「人工の理想」を背景とした「万物照応」のデータモデリング

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派生問題:ショック経験は如何にして可能になるのか

遊歩者探偵ギャンブラー身振りに対するベンヤミンの観察観察するだけでは、これらの営みがショック経験」を如何にして可能にするのかが不透明なままである。実際のところ、遊歩者観察探偵推論、そしてギャンブラー冷静沈着精神は、それ自体としてはショック体験」に満ちている。これらの営みが、たとえヴェールとしての群衆マトリックスとしての大衆の中で実施されたとしても、その営みがショック経験となる保証は何処にも無い。だとすると、形象の大量生産に対する、言うなれば負担軽減策が必要になる。

問題解決策:蒐集

これらの営みがショック経験となり得るのは、遊歩者探偵、そしてギャンブラーらが、「蒐集家(Sammler)」としての身振りを身に着けた場合である。このことは、遊歩者観察探偵推論、そしてギャンブラー精神意味論複製技術時代社会構造と結び付けることで判明する。

元来複製技術時代知覚メディアは、ベンヤミンも述べている通り、どちらかと言えば「意志的記憶」の範囲を拡張する。知覚メディアが呈示するのはショック体験であるため、刺激保護としての意識が動員され易い。フロイトとプルーストの関連を無視しても、知覚メディアは「視覚的な無意識」を暴露する。それは細部に対する意識記憶を活性化させる作用を持つ。しかし一方で、彼が言及してきた複製技術知覚メディアは、仮象なき遊戯空間において、過剰刺激の四面楚歌として迫り来る情報やデータに関して学習する習慣を形成する。ベンヤミンによれば、知識を学ぶ上での「触覚的」な享受は特に知識の蒐集という形式で実践される。知覚メディアのユーザーは、知識の蒐集家としての性質を持つことになる。

蒐集家は本能的に触覚的な人間だ。つまり蒐集家は、過剰なまでに散乱している事物を触覚的に享受していくように、本能的に突き動かされているのである。ウェブ上の情報氾濫やデータの洪水がキュレーションメディアの立ち上げを動機付けるように、事物についての過剰な刺激が撒き散らされている状況が、ユーザーを蒐集へと動機付けていくのだ。

ベンヤミンによれば、この触覚的な享受方法となるのは、「所有」である。触覚性と視覚性の区別で言えば、所有とは触覚的な側に分類される。こうして所有された蒐集対象についての記憶が、新たな事物を選好する際の指針となる。言わば所有の記憶が、感覚器官に迫り来る事物の過剰刺激とそれに伴い活性化する記憶の洪水に対応した「防波堤(Damm)」 になるのである。

記念品の意味論

記念品(Andenken)」は、とりわけ強固な防波堤となり得る。ベンヤミンによれば、17世紀バロック悲劇寓意は、鍵となる形象として、死体の意味論指し示していた。記念品は、これの19世紀版と言える。記念品もまた、19世紀以降、寓意によって指し示されるようになったのだ。

近代社会のカトリック教会がイエス・キリストの遺品を聖遺物と名付けたように、近代社会においては、こうした記念品世俗化した聖遺物として位置付けられる。聖遺物は死体に由来する。一方、記念品そのものの由来は、死体そのものにあるのではない。記念品は「死した経験(abgestorbenen Erfahrung)」に由来する。ベンヤミンの婉曲語法的な表現を少しでもわかり易くするためには、ここで「経験(Erfahrung)」と「体験(Erlebnisses)」の区別を補助線として導入するべきであろう。

既に述べたように、経験歴史的な時間の連続性を前提としている。それは世代から世代へと伝承されることができる。そうした経験から培われた知識や教養は、常に人間と結び付いている。これに対して体験は、非歴史的で非連続的な時点の移行を前提としている。技術の加速的な発展や知覚メディアによる視覚的に無意識的なショック効果もまた、全て体験として知覚される。こうしたショック体験経験を貧困化させる。

これを前提とすれば、ベンヤミンが記念品によって叙述していた「死した経験」が意味するのは、体験に他ならない。体験とは「死した経験」なのである。ある事物が記念品となり得るのは、それが体験の負担軽減を可能にするからだ。とりわけこの記念品寓意的な蒐集家によって注目されるようになった。実際記念品は、商品蒐集対象に変異する場合の雛型として機能する。

データベースとしての記念品

蒐集においては、所有の記憶が、感覚器官に迫り来る事物の過剰刺激とそれに伴い活性化する記憶の洪水に対応した防波堤として機能している。記念品はまさにこの防波堤の機能的等価物となる。蒐集家は数多の事物を所有しようとする。だがその全ての事物を明快に記憶できる訳ではない。その中でも記念品は、自身が特別視されるだけの歴史的な理由を指し示すことで、自身を強調している。ブランドと同じように、記念品は他の商品との差異を確保することで、知覚され易いように自身を展示している。こうして記念品は、ショック効果の負担から所有者を免除している。だからこそトレーディングカードゲームのプレイヤーは、まず以ってレアカードを追い求めるのであろう。

記念品が可能とする負担軽減は、経験の死の埋め合わせを含意する。ここでいう「死」という概念は、経験の機会を有していた人間の「死」をも含意している。経験が貧困化したままの状態であれば、我々はショック体験のみ受容し続けることになる。これではショック経験を享受できない。貧困化した経験の埋め合わせが必要となるのである。この関連から記念品は、言わば蒐集家が自己疎外に満ちた自分の過去を「死」の財産として記録しておくためのデータベースとして機能する。たとえ非歴史的で非連続的な時点の上で生きていても、このデータベースを利用すれば、蒐集家は所有の記憶想起することが可能になるだろう。

蒐集の魔術

蒐集家は、既存の蒐集対象に関する記憶に準拠した上で、新たな事物を蒐集していく。ただし蒐集家は、蒐集された対象が有していた本来の機能には囚われずに、想像し得る限り類似した蒐集対象同士を関連付けていく。ベンヤミンの言葉で言えば、蒐集によって、事物の「完全性(vollständigkeit)」がその「有用性(nutzen)」に取って代わる。

「それは、新たな構造の歴史的な体系に分類することを通して、すなわち蒐集することを通して、単なる存在という全く以って非合理的な有り様を超克する偉大な試みである」。
Benjamin, Walter. (1928-1929/1934-1940) “Das Passagen-Werk”. In: Gesammelte Schriften Bd.V Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S.271.

この蒐集家の試みは、制度化や標準化に勤しむ専門組織や特定の問題解決にのみ関与する社会的機能システムの意図とは全く逆行している。何しろ近代の専門組織システム機能システムが重視する効率性や有用性など、蒐集家の眼中には無いからだ。この新たな歴史的体系の中で、機能とは無関連に関連付けられた個々の蒐集対象は、その時代、地域、産業や、元の所有者に関するあらゆる知識を蒐集した魔術的な「百科事典(Enzyklopädie)」となる。蒐集家記憶想像、認識の全てが、その所有物についての百科事典の枠組みとなる。

あらゆる蒐集家蒐集において重要となるのは、蒐集される対象についてのデータだけではない。その事物の以前の所有者、購入価格、本来の相場などといった一見有用とは思えない細部の様々なデータもまた、重要な事柄となる。ベンヤミンも述べているように、蒐集された個々の事物の中では、それぞれの事物に関わる細部の様々なデータを背景に、一つの「世界」が秩序を形成している。このそれぞれの事物に固有の世界が、全く新しい歴史的な体系を織り成しているのである。

所有の錯覚的な秩序

蒐集家触覚的な享受としての所有は、万事上手くいく訳ではない。たとえ触覚的な所有を繰り返す蒐集家がその所有物に秩序を見出しても、実際それはあまりにも慣れ親しんでいるために習慣化されている錯覚的な秩序に過ぎない可能性もあるからだ。とりわけ複製技術知覚メディアを背景とすれば、事物による視覚的に無意識的な過剰刺激は止むことを知らない。撒き散らされた事物の散乱状態が、「百科事典」の秩序を掻き消す程のノイズとなる可能性もある。とはいえ、秩序を破壊されたからといって、蒐集中断される訳ではない。何故なら、まさにその過剰刺激が生み出す事物の散乱した状態こそが、蒐集家を動機付けているためである。だからベンヤミンは、無秩序と秩序の間で弁証法的に緊張している存在として蒐集家を描いているのである。

ベンヤミンが指摘するこの両義的な性質は、蒐集家と「寓意家(Allegoriker)」を関連付けることで判明となる。彼の近代寓意論によれば、蒐集家寓意家は表裏一体の関係にある。蒐集は、錯覚的な秩序に基づくために、不可避的に不完全に終わる。故に蒐集家は究極的に「断片」的な事物の蒐集に終始することになる。ベンヤミンによれば、事物の「断片」しか掴み様がないというこの状態は、まさに寓意家が根本的に前提とする状態に他ならない。寓意家には、調和が形成された世界全体の秩序など眼中に無いのである。蒐集が秩序を形成していく営みであるならば、寓意は持続可能であるかのように魅せる「所与の秩序」の仮象や固定観念を破壊する無秩序な営みである。

寓意家と蒐集家の<両極>

こうして観ると、寓意家蒐集家は相互に対極的な性質を有していることがわかる。破局を直視する憂鬱気質寓意家には、調和が形成された世界全体の秩序を信頼することができない。繰り返すように、蒐集が秩序を形成していく営みであるならば、寓意は持続可能であるかのように魅せる「所与の秩序」の仮象や固定観念を破壊する無秩序な営みである。寓意家は習慣形成とは無縁の生活を送る。蒐集家触覚的に享受した所有物の「百科事典」に腐心するなら、寓意家は掴み取った「断片」に対する視覚的な享受としての沈潜を反復していく。

もとより事物をその機能的な連関から切り離すという点においては、両者は一致している。つまり寓意家のみならず蒐集家もまた、蒐集した個々の事物の「断片」の中に、一つ一つの世界を描いているのである。ただし寓意家に限っては、切断した個々の「断片」を類似した他の「断片」と関連付けようとはしない。寓意家は、「断片」を「断片」のまま保持する。

「寓意的な意図に影響を受けているものは、生との関連から切り離される。すなわち、それは破壊されると同時に保存されるのである。寓意は瓦礫を着実に保持し続ける」。
Benjamin, Walter. (1928-1929/1934-1940) “Das Passagen-Werk”. In: Gesammelte Schriften Bd.V Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S.414-415.

複製技術知覚メディアを背景にするならば、蒐集家の内に眠る寓意的な関心が呼び覚まされるのは、瞬間的である。すなわち、蒐集家が錯覚している秩序の仮象を破壊する程ノイジーな過剰刺激を受けた瞬間である。散乱した無数の事物の中で唯一掴み取ることができた事物の「断片」にのみ、寓意的な関心が向けられる。寓意家としてのユーザーは、その「断片」に注意を集中していくことになる。

メディアとしての記憶

ベンヤミンは、自身の言語メディアを駆使した批評を実践する上で、記憶を特権的なメディアとして位置付けている。ベンヤミンによれば、記憶過去を探索するための道具ではなく、その舞台である。大地がその中に死滅した都市を埋没させているメディアであるように、記憶体験された事物のメディアである。この場合の記憶メディアである以上、ベンヤミンは、記憶を通じて(durch)過去出来事体験するというよりも、記憶の中で(in)過去出来事体験することに重きを置いている。

自分の埋もれた過去に接近しようとする者は、発掘者の如き姿勢を採らなければならない。その発掘は中々上手くいかない。幾度となく発掘しても、繰り返し同じ事実関係を巡り、何度も堂々巡りになってしまうだろう。とはいえ、真の発掘者は、そうした堂々巡りにも戸惑わずに、何度も土を撒き散らすように、その事実関係を撒き散らしていく。何故なら、我々が過去の事実であると考えているのは、単なる地層に過ぎないからだ。その地表に目印を付けて、計画的に発掘し続ける姿勢も、無論重要であろう。だが暗い地面に用心深く弄るように掘り進めていくこともまた、有益な収穫に結び付いていく。そうした入念な探究没入していくことで初めて、発掘の名に値するものを掘り出せるようになるのである。

自分の中に埋もれた過去記憶発掘する姿勢は、蒐集家の陳列室に並べられている膨大な蒐集物の中から寓意的な断片を発見する姿勢と酷似している。と言うのも、寓意的な蒐集家は、自身が蒐集家として制作した魔術的な百科事典を撒き散らされた事物の散乱状態として再認識するからである。発掘者が地層を何度も撒き散らすのならば、寓意的な蒐集家は配列された事物を悉く切断していくのである。

こうした発掘者の姿勢は、弁証法的な歴史家の姿勢にも結び付いていく。ベンヤミンにとって過去想起は、必ずしも自伝のようなものを描く訳ではない。自伝は物語である。それは時間や過程、生の連続的な持続性から構成されている。しかしむしろベンヤミンが注目したのは、瞬間的で非連続的な記憶想起であった。

過去記憶想起するというのは、体験された出来事体験されたままに物語ることを意味するのではない。意識的に記憶を奮い起こすことは、発掘者としての振る舞いにおいては重要とはなり得ないのである。こう述べた場合に前提とされる記憶想起とは、単に想起の欠如としての忘却への抵抗ではなく、「覚えていることへの抵抗(Gegen-Erinnern)」という逆向きの運動の緊張を孕んだ想起意味する。まさにこの抵抗こそが「意志的記憶」の否定へと結び付く。過去出来事が一旦忘却されて潜在化した後に、過去形象の側から突如として襲い掛かってくるような体験こそが、本来の意味での想起経験であるとベンヤミンは主張する。

機能的等価物の探索:模倣

蒐集家寓意家は対極的な位置付けにあるのは、事物の類似性を巡る身振りにも表れている。『パサージュ論』でも指摘されているように、寓意家は、手に入れた事物の<断片>を観察しても、その事物が他の何と類似しているのかを探究しようとしない。寓意家は事物をその連関から切断することで、それらの意味探究を、初めから自身の沈思に委ねる。これに対して蒐集家は、相互に関連する事物を、それらの類似性探究することによって、一つの事物にしようとする。

これを前提とすれば、蒐集は、先に取り上げた模倣と同様に、類似性意味処理規則影響下にある。この類似性意味処理規則形式化させているのは、メディアとしての言語である。それは、自身を住居や家具、衣服に似せるべく仕向けるような言葉として機能する。人間類似を抽出する能力が、類似した身振り模倣する能力として、他の様々な才能の決定的な要因となっているというベンヤミンの洞察を前提とするのなら、模倣能力が蒐集家の才能に対しても影響を及ぼしていることは容易に推論できる。周囲の外部環境類似した身振り模倣する能力は、周囲の事物に備わる類似性探究する能力として育まれる。この探究の能力が、類似した事物の蒐集を可能にする。

室内装飾の意味論

蒐集模倣によって駆動されているという発想は、蒐集理論万物照応の概念の接続を可能にする。先述したように、模倣の能力が万物照応に対する反応であるとするなら、蒐集という営みは、万物照応に対する反応による間接的な帰結であるとも見做せる。実際、大量の類似した事物を蒐集してきた蒐集家が、それら自らの所有物によって構成されている魔術的な百科事典を一望することで万物照応想像力を掻き立てたとしても、何ら不思議はない。

この認識がとりわけ具体的な内実を持つのは、当の魔術的な百科事典蒐集家住まう室内装飾(Interieur)」として構成されている場合である。先に取り上げていた「住む」の歴史意味論を思い起こせば良い。この場合、蒐集家によって所有されている類似した事物たちは、皆蒐集家住まう室内に陳列されることになる。類似した事物が、その住人と共に、その家に住まっている訳だ。繰り返すように、この「住む」という概念の意味論指し示しているのは、母胎の中に留まっている状態である。とするのなら、蒐集家と所有物は、同じ母型構成する位置関係にあるということになる。

偉大な蒐集家の住居の相貌は、注意深く観察するべきであろう。蒐集家の住居で事物が次第に空間を専有していくのと同じように、室内装飾では、あらゆる時代の様式の痕跡を蒐集して取り込もうとする家具が、次第に空間を専有していくのである。実際、19世紀の家具を覆っていたサックやカバー、そしてケースは、そのそれぞれが痕跡を享受し、保持するための対策として導入されていた。

「靴下」の形象

この関連からまた、ショック経験に関するベンヤミンのプルースト論が重要な意味を帯びてくる。ベンヤミンによれば、プルーストもまた類似性に関する熱心な探究者であった。とはいえベンヤミンは、プルーストの作品に潜む類似性の活用事例を一つ一つ解説している訳ではない。彼はその代わりに目覚めと夢見という極限の形式を導入する。我々が目覚めている時に知覚する類似性は、夢の世界の類似性に比べれば、断片的な要素に過ぎない。夢の世界における個々の出来事は、決して同一の事物としてではなく、見分けの付かないほど類似した事物として出現する。

ベンヤミンはこの同一ではない類似した事物で構造化されている夢の世界を「靴下(Strumpf)」の形象叙述している。靴下が下着戸棚の中で丸められている時、それは<袋(Tasche)>であると同時に<中身(Mitgebrachtes)>でもある。子供がその丸められた靴下を拡げて遊ぶ時、<袋>とその<中身>は、一挙に靴下へと変貌する。先に述べたように、「住む」という概念の根源的な形態が「家(Haus)」の中にいるということではなく「容器(Gehäuse)」の中にあるというのなら、室内における蒐集家とその所有物の関係は、靴下の形象が言い表すように、一挙に変貌を遂げることになる。すなわち、「現実世界の真のシュールレアリスム的な相貌(das wahre sürrealistische Gesicht)」が出現するのである。

プルーストが住まう世界は、まさにこの真なる世界であった。彼は、まるで靴下で遊ぶ子供のように、陳列用の贋作である<自我>という<容器>の<中身>を一旦徹底的に片付けることにより、「類似性で歪められていた世界(der Ähnlichkeit entstellten Welt)」に対する郷愁を浄化させるような形象で、その空虚を埋め合わせていたのだ。ベンヤミンによれば、この形象の詰め込みは、慎重かつ上品に実践されていたという。それは決して孤立して、悲壮感を漂わせるように実施されていた訳ではない。

模倣的神経刺激

以上のようなショック経験に関するベンヤミンのプルースト論を前提とすれば、室内装飾としての蒐集意味論は、蒐集家類似した事物たちに自らを同化させていくような、ある種の模倣意味論として再記述することができる。だが一方でベンヤミンも強調するように、模倣は実践の形式でもある。この模倣というのは、主体と客体、経験メディアのような二項図式では説明できない実践である。と言うのも模倣とは、身体メディアとした知覚形式でもあるからだ。この点から映画理論家ミリアム・ハンセンは、模倣神経刺激の接続可能性を追究している。神経刺激は、身体外部環境の事物との類似性を介して、双方向的な関連を結ぶ模倣の一形式であるという。

模倣の実践は神経刺激から始まる。神経刺激を享受した模倣者は、元来身体の外部にあるはずの知覚対象と自身の感覚器官を接続させる。この接続により、自己自身と外部環境差異は曖昧化する。それは身体の脱中心化とも言えよう。自身の感覚器官が、身体を超えて、知覚を刺激する外部の対象へと一体化するのである。そうすることで、言わば身体拡張する。そしてそれのみならず、外部の知覚対象を無意識のうちに自身の方へと引き付ける。そうすることで、模倣者はその事物と同化するのだ。この関連は、決して外部環境の事物による感覚への一方通行的な入力を意味するのではない。それは何処か、双方向的な刺激による創発的な秩序を連想させる。

こうしてハンセンは、模倣神経刺激の不可分な関係を「模倣的神経刺激(mimetic innervation)」という概念で再記述している。模倣的神経刺激による脱中心化された身体拡張は、情動的で感覚的な知覚として成立するのである。一方で知覚の対象となる事物との同化は、例えば映画俳優をモデルとした自己演出として結実する。この演技の成功の度合いは、ハンセンによれば、俳優がカメラやマイクという外部の複製技術に同化する度合いに比例するという。

一見すれば、このハンセンの模倣的神経刺激という概念は、複製技術知覚メディアとの関連から記述されているに過ぎない。だがこの事物との同化という観点は、室内で住まう蒐集家にとっても重大な観点となる。と言うのも、模倣の実践者としての蒐集家は、自らが所有する事物たちに自らを似せることによって、この模倣的神経刺激を体現しているためである。

ミラーニューロン

この模倣的神経刺激の営みが複製技術に限定されない普遍性を有していることは、生物学的な進化論を確認することによって判断できるかもしれない。例えば「ミラーニューロン(Mirror Neuron)」に関する神経科学者ジアコーモ・リッツォラッティらの報告は、霊長類の模倣神経システムの作動によって構成されていることを指し示している。

リッツォラッティらの発見が示しているのは、他人の行動を観察している人間が、脳内で自動的にその行動をシミュレートしているということである。例えばボールを投げた人間観察している者は、その脳内で、ボールを投げるというシミュレーションを構成している。ミラーニューロンは、こうした脳内でのシミュレーションにおいて活性化する類の神経システムのことを言い表している。

もともとミラーニューロンは、マカクザルの脳内における前運動皮質と頭頂葉皮質で発見された。そして同様のミラーニューロンが、後に上側頭溝でも発見されている。前運動皮質と頭頂葉皮質はこの上側頭溝と深く結び付いている。上側頭溝は顔、身体、腕の運動における情報処理を司っている。上側頭溝のミラーニューロンは、歩行をはじめとした動作、生体運動、脅威となり得る動作を積極的に探知する。

ミラーニューロンのシミュレート対象となるのは、運動だけではない。島皮質や前帯状皮質には、他者の感情をシミュレートするミラーニューロンもある。我々が他人の意図や感情を汲み取ることができるのは、こうした感情系のミラーニューロンのお陰であると言われている。

人類史の発展という視点から観れば、ミラーニューロン機能は、模倣を可能にすることにある。例えば火の起こし方一つを観ても、最初から何もかもを自分一人で試行錯誤していくよりは、火を起こしている他者の振る舞いを模倣した方が効率的であろう。ただ眼で観た振る舞いを模倣するだけでは習得できない技能もある。その場合は他者と教え合った方が効率的だ。そうした学び合いの局面では、他者の意図を汲み取る技能も必要になる。ミラーニューロンは、こうした他者の振る舞いや意図に関するシミュレーションを構成することによって、有用となる身体的な技能の伝達を促進してきたと考えられている。

ミラーニューロンのパラドックス

他者の運動を自己の脳内でシミュレートするというミラーニューロンの概念は、自己と他者の区別を導入している神経システムの作動を例示している。しかしこの概念からコミュニケーションとしての模倣、すなわち社会システムの作動にまで結び付けようとすれば、直ぐに飛躍が生じてしまう。ミラーニューロンは確かに模倣の実践形式を可能にするメディアなのかもしれない。しかし、同様のミラーニューロンを兼ね備えているはずのマカクザルのような比較人間に近しい霊長類でさえ、人間ほどの模倣能力は有していない。単なる生物学的な進化論を転用しようとすれば、社会システムの作動の実態が盲点となる。

社会システム理論的に言えば、神経システムとしてのミラーニューロンは、自己自身と外部環境区別を自己自身の内部に再導入(re-entry)することで、自己や他者の振る舞いを自己自身の内部でシミュレートしている。それ故にミラーニューロンは、外部環境の他のシステムに開かれた構造を有しているのではなく、作動上の閉鎖性をあくまで保持している。この神経システムは、心理システム構造的に結合することで、その思考や行為を形式化させるメディアとして機能する。社会システム構造的に結合するのは、この心理システムに他ならない。社会システム心理システム相互浸透関係を結ぶことで、心理システム社会化する。個々人の心理システム社会システムコミュニケーション構成したそれぞれの人格という形式に準拠した意味処理規則で、自己言及的に作動する。社会システムもまた、言語を介した心理システムとの構造的な結合を前提とした上で、あくまで自己言及的にコミュニケーション構成し続ける。したがって、コミュニケーションとしての模倣を可能にしているのは、ミラーニューロンではない。コミュニケーションとしての模倣構成しているのは、コミュニケーションである。

この観点から観れば、ミラーニューロンが「共感(empathy, sympathy)」を可能にするという感覚には、全く共感できなくなる。確かに、「ミラーニューロンが共感を可能にしているという感覚」を主題としたコミュニケーション構成することは不可能ではない。だが「本音」と「建前」の区別を導入すれば、その共感が嘘吐きのパラドックスと等価な論理構造パラドックス化されていることが、よくわかるであろう。それでも尚「共感が可能である」という社会的な認識が構成されているのは、このパラドックスの隠蔽技術形式としての意味機能しているためである。そうした共感の意味論社会構造にも方向付けられている。一口に共感と述べても、それが心理システム免疫システムとしての情動によって駆動されている共感なのか、特定の組織や集団の規範的な期待によって方向付けられた共感なのか、あるいはその時代に固有の感覚であるのかは、一概に断定することができない。

音楽経験のメディアとしてのミラーニューロン

ミラーニューロンコミュニケーションとしての模倣メディアであるという分析が意味を為すのは、文脈的にある一定のコミュニケーションへと主題を限定した場合に限られる。例えばケイティー・オーヴェリーらの『時間の中の共存(Being Together in Time)』では、ミラーニューロンコミュニケーション、そして共感の潜在的な役割に関する先行研究をレビューしつつ、音楽経験のモデルとなる「共有感情運動経験(Shared Affective Motion Experience: SAME)」を提案している。このモデルから、模倣同期(Synchronization)、経験の共有が、人間音楽的な営みにおける重要な側面を担っていることが指摘されている。

元来ミラーニューロンの発見が興味深かったのは、神経システム外部環境から孤立したシステムとしては機能し得ないことが改めて明示されたためであるとされる。神経システムは、生命システム構造化している身体や他者の神経システム観察観察することによって、他のシステムとの構造的な結合相互行為によって発達してきたという訳だ。こうした背景からケイティーらは、人間ミラーニューロンの特性が、社会的なコミュニケーション、より具体的にはピッチや音色、リズミカルなパターンを兼ね備えた音楽コミュニケーションから影響を受けながら構成されていたと想定する。

音楽に関するニューロイメージング(neuroimaging)の検査法は、単純な知覚刺激が如何にして音楽という社会的なコミュニケーション意味論構成するのかについて、徐々に解明している。音楽の複合的なパターンを理解(understand)し、その後に情動的(emotional)な応答を可能にする上で必要となるのは、ミラーニューロンと辺縁系との間の相互作用である。ミラーニューロンは、言語運搬や運動に限らず、音楽コミュニケーションにおいても、認知能力の基礎となり得る。ニューロイメージングや行動研究、霊長類の生理学の研究報告に基づけば、前頭前皮質における適切な規則に準じた情報コード化(encoding)は、入力情報間の適切な写像を確立する神経経路(neural pathways)に準拠して、「振る舞いのフロー(flow of activity)」を導く。それは、システムの内部状態の保持と情報の出力を実行するための機能となる。この機能的な分析からケイティーらは、ミラーニューロンの本質的な役割が入力・内部状態・出力の「振る舞いのフロー」の伝送路(link)にあるという観点から、ミラーニューロン音楽的な営みを説明するための理想的なモデルになると考える。

SAMEモデルの特徴表現

SAMEモデルは、聴覚的な知覚情報のみならず、その知覚刺激の背景にある意図的に階層化された運動表現の観点から音楽の認識が可能になることを記述している。側頭皮質、前頭前部のミラーニューロン、そして辺縁系に関連したニューラルネットワークにおいて、音楽信号の聴覚的な特徴抽出は主に上側頭回で処理される。それは、ミラーニューロン表現運動における構造的な特徴と組み合わせられた状態で処理される。大脳皮質の島皮質は、ミラーニューロンとの間に神経管を形成することで、音楽聴取者の自律的あるいは情動的な状態を評価することを可能にしている。

こうした脳の内部状態が、音楽に対して複合的な感情的あるいは情動的な反応をもたらす。音楽の演奏者と聴取者の双方がこれらの神経システムを動員することによって、感情的に共通の運動体験(SAME)が可能になる。これを前提とすれば、聴取された音に対する身振り表現力学(expressive dynamics)は、個々人の声に対する物理的な身振り表現力学の観点から解釈することができる。

SAMEモデルの鍵は、大脳皮質の島皮質の役割が、辺縁系とミラーニューロンとの間の神経管との関連から提案された点にある。実際、機能的なニューロイメージングの研究では、嫌な気持ちを感じている場合や他の誰かが嫌感を表明している場合に、島皮質が活性化していることが示されている。電気ショックや熱刺激などを用いた幾つかの研究でも、痛みを直接経験している場合や痛みを経験している他者を知覚している場合の神経活動が明らかにされている。いずれの研究でも、自己自身の痛みと他者の痛みにおいて、共通して島皮質の活性化が観測されたという。したがって島皮質は、情動伝染(contagion)を可能にする神経システムであると考えられる。

運動制御に関わるニューラルネットワークが階層構造化されている点もまた、SAMEモデルの妥当性を支持している。前頭皮質は、言語音楽に共通する特徴である順次処理(sequential processing)における事後事象の予測モデル(predictive models)としても見做せる。だがこの構造は、認知制御や行動選択の階層的な過程を基礎付けるより一般的な原理としても機能し得る。これらの神経システムの振る舞いは、出力結果や目的関数、長期目標や短期目標、四肢の動きを表現する運動学(kinematics)、あるいは意図した行動を実行するために必要となる筋肉活動のパターンのように、一定の規則に従事している。モデリングの粒度次第では、こうした規則的な振る舞いは、更に細分化することができるであろう。

こうして結実した運動観察する他のシステムは、専ら運動学的な水準の視覚的な特徴表現を参照するだけで、その運動の背景にある目標や意図を推論できなければならない。まさにこの関連から、経験ベイズ推論(empirical Bayesian inference)のような分析方法に基づいた予測のコード化(predictive coding)が、機能要求として生じてくる。つまり、運動観察中に関与するあらゆる皮質水準で、「予測誤差の最小化(minimizing the prediction error)」を実行することにより、観察された運動の最も確率の高い原因が推論され得なければならないということである。

感情的な音楽経験のSAMEモデルによれば、聴取者の水準とある種の音楽鍛錬の種類によって、運動の階層構造は、「意図(intention)」、「目標(goal)」、「運動学(kinematics)」、そして「筋肉(muscle)」に区別される。例えば極端な場合、その演奏方法を熟知している音楽聴取している最中のプロの音楽家ならば、想像された感情的な意図から、階層の全ての水準において、精確な情報を参照することができる。また別の極端な例で言えば、未知の音源からの習熟していない音楽聴取している初心者ならば、どの水準でも精確な情報にはアクセスできない。だがそうした初心者でも、テンポや曲調から感情的意図を解釈することは不可能ではない。

「したがって、人間のミラーニューロンによって成立するシミュレーション、あるいは共鳴(resonance)の機構(mechanism)は、知覚されて実行された振る舞いを適合させる訳だが、それは聴取者が自己自身の心(mind)の中で、(聴覚、動作、そして感情の情報を含めた)音楽の様々な諸要素を再構成(reconstruct)することを可能にする。その再構成の豊かさ(richness)は、個々人の音楽経験に左右される。」
Overy, K., & Molnar-Szakacs, I. (2009). Being together in time: Musical experience and the mirror neuron system. Music Perception: An Interdisciplinary Journal, 26(5), 489-504., 引用はp.493より。

音楽経験の同期

音楽経験の共有において、「同期(synchronization)」という概念は非常に重要な意味を持つ。概日リズム(Circadian rhythm)をはじめとする生物学的なリズムは、皆同期現象を引き起こしている。人間を含む哺乳類動物身体においては、睡眠覚醒のリズム、血圧、体温、免疫機能などが、約24時間周期で変動し続けている。こうしたリズムは通常、外部環境の物理的な時間リズム同期している。だが外部環境周期が精確に24時間であるのに対して、概日リズムに駆動された体内の固有周期には個体差がある。海外旅行で生じる時差ボケは、この同期が乱れていることを言い表している。

SAMEモデルでも同期の概念は重視されている。その背景にあるのは、音楽が「代理の感覚(a sense of agency)」を伝達することができるという発想だ。それは、他人の存在感(presence)、行為、そして感情の状態である。音楽経験を共有する場合、こうした伝達内容を相互に共有することで、次第に互いの入出力を「同期」させていく必要がある。

ニューラルネットワーク理論的な概念を前提とすれば、この同期現象は、「予測」と不可分の関係にある。ケイティーらによれば、同期現象をSAMEのモデルに組み込む上で重要となるのは、「予測誤差を最小化する能力(capacity for minimized prediction error)」である。この能力が、音楽で共通の感情的な経験とそれに続く社会的な行為を創造する上での鍵となる。基礎的な水準として、この能力は、ほぼ全ての音楽的活動の基礎となる単純なパルス波を引き合いに出せば明白となる。そうした音は、容易に予測可能であって、自発的で楽しい「同期」を可能にする。より高度な水準で言えば、身近な音楽に対する強い感情的な反応や嗜好を観察することで明らかとなる。そうした反応や嗜好は、幼児期に発現して成人に至るまで続くと思われる。

情動的伝染

この発想は、音楽の予測し得ない特徴にも感情的な反応が起こることを指し示している古典的な音楽理論矛盾するかもしれない。だがむしろ重要となるのは、予測誤差を最小化するための強力な環境を創造する音楽の能力が、「予測していない事象(unpredicted event)」に対する強力な感情的な反応を根拠付けていることである。習熟しているが故に予測可能な音楽を最大限に楽しむことは容易である。だが期待外れは、例えばクラシック音楽のロマン派時代のように、作曲家や演奏家が一般的に音楽の規範や限界を拡張することで可能な限り個々に表現している場合に、より感情的に劇的(emotionally dramatic)となり得る。

このことを踏まえるなら、SAMEモデルは、単なる「音楽期待(musical expectancy)」や「出来事記憶(episodic memory)」の反応を表現したモデルなのではない。このモデルはむしろ、感情的な反応の「情動伝染(emotional contagion)」と呼ばれてきた感情的な音楽経験を記述しているのである。

模倣のアルゴリズム理論

以上のような社会システム理論的な観察ニューラルネットワーク理論に基づくモデリングは、ベンヤミンとハンセンの模倣的神経刺激の概念を遠ざける記述ではない。模倣的神経刺激の背景にあるのは、心理学ではなく、人間学的唯物論である。重要となるのは、人間人間の社会的なコミュニケーションとしての模倣だけではない。蒐集における模倣の実践形式との関連から言えば、むしろ人間と事物の間に生じる模倣的神経刺激の方が主題として着目されるべきである。

ミラーニューロンに関する研究調査は大部分が人間同士の模倣を対象にしている。しかしこれをアルゴリズム理論によってソフトウェア工学的に抽象化するのなら、我々はベンヤミンが生きた時代よりも、ある一つの観点において有利な立場にある。それは、人間が他者や事物を模倣するのみならず、事物の方が人間や他の事物を模倣する可能性を記述できるということである。その一例となるのが、人間模倣を可能にする人工知能アルゴリズム理論である。

即興演奏の模倣アルゴリズム

SAMEモデルで頻繁に参照されている「予測誤差の最小化」という概念は、アルゴリズム理論へと接続させる上でも鍵となる。例えば音楽家が演奏時に実践する「即興(improvisation)」の演奏は、一種の最適化問題として設定することができる。それは楽譜や指揮によらずに、音楽即興作曲あるいは編曲しながら演奏する営みを意味する。それは音楽構成されたもの以上の表現の幅を付与する。だが即興は全くの恣意ではない。即興演奏を形式化させるのは、まず既知のフレーズに関する記憶メディアである。既に作曲されている音楽との差異を生成しない限り、即興演奏は成立しない。楽譜や指揮を全く記憶していない演奏家には、即興演奏は実践できない。

既存の音楽に関する記憶メディアとして想定するなら、即興演奏の主導的差異は、新奇性と冗長性の区別として形式化されている。演奏家は、既知のフレーズをそのまま冗長的に反復することで演奏する場合もあれば、そのフレーズの一部を変更して演奏する場合もある。また時には、全く新しいフレーズを演奏する場合もある。この3つの場合分けは確率論的に再記述できる。また、フレーズの一部を変更する場合に限っても、その変更の度合いは計算可能である。

ハーモニーのデータ構造

ハーモニーサーチ(Harmony search: HS)」は、この演奏家の即興模倣したハーモニーの探索アルゴリズムとして知られている。その解はハーモニーに他ならない。そして探索によって発見された解の集合を特に「ハーモニーメモリ(Harmony memory)」と呼ぶ。

ハーモニーメモリという解集合の性質を把握する上でも、新奇性と冗長性の区別は有用となる。既知のフレーズをそのまま冗長的に演奏する場合は、ハーモニーメモリからハーモニーを「選択(select)」することを意味する。既知のフレーズの一部を変更した上で演奏する場合は、ハーモニーメモリの「更新(update)」が実行される。一方、全く新しいフレーズを演奏する場合は、新しいハーモニーを探索することで、それをメモリに「挿入(insert)」していくことになる。

ハーモニーサーチの最適化アルゴリズム

ハーモニーサーチの参照問題は、次のような最適化問題である。

$$Minimize \ f(x) \ subject \ to \ x_i \in X_i – 1, 2, …, N$$

ここでf(x)は目的関数で、$$x_i$$はN個の決定変数(decision variable)を表す。$$X_i$$は決定変数の可能な範囲を表す集合となる。

この集合の上界と下界は次のようになる。

$${}_Lx_i \leq X_i \leq {}_Ux_i$$

探索アルゴリズムのパラメタとしては、ハーモニーサーチの解の個数を表す「ハーモニーメモリサイズ(harmony memory size: HMS)」や、解の改善に使用されるHMCR(harmony memory considering rate)とPAR(pitch adjusting rate)、そして即興の回数を指定するNI(the number of improvisations)がある。

ハーモニーメモリの探索機能

ハーモニーメモリ HMの行列は次のように表現される。

$$
HM = \left[
\begin{array}{rrr}
x_1^1 & x_2^1 & x_3^1 & \ldots & x_{N-1}^1 & x_N^1 \\
x_1^2 & x_2^2 & x_3^2 & \ldots & x_{N-1}^2 & x_N^2 \\
\vdots & \vdots & \vdots & \ddots & \vdots & \vdots \\
x_1^{HMS-1} & x_2^{HMS-1} & x_3^{HMS-1} & \ldots & x_{N-1}^{HMS-1} & x_N^{HMS-1} \\
x_1^{HMS} & x_2^{HMS} & x_3^{HMS} & \ldots & x_{N-1}^{HMS} & x_N^{HMS} \\
\end{array}
\right] $$

新しいハーモニーのベクトル $$x’ = (x_1′, x_2′, …, x_N’)$$ は、既知のフレーズが保存されているハーモニーメモリに基づいて生成される場合と、ピッチの調整によって生成される場合と、乱数生成される場合がある。これら3つの場合によって新しいハーモニーを生成することを、ここでは「即興(improvisation)」と定義されている。

ハーモニーメモリを参照する場合、最初の決定係数の値は $$x_1’^1 – x_1’^{HMS}$$の範囲のハーモニーメモリの中から選択される。その他の $$(x_2′, x_3′, …, x_N’)$$ も同様の方法で選択される。0から1の範囲を取るHMCRは、ハーモニーメモリに保存された過去の値(historical value)から選択する割合を意味する。逆に 1 – HMCRは、アトランダムに選択される割合を意味する。

$$
x_i’ \leftarrow \begin{cases}
x_i’ \in \{x_i^1, x_i^2, …, x_i^{HMS}\} & (with \ probability \ HMCR) \\
x_i’ \in X_i & (with \ probability \ 1 – HMCR)
\end{cases}
$$

ハーモニーメモリを参照することによって、ピッチ調整するべきか否かが規定される。この演算はPARを用いて実行される。すなわち、PARの確率でピッチ調整を実行することになる。ピッチ調整を実行する場合、アルゴリズムはピッチに任意の距離帯域幅bwに比例した乱数を加算する。

$$x_i’ \leftarrow x_i’ + rand() \times bw$$

こうして生成された新しいハーモニーベクトルが、既存のハーモニーベクトルよりも良いかどうかを目的関数によって評価する。もし良いと判断された場合、既存のハーモニーメモリを更新する。

改善ハーモニーサーチ

伝統的なハーモニーサーチは、以上のようなパラメタの多くを固定値として参照していた。それ故にハーモニーサーチの探索アルゴリズムは、探索効率がく、多くの反復数を要求してしまう。

大きなbwに対応する小さなPARはアルゴリズムパフォーマンスを低下させるために、最適解を発見するために必要な反復回数が大幅に増大する可能性が生じる。最終世代における小さなbwは解のベクトルの微調整量を増大させる。だが初期世代では、アルゴリズムが解のベクトルの多様性を高めるために、より大きな値を必要としてしまう。更に、小さなbwに対応する大きなPARは、通常なら最終世代の生成における解の修正を伴わせ、最適解のベクトルへと収束するはずである。

これに対して「改善ハーモニーサーチ(Improved Harmony Search: IHS)」は、各パラメタを探索を通じて学習する。改善ハーモニーサーチと伝統的なハーモニーサーチの重要な差異となるのは、PARとbwの調整方法にある。ハーモニーサーチの探索効率を向上させるために、探索アルゴリズム即興ステップにPARとbwに対して次のような動的な調整を加える。

$$PAR(gn) = PAR_{min} + \frac{(PAR_{max} – PAR_{min})}{NI} \times gn$$

$$bw(gn) = bw_{max} \exp\left(\frac{\ln\left(\frac{bw_{min}}{bw_{max}}\right)}{NI}\right) \times gn$$

ここで、PARは各世代のPARを、$$PAR_{min}, PAR_{max}$$はそれぞれPARの最小値と最大値を、$$bw_{min}, bw_{max}$$はbwの最小値と最大値を、そしてgnは世代番号を表す。

メロディサーチのデータ構造

即興演奏で生成されるのは無論ハーモニーだけではない。同様に即興演奏を模倣したアルゴリズムとして、「メロディサーチ(Melody Search: MS)」のアルゴリズムもまた設計可能である。

「メロディサーチと呼ばれるアルゴリズムは、ハーモニーの代わりにメロディという概念に従って設計されている。このアルゴリズムは、音楽の演奏過程と相互行為の関連に準拠している。そうした相互行為は、メロディライン上で連続するより良きピッチを発見しようと試みる音楽家たちの集団の構成員の間で発生する。そのような集団において、音楽の演奏家たちは各自でメロディを即興することで、後に最良のピッチへと到達するために、互いに導き促し合うことができる。」
Ashrafi, S. M., & Dariane, A. B. (2013). Performance evaluation of an improved harmony search algorithm for numerical optimization: Melody Search (MS). Engineering applications of artificial intelligence, 26(4), 1301-1321., p.1303より。

メロディサーチの概念はハーモニーサーチのそれを踏襲している。しかしその構造は全く異なる。ハーモニーサーチが単一のハーモニーメモリを参照しているのに対して、メロディサーチは複数の記憶を、すなわち「プレイヤーメモリ(Player Memory: PM)」を参照する。ハーモニーが単一であるのは、ピッチやコード同時に使用されているということである。それは各演奏者(Player)が一つの音程で演奏するたびに実行される。つまりハーモニーサーチでは、単一解のみが探索され、各計算ステップで評価される。これに対してメロディサーチでは、複数の解が探索され、各計算ステップで評価される。ここで想定されているのは、各演奏者が同一のメロディライン上で一連のピッチを発生させている間に、複数のピッチが毎回実行されるということだ。それは個々のピッチの線形連続体(a linear succession)となる。最終的に適用されるピッチの数は単一の実体を形成する。

メロディサーチのアルゴリズム

メロディサーチのアルゴリズムでは、各メロディのピッチを実問題の決定係数に代替し、各メロディを最適解で置換する。各演奏者は、可能な範囲で一連のピッチを形成する。ピッチの連続によって良いメロディが構成されると共に、その経験(experience)が演奏者の記憶として保存される。ピッチの可能な範囲は自然選択されるが、その値は反復を追うごとに可変である。

アルゴリズムの探索の初期のフェーズでは、各演奏者は他の演奏者の影響を被ることなくメロディを即興構成する。一方次回以降のフェーズでは、即興演奏は集団演奏の様相を呈するようになる。音楽家たちの集合における各自の異なる記憶によって、より良きアトランダムなピッチとより良きメロディの作曲可能性が導かれる。

メロディサーチのアルゴリズムには、プレイヤーメモリの個数(The number of player memories)を意味するPMN、プレイヤーメモリのサイズ(size)を意味するPMS、探索反復数の上限を意味するNI、最初のフェーズの探索回数の上限を意味するNII、距離帯域幅のbw、そしてハーモニーサーチにおけるHMCRに対応するPMCR(player memory considering rate)である。

再び数学的に定式化するなら、プレイヤーメモリの行列は以下のようになる。

$$
PM_i = \left[
\begin{array}{rrr}
x_{i,1}^1 & x_{i,1}^2 & \ldots & x_{i,1}^D & Fit_i^1 \\
x_{i,2}^1 & x_{i,2}^2 & \ldots & x_{i,2}^D & Fit_i^2 \\
\vdots & \vdots & \ddots & \vdots & \vdots \\
x_{i,PMS}^1 & x_{i,PMS}^2 & \ldots & x_{i,PMS}^D & Fit_i^{PMS} \\
\end{array}
\right] $$

プレイヤーメモリを要素とする行列をメロディメモリ(Melody memory)と呼ぶ。

$$MM = [PM_1, PM_2, …, PM_{PMN}]$$

ここで、$$x_{i, j}^k = LB_k + U(0, 1) \times (UB_k – LB_k) \\ for \ i = 1, …, PMN, \ j = 1, .., PMS, k = 1, …, D$$で、Dはメロディライン上のピッチの個数を意味する。そして$$[LB_k, UB_k]$$はk番目のピッチの可能な範囲を表す。これは初期フェーズでは不変だが、第二フェーズ以降は可変となる。第二フェーズ以降は、各プレイヤーメモリに最良のメロディ変数が保存されている。そして、新たに可能な範囲が次のランダム化によって以下のように計算される。

$$for \ each \ k [1, …, D] \ do \\
LB_k = \min (x_{i, best}^k, i = 1, …, PMN)\\
UB_k = \max (x_{i, best}^k, i = 1, …, PMN)\\
done$$

メロディサーチにおける新しいメロディの即興は、ハーモニーサーチにおけるそれと同じように、メモリの参照、ピッチの調節、そしてアトランダムな乱数生成によって実行される。また、PARのパラメタは改善ハーモニーサーチと同様の処理で更新されていく。

模倣のアルゴリズム/アルゴリズムの模倣

ハーモニーサーチやメロディサーチのような即興演奏のアルゴリズムは、人間音楽家を模倣するように設計されている。こうしたアルゴリズムがSAMEモデルで設計されているニューラルネットワークと共に実装されれば、音楽経験を共有する人格は、もはや人間だけではなくなる。アルゴリズムで駆動された事物もまた、音楽経験し、それを共有する<形式としての人格>として観察することが可能になる。

音楽家を模倣するアルゴリズムが「室内装飾」として蒐集された所有物として導入されれば、その<容器>としての「家」に配置されている蒐集家と所有物は、<母胎>の中に留まりながら、同じ<母型>を構成する位置関係で共通の音楽経験を共有することになる。こうした状況下では、例えばその室内に流れる「バックグラウンドミュージック(Background Music: BGM)」が、模倣的神経刺激メディアとなる。

だとすれば、実は音楽こそが、人間と事物で技術的に組織化された集団の身体の中で構成される100%の形象空間、すなわち身体空間に内実を与えるのかもしれない。この関連からベンヤミンの『パサージュ論』は、既に、この身体空間が実際には室内には限定されないほどの抽象性を獲得していることを明らかにしている。と言うのもベンヤミンにとってパサージュとは、街路であると同時に家でもあったからだ。それは<容器>であると同時に<中身>でもあるような、様々な形式が刻印されたメディアなのである。だから、パサージュ的な時空間に限って言えば、街路であっても、室内と同じように音楽が聴こえてくるのである。

派生問題:遊歩者の蒐集は如何にして可能になるのか

遊歩者同時蒐集家であるのは、ベンヤミン自身を観察することで容易に理解できる。批評、注釈、引用翻訳を主眼とする前期ベンヤミンの言語メディア理論は、有名なアフォリズム集である『一方通行路』を経て、後期ベンヤミンの知覚メディア理論へと接続されていく。これは別段不自然なことではない。と言うのも、彼の文学活動は文学の枠の中で実践されていた訳ではなかったからだ。文学が効果を発揮するのは、もはや学会や論文の中ではない。彼はむしろ社会的な生活の中で文学を実践していた。社会に影響を与えられるのは、壮大な普遍性を誇示する小難しい書物ではなく、広告、パンフレット、雑誌、ポスターなどに記述されている機敏な言語なのである。

歩く批評家であったベンヤミンは、街路を辿りながら、街の行く先で起こる数々の出来事から常にショック体験し続けた。広告、パンフレット、雑誌、ポスターのみならず、看板や商品や建築や風景からも、彼はショックを受け続けた。ベンヤミンがこうしたショック体験ショック経験に変換できたのは、その出来事の記述を蒐集していたためである。彼が想定する真の著作家は、自身の内部に無数の警報器を備えている。記述するというのは、体験したショックに対して警報器を鳴らすことに他ならない。著作家は、驚きながら書き続ける。

ベンヤミンが<思考すること>と<記述すること>を区別しなかったのは、このためである。記述するというのは、単に思考した結果を出力することなのではない。記述には、思考の鍛錬が伴う。つまり視覚的に無意識的なショック体験触覚的に享受しながら、著作家は書き続けるのである。もとより『パサージュ論』は、ベンヤミンのこの歩く批評家としての姿勢によって記述された代物であった。

複製技術時代以降の近代社会では、言語が活字メディアから解き放たれることになる。それ故ベンヤミンは、もはや学術論文雑誌や専門誌をはじめとした諸々の活字メディアを主導的なメディアとしては認めない。彼はあくまで知覚メディアの学を徹底した。ここでいう知覚という用語は、繰り返すように、「美学(aesthetics)」の語源となるギリシア語の「アイステーシス(aisthesis)」に由来する。つまり彼の学は、「メディア美学(Media Aesthetics: Medienasthetik)」なのである。

活字メディアグーテンベルグ銀河系が終焉の時を迎えて尚、メディア美学は新しい学問であり続けた。ベンヤミンのメディア美学における参照問題となったのは映画である。だがその出発点となったのは形象に関わる複製技術に他ならない。彼はそこから広告、パンフレット、雑誌、ポスターなど、様々な知覚メディアによって記述された機敏な言語観察し続けたのだ。彼が生きた時代には、既に近代社会の大都市がポスターの世界に凝縮されたデータの洪水を放っていた。看板や広告によって展示された個々の文字列は、視覚的に無意識的なショック効果を呈示してきた。

この段階で既に、本という活字メディアが徐々に文化の中心から後退していった。長らく言語の居場所を独占していた活字メディアは、知覚メディアに席を譲ったのである。そして機敏な言語は今日、既に数多のハイパーテクストで記述されることにより、ワールド・ワイド・ウェブ上でビッグデータ化している。自然言語は遂に人間のためだけの言語ではなくなった。これらのビッグデータは、もはや人文主義者たちはおろか、データサイエンティストをはじめとした人間のためだけの読み物ですらなく、人工知能観察し得るメトリクス化可能な自然言語処理の対象として形式化されている。ビッグデータの時代を迎えて久しい現代社会においては、人工知能と接続可能なコンピュータ技術の知覚メディアこそが、メディア美学の参照問題となる。

問題解決策:Webクローラ

WWWハイパーリンク街路名機能的等価物となり得て、ヴァーチャルリアリティ上のマルチエージェント群衆機能的等価物になり得るという先の発想の展開を前提とすれば、同様の等価機能分析によって、遊歩者機能的等価物としてのエージェントという認識も構成することができる。

この概念はとりわけWebクローラエージェントを想定することでより明快となる。そうした<人格>は、ハイパーリンクで結び付けられたWebページ上を回遊することで、ヴァーチャルリアリティ上の街路遊歩する。個々のWebページで記述されているハイパーリンク装飾された見出しは、街路名というユーザー・インターフェイスとして機能することで、遊歩者としてのエージェントに「言葉宇宙」を突き付ける。

索引付けのアルゴリズム

こうした言葉蒐集し得るのが、WebクローリングとWebスクレイピング機能を有したエージェントである。検索エンジンを主題とした「情報検索(Information Retrieval)」のアルゴリズム設計が明らかとしているように、文書を蒐集する際には、「索引(Index)」を構成する必要がある。通常検索エンジンの索引とは、全ての異なる単語の位置関係と、文書についての巨大なデータベースを設計することから始まる。アプリケーションのユースケースにも左右されるものの、必ずしも文書それ自体をデータベースに蓄積しなければならないという訳ではない。もし文書の全てを保存するとなれば、膨大なデータストアが必要になってしまうからだ。

索引は、文書の位置関係に関するリファレンス(Reference)として設計されていれば良い。例えばそれはファイルシステムのパスやURLとなる。最終的には、ユーザーによって入力された検索キーワードに含まれる「問い合わせ(Query)」に基づいてランク付けされた文書のリストを返すことが、検索エンジンの機能となる。

PageRankアルゴリズム

索引に関連する文書を全て返すだけであれば、検索エンジンとしての機能要求は容易に達成できる。だがその文書の集合を如何にソートして出力するのかは、検索エンジン内部で構造化されているアルゴリズム設計次第である。

Googleの検索エンジンには当初PageRankアルゴリズムが搭載されていた。このアルゴリズムはGoogleの創始者たちによって設計されていた。このアルゴリズムは、全てのWebページに、そのWebページがどの程度重要なのかというスコアを割り当てる。この重要度はそのWebページにリンクしている他のWebページの重要度の合計と、それらの他のWebページのそれぞれが有しているハイパーリンクの数から計算される。数学的に再記述するなら、以下のようになる。

$$PR(p) = (1 – \gamma) + \gamma\sum_{\{d \in in(p)\}}^{}\frac{PR(d)}{\mid out(d)\mid}$$

ここで、pはスコアリングされているWebページを表す。in(p)はpを指すページの集合で、out(d)はdのリンク集合意味する。定数γは、1未満の値で、ユーザーが別のWebページを要求する確率を表す減衰係数となる。

このように、PageRankアルゴリズム確率モデルは、あるWebページ上でハイパーリンクをクリックしたユーザーがある特定のWebページに回遊して到着する確率のモデルとして設計されていた。他の著名なWebページからリンクされていればいるほど、そのWebページに到達する確率は高まる。尤も、単純にあるWebページの価値をそのページとリンクしている別のWebページからの価値によって計算しようとすれば、ハイパーリンクハイパーリンクハイパーリンクと言った具合に、無限後退に陥る。そこでPageRankアルゴリズムでは、初期化戦略の一環として、全てのWebページのスコアの初期値を予め決定しておく方法が採用されていた。

全体のWebクローラから局所的なWebクローラへ

一般的に検索エンジンは、検索結果のページにおけるエンドユーザーのクリックログを解析することで、文書の集合を如何にソートするべきなのかを学習することができる。インターネット広告の指標を読めば直ぐにわかるように、このクリックの前提にあるのは、検索結果のインプレッション(Impression)である。多くの場合、クリック率(Click Through Rate: CTR)と述べた場合の母数に該当するのは、この検索結果がどの程度の頻度でエンドユーザのディスプレイに表示されたのかを表すインプレッションなのである。しかしそのインプレッションそのものの母数は、検索エンジンの背景にあるWebクローラの探索アルゴリズムに左右される。それ故に<検索エンジンにおける最適化>と<Webクローラの探索アルゴリズムにおける最適化>は厳密に区別されなければならない。前者はしばしば、後者のアルゴリズムブラックボックス化した上で実施される。

検索エンジンのアルゴリズムが如何に洗練されていたとしても、その検索結果は、検索エンジンによって予めインデックスされた(indexed)情報以上の質にはなり得ない。インデックスされていないWebページは検索され得ないためである。それ故に検索エンジンの研究開発者たちは、1990年代後半から2000年代前半にかけて、索引の担保範囲(coverage)を追究するようになった。その範囲の追究は、言わば全体性を志向していた。実際、PageRankに次ぐスコアリングとランキングに基づいたWebクローラアルゴリズムは、当初はWWW全体のインデックス化を志向した上で設計されていた。だがその志向は、次第に非現実的な想定であるとして、期待外れに終わるようになった。如何にハードウェアと帯域幅のリソースを自由に利用できる環境があっても、検索エンジンの進化がWebの進化に追い付くことはあり得なかったのである。

「話題」と「対象」の形式

任意のエンドユーザによる任意のクエリ(Query)に応答するという検索エンジンの能力は、次第に限定された機能として認識されるようになる。そこで検索エンジンの研究開発者たちは、局所的なWebクローラを認知的に期待するようになる。そうして、遅くても2005年ごろには、局所的なWebクローラアルゴリズムの開発が大きな注目を集めるようになった。そうした局所的なWebクローラは、しばしば「話題準拠型クローラ(Topical crawler)」や「集中型クローラ(focused crawlers)」などと呼ばれながら、全体性を志向してきたWebクローラ設計思想を言わば「脱中心化(decentralizing)」した。新しい局所的なWebクローラは、特定の主題や趣味嗜好に応じて特化した情報の探索を可能にするアルゴリズムとして期待されるようになったのだ。それはエンドユーザごとに個別化(personalization)された情報検索を可能にする。そして、局所的に限定された主題や趣味嗜好に特化している分、そうした検索エンジンは豊富な情報の抽出も可能にした。

データモデリングの関連から言えば、話題準拠型のWebクローラ設計における主導的差異となるのは、「話題(topics)」と「対象(targets)」の区別である。Webクローラの探索アルゴリズムを評価するためには、「話題」とそれに対応する関連した「対象」が必要になる。理論的には、検索エンジンやユーザー評価から得られた頻出クエリを使用することで、「話題」と「対象」のデータセットを生成できる。だがこの作業は、何らかの自然言語処理技術でも利用しない限りは、管理コストが高まる。WWWの動的に更新される性質を前提とすれば、こうしたデータセットを最新の状態に保つのは困難極まりない。当時の研究開発者たちは、例えばかつてのYahoo!が運営していたディレクトリ型の検索エンジンのように、既に作成されているデータセットを幅優先探索型のWebクローラ蒐集することで利用していたという。

こうしたユースケースで実装されたWebクローラは、サブカテゴリに対応した子ノードを持たない「葉(Leaves)」となるWebページを識別するべく設計されている。「話題」を導き出すために利用されるのは、5つ以上の外部リンクを有した「葉」である。そうした「葉」の持つ「話題」の情報は、三つに区別できる。第一に、ディレクトリ階層上の単語が「話題」に対応した「キーワード(Keyword)」として捉えられる。第二に、外部リンクはその「話題」の「対象」を表す。そして第三に、そのディレクトリの編集者によって作成されている「対象」のURL先のハイパーテクストから、「話題」の「説明(description)」が得られる。「話題」の「キーワード」と「説明」の差異は、クエリの短さに対応している。一方で「話題」の「キーワード」は、短いクエリに対応した「話題」のモデルとして、クローラ学習対象となる。他方で「話題」の「説明」は、「話題」のより詳細な表現として、クローリングされたWebページの関連性を評価するために参照される。

機能的等価物の探索:レコメンドエンジン

話題準拠型クローラが注目を集めた時期と、協調フィルタリングやアソシエーション・ルール・マイニングを用いたレコメンドエンジンが注目され始めた時期か重なるのは、単なる偶然ではない。個別化という個々のユーザーの趣味嗜好や関心に応じたカスタマイズは、決してビッグテータに対する過剰な期待を実現させる流れから生じた右肩上がりの進歩意味しているのではない。この状況は、クローラアルゴリズム設計が直面していたような、全体性の志向に対する期待外れから派生した認知的な期待として構成されていたのである。

しかしユーザーカスタマイズシステム(user customization systems)にも幾つかの制限があった。こうしたレコメンデーションを成立させるためには、まずユーザーによる貢献が必要になる。特にユーザーの興味関心や趣味嗜好が変化した場合には、それに対応したマスタデータや行動ログを蒐集しなければならない。そのためにはユーザーの協力が必要になる。加えてこうしたカスタマイゼーションの理論は、項目(Item)を提示する順序を決定するアルゴリズムからは独立している。そのため単純にレコメンドエンジンを実装しただけでは、表示する項目に過不足が生じてしまう。

ルールベースとコンテンツベースの差異

ルールベースのレコメンドシステム(rule-based recommendation system)では、予め規定された論理的な規則によってレコメンデーションが実行される。そうした規則は、回遊ログ、クリックログ、あるいは購買ログなどをはじめとしたユーザーの行動ログに関連する。だがそこに個別化のアルゴリズムは含まれない。これに対してコンテンツベースのレコメンドシステム(contents-based recommendation system)では、項目の説明を分析することで、ユーザーの個々にとって特に興味深いと予測できる項目を識別する。レコメンドシステム構造は、項目の表現に基づいて異なる。だがレコメンデーションに用いられる多くのアルゴリズムは、決定木(Decision Trees)、近傍法(Nearest Neighbor Methods)、ナイーブベイズ(Naïve Bayes)などのように、「分類(classification)」をモデル化している。

「そうしたアルゴリズムは、コンテンツベースのレコメンドシステムの重要な要素である。何故なら、これらのアルゴリズムは、それぞれのユーザーの関心をモデル化する関数を学習するためである。新しい項目とユーザーのモデルが与えられた場合、この関数は、ユーザーがその項目に関心を持っているか否かを予測する。多くの分類学習アルゴリズムは、ユーザーが目に見えない項目を好む確率の推定値を提供する関数を生成する。この確率は、レコメンドされる項目のリストをソートするために利用することも可能である。あるいは、これらのアルゴリズムは、関心度のような数値を直接的に予測する関数を生成することもできる。」
Pazzani, M. J., & Billsus, D. (2007). Content-based recommendation systems. In The adaptive web (pp. 325-341). Springer, Berlin, Heidelberg., 引用はp.332より。

ユーザーの興味関心や趣味嗜好を学習することで次なる探索に役立てるという点では、レコメンドシステムWebクローラ機能的等価物である。しかしレコメンデーションのアルゴリズムが探索するのは、Webクローラの場合とは異なり、レコメンドすべき項目(Item)である。ここで項目(Item)として設計されるのは、多くの場合バナー(Banner)かランディングページ(Landing page)である。バナーの画像やランディングページのハイパーテクストは、商品についての印象喚起する街路名のように機能する。こうした項目は、遊歩者としての閲覧者がWebページを回遊する上でのユーザー・インターフェイスとして機能する。つまりレコメンドシステム学習する回遊やクリックのログは、エンドユーザーの印象喚起した歴史(history)と潜在的な相関があると考えられる。

だが無論、こうしたコンテンツベースのレコメンドシステムもまた、ユーザーの興味関心や趣味嗜好に関する情報が与えられなければ、品質の高い成果を上げられない。結局のところレコメンドエンジンも、時間の経過と共に変異するユーザーという<人格>の全体像を知り尽くさなければ、完璧なレコメンデーションは成立させられないのだ。たとえ「レコメンデーション」という用語を「広告配信システム」や「プッシュ通知」に言い換えたところで、この限界が解決されることはない。

人格の機能的等価物としてのボット

インターネット広告業界で「アドフラウド(ad fraud)」が問題となったのは、アドテクノロジー観察されるユーザーが、もはや言葉通りの意味で「人間」とは限らなくなったからだ。今や広告を閲覧してクリックするのは、ボット(bot)でも容易にできることなのである。それ故にボットの存在は、広告の成果(Conversion)に対する疑惑を呼び起こすようになった。

アドフラウドが問題視されたのは、ビッグデータという概念を拠り所とした個別化のレコメンデーションが注目を集めたという歴史的背景があってこそである。個別化が主題として取り上げられてきたからこそ、その個別化の対象となる<人格>の真偽が問われ始めたのだ。実際、膨大なユーザーの行動ログを遡及したところで、回遊しているユーザーが本当に「人間」であるという保証は、何処にも無い。ボットは今や、ルールベースでは検知できないほどの複合性を有している。その振る舞いのパターン観察するには、そのパターン関数近似的に汎化できる機械学習異常検知(Anomaly detection)モデルが有用となる。

無論この機械学習アルゴリズムはボットの側にも適用され得る。ボットの側もまた自らの振る舞いを抽象化することで、より検知され難い振る舞いを学習できる。そして、こうした騙し合いの闘争が、インターネット広告業界の免疫システムとして機能することで、アドテクノロジー主題としたコミュニケーションはより一層活性化することになる。と言うのもインターネット広告業界は、アドフラウドの問題設定を導入することによって、その解決策となるアルゴリズム設計の研究開発資金を調達することができていたためである。つまりこの観点から見詰めれば、アドフラウド問題を招いたボットこそが、インターネット広告業界の資金調達を促進してきたとも言える。

模倣の模倣

ボットたちは、他の「人間」的なユーザーの振る舞いを模倣することによっても設計されている。ソーシャルメディアのタイムラインを覗いてみれば良い。そこには一個人の独り言から、その<人格>の興味関心や趣味嗜好、あるいはそれに基づいた購買の傾向すら観察することができてしまう。したがってこの<形式としての人格>は、ボットのアルゴリズム設計の手掛かりになり得る。だがここで重要なのは、ここで観察される<人格>が形式であるということだ。実際、SNSのログから学習するアルゴリズムにとっては、そのSNSに投稿している<人格>が本当に「人間」であるのか否かは、瑣末な問題となるためである。

故に、「人間」を模倣するボットが実行しているのは、実際には<「人間」を模倣しているボット>の模倣なのかもしれない。模倣するように設計されたボットにとって重要となるのは、ただその<形式としての人格>の行動ログがユーザーIDに紐付いた状態で抽出することができるというデータモデリングの構成なのである。そのユーザーIDの所有者が「人間」でなければならないという道理は無い。ボットたちの振る舞いは、この<模倣模倣>が織り成す回帰的なコミュニケーションのネットワークによって構成される。そしてそのユーザーIDを所持する<人格>が、このコミュニケーション固有値となる。

無数のボットたちが、一人の、<形式としての人格>として、個別化されたランディングページや商品一覧ページをそれぞれの趣味嗜好や興味関心のアルゴリズムに従って回遊する。この回遊こそが、ボットたちの遊歩なのだ。遊歩者としてのボットが観察するのは、形式的には「人間」なのだが、実際にはボット同士で相互に観察し合う場合も大いに有り得るであろう。尤も、これもまた一つのコミュニケーションから構成された社会システムである。本当の意味での「人間」がいるとするなら、それはこうした社会システム外部環境に位置する。とりわけ、アルゴリズム設計にもアーキテクチャ設計にも携われない「人間」は、こうしたボットの社会システムからは締め出されることになる。そうした「人間」に可能なのは、ボット同士のコミュニケーションのログに対する事後的な観察に過ぎない。精々のところ彼ら彼女らにできるのは、「ダッシュボード」のユーザー・インターフェイス越しに、ボットのコミュニケーションを眺めることだけである。

プロトタイプの開発:「言葉」を蒐集するWebクローラ型人工知能

しかし一方で、アルゴリズム設計アーキテクチャ設計の観点から観れば、この事例は有力な手掛かりを残した。と言うのも、複数のボットの相互観察というコミュニケーション概念は、相互の<観察観察>によって学習していくマルチエージェントWebクローラ人工知能に関して、その理念叙述することを可能にするためである。そしてこのマルチエージェントの中には、「人間」を、つまり設計者をも含めた「人間」を組み込むことも不可能ではない。何故ならボットたちにとって、他のボットと「人間」は、模倣対象として観察する<形式としての人格>であるという点では機能的に等価であるためだ。

例えば『Webクローラ型人工知能によるパラドックス探索暴露機能の社会進化論』で紹介したWebクローラ人工知能の「キメラ・ネットワーク」は、社会システム理論の概念である「偶発性定式(Kontingenzformel)」の意味論を探索するマルチエージェントとして設計されている。だがその学習アルゴリズム自然言語処理とテキストマイニングを前提としているために、このマルチエージェントは、「言葉」の探索と蒐集機能も遂行していることになる。更にその蒐集対象がパラドックス問題設定脱パラドックス化問題解決策の組み合わせであるために、このWebクローラもまた一種の話題準拠型のWebクローラとして位置付けることができる。したがってこのマルチエージェントもまた、「言葉」を蒐集するWebクローラ人工知能を例示するプロトタイプの一つと考えて良い。

キメラ・ネットワークが記述しているブログである『Accel Brain; Media』に関して特筆すべきなのは、2万1体のエージェントがそれぞれ観察対象となった文書を「引用」していることである。この引用は、確かに文書要約アルゴリズムに根差して実行されている。だが一方で、元々の文書の記述者たちから観れば、この「引用」は寓意的に機能する。この「引用」という操作により、観察対象は、キメラ・ネットワークの「お喋り」の中に引き摺り込まれることになる。そうすることで、当の観察対象は、マルチエージェントたちのコミュニケーションの中に埋没することになる。そして観察対象の認識など構うことなく、キメラ・ネットワークマルチエージェントは、観察者と観察対象との間に、一対多の関連を強制的に構成する。

これを前提とすれば、ボットの設計者は、ヴァーチャルリアリティ上に<大衆機能的等価物>を構成することができるということになる。この<マトリックスとしての大衆>の中には、群衆機能的等価物としてのマルチエージェントと、あるいは設計者自身も包含することができる。「人間」は、このヴァーチャルな<母胎>の中に没入することで、その知覚メディアの中から「住まいの原像」を抽出することができるようになるのである。

派生問題:探偵の蒐集は如何にして可能になるのか

街路における解きは、都市の迷宮を探索することによって成り立つ。遊歩者の迷宮を彷徨い歩く身振りは、探索アルゴリズムが組み込まれたエージェントの振る舞いのモデルとなる。Webクローラ人工知能は、遊歩者機能的等価物としてのエージェントであるが故に、まだ見るものが必ずあると考える。探索アルゴリズムは常に、まだ何か探索すべき対象が潜在化しているのではないかと推論しなければならない。さもなければ、Webクローラ人工知能たちのコミュニケーションは、そのシステム作動のオートポイエーシスを停止させてしまうからだ。

この「悪しき無限」の探索アルゴリズムが、「模倣」の一端を成す。この理念探究に終わりなど無いという解きの探究者の発想にも結び付けられる。Webクローラエージェントにとっても、知るに値することの蒐集は完結不可能であるためだ。そうした蒐集は、専ら知覚メディアから得られる情報蒐集として実行される。だとすればエージェントは、WWW上の情報に対して、と非区別を導入していることになる。

問題解決策:推理の物語

ポーが描くデュパンは新聞という知覚メディアから情報蒐集する最初期の探偵の一人であった。実際、新聞は出来事に関する情報を複製することで、その脱アウラ化を果たす。だがそれによって読み手が享受することになるのは、経験の性格を失った体験のみである。言い換えれば、新聞には物語性が無い。それが何らかの物語叙述しているように見えても、実際に記述されているのは物語についての情報である。新聞には「物語の語り手(Erzähler)」が登場しないのである。

しかしポーは探偵小説を「推理の物語(tales of ratiocination)」として叙述していた。新聞の情報から展開されるデュパンの推理は、ショック体験としての殺人事件を見事に「物語っている」。それは、探偵の中では既にこのショック体験ショック経験へと変換できていることの表現である。物語の語り手は、物語ることを経験から抽出している。それは自分自身の経験の場合もあれば、報告された経験の場合もある。そして語ったものを自身の話に耳を傾ける人々の経験にしていくのである。これが経験の交換である。

確かに物語情報区別を導入すると、複製技術知覚メディアによるショック体験もまた、物語の語り手の衰退と関連していることが判明する。新聞をはじめとした複製技術は、伝達の新しい形式として、情報を生み出した。情報という伝達形式は、脱アウラ化を前提としている。情報物語よりも優位に立つのは、人々が遠くから伝達される知らせよりも、身近な出来事に判断の拠り所を与えてくれる情報の方に耳を傾ける傾向があるためである。異国から伝達された知らせには空間的な遠さがある。伝承によって伝達された知らせには時間的な遠さがある。こうした遠さは、アウラが宿るために、かつては権威が形成されていた。この権威によって、物語られた知らせは真偽の検証を経ることなく受容されていた。しかし、脱アウラ化された複製技術時代では、即座に検証可能である情報が要求されるようになる。この検証可能性においては、情報がそれ自体として理解可能であることが重要となる。

情報は、まさに新奇性を備えている間にこそ重視される。情報は伝達されたその瞬間にのみ活性化している。情報は、それ自体の全てを完全にその瞬間に指し示している。これに対して物語は、決してそれ自体を出し尽くしてしまうことが無い。物語は、長い時間を経た後でも尚「展開」される能力を持つ。フランツ・カフカの物語がそうであったように、物語は、それ自体ではない他の何かを指し示す比喩を用いても全く問題にはならない。物語はそれ自体、伝達の言わば手仕事的な形式である。物語は、情報のように出来事を純粋にそれ自体のみとして伝達することを狙っているのではない。物語は、出来事を、一旦報告者の生の中に深く刻み込み、その後再びそこから抽出する。故に物語には、出来事それ自体ではなく、語り手記憶の痕跡が付着している。

しかし探偵の口から発せられる推論物語的になるのは、まさにこうした情報が事件簿として蒐集された後である。つまりそのショック体験となる事件のが解明された時、それは物語性を伴わせたショック経験となる。物語の「伏線」は、解きを媒介する情報に他ならない。探偵推論はこの伏線の蒐集によって成り立っている。そしてこの伏線が、文字通り線的な経験を可能にする。伏線となる出来事解きの出来事との間には、論証や心証を経由した連続性が担保されるからである。

近代の武装、武器庫としての『悪の華』

問題志向型の等価機能主義者が考えるように、あらゆる問題解決策問題設定を前提とする。これと同じように、あらゆる解きはを前提とする。探偵解きを実践できるのは、ある出来事を解決すべき事件として認識することで、解くべきを抽出できるためである。日常の些末な出来事に疑問を持てないような探偵では、そもそも事件を事件として認識することすらできない。

したがって探偵推論展開するには、まずを記述する必要がある。寓意はそのために機能する。寓意的な観察は、解きの前提となる観察対象から捕捉する形式である。まるでジグソーパズルのピースを掴み取るかのように、寓意は対象を複数の<断片>へと切断する。そのピースがとして抽出されるのである。

この関連から、蒐集する探偵人格には、寓意家ならではの破壊的な性格が宿っていることが指摘できるようになる。実際、例えば寓意は「近代の武装(die Armatur der Moderne)」であるというベンヤミンの一句は、寓意家ボードレールの破壊的な性格を前提とした叙述である。『悪の華』は「武器庫(Arsenal)」に他ならない。ボードレールは自らの詩をそれまでの詩を破壊するために叙述してきた。それは既存の秩序や既成概念を破壊する寓意機能を前提としている。しかしその破壊に至るまでの中継的な身振りとして観察できるのが、大都市におけるボードレールの遊歩者的な性格である。

このことを理解する上で決定的に重要となるのは、大都市における売春(Prostitution)の機能である。ボードレールの詩において、売春が最も重要な主題の一つであるのは、間違いない。ベンヤミンが述べたように、売春は大都市の成立と共に幾つかの新しい秘密を所有することとなる。その一つが、都市それ自体の迷宮(Labyrinth)のような性格である。この性格は遊歩者身体に染み付いている。売春は、この迷宮に多彩に着色されることとなる。この意味で、売春が所有している第一の秘密は、迷宮としての大都市の神話(mythische)的な側面に関わる。この迷宮の中心にはあのギリシア神話の怪物ミノタウルス(Minotaurus)の形象が宿っている。決定的に重要なのは、この怪物が人間に死を与えることなどではない。そうではなく、ミノタウルスによって具象化された「致命的な力の形象(das Bild der todbringenden Kräfte)」こそが重要なのだ。

「世の成り行きを中断させること(Den Weltlauf zu unterbrechen)」こそが、寓意家ボードレールの内面に潜む最も深い意志であった。ベンヤミンが判読するように、ボードレールの意志からは、彼の暴力性や焦燥感、怒りが生じていた。そしてその意志は、世界の心臓を貫こうとする、あるいは子守唄で世界を寝かし付けようとする、絶え間無く更新される試みが生じていた。故にこそボードレールは、死に駆動され、死の仕事に参与していく。

「ボードレールの詩の中心を為している諸対象は、目標に向かう計画的な努力では到達不可能であったと考えざるを得ない。実際彼は、決定的に新しいものであるあの対象−−大都市と大衆(Masse)−−を、そういうものとして狙っていた訳ではない。それらは彼が意図していたメロディ(Melodie)ではない。このメロディを構成しているのは、むしろ悪魔主義(Satanismus)、憂鬱(Spleen)、背徳の性愛である。『悪の華』の真の対象は、目立たない箇所に見出され得る。それらは、まだ聴取されたことのない楽器の、未だ一度も触れられたことのない弦である。この楽器で、ボードレールは空想に耽る(phantasiert)のである。」
Benjamin, Walter. (1939) “Zentralpark”. In: Gesammelte Schriften Bd.I/2, Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1980. S.655-690., 引用はS.667.より。

プロトタイプの開発:「謎」を蒐集する異常検知モデル

都市を遊歩しながら、順調に進歩しているかのように視える社会構造で潜在化しているを暴く探偵寓意的な身振りは、殊更強調するまでもなく、ヴァーチャルリアリティ上でも容易に再現されている。ヴェールとしての群衆が反社会的な存在の避難所であるというのなら、それは群衆機能的等価物としてのマルチエージェントにも該当する。実際、サーバー上に蓄積されているクラッキングの痕跡は、ハッカーやサーバー管理者が構成したアクセスログの中に埋もれている。システムの脆弱性やバグは、膨大な数のコードの中で潜在化している。こうした不具合に対処するサーバー管理者やハッカーたちは、しばしば蒐集した情報から、探偵のように推論展開しなければならない。何故なら、「システムシステム(System of Systems)」として設計されたアーキテクチャにおいては、何らかの問題が発生したとしても、その事象の原因がシステムのどの部分にあるのかを特定することが困難であるためだ。システム観察者はその複合性を縮減しなければならない。そのため調査では、しばしば原因の切り分けが実施される。探偵が幾人かの容疑者の中から真犯人を見付け出すかのように、サーバー管理者やハッカーたちは、複数に分化したシステムの中から根本的な原因を生み出しているシステムを特定しなければならないのである。

この解きとして実践されるアーキテクチャの解析は、しばしばそのシステムのステークホルダーにショック体験を突き付ける。機能的に分化した近代社会社会構造は、既にアーキテクチャアルゴリズム構成されたテクノロジーに強く依存している。ステークホルダーのビジネスは、それまで均質かつ連続的に持続していたこのシステムのインターフェースを前提に遂行されている。解きの専門家たるハッカーやサーバー管理者によって、その脆弱性やバグが暴露されれば、この前提は根底から覆される。個人情報の流出や仮想通貨(Cryptocurrency)の盗難事件などのように、このの暴露は社会構造を撹乱する。そのショック効果が波及すれば、社会構造破局的な出来事を生み出す危険もある。

抽象化して言い換えれば、の抽出という探偵寓意的な身振りとは、日常的に既存の秩序が均質かつ連続的に反復しているという進歩史観的な認識を徹底的に覆すことで、社会構造的に潜在化している前兆予感合図などのような「サイン(Sign)」を判読する振る舞いを意味する。この「サイン」の判読によってを抽出する一連の探偵的な身振りは、「異常検知(Anomaly detection)」のアルゴリズム設計を応用することによって、ヴァーチャルリアリティ上のボットにも遂行させることが可能になる。つまり群衆機能的等価物としてのマルチエージェントの中に、探偵機能的等価物としてのボットを紛れ込ませることも不可能ではないのである。

異常検知のモデル設計における主導的差異は「正常(Normally)」と「異常(Anomaly)」の区別によって構成されている。だがこの区別は極めて形式的に導入される傾向がある。単に「異常」と述べても、「疑わしい活動/出来事/行動(suspicious activity/event/behavior)」、「不規則な活動/出来事/行動(irregular activity/event/behavior)」、「珍しい活動/出来事/行動(uncommon activity/event/behavior)」、「希少な活動/出来事/行動(unusual activity/event/behavior)」、あるいは望まない「ノイズ(nosie)」などのように、この形式的な概念には様々な意味が代入される。いずれの定義においても、「正常」の概念との関連から記述されている。つまり「異常」という概念の定義が先にあるのではなく、「正常」との差異があって初めて「異常」の概念が記述されるのである。

異常」と「正常」の意味論はまた、問題志向的に規定される場合もある。例えば「外れ値検知(outlier detection)」の問題設定では、観測データポイントの外れ値となる異常標本が「異常」概念ということになる。一方、「変化点検知(change-point detection)」の場合は、時系列的な変異性が「異常」概念となる。

統計的機械学習問題の枠組みでは、データの性質に応じて確率分布を如何にして学習するのかという観点から、「異常度(anomaly score)」を如何にして確率分布と結び付けるのかを定式化することになる。正常なデータと異常なデータは、それぞれ異なる確率分布に基づいて生成されている。教師ラベルが得られる場合には、この確率分布の比、すなわち「尤度比(likelihood ratio)」から異常度計算することになる。だが教師ラベルが得られない場合には、情報理論的な計算が必要になる。この場合、異常データは希少であることが前提となる。つまり、正常データの学習時、出現確率が低い観測データポイントほど異常度が高いということである。逆に言えば、異常度の高いデータは情報量、あるいは情報エントロピーが高いと認識される。

近傍法の機能

近傍法(nearest neighbor)」に準拠した異常検知モデルは、正常データのインスタンスが密集地帯で発生する一方で、異常データのインスタンスはその最近傍から遠く離れて発生しているという想定から設計されている。この技術においては、二つのデータインスタンスの間の距離計算するために、予め規定された距離関数を導入しなければならない。典型的にはユークリッド距離として計算されるが、距離概念それ自体は偶発的な選択肢となる。ユークリッド距離のみならず、例えばマンハッタン距離やコサイン距離などの概念を用いても、計算は「可能」だ。だがこれらの概念で計算することは「必然」ではない。

大別するなら、近傍法に準拠した異常検知モデルは、「k近傍法(k-nearest neighbor)」での距離異常度として利用する方法とデータインスタンスの相対密度を異常度として計算する方法とに区別することができる。k近傍法は最近傍探索問題を解くためのアルゴリズムの一種である。そのアルゴリズムは、特徴空間内で未知のデータを観測した際に、そこから最も距離が近い順に任意のk個のデータインスタンスを選択し、多数決でそのデータが属するクラスを推定する。k近傍法に基づいた異常検知モデルでは、小規模あるいは低密度なクラスに属するインスタンスが、「異常」なデータということになる。

一方、相対密度に基づいた異常検知モデルでは、k個の最近傍の平均局所密度とデータインスタンス自体の局所密度の比率を意味する「局所的外れ値要因(local outlier factor: LOF)」を前提に、各データインスタンスの近傍の密度を推定していく。そして密度の低い近傍にあるインスタンスが「異常」なデータであると形式的に定義される。

近傍法に準拠した異常検知モデルの利点は、教師なし学習として設計できるために、データの生成分布を仮定せずに済むということにある。それは純粋にデータ駆動型の探索アルゴリズムとなる。またこのアルゴリズムは他のアルゴリズムに容易に接続させることが可能である。例えば積層自己符号化器(Stacked Auto-Encoder)の隠れ層から得られた多様体の特徴量に対してK近傍法を導入すれば、原理的には次元削減(Dimensions reduction)の結果として得られた特徴写像に対して最近傍法の探索アルゴリズムを適用していることになるために、異常検知モデルの全体に「次元の呪い(Curse of dimension)」への耐性を持たせることも可能になる。

近傍法に準拠した異常検知モデルには、逆に不利な点もある。観測データポイントに十分な近傍を有さない正常データが含まれている場合や、逆に十分な近傍を持つ異常データが含まれている場合には、その判定の難易度は増大することになる。加えて、計算複合性もまた大きな派生問題となる。最近傍法アルゴリズムでは、全てのインスタンスのそれぞれにおいて、その最も距離が近いインスタンスを計算することになる。また、距離関数偶発性も課題となる。データ・クラスタリングと同様に、異常検知モデル全体としての精度は距離関数の定義に依存することもある訳だ。

深層学習の機能

異常検知モデル設計は長らく分類モデルや統計学的な手法によって実施されてきた。だがこれらの方法では、多数の課題に人手で対処しなければならなかった。教師あり学習のアノテーションは、従来の方法の「人間」に対する依存を示す最たる例である。分類モデルでは、最低限「正常」と「異常」を区別できる教師データのアノテーションを用意しなければならない。だが前述したように、「異常」と「正常」の区別形式的に導入される。故にアノテーションの担当者次第では、それらの意味に揺らぎが伴う可能性がある。仮に精確なアノテーションが揃ったとしても、「異常」データのサンプリングが間に合わない場合があり得る。学習・訓練データの分布とテスト用のデータが共に「真の分布」を近似し得るほどのデータ量に達しているか否かは判断し難い。典型的な異常検知問題においては、経験的に「異常」と見做されるデータサンプルは少ない。よって、サンプリングされたデータ量が適切であると楽観視することはできないのである。そして、仮に十分な量のデータサンプルが得られたとしても、度は時系列的なパターンを考慮した特徴工学が必要になる。信号データや映像データの中には、周期性や系列の特徴が潜在化していることは間々ある。

いわゆるEncoder/Decoder for Anomaly Detection(EncDec-AD)をはじめとする深層学習に準拠した異常検知モデルは、LSTMを用いたEncoder/Decoderスキーマや自己符号化器(Auto-encoder)の構造を利用することで、これらの課題を克服しつつある。これらのモデルは、「正常(normal)」な時系列的振る舞いを再構成(reconstruct)するために学習するモデルとして設計されている。ここでの「再構成誤差(reconstruct error)」が、異常検知における「異常度(anomalies)」として参照される。

Encoder/Decoderの訓練は、「正常(normal)」な時系列のインスタンスを再構成するために、入力値となる時系列それ自体を出力値の目的関数とすることで実施される。言い換えれば、このネットワーク構造は入力と出力が同値となるある種の自己符号化器(Auto-encoder)となる。再構成誤差は自己符号化再構成誤差に他ならない。再構成誤差は異常度の尤度(Likelihood)を計算するために用いられる。Encoder/Decoderモデルは正常な系列のみを用いて学習する。これにより、異常度の検出を可能にする。

ここで直感(intuition)として導入されている前提は、Encoder/Decoderや自己符号化器が学習の最中に正常なインスタンスしか観測していないために、異常な系列が入力された時は、それを適切(well)に再構成することができないということである。つまり再構成誤差が高ければ高いほど、異常度も高まることになる、と直感的に想定されている。

深層学習に準拠した異常検知モデル正常な系列データのみで学習を実行する。この構造は、異常なデータが入手困難な場合や疎の場合に有用となる。特に正常な系列データと異常な系列データの双方を交えた訓練データとテストデータが十分に入手できると期待できない場合に、正常な系列データさえあれば実践可能なモデルであるという点で、このモデルは有用となる。

EncDec-ADのアルゴリズム

長さ$$L$$の時系列的なベクトルを$$X = \{x^{(1)}, x^{(2)}, x^{(3)}, …, x^{(L)}\}$$と置く。ここで、各データポイント$$x^{(i)} \in \it{R}^m$$は、時刻インスタンス$$t_i$$における$$m$$の変量を有した$$m$$次元のベクトルである。再構成誤差は各ベクトルの諸要素に対して計算される。データポイント$$x^{(i)}$$に対応する再構成誤差、すなわち異常スコア(anomaly socre)を$$a^{(i)}$$と置く。この異常スコアが高ければ高いほど、異常性について高い尤度を指し示す。

正常な時系列データのインスタンスの再構成のために、LSTM Encoder-Decoderの訓練を実行する。LSTMのEncoderは、入力された時系列データの固定された長さのベクトル表現学習する。そして現在隠れ層の状態と前回の時間ステップにおけるその推定値を利用することで、LSTMのDecoderがこの時系列の再構成を実行する。ベクトル$$\it{X}$$を前提に、$$h_E^{(i)}$$を時刻$$t_i (i \in \{1, 2, …, L\})$$におけるEncoderの隠れ層の状態(活性度)とする。ここで$$h_E^{(i)} \in \it{R}^c$$で、$$c$$はEncoderの隠れ層におけるLSTMのユニット数とする。時系列を逆順で再構成するために、EncoderとDecoderの訓練は結合した状態で実行される。そのため出力値のベクトルは$$\{x^{(L)}, x^{(L-1)}, x^{(L-2)}, …, x^{(1)}\}$$となる。Encoderの最終状態を意味する$$h_E^{(L)}$$はDecoderの初期状態を意味する。LSTMのDecoderの最上位層が推定を担う。言い換えればこの層の活性度が推定値となる。

訓練中、Decoderは$$x^{(i)}$$を$$h_D^{(i-1)}$$の状態から得られた入力値として参照する。そのため予測された$$x’^{(i-1)}$$は、目的となる$$x^{(i-1)}$$に対応する。推論中、予測された値となる$$x’^{(i)}$$は$$h_D^{(i-1)}$$と$$x’^{(i-1)}$$を得たDecoderへの入力となる。

以上のモデリングを前提とした上で、このモデルは次の目的関数を最小化する最適化問題を解くことになる。$$\sum_{X \in s_N}^{}\sum_{i=1}^{L}||X^{(i)} – x’^{(i)}||^2$$

ここで、$$s_N$$は正常な訓練データの集合を表す。

尚、通常のニューラルネットワークと同様に、線形層では$$c \times m$$のサイズの重みの行列$$w$$が配備されている。また最上位のDecoderにはバイアス$$b \in \it{R}^m$$が設けられている。このバイアスは活性化関数の入力値$$x’^{(i)} = w^{\mathrm{T}}h_D^{(i)} + b$$にて参照される。

EncDec-ADのモデル評価

実験アプローチとして、正常な系列データを四つの集合$$s_N, v_{N1}, v_{N2}, t_N$$に区別する。そして、異常な系列データを二つの集合$$v_A, t_A$$に区別する。系列集合$$s_N$$はLSTM Encoder-Decoderの再構成モデルの学習データとして利用する。$$v_{N1}$$は訓練を初期に止めた場合のデータとして利用する。$$t_i$$における再構成誤差ベクトルは$$e^{(i)} = |x^{(i)} – x’^{(i)}|$$から計算する。集合$$v_{N1}$$における系列のデータポイントにおいて、再構成誤差ベクトルは最尤推定を用いた$$\mu$$と$$\Sigma$$の正規分布$$\mathcal{N}(\mu, \Sigma)$$のパラメタ推定として参照される。どのデータポイント$$x^{(i)}$$においても、異常度スコア$$a^{(i)} = (e^{(i)} \mu)^{\mathrm{T}}\Sigma^{-1}(e^{(i)} \mu)$$から得る。

異常の判定は、$$a^{(i)} > \tau$$によって判定する。この条件を持たせば異常で、そうでなければ正常となる。十分な量の異常な系列データが利用可能ならば、閾値を意味する$$\tau$$は次のようなF値の最大化するように学習される。

$$F_{\beta} = (1 + \beta^2) \times P \times \frac{R}{(\beta^2P + R)}$$

ここで$$P$$は適合率(precision)で、$$R$$は再現率(recall)を表す。$$\beta$$は$$0 < \beta < 1$$のハイパーパラメタで、論文中では$$\beta = 0.1$$か$$\beta = 0.05$$が採用されている。 「異常」とは、ここでは正(positive)のクラスになる。逆に「正常」が負(negative)のクラスになる。任意の長さの「窓(window)」で分割された時系列データに一つでも「異常」が含まれている場合、その窓(window)全体が「異常」としてラベル付けされる。EncDec-ADのパラダイムで想定されているように、現実世界の多くの応用において、異常なデータが時系列データのどの部分に含まれているのかが正確に知り得ない場合に、このデータモデリングは有用となる。

EncDec-ADのデモンストレーション

PythonのGitHubのaccel-brain-code/Deep-Learning-by-means-of-Design-Patternに配置しているライブラリ:pydbmでは、『深層強化学習のベイズ主義的な情報探索に駆動された自然言語処理の意味論』で記述した深層学習理論や『ハッカー倫理に準拠した人工知能のアーキテクチャ設計』で記述したソフトウェア・アーキテクチャ設計思想を前提に、積層自己符号化器(Stacked Auto-Encoder)として機能する深層ボルツマンマシン(Deep Boltzmann Machine: DBM)や、深層畳み込みニューラルネットワーク(Deep Convolutional Neural Netowork)に基づいた畳み込み自己符号化器(Convolutional Auto-Encoder)、そしてLSTMに基づいたEncoder/Decoderのプロトタイプを公開している。とりわけこのEncoder/Decoderのモデルは、上述したEncDec-ADの異常検知モデルとして機能的に再利用することが可能だ。このデモンストレーションは以下のJupyter notebookで実演している。

謎解きとしてのモデル評価

近傍法深層学習に準拠した異常検知モデルを例示したのは、これらのモデルやその拡張版を深く探究するためではない。ここで取り上げようとしているのは、異常検知モデル設計に伴う偶発性である。個々のモデルは根本的に「正常」と「異常」の区別の導入という偶発的な形式演算によって記述されている。加えて、いざアルゴリズム設計する上でも、距離概念の偶発性が付き纏う。

この偶発性必然的に生じてしまう事態は、近傍法に限られたことではない。データ・クラスタリング、混合分布モデル(mixture distribution model)、あるいは自己符号化再構成誤差を用いた方法などのように、異常検知モデルの出自となるパラダイムは別のあり方でもあり得る。とはいえ、この状況は「何でも構わない(Anything Goes)」というパラダイム・ジャングルを意味している訳ではない。何故なら、実装されたモデルが異常検知として機能するには、標本精度(sample accuracy)をはじめとした様々な精度の評価基準を満たさなければならないためである。

一見して「何でも構わない」状況にも思えるこうした機械学習の都合があっても、付け焼き刃でモデルとアルゴリズム設計してしまえば、そこから生み出されるのは「何とかやってこれた(Anything Went)」という結果であるに過ぎない。偶発性に曝されて実践する以上、その「不確実性の吸収(uncertainty absorption)」を可能にするような意思決定によって、モデリングとアルゴリズム設計の選択肢を絞り込んでおく必要がある。その上で、目的として定めた精度を達成するための機能的等価物比較に徹しなければならない。

セカンドオーダーの探偵

こうして観ると、の抽出を可能にする異常検知モデルアルゴリズム設計は、それ自体として、の抽出とその解決を必要としていることになる。機械学習の研究開発者やデータサイエンティストは、主導的差異として導入された「正常」と「異常」の形式的な区別を前提とした上で、どのようなモデルとアルゴリズム異常検知モデルとして機能し得るのかを、推論しなければならないのである。それ故、先行研究の遡及から特徴工学(Feature engineering)、設計から実装、そして機能的等価物同士の精度の比較までを含めて求められるのは、機能的等価物の探索によって蒐集した情報から推論展開する探偵のような資質となる。

これは、異常検知モデルアルゴリズム設計者による自己言及意味する。この主導的差異に着目するだけでも、この自己言及パラドックスを招くことは直ぐにわかる。すなわち、「異常」と「正常」の区別それ自体の「異常度」を観察するのは、如何にして可能になるのかという疑問が派生するのだ。しかしながらこのパラドックスは、「ファーストオーダーの観察(Beobachtung erster Ordnung)」と「セカンドオーダーの観察(Beobachtung zweiter Ordnung)」の区別を導入することで、直ぐに解消される。社会システム理論的に言えば、ファーストオーダーの観察者は、監視対象を観察することで、その何が異常なのかを認識する。これに対してセカンドオーダーの観察者観察対象は、ファーストオーダーの観察者である。セカンドオーダーの観察者は、ファーストオーダーの観察観察することで、異常検知が如何にして可能になっているのかを認識する。だがセカンドオーダーの観察者も、また別のセカンドオーダーの観察者から観れば、何が異常なのかを観察しているファーストオーダーの観察者に過ぎない。異常検知が如何にして可能になるのかという問題を設定しているセカンドオーダーの観察者もまた、その問題の枠組みの内部に位置付けられるのである。

したがって、異常検知モデルアルゴリズム設計者による自己言及意味しているのは、自己自身もまた異常検知の監視対象になり得るという自己論理的(autologisch)な推論である。探偵は、他者や世界のを暴露し、そのを解く。だが他のセカンドオーダーの観察者から観れば、そうした探偵もまためいた他者なのだ。群衆機能的等価物としてのマルチエージェントを前提とするなら、このセカンドオーダーの観察者たちもまた、「人間」であるとは限らなくなる。ボットやエージェントたちが「人間」に潜むを暴く可能性も大いにあり得るからだ。異常検知モデルアルゴリズム設計者は、したがって高次元の特権的な立場にある訳ではない。探偵のような身振りを見せる設計者たちもまた、マトリックスとしての大衆の中に住まっているのである。

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