「人工の理想」を背景とした「万物照応」のデータモデリング | Accel Brain - Part 2

「人工の理想」を背景とした「万物照応」のデータモデリング

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世界抽象世界観察することで、関係する諸概念のノードやエッジをグラフィカルなデータモデルとして抽出する技術は、あらゆる設計で要求されるノウハウである。設計者は、これから制作するシステムの諸要素とその諸関連を特定することで、制作を実現する上で必要となるアーキテクチャ・ドライバ品質特性を明確化しなければならない。

単にリレーショナルデータベース(Relational database)を設計する程度では、この技術は鍛錬できない。リレーショナルデータベースは、その名称とは裏腹に、関連の表現力が低い。実世界には非構造化データが無数に存在する。実世界データは、リレーショナルデータベースが想定するほど構造化されている訳ではないのである。

リレーショナルデータベースの設計者が関連に言及するのは、単にテーブル結合の効率を評価する場合に限られる。だが諸要素の諸関連を表現する場合に要求されるのは、単に関係を線や表で示すことではない。その重み付けや強度、あるいは向きや誘導可能性なども含めて表現してこそ、データモデリングとなる。

これは、諸要素の諸関連のみならず、<諸関連の諸関連>を分析する場合には、より一層重要な観点となる。汎化、特化、集約、実現などのように、<諸関連の諸関連>を記述する意味論もまた必要となるのである。

この問題の抽象度と難易度は、「データベース設計」という括りでは収まり切らない。それほどの複合性が、この問題には備わっている。それ故に以下の各記事では、この問題を高い複合性を前提とした上で次のように再設定している。すなわち、<諸関連の諸関連>を抽出する技術は如何にして可能になるのかである。

この問題の解決策となり得るのは、「データベース設計」のノウハウなどではなく、より抽象化された諸概念の分析技術である。各記事の観点はそれ故に「データベース設計」をはじめとしたソフトウェア工学の主題からは大きく逸脱している。具体的な観察対象をここに列挙しておこう。

これらのキャラクターたちは、本考証のモデルとなっている。彼らはソフトウェア開発の現場には縁遠い者たちであるものの、他ならぬデータモデリング再利用できる有力なノウハウを例示しているのである。

『人工楽園』の麻薬美学、世俗的啓示の形象

『悪の華(Les Fleurs du mal)』の有罪判決が確定した直後のシャルル・ボードレールを駆り立てたのは、詩人としての創造的な活動をもう一度やり直すという「意志(volonté)」であった。暴露され尽されたかのように思える悪をもう一度習慣の中から探り当て、提示され尽されたかのように視える主題にもう一度言及することが、彼の次なる詩作となる「ハシッシの詩(Le Poème du haschisch)」を動機付けたのは有名な話である。『人工楽園(Les Paradis artificiels)』においてこの詩は、まだ阿片の副作用が十分に指摘されていなかった頃に展開されたトマス・ド・クインシーの「阿片服用者たちの楽園(the Paradise of Opiumeaters)」の紹介と共に叙述されているが故に、当時は麻薬を賛美する内容であるかのような第一印象を形成していた。しかしボードレールのこの取り組みには、麻薬が意志による創作の阻害要因になり得るという警告も含まれている。それは、あくまでも詩的創作における沈思(la contemplation)に関わる副作用を意味する。思考するために麻薬に頼る者たちは、いずれ麻薬無しには思考できなくなるためである。

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「万物照応」のデータモデリング

ボードレールが説明する「自然の全体」を「超自然的な関心」で覆う「超高感度の神経」という詩的展望から「万物照応(Correspondances ; Korrespondenz)」を連想するのは造作も無いことである。「恩寵」が「原罪」以前の楽園における善悪の統一性を物語っているのならば、万物照応は自然と人間の根源的な統一性を物語っている。双方は有史以前の「太古の形象」の認識であるという点では共通しているのである。

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母型のマトリックスとしての大衆、ヴェールとしての群衆

ボードレールの麻薬陶酔に対する危惧は、形象の大量生産が自我を拡散的にしてしまうために、「意志(volonté)」による集中を介した万物照応の契機を逃してしまうという点に要約される。この問題は、麻薬陶酔者のみならず、都市の集団に目を向けることで、明確に再設定することができる。その問題とは、「経験(Erfahrung)」の問題である。ボードレールが万物照応との関連から意図していたのは、危機に対して確固たるものであろうとする、一つの経験であった。その経験とは、祭儀(Kultischen)の領域に属している。この領域を逸脱すると、この経験は<美(das Schöne)>の経験となる。美においては、祭儀の価値が芸術の価値として発現するのである。しかしボードレールの『悪の華』は、全ヨーロッパに影響を及ぼした最後の叙事詩であった。叙事詩は受容され難い作品となっている。このことは、叙事詩の営みに変化があったというよりは、それを受ける大衆側の経験に変化があったということを意味する。ここで、ヴァルター・ベンヤミンと共に、次のように問題を再設定できる。すなわち、ショック体験が標準情態となってしまった経験において、叙事詩は如何にして可能になるのかである。

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模倣のアルゴリズム、アルゴリズムの模倣

遊歩者、探偵、ギャンブラーの身振りに対するベンヤミンの観察を観察するだけでは、これらの営みがショック「経験」を如何にして可能にするのかが不透明なままである。実際のところ、遊歩者、探偵、そしてギャンブラーの体験は、それ自体としてはショック「体験」に満ちている。これらの営みが、たとえヴェールとしての群衆やマトリックスとしての大衆の中で実施されたとしても、その営みがショック経験となる保証は何処にも無い。だとすると、形象の大量生産に対する、言うなれば負担軽減策が必要になる。これらの営みがショック経験となり得るのは、遊歩者、探偵、そしてギャンブラーらが、「蒐集家(Sammler)」としての身振りを身に着けた場合である。このことは、遊歩者の観察、探偵の推論、そしてギャンブラーの精神の意味論を複製技術時代の社会構造と結び付けることで判明する。蒐集は、模倣と同様に、類似性の意味処理規則の影響下にある。この類似性の意味処理規則を形式化させているのは、メディアとしての言語である。それは、自身を住居や家具、衣服に似せるべく仕向けるような言葉として機能する。人間の類似を抽出する能力が、類似した身振りで模倣する能力として、他の様々な才能の決定的な要因となっているというベンヤミンの洞察を前提とするのなら、模倣能力が蒐集家の才能に対しても影響を及ぼしていることは容易に推論できる。周囲の外部環境と類似した身振りで模倣する能力は、周囲の事物に備わる類似性を探究する能力として育まれる。この探究の能力が、類似した事物の蒐集を可能にする。

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遊歩者の機能的等価物としてのWebクローラ、探索のアルゴリズムとアルゴリズムの探索

WWWのハイパーリンクが街路名の機能的等価物となり得て、ヴァーチャルリアリティ上のマルチエージェントが群衆の機能的等価物になり得るという先の発想の展開を前提とすれば、同様の等価機能分析によって、遊歩者の機能的等価物としてのエージェントという認識も構成することができる。この概念はとりわけWebクローラのエージェントを想定することでより明快となる。そうした<人格>は、ハイパーリンクで結び付けられたWebページ上を回遊することで、ヴァーチャルリアリティ上の街路を遊歩する。

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探偵の機能的等価物としての異常検知モデル、謎解きの推論アルゴリズム

都市を遊歩しながら、順調に進歩しているかのように視える社会構造で潜在化している謎を暴く探偵の寓意的な身振りは、殊更強調するまでもなく、ヴァーチャルリアリティ上でも容易に再現されている。ヴェールとしての群衆が反社会的な存在の避難所であるというのなら、それは群衆の機能的等価物としてのマルチエージェントにも該当する。謎の抽出という探偵の寓意的な身振りとは、日常的に既存の秩序が均質かつ連続的に反復しているという進歩史観的な認識を徹底的に覆すことで、社会構造的に潜在化している前兆、予感、合図などのような「サイン(Sign)」を判読する振る舞いを意味する。この「サイン」の判読によって謎を抽出する一連の探偵的な身振りは、「異常検知(Anomaly detection)」のアルゴリズム設計を応用することによって、ヴァーチャルリアリティ上のボットにも遂行させることが可能になる。つまり群衆の機能的等価物としてのマルチエージェントの中に、探偵の機能的等価物としてのボットを紛れ込ませることも不可能ではないのである。

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ギャンブラーの機能的等価物としての強化学習エージェント、投資における冷静沈着な精神の現在性

群衆、遊歩者、探偵と同じように、貨幣を蒐集するギャンブラーの機能的等価物となる<人格>もまた、マルチエージェントとして設計することができる。複数のエージェントがあり得るのは、それぞれのアルゴリズムの前提となる投資戦略や資産運用方針に差異があるためだ。個々のエージェントは、株価や群集心理をセカンドオーダーの観察者の観点から観察することによって、アナリスト的な予言者と機能的に等価な<人格>として振る舞う。つまり様々な思惑を持ったマルチエージェントが、相互に異なる観点から、マトリックスとしての大衆に観察者効果を呈示し得るのである。

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ランダムウォークの社会構造とダウ理論の意味論、再帰的ニューラルネットワークの価格変動モデルから敵対的生成ネットワーク(GAN)へ

統計的機械学習の背景にある統計力学の展開に決定的な影響を与えた「ブラウン運動」の解明は、既に金融市場で先取りされていた。ランダムウォーク仮説の意味論は、証券の価格変動を「偶然」としてモデリングできることを示している。一方、「ダウ理論」は長らくテクニカル派のチャーティストたちによって誤認されてきたが、ダウ理論そのものの歴史的意味論を遡れば、1990年代の「ニューラルネットワーク」と無縁ではなかったことがわかる。これらを踏まえると、現代の深層学習のとりわけ敵対的生成ネットワーク(GANs)のフレームワークは、このランダムウォーク仮説とダウ理論を統合する理論を提供している。統計的機械学習の生成モデルは、証券の価格変動モデルの拡張を可能にする。

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金融危機の社会構造と「音楽」の意味論

金融市場の社会構造は、しばしば「音楽」の意味論で叙述される傾向がある。最も有名な形象の一つは、経済学者ジョン・メイナード・ケインズが1936年に著した椅子取りゲームの「音楽」である。ケインズによれば、金融市場の投機的なゲームに参加している群衆は、椅子取りゲームのプレイヤーとして、限られた数の椅子を奪い合うことになる。このゲームの勝敗が決するのは、音楽が鳴り止む時である。しかし、勝敗が決した瞬間がバブルの崩壊の瞬間であるのなら、クロールボンド・レーティング・エージェンシーのジュールス・クロールが述べたように、「誰も音楽を止めたくなかった」と考えるのは投資家の性とも言えるであろう。アラン・ブラインダーが2013年に著した『音楽が鳴り止んだ後』が言い表すように、「音楽」が鳴り止んだ後に待ち受けているのは単なる静寂ではない。

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叙事的な音楽、マトリックスのリズム

群衆を「形象の宝庫」と見立てる人間学的唯物論的メディア美学にとって、音楽は「同業他社」のような存在となっている。この音楽が「競合他社」となり得るか否かは、社会構造と意味論を如何に記述するのかに依存する。実際この関連付けは、蒐集と模倣が機能的に等価であるという先述した等価機能分析から導き出せる結論だ。遊歩者、探偵、そしてギャンブラーたちの蒐集は、室内装飾の意味論を介して、模倣のコミュニケーションと構造的に結合している。ここでいう室内装飾とは、パサージュの如く、街路であると共に室内であるような形象空間を意味する。この形象空間を駆動する模倣的神経刺激は、音楽という知覚メディアによって構成される。

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