実に無用なのだ。芸術革命に着手するということは、社会に無用な代物を突き付けるということである。機能する有用なシステムが君臨している社会に芸術の無用性を突き付けるという営みは、芸術存在証明をパラドクシカルに実践することを意味する。無用なものは、近代社会においては無力である。芸術が有用となり得るのは、商品として市場に持ち運ばれる時に限られてしまう。しかしそうして有用性の論理に回収されたとしても、有用性に対して芸術が抱く否定的な嫌が打ち消される訳ではない。だからこそ卓越された芸術は、近代社会の諸矛盾に対する負の反撃を企てる契機を生み出すのである。

ところがアメリカの文化産業を分析していたアドルノらは、商品化された芸術の無批判性と無反省性に幻滅することになった。アドルノらによれば、労働者は操作と管理の客体でしかない。大衆はもはや文化の主体を担わなくなってしまっている。大衆が主体的に動かないのは、ただ観ているだけであり、ただ聴いているだけであるためだ。

アドルノは、大衆音楽が機械的労働の退屈しのぎのために聴かれていることを指差しながら、実際にはその物神崇拝聴取規格化によって、集中や努力を回避させているという矛盾を突き、大衆音楽聴取がむしろ機械的な労働過程に類似していると指摘する。このアドルノの痛烈な批判は、例えば「作業用BGM」を聴きながらコーディングを実践しているプログラマにとっても、無縁ではないであろう。リズムやメロディに合わせて情動的に熱狂することは、社会的現実への不満を表現することにはなり得ても、何ら現実への関連を一転するものではない。

文化産業特徴は、新奇性を約束しておいては必ず裏切る点にある。このことの音楽における具体例を、アドルノはジャズに見出している。アドルノは、初期の頃のジャズの荒々しさが、商業的な価値によって平準化したことで、徐々に滑らかになっていったと述べている。それは、歴史哲学的に言えば、ジャズが文化産業的な「無時間性(Zeitlosigkeit)」の様相を呈するようになったことを意味する。芸術音楽が全体と細部の弁証法的な運動によって時間的に変異していくとするなら、一方の大衆音楽は、運動できずに停止している。そこには歴史的な過程が無い。歴史の無い大衆音楽は、したがって一時の流行の如く、発生しては消え去る。それでいて大衆音楽規格化されているが故に、新奇性の伴わせた音楽は生み出されない。したがって、短い間に反復される大衆音楽の享受は、厳密には類似した音楽の機械的な反復に過ぎないということになる。かくして大衆音楽は、その機械的な再生産に終始することで、逆に制御できない計算不可能な事物を近代から締め出すことで、文化産業の延命に貢献することになる。

問題解決策:否定の弁証法

このことを踏まえると、何故アドルノが「非同一的なもの(das Nichtidentische)」に固執したのかも明瞭となる。『否定弁証法(Negative Dialektik)』における哲学者としてのアドルノは、主観の力で構成主義的な主観の欺瞞を暴露することを課題として追究していた。その上で彼はドイツ観念論に壮絶な攻撃を仕掛ける。例えばカントは、主観に備わる先天的な形式から対象を構成すると考えた構成主義的な認識論者であった。だがアドルノにとってカントの認識論は、数学的な自然科学に突き動かされているという。それ故、その主観性の思惟には、予め決定された自然法則が浸透している。だからカントの認識論に従う者たちは、生成消滅する非同一的自然変異性を経験することができなくなる。

ドイツ観念論に対するアドルノの痛烈な批判は、近代哲学の完成者フリードリッヒ・ヘーゲルにまで及んだ。ヘーゲルの弁証法は、形式化された哲学から事柄を取り戻すための哲学的な方法である。だがその肝心の事柄は、進歩史観に基づく精神の同一化の圧力に曝されてしまう。彼の弁証法によれば、精神は<否定>の否定による「止揚(Aufhebung)」を介して進歩していく。だがその過程において、非同一的なものが同一性の体系の内部に回収されてしまう。

そのためアドルノは、<否定>を否定することで肯定へと転回させるのではなく、あくまで最初の<否定>に留まることを重視した。これを彼は「限定的な否定(die bestimmte Negation)」と呼ぶ。彼の否定弁証法の要請項目となるのは、対象の同一化作用へと向けられた概念を非同一的なものへと向け直すことだ。それは主観よりも客観を重視するという点で、核心において唯物論的な弁証法となる。とはいえアドルノは、決して主観と客観という二項図式に囚われていた訳ではない。彼の言う客観とは、非同一的なものを積極的に表現した用語に過ぎないからだ。

否定弁証法を駆使したアドルノは、限定的な否定によって指し示そうとしている<対象>の細部を注視していく。それは概念の同一性には回収されることのない非同一的なものを、概念によって指し示す取り組みだ。しかし彼のこの取り組みは、最終的にはパラドックスを招いてしまう。対象化を<否定>したままであれば、我々はいつまで経っても、その対象を語ることができない。<否定>を否定することで、具体的に対象化しない限り、それは言葉通りの意味で「語り得ぬもの」のままになる。だがそれでもアドルノは、ヘーゲル哲学の同一化作用に抗うために認識のユートピアを目指し続けた。彼が晩年に美的なものを批評したのは、この関連においてである。と言うのも、美的なものの中には非同一的なものを抑圧する体系に対する抵抗の契機が潜んでいるからだ。

アドルノの『美学理論』は自己自身と等しい芸術作品の内在的な統一性が<特殊(das Besondere)>なものの美的ユートピアを実現すると主張する。美的なユートピアとは、<同一性(Identität)という強制>から救済された<自己の同一性(Sichselbstgleichheit)>として、非同一的なものが美的に援助された世界なのである。近代の自律化した芸術作品は、近代の合理性に易々と従いはしない。だからこそ芸術は合理的な社会からは排除されている。この観点からアドルノは、芸術を社会の外部に位置する社会の他者として評価する。芸術とは、社会にとっての非同一的なものであると、平静に述べて構わない。だがそれ故にこそ芸術には、社会的な現実に介入する余地が与えられないのである。尤もここでいう社会的な現実とは、合理性の追求こそを自明視する脱魔術化された近代社会の現実に他ならない。模倣や再現の対象をこの社会的な現実から獲得することが許されない芸術は、社会的な現実という外部言及対象を喪失してしまうために、自己言及的となる。芸術はもはや<芸術についての芸術>となる。故に芸術コミュニケーションは内輪のやり取りとなる。外部の脱魔術化された近代社会には、その作品を理解することができない。それはめいた暗号のようなものだ。

しかしながら、だからこそそうした芸術は、非同一的なものとして存在することになる。そうした芸術存在するということは、社会が宥和を成し遂げられていないということだ。それ故アドルノは、こうした芸術が同一化の圧力を与える社会に対する間接的な批判になると主張する。それは近代における合理性の自明性を不合理に破壊する。近代社会の内部から芸術を鑑賞する者たちは、それ故のショックを受けることになるだろう。だからこそアドルノは、芸術の美が、脱魔術化された近代社会をもう一度脱魔術化する魔術となると喝破し得たのである。

問題解決策:『脱魔術化された世界からの脱却』

脱魔術化脱魔術化はニーチェに典型的な戦略である。アドルノは更にニーチェによって生み出された近代社会の技巧芸術を自身の『美学理論』に採り入れようとする。この関連からアドルノの『美学理論』は、芸術の前衛の最先端で、形而上学の避難所としての芸術論を展開する。それは歴史哲学において可能となる最後の形態として、没落しつつある形而上学的な真理という理念救済しようとする逆説的な反形而上学となっている。アドルノは芸術の真理要求に固執しつつそれを否定するというパラドックス展開しているのである。

元来、技巧的な芸術家は社会の発展と歩調を合わせる。だがこの歩調を合わせるという身振りは、決して社会との近接化を意味するのではない。技巧的な芸術家はあくまでも社会に対して試験的に接するのみである。むしろ美的に距離を取ることこそが、技巧的な芸術家の同時代性を基礎付ける。そしてこの美的に距離を取る身振りが、アドルノの技巧的な芸術家に対する着眼点となる。

ニーチェに倣い、アドルノは技巧的芸術家という形態をあらゆる主体の代理人に仕立て上げている。そうした芸術家は、集団精神を客体化する。それは私的な自我を事物に委譲する力と見做される。そうした力こそが、私的な自我の中にある集団的な本質なのである。そしてこのことが、芸術作品の言語的な性格を構成する。芸術作品に携わる仕事は、芸術家が個人であるということを社会の中で貫くことで実現する。ただしその際、個人は社会を意識する必要が無い。あるいは意識しないことが少ないほど、それだけ一層芸術家は社会的な存在になっているのかもしれない。

しかし技巧的な芸術家の社会に対する関係は、ニーチェが主張したように、社会の特権的階級における生存競争から区別されなければならない。すると芸術作品の創造の営みという特権はと不可分となる。何故なら、大衆を奴隷として抑圧することが、芸術を可能にする条件となるためである。あらゆる芸術作品は大衆の強制された労働の上に成り立っている。こうした背景から、芸術家が全面的な社会化から逃れるためには、全面的な自我の委譲というパトスが、距離のパトスに媒介されなければならなくなる。そこでアドルノは、この距離のパトスを芸術の美的な自律性に組み合わせようとする。それにより彼は、独白的な芸術を要求するニーチェの発想を近代における前衛芸術の規範にまで高めようとする訳だ。そこにおいて独白的な芸術は、窓の無いモナドのようなもので、現代社会の孤独と世界の忘却同時表現する。

それ故に美的な集団精神の客体化は独白的な芸術における自己疎外と不可分になる。独白的な芸術はその性格上歴史的な瞬間においてのみ発現する。美的な形象は常に遅れて去来する。その歴史的な真実は、常に消滅しつつあるその瞬間においてこそ開示される。それは形象新奇性が直ぐに色褪せてしまうということであって、美的な真実が自己疎外的であるということを前提としている。ヘーゲルを準えて言い換えれば、真理とは瞬間なのである。絶対的な自発性の下で、新奇性が純粋な表現の中に集約されることによって、美的な真実は漸くその形態を表すことが可能になる。したがって、新奇性を真実の瞬間的な形態として永遠化する試みは、全ての芸術作品においてパラドックス化することになる。

美的ユートピアのパラドックス

しかしアドルノの美的な唯名論(Nominalismus)に基づく弁証法はそれでも尚美的に特殊なものの中で辛抱強く留まることを推奨している。近代の芸術美的唯名論の状況の中にあるのは不可避的である。あらゆる既存の形式言語的な文字や表現の習慣が使用不可能になったことから、完全なる美的な個性化の要求は実現されないままに崩壊している。

芸術に拘束力があるとすれば、それはジャンルの美学が実定的に名指しする普遍的な概念によって保証されるのではない。そうした拘束力は、個々の作品の規範的な美的唯名論が不定的な形で名指しすることによって可能になる。規範があるとすれば、それはもはや通用しなくなった規範でしかない。すなわち、期待外れになることが規範的な期待の対象となるような規範である。

現代の芸術作品は、こうした静的な規範の形式を粉砕することにより、市民階級がその独自の過程の活力を確認するためのメディアとして機能している。しかし常に同一なものを造り出す資本主義複製技術が動作しているのは表面上の事態に過ぎない。故に静的な規範の形式メディアとした唯名論的な芸術作品の美的な活力もまた仮象に過ぎなくなる。そこで美的唯名論が基礎付けた美的仮象に対する批判が、美的唯名論それ自体にも向けられることになる。こうして美的仮象批判は、美的唯名論自己言及的な反省とならざるを得なくなる。

仮象を対象とした批判は、仮象そのものにも自己という対象を意識させる。その自己意識が、美的なものの中で救済される新しい仮象を浮き彫りとする。それこそがまさに超越という名の仮象である。アドルノにおいて、芸術の形而上学的な重要性はこの超越性によって計られるのである。それと同時に、美的であるというのは、神学的な超越を明示的に主張しなくても済ませる隠れ蓑となる。芸術は、逆説的にも、現存する世界から離れれば離れるほどに超越的となる。

こうした状況下で美的に特殊なものが規範的となるのは、それが極端な論理として極限まで突き進められた場合に限られる。そこにおいては、同様の種類のものが芸術のジャンルの概念を説明するというよりは、規範的なものこそが芸術のジャンルの名前を規定すべきであると考えられる。それ故にアドルノは、極端に<特殊(das Besondere)>なものの<一般(das Allgemeine)>理論という弁証法叙述しようとする。

ベンヤミンの言語メディア論や『認識批判的序論』が指し示しているように、名前は一方では概念となる。そこでは言葉が記号に格下げされる。だが他方で名前理念である。そこでは言葉の持つ本質的な性格が現われる。理念であるような名前には、極端なものの総体性を可能とする極限の形式が包含されている。この名付けられることによる啓示の叙述可能性というユートピアが、アドルノの『美学理論』の神学的な規範となっている。

美的に<特殊>なものの<一般>理論

アドルノはこの美的なユートピア唯名論的に展開することで芸術史の歴史的な必然性に攻撃を仕掛ける。極限の形式が織り成す位置関係(Konfiguration)によって理念叙述が可能になる時、美的な必然性歴史的な必然性を粉砕するのである。美的なる極限の形式は、恰も歴史の生成消滅の「リズム」から生まれたかのように、星座のような位置関係(Konstellation)の中で、同時性という形式の中で理念叙述するのである。

アドルノは抽象化された状態で存在している形式としての<一般>性の芸術を真の個別化を介して得られる<一般>性の芸術から区別している。と言うのも、特殊化の最も奥深くにある内実によって、客観的に形態化されたものが抽出されなければならないためである。だがここで問題として派生するのは、極端に<特殊>なものの<一般>的な美学理論における弁証法の様相である。如何なる概念にも媒介されずに言葉になるであろう極端に<特殊>なものが叙述する唯名論の美的ユートピアは、言葉の限界としての言葉の<一般>性に直面する。芸術の実践は、<特殊>化へと強制された芸術という<一般>的な性格を有することになる。つまりアドルノの『美学理論』は、この<特殊>と<一般>の区別に伴うパラドックスに宿命的に相対せざるを得なくなる。そしてこのパラドックスは、芸術の真理要求の救済に伴う別の問題にも照応している。芸術の真理要求を救済するためには、芸術をイデオロギーから解放しなければならない。それは美的なものの普遍性から芸術を解放するということである。この関連から美的唯名論はまさに真実性という超主観的審級を破壊せざるを得なくなる。

アドルノの錯綜した『美学理論』を意味論的に観察するなら、美的仮象救済する美的仮象救済という無限後退脱パラドックス化するのもまた美的仮象である。美的仮象は自己自身の無力を自覚する代償として、超越性に関する思考のカント的な有限性のモデルとなり得る。自らの無力さを自覚した美的仮象は、自己自身をも救済の観点で捉えることによって、自己論理的な推論を可能にする。美的仮象救済システム合理性による普遍性を獲得するという訳だ。かくして美的仮象は、ヘーゲルの真理概念に照応することになる。アドルノにとって、真理とは全体についての美的仮象なのだ。真理とは仮象を欠落させたものの仮象なのであって、全体性の中での仮象仮面なのである。

偽装工作としての具体性

アドルノはこうした一連のパラドックスを解決できていない。ただ彼は、パラドックスを無害化することで手一杯であった。ここに来て、アドルノの美的ユートピアは限界に達する。アドルノは美的ユートピア的な具体性を有した事物を近代という時代におけるヒューリスティックな能力を有したものに仕立て上げようとする。しかしアドルノの『美学理論』において、芸術理念としての事物は、如何なる美的な経験の中にも客体を有していない。彼にとって、具体的な事物と既存の事物を混同するのは、反省が欠けた唯名論に過ぎなかった。何故ならアドルノにおいては、後に取り上げるエルンスト・ブロッホが積極的に言及していたような、<未だ、無い(Noch Nicht)>ものこそが具体的なものであるためだ。具体性とは、美的に規定される訳ではない。そうではなく、純粋に<歴史神学(Historische Theologie)>的に規定されるものこそが、具体的な事物なのである。アドルノにとって既存のものとは、ただ常にしき<一般>性の事実に留まっている。そうした具体性は、現実で起こっている抽象化を隠蔽する偽装工作に過ぎない。現実で起こっている抽象化とは、普遍的な商品交換のことである。

芸術作品において真理が存在するのは、芸術の出現があってこそである。形態を発現させたものの中でも、仮象ではないものだけが、真相を告げるのである。美的な形象の出現は経験的な事象においては超越的となる。現世の内在的な世界に住まう芸術家にとって、それ自体としては現象とはなり得ないものは、ただパラドックスとしてのみ現われる。芸術作品とは、むしろ叙述の対象を持ち得ない形象なのである。言い換えれば、形象を持ち得ないことこそが芸術の出現という現象の本質なのである。そうなると芸術存在は、それが出現した時点で既に、「否定的」であるということになる。

美的亡命

芸術存在するという事実は、管理された世界から観ればスキャンダルである。美的仮象は、合理主義的な脱魔術化された世界が有する魔術をもう一度脱魔術化するからである。芸術の出現が「否定的」であるのは、芸術が魔術を打ち破ることで到達しようとする彼岸それ自体が、も尚その魔術性の影響下にあるためである。繰り返すように、美は、脱魔術化された世界をもう一度脱魔術化する魔術である。この関連からアドルノは、美の理念のために、美のタブーを持ち出している。彼は芸術が有する脱魔術化する魔術を商品という物神崇拝対象に対抗するものとして、合理性の絶対主義に対する批判として理解しているのである。

否定主義は、邪な世界についての美しい夢である。フランクフルト学派批判理論家たちの多くが、まずアドルノを出発点としていた。『啓蒙の弁証法』は学生反乱の世代にとっての教科書となり、時には権力とマスメディアの中枢的な地位にも影響を及ぼしていた。アドルノの美学は、被造物でありながら能動的であらんとする人間の「苦悩(Schmerz)」を形而上学的に再記述する神学の隠れ蓑であった。それは、苦悩体験こそが真実の条件であるという全く宗教的な物言いを喝破することで、大きな魅力を手にすることになる。アドルノにとって苦悩とは、偶発性に曝された近代の社会的文化的な羅針盤であった。苦悩体験は、否定主義におけるアルキメデスの支点として、あらゆる否定否定を覆す。アドルノによれば、絶望して尚責任を負わなければならない哲学があるとすれば、それは唯一、全ての事物を救済の観点から観る哲学に他ならないという。

この救済の観点は、『脱魔術化された世界からの脱却(Auszug aus der entzauberten Welt)』という、世俗社会からあの「本来的故郷(eigentliche Heimat)」への美的亡命の観点として叙述されている。アドルノはまさに、現存する世界の外部にあって、現存する世界と対峙するグノーシス主義的な観点に望みを賭けていた。彼は、あらゆる既存の事物に抵抗してその外部に立つグノーシスの立脚点を、「復活未来(Futurum resurrectionis)」という不可能性の認識主体による救済の立脚点として位置付けていたのである。要するに彼の発想は、言わば救世主を創造神から区別するようなものなのだ。その美学理論はまさに疎外の完成による救済を約束する。救済するのはではなく、芸術の匿名性である。何故なら、自らの苦悩表現する能力を有しているのは神ではなく芸術に他ならないからだ。

問題解決策:静止の弁証法

アドルノの救済の観点は、それがベンヤミンの哲学的ラジカリズム(Philosophischer Extremismus)の背後に潜む「メシア主義(Messianismus)」と切っても切れない関係にあることを念頭に置かない限り、決して理解できないであろう。だが同様の救済の観点を共有していたはずのベンヤミンは、アドルノから観れば、否定主義が邪な世界として脚色していた地獄の近代の夢から醒めようとしていた。彼の振る舞いは、未だ否定の夢を見続けていたアドルノにとって、弁証法的な思考が不足した実定的なものへの現実逃避として映っていた。否定の夢を見る者が、現実逃避を否定すると共に、密かな超越を美的に演出していたのである。もとよりロマン主義以来、とりわけネオ・マルクス主義以降、実定性と否定性はもはや単なる二値論理で構造化されている訳ではない。自然と思弁が否定の側に付くことで批判的意識が結実し、実定的なものへの総攻撃が仕掛けられている。

しかしながらベンヤミンが記述した弁証法は、近代の歴史や伝統が冗長的に連続するという「時代の夢(Zeit-traum)」から如何にして目覚め得るのかを記述したテクストとなっている。それは決して単純な現状追認ではない。

「弁証法において全く独自の経験がある。全ての『進歩』が偽りであることを示すと共に、全ての表面上の『発展』が卓越された構成を有した弁証法的な隠れ場所であると証明するような、差し迫った急激な経験となるのは、夢から目覚めることなのである」。
Benjamin, Walter. (1928-1929/1934-1940) “Das Passagen-Werk”. In: Gesammelte Schriften Bd.V Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S.491.

だが、目覚めた後の未来の認識が過去歴史や伝統と不連続であるという保証は、現在には何処にもない。そうであれば、このベンヤミンの記述を単に目覚めればそれで良しとする主張として受け止めてはならない。実際彼は、「夢見る意識」を「テーゼ」の側に置くと共に「目覚めた意識」を「アンチテーゼ」に配置し、双方を統合した「ジンテーゼ」として「目覚めの瞬間」を記述している。この目覚めの瞬間は、「認識可能性の今(Jetzt der Erkennbarkeit)」に等しい。このとは、過去から未来へと連続している途上としての現在ではない。彼の歴史家としての視点においては、過去から未来へと時間が線的に移行していくのではなく、ただ「この」から「別の」に変わるだけだ。その歴史時間は、「線分」というよりは「点」として指し示される。このを前提とする歴史家の視点ならば、連続する歴史を前提とした認識とは別様の認識が可能になるだろう。

「どの今も、それら各々の現在と同時的に起こっている形象を通じて特定化される。どの今も、特有の認識が可能な今なのである」。
Benjamin, Walter. (1928-1929/1934-1940) “Das Passagen-Werk”. In: Gesammelte Schriften Bd.V Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S.578

歴史の事物のモナド的な構造

ベンヤミンの歴史家としての目論見は、連続する歴史の流れから歴史の事物を掴み取ることで、その流れに左右されない前史と後史を認識することである。言い換えれば、このの視点から、過去から未来へと連続する歴史に左右されずに、<過去>や<未来>を認識しようとするのである。連続する歴史を前提とする観察者から観れば、こうした歴史家の観察歴史の「断片」に固執する寓意家の如き振る舞いに観えるかもしれない。だが、それは宛ら自ら秩序付けた百科事典に独自の歴史体系を見出す蒐集家のようにも観える。実際ベンヤミンは、この「断片」に対する認識に相当する弁証法的な思考によって、「今」という時点における「歴史の事物のモナド的な構造(monadologischen Struktur)」に内包された特有の認識を「形象(Bild)」として発見しようとしているのである。

「過去における出来事(Vergangene)を歴史的な出来事として明示することが意味するのは、過去の出来事を『実際に起こった通りに』認識することではない。このことが意味するのは、危機の瞬間に閃きを発揮するかのような想起を捉えることなのである。歴史的唯物論において重要となるのは、危機の瞬間に歴史的な主体に突如立ち現われる過去の形象を確実に掴み取ることなのだ」。
Benjamin, Walter. (1940) “Uber den Begriff der Geschichte”. In: Gesammelte Schriften Bd.I-2 Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1991, S.695

こうした形象の認識可能性が拓かれる「今」は、瞬間的な刹那である。故に形象を認識したとしても、それは一瞬の着想に限られる。ベンヤミンが言うように、それは一つの稲妻の如き<閃き>なのだ。この形象ジンテーゼとしての「目覚めの瞬間」で発現することから、ベンヤミンは一連の思考法を「静止の弁証法(Dialektik im Stillstand)」と名付け、この弁証法から発現する形象を特に「弁証法的形象(dialektische Bild)」と呼ぶ。

ディゾルブ

静止の弁証法の核心は、次のような映画製作法に基づくデータの視覚化として叙述することができる。その核心にあるのは、歴史の均質で連続的な時間シュールレアリスム的に知覚することである。このシュールレアリスム的な知覚が言い表しているのは、時間の塞き止めだ。それは、遠く離れた過去の、想起され、呼び出され、引用された事物の形象が、近くに既にある現在の事物の上に重なり合うことで成り立つ。映画に喩えるならば、この重なり合わせは、現在の事物がフェードアウトすると同時過去の事物がフェードインするという点で、「ディゾルブ(dissolve)」に該当するであろう。

重なり合わせられた現在過去の事物に対する同時的な認識は、<遠き過去>と<近き現在>という極限の形式の意外な関連付けによる驚異を呼び起こす。この極限の形式の両極が結び付けられる時、時間的な遠さは時間的な近さの内部に組み込んでいくことで、時間が縮約される。言わば遠さと近さの時間的な区別が、時間的な区別の内部に再導入される訳だ。この時間の縮約が時間の静止状態を導く。もう一度映画に喩えるなら、時間を縮約する低速度撮影は、ヴァーチャルリアリティ上で歴史的な時間を塞き止めることによって、一つの形象空間構成する。その時、形象空間は同一時間の<現在>の形象で充満している。何故なら、元来<現在>からは遠く離れていたはずの過去形象が<現在>の内部に導入されることで、その重なり合いによる形象の多重露出が展開されているためである。

断片化された引用モンタージュ

弁証法的形象経験特徴付けているのは、恰も寓意家が既存の秩序や固定観念を一掃するかのように、歴史が絶えず同一的に反復しているという仮象を追放することである。どの「今」で発現した形象も、決して同じではない。同じであるように見えるとすれば、それは連続する歴史を前提とした仮象なのである。逆に言えば、認識に成功した形象は、その「今」でしか認識し得ない。それはその「今」でしか明快にならないのである。言い換えれば認識し得た形象とは、常にその「今」という時点に固有の形象に他ならない。だからベンヤミンは、その形象を可能な限り言語化して記録することで、それをその時点の固有性を提示する「歴史的な索引(禁書目録)(historische Index)」として扱うのである。

人間学的唯物論として特徴付けられるベンヤミン流の歴史的唯物論の視点から観れば、歴史構成の対象に他ならない。この歴史を成立させているのは、決して連続する空虚で均質的な時間などではない。むしろ歴史「今」によって満たされた時間なのである。過去における個々の時点が有する「歴史的な索引(禁書目録)」は、過去に「救済(Erlösung)」の道標を指し示してくれている。人類は、救済されることで初めて、いつでも何処でも誰に対しても、自らの過去引用し、召喚し、賞賛することができるようになる。

このことは「引用(Zitat)」との関連から見定めなければならない。引用に関する彼の考察は、モンタージュ(Montage)をはじめとした複製技術知覚メディアに基づいている。モンタージュは、映像化されたシミュレーションを組み合わせていくことによって、一度たりとも記述されたことが無かった歴史を解釈できるようにしてくれる。ベンヤミンはこのモンタージュ機能を批評の様式に取り入れることによって、<引用符を使用しない引用>に着手していく。

だがその取り組みにはシミュレーションによる設計と呼ぶにはあまりにも破壊的な性格が帯びていた。と言うのも引用は、引用対象を肯定する訳ではなく、破壊するためである。確かに引用は、引用対象への冗長的な観察を可能にする。だが引用は、それと共に、変異性に満ちた異質な文脈へと引用対象を絡め取る。別の言い方をすれば、対象を引用するということは、その対象を歴史的な文脈の関連から寓意的に切断すると同時に、我が手中に蒐集していくということだ。この一見して暴虐的な営みによって、批評家ベンヤミンは解釈する対象を歴史的な無常化から救済しようとしたのである。

問題解決策:メシア的な救済

繰り返し述べているように、静止の弁証法においては、この弁証法的形象を可能な限り言語化して記録することで、それをその時点の固有性を提示する「歴史的な索引(禁書目録)」として扱う。弁証法的な歴史家は、この索引を参照することによって、言わば<新しい過去>についての形象引用するのである。

そしてこの引用という営みは、救済的な批評との関連から実行されなければならない。『歴史の概念について』の第三テーゼにおいて、確かにベンヤミンは、救済された人類はその過去の各瞬間を尽く引用できるようになると述べていた。この救済に対する彼の叙述は、『歴史の概念について』を待つまでもなく、既に「認識批判的序論」で展開されていた方法論の非プラトン的な言い換えとなっている。すなわちこれは、諸現象を永遠の星座の関連の形態へと区別していくことが現象の救済を実現するという方法論に関する、神学的で人間学的唯物論的な言い換えなのである。

その歴史哲学においては、救済歴史の目標(Ziel)として設定されるのではなく、むしろその終焉(Ende)として叙述される。その終焉は、根源歴史的な無常化を一掃する、天地開闢にも等しいメシア的な力によってもたらされるのだ。

戦線のメシアニズム

ベンヤミンの歴史哲学をポスト・モダニズムや現代思想と結び付ける時間の余裕があるのなら、その労力はむしろ、ベンヤミンのメシア主義とユダヤ教的なメシア主義の間に潜む同一性と差異比較に注ぐべきであろう。神の国(Gottesreiches)を待つベンヤミンの姿勢は、美学を隠れ蓑にした政治的・神学的な姿勢である。故に彼の人間学的唯物論は、ユダヤ教信仰心から区別される。だがベンヤミンは、災禍の如き破局によって積み上げられた瓦礫の山を根源の無常化された歴史に投影する。まさにこの破局こそが、ユダヤ教の預言者たちがの審判と結び付けた状況なのであった。如何なる瞬間も、過去の何らかの事物や事象にとって、最後の審判となる。どの時代も、過去の何らかの時代にとってのメシア的な時代として結実している。その時代がと直接的に接見を持ち得るのならば、その時代こそが、最後の審判の時代となるのだ。

ユダヤ人にとっては、世界はもはや目的地に到達してしまっているが故に、これ以上の進歩や発展は必要にならない。救済を待つということは、終焉(Ende)を待つということである。何かの「後(post)」が必要なのではない。ユダヤ人にとって、最も遠くにある神の国は、いつであれ次の瞬間には到来し得る。それ故に、最も遠きものの代理表象である最も近きものは、どの「今」においても認識可能なのである。

メシア自身が初めて、均質に連続する歴史を遮断して、その出来事の全てを完結させる。それ故、根源歴史的な無常化で満ちている歴史の側からは、メシア的なものに接近することができない。だからこそ、神の国歴史の目標ではなくその終焉に位置する。世俗化された社会的な秩序は、神の国に依存することができないのだ。

だがメシア的な力は、実際のところ、この世俗化された社会的な秩序の隅々にまで浸透している。それは、17世紀のドイツ・バロック悲劇における憂鬱気質の者たちの美的な認識を想起すれば明らかなように、我々の日常が常に「破局」と隣り合わせの異常事態であることからも読み取れるであろう。つまりこの永続的なショック体験をもたらしているのが、メシア的な力なのだ。そしてバロック寓意家たちが的確に見抜いていたように、このメシア的な力は「生」ある者の「死」に、すなわち生成と消滅を繰り返す自然根源に対応している。ベンヤミンはその『神学的・政治的断片(Theologisch-Politisches Fragment)』において、この関連から世俗化された社会的な秩序が幸福(Glück)の形象に準拠しなければならないと主張している。ここでいう幸福に対応付けられているのは、このメシア的な自然根源的な「リズム(Rhythmus)」に他ならない。

根源は、生成の流れの中の渦巻きとして存在する。この根源の内部には、そこから産み出されるものの素材を「リズム」の一部として包含している。ただ事実を眺めているだけでは、根源の認識としては不十分だ。「認識批判的序論」によれば、根源的なものの「リズム」を認識するには、二重の洞察に依拠する必要がある。その「リズム」は、一方では復活や再生として、他方ではまさにその内部における未完成で未完結のものとして、認識されなければならないのである。根源と関連している現象に認められるのは、一つの理念歴史的な世界と反復的に対決する時に形成されるその都度の形式に他ならない。理念歴史の総体の中で完成するのは、まだ先のことである。根源は、歴史的な事実を眺めることによってではなく、その事実として認識されている事象の前史と後史との関連から認識される必要がある。

これを前提とすれば、『歴史の概念について』の第二テーゼで「微弱なるメシア的な力(eine schwache messianische Kraft)」という表現が使用されている理由も明快となる。微弱であるというのは、メシア的な自然根源的な「リズム」が、歴史的な無常化によるノイズで掻き消されてしまっているということなのだ。だから、弁証法的な歴史家が過去の各時点における「歴史的な索引(禁書目録)」を<新しい過去>として引用する場合には、となっては沈黙してしまっている者たちの「残響(Echo)」に耳を傾けなければならない。

歴史の天使

ベンヤミンが『歴史の概念について』の第九テーゼ叙述している「歴史の天使(Engel der Geschichte)」の寓意は、まさにこの根源の「リズム」の歴史的な無常化を言い表している。この歴史の天使は、根源がまだ歴史的に無常化されていなかった過去に眼差しを向けている。その眼差しの先にあるのは、まさに忘却されようとしている事物や出来事である。だがあの楽園から吹き荒れる「進歩」の嵐に呑み込まれることで、この天使は、後ろ向きのまま未来へと吹き飛ばされてしまう。歴史が均質に連続していくという進歩史観が、それぞれの時点に固有となる「認識可能性の今」を潜在化させてしまうのである。だからこそこの天使は、この「進歩」の嵐に破局を見て取る。この破局によって、現世の世俗社会にある事物の「断片」で埋め尽くされた廃墟の上に、瓦礫の山が天に届くほどの高さで築かれている。恐らくこの天使は、その「今」の時点で静止することによって、地中に埋葬されている死者たちを蘇生させ、「断片」と化した事物を蒐集して改修したいと願っていたのであろう。つまり歴史の天使は、万物復興を願っているのである。

周知のように、この歴史の天使という寓意は、パウル・クレーの『新しい天使(Angelus novus / Neuer Engel)』に由来している。ベルリンで入手してから、ファシズムの嵐が吹き荒れる最中も、ベンヤミンは常にこのクレーの版画絵をトランクに忍ばせて持ち歩き続けた。『新しい天使』というタイトルで雑誌を発行しようと企画したこともあった。それだけこの絵はベンヤミンの歴史哲学的な思想に決定的な影響を与えたと推察できる。

だが一方でベンヤミンは、この『新しい天使』を『歴史の概念について』の第九テーゼで言及するまでの間に、この天使像を彼独自の発想から展開してもいる。実際、例えば『アゲシラウス・サンタンデル(Agesilaus Santander)』と題される小論では、ベンヤミンの想定する『新しい天使』が、ユダヤ教的なグノーシス主義における秘境的な体系である「カバラ(Kabbala)」に準拠した概念として再記述されている。「カバラ」によれば、は一瞬ごとに新しい天使を創造している。これらの天使のそれぞれは、の王座の前で、一瞬だけの謳歌を詠う。そしてその瞬間が終われば、天使たちは瞬く間に無の中に溶け去っていくという。天使は、無常なる生成消滅の定めにある。ベンヤミンは、この「カバラ」における儚さを兼ね備えた天使を『新しい天使』と同一視することに躊躇いを見せない。ただし彼にとって気掛かりであったのは、自身が不当に長い間、天使たちに謳歌を歌わせずにいたのではないかという点である。

尤も、ベンヤミンが不安になるまでもなく、天使は彼に、謳歌を歌わせられなかったことの報いを与えている。天使は、ベンヤミンの永続する対象喪失感や破局体験を直視せざるを得ない憂鬱気質――『ドイツ悲劇の根源』の用語で言えば、「土(Saturn)」的な気質――に付け入ることで、最も長く、最も宿命的な回り道をしながら、彼に救済を待たせたのである。

この天使の振る舞いを観察した場合に嫌でも気付かざるを得なくなるのは、天使に潜む「悪魔(Satan)」的な性格である。ベンヤミンにユダヤ教神秘主義を教えたゲルショム・ゲルハルト・ショーレムも指摘する通り、『アゲシラウス・サンタンデル(Agesilaus Santander)』という主題は、「悪魔天使(Der Angelus Satanas)」のアナグラムなのであろう。つまり『新しい天使』とは、天使悪魔極限の形式を包含した寓意なのである。だからこそベンヤミンは、この天使が欲する「幸福(Glück)」が矛盾した対立(Widerstreit)によって構成されていると喝破するのだ。その対立とは、一回限りのもの、新規なるもの、まだ生きられてはいないものの「愉悦(Verzückung)」が、反復的なもの、再び所有されるもの、既に生きられたものの「至福(Seligkeit)」と共存しつつ拮抗し合っているような矛盾意味する。

これを前提とすれば、ベンヤミンの天使像は「認識批判的序論」の理念論に精確に照応している。この天使像が「歴史の天使」として叙述される場合には、理念論根源歴史哲学として再記述される訳だ。したがって歴史の天使の中にも、「悪魔天使」の如く、極限の形式を包含した寓意が潜んでいる。歴史の天使もまた、矛盾した対立関係にある幸福を欲している。それはまさに根源形態なのだが、しかし「進歩」の嵐がこれを無常にも妨げてしまう。とはいえ、歴史の天使が凝視する現世の世俗社会の中に、極限矛盾した対立関係にある幸福形象が眠っているということは、間違いないようだ。

世俗的啓示

ベンヤミンにおける救済の観点は、アドルノのそれとは異なって、明確にこの世俗社会の中に向けられる。何故ならベンヤミンにとって、メシア的な力世俗社会の外部に位置する訳ではないからだ。彼の救済の観点は、麻薬の実験にも端的に表れている。麻薬がもたらす陶酔状態が、世俗社会の中に潜むメシア的な力に対する「霊感」を養うからである。

ベンヤミンによれば、麻薬は<その場の光景>と<寓意的な意味>を交差させたような形象を引き起こす。眼前の光景と寓意的な意味の重ね合わせは、外見上の類似性によって把握される。通常の意識状態であれば、言わば常識や固定観念がその関連付けを制約し得る。だが陶酔状態の場合は、こうした歯止めが利かない。陶酔の世界では、関連性が無限拡張していく。時には相互に矛盾する相反的な形象同士が互いに指し示し合うこともあるという。陶酔状態に浸る者は、それ故に際限の無い形象の洪水を目の当たりにする。ただしそれは自由連想的な関連付けと言う訳ではなく、形象同士が相互に浸透し合うことで関連付いているのだという。

ベンヤミンの人間学的唯物論においても、麻薬は特筆すべき機能を持つ。ただしそれは、シュールレアリスム経験としての陶酔状態を可能にするという機能においてのことだ。機能的に等価問題解決策は、麻薬以外にも、宗教的エクスタシー、都市の街路名を辿った遊歩、文献のテクストの探究、そしてギャンブルなど、様々である。これらの問題解決策の共通の機能は、「世俗的啓示(profane Erleuchtung)」に親和した陶酔作用を実現することにある。世俗的啓示とは、人間学的唯物論における霊感である。この霊感は、決して超越的な理想や夢に望みを託す宗教的な啓示なのではない。それはむしろこの内在的な世界で習熟されている事物を援用した啓示なのである。麻薬やその他のものは何であれ、世俗的啓示に至るまでの予習に過ぎない。

このことに逸早く着眼を置いていたのが、他ならぬシュールレアリストたちであった。陶酔の力を革命のために獲得することこそが、シュールレアリスムの参照問題であったと述べても良い。この問題を解決に導くには、あらゆる革命的行動の中で陶酔の要素が活性化していると認識するだけでは不十分である。この要素を無政府主義の要素に結び付けたところで、まだ不十分だ。ベンヤミンによれば、陶酔の本質はあまりにも安直に被弁証法的な観察に曝されてしまっている。驚異の状態にある画家や詩人の美学にせよ、不意打ちを受けた鑑賞者のショック反応としての芸術美学にせよ、幾つかの点で、極めて不吉でロマンティックな偏見を抱いてしまっている。シュールレアリスム的な幻覚や現象のを真剣に究明しようとするのなら、ロマンティックな考え方では及びも付かない複合的な弁証法を前提とせざるを得ない。めいた一側面だけを熱狂的に強調するだけでは、に満ちた現象の探究を進捗させることはできないのである。

ベンヤミンにとってシュールレアリスムは、陶酔の力を革命に応用することを可能にする最初の試みであった。シュールレアリスムが準拠するのは、正常なものを<異常なもの>として認識する一方で、異常なものを<正常なもの>として認識するという弁証法的な視点である。シュールレアリスムは、この逆転の発想によって、日常的に正常なものとして認識されているものの中に潜む秘密を暴露しようとしてきたのだ。

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