19世紀末ウィーンの社会構造とマッハの意味論、「マッハの原理」と一般相対性理論の「関係」について | Accel Brain

19世紀末ウィーンの社会構造とマッハの意味論、「マッハの原理」と一般相対性理論の「関係」について

Accel Brain; Console×

派生問題:マッハの思想は如何にして可能になったのか

ボルツマンの統計力学が前期量子力学の前史であるのならば、彼と原子論主題に熾烈な論争を展開していたエルンスト・マッハの時間論は、アルバート・アインシュタインの特殊相対性理論の前史であると考えられる。マッハの思想は、その社会背景を抜きには理解できない。と言うのも、彼自身にとって科学とは、社会的な有用の尺度で測られる対象であったためだ。マッハにとって科学は、現象についての思考を節約する経済的な役割を担うのである。

問題解決策:19世紀末ウィーンの社会構造

マッハの生きた19世紀後半のオーストリアでは、ドイツやイギリスなどに比して後発の産業革命が展開されていた。産業革命はオーストリアの社会構造を大きく変異させている。一般に産業革命の時代は、ブルジョワジーが貴族階級に代わって権力を握った時代である。だがオーストリアのブルジョワジーは、イギリスをはじめとした他国とは異なって、貴族階級に匹する権力者となった訳ではない。確かに1848年に勃発したオーストリアの三月革命は、一つのブルジョワ革命として観察されている。だが、結局それは王政側によって鎮圧された。そのために、革命直後もブルジョワジー側に権力が引き渡された訳ではなかった。彼らは貴族階級の譲歩によって権力を得たに過ぎない。その譲歩は、貴族階級側の意思決定によって左右されていた。

オーストリアのブルジョワジーが貴族階級の譲歩によって手にした権力には、直ちに対抗勢力が表れることとなった。それは労働者階級に他ならない。彼らはキリスト教社会党や社会民主党などのような政党組織化することで、社会的な立場を強化する運動を展開した。オーストリアのブルジョアジーは、貴族階級と労働者階級という二つの対勢力と相対せざるを得なくなった。

オーストリアの社会構造は、様々な矛盾を孕んでいた。階級間の対関係だけではない。元々はハプスブルクが支配していた世紀末ウィーン社会は、国家官僚によって支配される官僚主義的な社会であった。国家官僚は、フランツ・ヨーゼフ皇帝が掌握していた。オーストリアは憲法に基づく自由主義も標榜していたものの、この官僚主義的な権力は、皇帝の絶対的な権威を正統化していた。だが一方でこの官僚主義的な社会には、「ビーダーマイヤー(Biedermeier)」の精神に基づく市民文化形成されてもいた。それはドイツ・プロイセンの合理主義とは対照的に、「社会(Gesellschaft)」ではなく「共同体(Gemeinschaft)」に憧れを持つ精神文化である。世紀末ウィーンは、一方では産業革命による近代化によって「社会」としての構造を強化していき、しかし他方では官僚自身が共同体の文化を強化していたのである。

こうした世紀末ウィーンの様々な矛盾の中で生じたブルジョワジーの没落は、政治的には「危機」として観察された。新聞や雑誌では、この危機主題とする<批判的な意識>による様々な言説が展開された。しかしこうした言説は、必ずしも客観的な事実に照応している訳ではない。そこには主観的な願望や偏見が介在している。それ故、言葉の裏に潜む願望を探ろうとするジグムント・フロイトの精神分析学やルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの語る言語哲学、あるいはエドムンド・フッサールの現象学的還元主義がこの時代に注目を集めたのは、決して単なる偶然ではない。政治的な言説は言葉の氾濫を生み出した。社会は<一体の理性>によって成り立っている訳ではない。世紀末ウィーンの社会構造には、理性では捉え切れない人間形態についての理念が色濃く反映されていた。物理学心理学を両立しているマッハの思想もまた、この理念を共有していた。

問題解決策:「経済」の意味論

若き頃のマッハはカントの観念論から感銘を受けていた。しかしその思想は徐々に社会背景との関連を強めていく。物理学心理学を記述するマッハが重視していたのは、感覚に他ならない。彼が語る科学の概念史は、科学の発展生物適応思考経済発展によって成り立ったという前提で記述されている。マッハの科学論や感覚論は、事象存在する事柄の間の関連が重視される。科学法則事象の諸要素の関連である。感覚は身体の各部分の刺激によって構成される。マッハは存在するもの同士の関連を記述するのは、あらゆる事柄が、何か他のものとの関連を有するという信念の表れでもある。諸要素の諸関連を重視するマッハの思想は、芸術、科学、宗教政治経済などの社会構造が密接な関係にあるという当時のウィーンの社会構造を反映されている。

マッハは、カントとは異なり、経験の唯一の要素は感覚であると主張する。マッハによれば、経験は、単に観察した事象自我如何にして受け止めたのかを表わす訳ではない。経験とは自我による構成物であって、純粋経験ではない。真の経験とは、マッハによれば、我々に対する事象の直接的な発現である。真の経験は、我々の前に連続して流れている感覚を意味する。

マッハの思想は感覚によって表現されたものだけを実在とする現象論的な立場を採った。原子論を巡りボルツマンと対立したのも、この立場があってこそである。マッハからすれば、経験を記述するために使用されてきた事物や物自体、因果関係や目的、自我意志などといった哲学的な概念は、形而上学的な産物に過ぎなかった。形而上学的な概念は実在する概念ではない。それは認識のための虚構に過ぎないのである。マッハにとって、感覚を超越した概念は全て形而上学として排除されるべき対象であった。

科学からあらゆる形而上学を徹底的に追放しようとしたマッハは、科学の意味論を「経済」として記述している。つまり、科学とは思考経済的に実行するために存在するのだ。マッハにとって科学とは、思考にとっての有用観点から容認されるべき対象なのである。例えば物理学の運動に関する様々な法則は、それ自体としては人間の生存に有用とは見做せない物体の位置や速度についての感覚の表れを、予測可能経験へと変換する。こうした予測可能性は、事象の再現を前提としている。事象の再現によって、人間は物理的な諸概念の関連を記述することが可能になる。

科学は、しばしば同一の感覚の表れを主題とした複数の学説を構築する。ボルツマンやマクスウェルの時代に熱素エネルギー分子運動論などのような学説が存在していたのは、人間の生存にとっての有用が、社会の変化と共に移り変わるためであるという。この意味でマッハのいう学説は、唯一の真理を目指して構成されているというよりも、様々な都合で動く社会によって構成されていることになる。したがってマッハによれば、科学とは、事象それ自体の記述なのではなく、既知のモデルとの比較による事象の理解である。だが、社会がわかり易いと捉えるモデルは、時代と共に変化する。社会は、比較的わかり易いモデルを科学に要請する。だから科学の中には様々な学説が存在するという。

問題解決策:印象主義と実証主義の区別

感覚こそを唯一の経験の要素と見立てるマッハの科学哲学は、印象主義的な科学哲学である。このことは、あの『ユートピアの精神』で知られるエルンスト・ブロッホがマッハを評価していることにも端的に表れている。印象主義の哲学は、事象には直接関わることなく、それを眺める観察者の立場に立つ哲学である。印象主義的な観察者は、偶然の瞬間のみを真なる存在であると主張する。確かにオーストリアのブルジョワジーは、貴族階級を超える政治権力を手にできず、大衆の脅威によってその地位を常に脅かされていた。オーストリアのブルジョワ階級は、貴族と大衆の板挟みの状態にあった。彼らにとって政治とは、ブルジョワ階級の「外部」の存在であった。つまりオーストリアの政治の領域では、ブルジョワ階級が「蚊帳の外」に置かれていたのである。言い換えればブルジョワ階級は、オーストリアの政治をただ眺めるだけの存在であった。彼らは観察者に過ぎなかったという訳だ。

外部からの観察者に過ぎないという印象主義は、マッハの科学哲学にも見受けられる思想ではある。だがその自覚は、社会構造を度外視した感覚でもある。マッハの印象主義は、単に社会の外部から社会観察する立場を成り立たせていた訳ではない。何故なら、他ならぬマッハ自身が、この世紀末ウィーン社会の内部に位置付けられていたからだ。マッハの印象主義は、ウィーンの社会構造に方向付けられている。マッハの印象主義は、自らを社会の「外部」に位置付けつつも、それ自体は社会の「内部」に位置している。

それ故、マッハの科学哲学には単なる印象主義だけではなく、社会の「内部」で闘する思想が根付いていることも見逃してはならない。形而上学を認めないマッハの姿勢は、一つの事象に対する別のあり方でもあり得るより経済的なモデルを探究する姿勢でもある。その先にあるのは実証主義だ。マッハの科学哲学は印象主義的であると同時に実証主義的でもあった。マッハは、単なる感覚の表れを重視したのではなく、一つの事象の記述の多様や恣意を強調していたのである。それは、政治的言説による言葉の氾濫を経験してきたウィーンの社会構造があってこその姿勢である。

派生問題:「経済」の意味論は如何にして可能になったのか

こうして形而上学を追放しようとするマッハの思想の社会背景を考慮すれば、何故彼がニュートン力学絶対時間に対して早くから痛烈な批判を浴びせることができたのかも明確化する。1883年、マッハは『力学の科学(The Science of Mechanics)』において、絶対時間を前提とした絶対的な量は形而上学的であるために、物理学に含めるべきではないと断言している。絶対時間は運動によっては決して測定できない。したがって、絶対時間には実用的な価値も無ければ、科学的な価値も無い。マッハによれば、絶対時間思考を節約するには足りず、無用な形而上学的概念であるということになる。

この関連からマッハの物理学は、後のアインシュタインの特殊相対性理論を先取りする発想を展開することとなる。マッハによれば、観察者は運動する事物の変化を時間によって測定することが決してできない。時間とは、むしろ観察者が事物の変化から得る一つの抽象化された概念である。マッハによれば、ある事物の運動が他の事物の運動に関係して等速であるという結果観察することは不可能ではない。だがその事物の運動がそれ自体等速であるか否かという問題には意味が無いのである。

感覚を第一に考えるマッハは、外部環境から観察者が受け取る「形象(Bild)」を最も節約して経済的に表現することが科学であると考えた。形象とは、人間精神に発現する外部環境についての表象を表わす。この論点においてマッハの物理学と科学哲学は、極めてボルツマンの発想と共通している。

ボルツマンは、力学的な概念としての物体の運動を現実に実在する物体の運動それ自体ではなく我々の精神知覚する物体の運動についての「形象」であると主張する。マッハとボルツマンの主張は、力学が取り扱うのが人間精神における形象である点で一致している。この意味で、しばしば語られる原子論についての二者の対立は、決して原子存在するか否かを巡る議論に終始している訳ではなかった。むしろ重要となるのは、原子論が物体についての「形象」を如何に節約して経済的に表現し得るのかという問題であったのである。

問題解決策:進化論

マッハの「経済」という概念は、チャールズ・ダーウィンの「進化論」の影響下にある。マッハはダーウィンの進化論から思想的な影響を受けたことで、科学の仕事を生物が行なう生の営みの一要素であると見做すようになった。彼の科学に対して要求した「経済」的な価値と形而上学に対する痛烈な批判は、根源的には進化論に準拠しているのである。この意味でマッハは、広い意味でダーウィニストでもあった。

元来ダーウィニズム(Darwinism)は、チャールズ・ロバート・ダーウィンが生物界の変異を説明する際に提唱した進化の概念を意味していた。したがって、ダーウィニズム進化論は、厳密には同じではない。進化論が進化に関わる諸概念を整理した理論であるのに対して、ダーウィニズムとは、進化如何にして実現し得たのかを指し示す意味論であったのだ。

進化意味論は、ダーウィン以前から語り継がれていた。彼の業績は、進化に関連する多くの証拠を纏め上げた点にある。ダーウィンによると、進化とは生物における質の累積的な変化を意味する。そしてこの進化という現象は、本質的に三つの原理の相互作用によって成立する。それは「突然変異(mutation)」、「遺伝(heredity)」、そして「生存闘争(strggle for existence)」だ。そもそも生物の個体には、たとえ同じ種であっても、それぞれ様々な変異を兼ね備えている。そうした変異の中には、世代から世代へと受け継がれることで遺伝する変異もある。更に遺伝する変異の中には、生存闘争における生存確率を高める変異や、繁殖力を高める変異も含まれている。結果的に、生存や繁殖に有利となった個体はその質をより多くの個体に伝えることができる。反面、不利となった個体の子は減少していく。

この進化の三原理における根幹を成しているのは、ダーウィンがアルフレッド・ラッセル・ウォーレスと共に提唱した「自然選択(natural selection)」の仮説である。この説によれば、生物に生起する変異は、厳しい生存闘争の舞台となる自然環境によって選択される。生存闘争は所与の自然環境に最も上手く適応した個体群に対して有利に働く。自然選択における選択肢となるのは、希少な資源を奪い合う個々の生物遺伝子(gene)である。進化という現象は、この自然選択によって方向付けられている。

「選択」としての認識

認識主体外部環境から与えられるのは、感覚の諸要素に過ぎない。人間の認識は、この諸要素の諸関連として、「実在」とは無関係に生み出される。そこではより思考を節約する「経済」的な概念が選択される。その際マッハは、この「選択」を進化論における自然選択として位置付けている。形而上学のような無用の長物は自然淘汰される一方で、より現象の節約に貢献する概念が「生存可能性(Viability)」を獲得するという訳だ。

この意味でマッハは、人間の認識能力が自然環境の客観的な実在への適応によって獲得されるとは考えていない。淘汰されるのは、その認識能力を有した認識主体なのではなく、その認識対象となる概念の側なのである。認識主体自身が淘汰に曝されているのではなく、感覚から認識が成就するまでの過程それ自体が淘汰として結実しているのである。自然環境の客観的な実在への適応は、ここでは二の次となっている。そして、この認識それ自体の進化論は、そうした客観的な実在への適応能力とは独立して適用される。つまり、それが思考の節約として「経済」的に作用していなければ、たとえ客観的な実在への適応を示す概念であっても、容赦無く淘汰される可能性がある。

派生問題:進化の進化

しかし、思考を節約する「経済」的な概念が進化論的に選択されるというマッハの記述は、一つの根本的なパラドックスに陥ることとなる。確かに、思考の節約として「経済」的に作用する事柄こそが科学的な事柄であるというマッハの記述は、科学という概念を観察する我々の思考を節約してくれる。だがこうしたマッハの「経済」的な概念もまた、それ自体、進化論的な淘汰に曝されているのである。我々には、マッハの記述を「選択」する必然性が見当たらない。「経済」的であるという点では、別のあり方でもあり得る機能的に等価な概念も選択することが可能だ。マッハの記述は偶発的選択肢である。

例えばマッハは、感覚の諸要素という概念を導入することによって、観念論と唯物論の対立を超克したと自負している。マッハの記述は、マッハ自身の自己認識においては、観念論と唯物論という概念についての思考を節約するという点で、やはり「経済」的なのであろう。しかし、ウラジーミル・イリイチ・レーニンは、その主著『唯物論と経験批判論(Materialism and Empirio-criticism)』において、マッハを批判しつつ、唯物論の定義を説明している。レーニンによれば、観念論と唯物論の対立を超克したというマッハの自己認識は、錯覚に過ぎない。確かに感覚の諸要素は、物体、身体精神の関連を構成している。感覚の諸要素は単なる感覚ではない。それは経験である。しかしながら、そうした諸要素が意味するのは、結局のところ感覚に他ならない。経験とは、感覚的な経験なのである。

レーニンによれば、観念論は、感覚的な経験を最重視する立場である。レーニンの観点かられば、マッハは未だ観念論の範疇に留まっている。それ故にマッハの感覚論は、観念論と唯物論の対立を超克したという錯覚に陥った、単なる観念論に過ぎないのである。感覚的な経験を最重視するのが観念論であるのに対して、事物自然を最重視する立場が唯物論である。レーニンが定義する事物とは、我々の外部に、我々の意識とは独立して存在しているものである。事物は、意識とは無関係に独立し、客観的に実在しているという。

唯物論は自然科学に準拠した上で、意識思考を二次的な存在として扱う。感覚を最重視するマッハとは異なり、唯物論は、事物が我々の感覚器官に作用することで初めて感覚が生み出されると考える。更にレーニンによれば、こうした感覚を生み出している脳や神経もまた、事物によって組織化されている。それ故に意識や感覚は、既に事物に依存していることにもなる。

唯物論が準拠する自然科学は、ニュートン力学以来、自然客観的な因果必然性を記述してきた。唯物論は、こうした質を事物自然の概念内容と見做す。だがマッハは、レーニンによれば、こうした自然科学の成果を否定している。マッハは原因結果区別よりも感覚を重視する。したがって、唯物論者レーニンかられば、マッハは未だ観念論の枠組みに囚われているという。マッハは決して観念論と唯物論の対立を乗り越えてなどいない。

レーニンによれば、自然科学は唯物論の味方をするという。人間の網膜の外部に位置する事物や、人間とは独立して存在する光波のような様々な波長の存在は、事物が我々の感覚器官に作用することで感覚が生起するという唯物論的な発想を後押ししている。感覚器官、脳、神経事物の作用無しに感覚を生み出すのでは決してない。

感覚は、事物に依存して生起するのである。感覚や意識は、確かに外部環境形象である。しかしそうした形象は、映し出される対象無しには存在し得ない。レーニンは、そうした対象が人間から独立して存在することが自明であるという。レーニンによれば、認識は人間による自然の反映である。だがそれは単純かつ直接的な反映でもなければ、総体的な反映でもない。それは一連の抽象化から構成される過程であって、諸概念や諸法則の定式化から成る過程である。そしてこうした概念や法則もまた、絶え間なく運動して発展している自然普遍的な合法則を条件的かつ近似的に包括するのである。

我々の問題設定との関連で言えば、ここで重要となるのは、レーニンの主張の妥当性などではない。マッハに対するレーニンの批判が例示しているのは、進化論的な淘汰によって科学的な概念の「経済」的な性格観察するマッハの記述が、他ならぬマッハ自身の記述そのものにも適用されるという点である。それは、マッハの記述には自己言及パラドックスが派生しているということである。

マッハの観察に対するレーニンの観察は、唯物論と観念論の対立を超克したと自負するマッハの認識に反して、むしろ唯物論と観念論の対立を先鋭化させている。唯物論と観念論は、未だ進化論的な淘汰に曝されている。マッハの観察に対するレーニンの観察観察する我々には、彼らの議論から、唯物論と観念論のいずれか一方を選択することができる。

もとより、唯物論と観念論区別を導入することには、何ら必然性が無い。この対立を抜きにしても、マッハの観察には、自己言及パラドックスが生じている。科学的な概念は思考を節約する「経済」的な概念であるという主張もまた、例外無く進化論的な淘汰に曝されている。もしマッハの主張が正しいとするなら、思考を節約する「経済」という概念は、それ自体として、思考を節約する「経済」的な概念でなくてはならない。こうして無限後退を招いてしまうマッハの記述は、思考を節約してくれるどころか、むしろ思考せざるを得ない事柄の複合性を我々に突き付けてくるのである。

マッハの観察自己言及パラドックスが派生しているのは、彼の記述には自己論理的(autologisch)な推論が組み込まれていないためである。この質は、彼が記述する進化論についても該当する。進化論それ自体もまた進化論的な淘汰の圧に曝されている。したがって、今しがた「選択」された進化論は、他の別のあり方でもあり得る進化論から区別された上で、「選択」されている。現に妥当理論として社会的に普及している進化論は、それ自体進化上の獲得物なのだ。言い換えれば、進化という概念は、それ自体進化する。それ故、マッハの認識論が進化論によって基礎付けられているのならば、この<進化進化>による淘汰にも曝されていることになる。

問題再設定:理念の進化は如何にして可能になるのか

マッハは近代科学の批判者ではない。彼は近代科学の実験を基礎付けているのが思考実験であるという。思考実験によって導かれる実験が、科学を基礎付けると共に、我々の経験意識的に拡張させていく。科学的な思考実験は、単なる思弁ではなく、事実の表象に基づく。科学者は、事実を表象によって模写する。そうした事実は、感覚の要素によって構成されている。表象はそれを模写しているのである。

マッハによれば、物理学普遍的妥当する概念や法則は、いずれも純粋で範例的なモデルを構築する思考実験による「理想化(Idealisierung)」や「抽象化(Abstrakt)」によって獲得された。理想化や抽象化によって、これらの概念や法則は、単純かつ普遍的で制約条件の少ない形で整理される。そしてこうした単純かつ普遍的な概念や法則の統合的な組み合わせによって、科学はより複合的な概念や法則の構築を可能にしているという。

しかし、マッハの記述は自己言及パラドックスに呑み込まれている。したがって、ここでいう理想化や抽象化もまた、進化の淘汰に巻き込まれていることになる。マッハの進化論的な認識論に自己論理的性格を備え付けるためには、こうして進化の淘汰に曝されている状況の中で、マッハの進化論的な認識論そのものの「理念(Idee)」が如何にして進化し得るのかを問わねばならない。

問題解決策:社会構造と意味論の区別

社会システム理論ニクラス・ルーマンによる社会進化論一般的な仮定によれば、理念進化社会構造上の進化は相関している。より詳細に言えば、社会構造上の進化理念選択に関与することによって、双方の進化は相関しているのである。

この事態は、とりわけ近代化や産業化などのような全体社会の転換の中に見て取れる。宗教的な束縛の緩和資本主義化などによって、理念の要素の変異が高められると、既成概念に対するより大きな否定可能性が生じ、そのことによって更に偶発性が増大していくこととなる。丁度19世紀末ウィーンの社会構造が、マッハやヴィトゲンシュタイン、フッサールなどのような思想たちを生み出したように、社会構造科学・学問意味論にも影響を及ぼすのである。

社会構造における変異機構は、二重の構造を有している。一つは、何かを可能にして促進する構造である。そしてもう一つは、加速装置である。丁度生物進化の場合に、両生殖を通じた突然変異遺伝上の再結合が、この二つに該当する。理念進化の場合に基底的な変異機構として機能するのは、既に受容されているコミュニケーションにとって不可欠となっている意味論が含む、矛盾点や解決可能な問題である。と言うのも、矛盾解決可能な問題が社会的なコミュニケーション主題となることにより、社会構造意味論は、大いに攪乱されることになるためである。そうした攪乱は、19世紀末ウィーンの社会背景の如く、危機的状況として観察される。だが危機であるというのは、同時に進化の機会でもあるのだ。

一方、進化論的な変異の加速装置は、「引照(Kontrolle)」である。ここでいう引照とは、目標を実現する過程における制御や支配を表わす「コントロール(control)」ではない。そうではなく、ここでいう引照とは、中世のラテン語である「contrarotulare」に由来する。それはテクストテクストの照らし合わせ、もしくはテクスト情報の照らし合わせという意味を持つ。ルーマンによれば、社会における引照可能性を増大させたのは、まず以って文字であった。次いでグーテンベルクの活版印刷技術が、また今日ではコンピュータによる情報処理が、変異の加速に貢献している。

こうした加速装置による引照可能性の増大は、理念進化可能性を爆発的に増大させる。これにより、あらゆる選択は、より高度の選択を獲得する。選択すればするほど、より多くの選択肢を得ることとなる。そうした選択は、遂には社会構造上の進化へと結び付く。この選択による選択の増大は、ある進化が、後続の進化を助長する事態を招く。この進化の加速化が、<進化進化>という自己論理的進化論を促すことになる。

こうした社会構造上の変異は、意味論上の変動をもたらす。意味論の中では、全体社会発展への適応の余地が生み出される。つまり意味論は、どの社会構造上の変異に対応するかを「選択」する訳だ。だがこうして「選択」される社会構造は、一方では変動する意味論を方向付けてもいる。社会構造もまた、社会進化における意味論の「選択」に関わる。理念進化は、こうした社会構造意味論共進化によって成り立つ。理念が全体社会的な発展へと関与するのは、決して事後的な適応を通じてのみのこととは限らないのである。

尤も、以上のようなルーマンの記述は、極度に一般化された観察である。この社会進化論科学・学問のとりわけ物理学意味論にも該当するか否かについては、別途考証が必要となる。

特殊相対性理論

古典力学観察してきたのは、日常的に観察される物体のマクロな物理現象に過ぎない。19世紀以降、ミクロな粒子が物理学の研究対象となると、古典力学的な観察では説明の付かない事象観測されることになる。このマクロミクロ区別が導入されることによって、もはや古典力学に対する期待外れ隠蔽し続けることができなくなった。ボルツマンらによる熱力学の功績が認知されたのは、専らミクロ事象マクロ事象との間の接続可能性との関連からである。一方、ニュートン力学の基礎概念となる絶対時間絶対空間には形而上学的な要素が含まれているというマッハの痛烈な批判は、結果的に後の物理学者たちの背中を力強く押すこととなった。

とりわけマッハの思想的影響を受けたのは、前期量子力学の陣営ではなくアルバート・アインシュタインであった。ボルツマンの統計力学が前期量子力学の前史であるのならば、マッハのニュートン批判はアインシュタインの特殊相対性理論の前史となる。

プランクの法則が示しているように、エーテルが高い振動数の放射を吸収する能力は、それまでの放射に関する如何なる力学的な理論が記述するよりも遥かに小さい。この関連からプランクは、放射の「準原子理論(quasi-atomic theory)」、すなわち「原子論」を与えた。この理論は確かに放射を旨く説明していた。だがその他の物理学理論とは明白に矛盾した関係にあった。

この脈絡からアインシュタインは1905年に、光電効果現象を説明するためには、古典電磁気学においては電磁「波」として想定されていた光を、$$E = hv$$のエネルギーを有する「粒子」または「光子」として記述しなければならないことを示している。ここで、vは光を波と考えた場合の振動数を意味する。しかし光の回析や干渉は、波動論的には説明が付いても、粒子説では説明の付かない。古典力学における光の観察は、粒子と波動矛盾を派生させていることになる。

「マクスウェルの電磁力学(Elektrodynamik)は、移動体に当て嵌めて考えると、現象それ自体には帰属されない非対称(Asymmetrien)に至ることが知られている。例えば、磁石と導体の間の電気力学的な相互作用(die elektrodynamische Wechselwirkung)を考えてみよう。観察され得る現象は、導体と磁石の相対運動(Relativbewegung)だけに依存する。だが通常の見解によれば、これら二つの物体のいずれか一方が動く物体である場合には、厳密に区別されなければならない。」
Einstein, A. (1905). Zur elektrodynamik bewegter körper. Annalen der physik, 322(10), 891-921., S.893.

もし磁石が運動している導線が静止している時は、導線の各部分が位置している場所に電流を生じさせる有限エネルギーを持つ電場が、磁石の近傍に表れる。だがもし磁石が静止し、かつ導線が運動している場合には、磁石の近傍に電場が表れない。しかしながら、導線の内部に起電力が見出されるものの、この起電力に対応するエネルギーは導線の内部には無い。二つの場合の同等を仮定するなら、前者の場合の電力によって造られる場合と同様の道筋と強度の電流が生じる。

相対運動

ここでアインシュタインが念頭に置いていたのは、あらゆる運動は、何らかの別の物体との比較観点によってしか決定され得ないという「相対運動(Relativbewegung)」の発想である。二つの移動体のうち、一方を観察者とするなら、相対運動とは、その観察者からた場合のもう一方の移動体の運動を意味する。物体の運動を観察するためには、まず基準となる座標系を決定しなければならない。あらゆる運動は、この座標系の観点からた場合の相対運動として意味付けられる。言い換えれば、同一の移動体に関する相対運動でも、座標系が異なるなら、その運動は異なる意味を持つことになる。相対運動は、観点によって、別のあり方でもあり得る

相対時間絶対時間区別が導入されていたことからもわかるように、相対それ自体は、兼ねてよりニュートン力学が記述してきた概念である。ニュートン力学法則は、相互に等速運動している座標系から観察した場合にも、同じ意味を持つとされる。これは、既にガリレイの相対性原理として知られている。しかし、マクスウェルの電磁気学やその先にある電磁波論は、この原理を満たしていなかった。

アインシュタインの1905年論文は、光の波の振動媒質を表す「エーテル(Äther)」の静止系が存在するという当時の仮説に対して、ガリレイの相対性原理とは別様の相対性原理が成立することを指摘している。彼は「ガリレイ変換(Galilean transformation)」と「ローレンツ変換(Lorentz transformation)」の区別を導入することにより、ガリレイの相対性原理を満たしていなかった電磁気学も含めて、等速運動座標系間における相対性原理の成立過程を記述している。ローレンツ変換とは、1892年にヘンドリック・ローレンツとジョセフ・ラーモアによって提案された二つの慣系の間の時間座標と空間座標を結び付ける線形変換である。アインシュタインはこの変換式を「光速度一定の原理(principle of constancy of light velocity)」と相対性原理に基づいて再記述することで、電磁気学に限らず全ての法則の基礎となる時間空間に固有の質としてこの線形変換を一般化した。

ガリレオ変換の場合、静止系(x, y, z)のx軸方向に速度vで移動している運動系(x’, y’, z’)について、以下の式が成り立つ。

$$x’ = x – vt \tag{1}$$

$$y’ = y \tag{2}$$

$$z’ = z \tag{3}$$

一方、アインシュタインの相対性理論が前提としているローレンツ変換は、次のようになる。

$$x’ = \frac{x – vt}{\left[1 – \left(\frac{v}{c}\right)^2\right]^{\frac{1}{2}}} \tag{4}$$

$$y’ = y \tag{5}$$

$$z’ = z \tag{6}$$

$$t’ = \frac{t – \frac{vx}{c^2}}{\left[1 – \left(\frac{v}{c}\right)^2\right]^{\frac{1}{2}}} \tag{7}$$

このように、ローレンツ変換は、ある一つの事象を一つの静止系から観察した場合にその事象の生起した位置と時間(x, y, z, t)と、同じ事象を運動系から観察した場合にその事象の生起した位置と時間(x’, y’, z’, t’)を結び付ける線形変換である。言い換えれば、静止系の空間時間ローレンツ変換を施すと、運動系の空間時間が得られるということだ。ここで、式(4)と式(7)の分母は、「ローレンツ縮小因子(Lorentzkontraktionsfaktor: Lorentz Contraction Factor)」と呼ばれる因子である。この因子は、進行方向に対して物体の長さ時間が如何に収縮するのかを表している。これによりアインシュタインの相対性理論は、静止系の時間に比して運動系の時間が実際には遅延しているという結論が得られる。

光速度一定の原理

アインシュタインの時代には既に、光は電磁場の波としての電磁波であることが判明していた。その速度cは、その光源の速度に拘わらず、次のように一定となる。

$$c = 3 \times 10^8 m/s$$

アインシュタインは、この「光速度一定の原理」を自然法則として捉え直した。アインシュタインによれば、光は、真空中においては、光源の運動とは無関係に、あらゆる方向に対して一定速度cで伝播される。しかしこの法則は、ガリレイやニュートンの力学法則矛盾する。同一の運動を観察している場合、各慣系で観察される移動体の位置は異なる。だが時間は「絶対時間」として参照されるために、慣系には左右されない。ニュートン力学的な世界を前提とした場合、異なる速度で移動している慣系から観察されるそれぞれの物体の速度は必ず異なる。しかし光はこの法則に従っていない。

アインシュタインの相対性理論におけるローレンツ変換機能は、光がどの慣系から観察された場合でも全ての方向に対して一定速度cで伝播されるという現象が構成されるように、時間を慣系から独立した「絶対時間」としてではなく、慣系ごとに規定される固有の時間として変換する点にある。たとえ同一の移動体の同一の運動を観察している場合でも、慣系、すなわち観察者の観点次第では異なる位置や時刻が観察される。つまりあらゆる観察者に共通する「絶対時間」を仮定するのではなく、それぞれの観察者にとって固有の時間区別しなければならないのである。

脱エーテル化

長らく光という概念は、空気のような媒質によって伝播されると考えられていた。空気中を伝播される振動の代表例となるのは、音である。だが光の場合、真空中でも伝播される。エーテルという概念は、この真空も含めた空虚な空間の代替案として記述されていた。この空虚な空間としてのエーテルの中には、光をはじめとした様々な事柄が代入され得る。エーテルが何らかの内容に対する形式であるかのように記述されてきたのは、このためである。

しかしアインシュタインはこの仮定を覆した。と言うのも、あらゆる物体の運動が「相対運動」として再記述されるのならば、静止していると観察されている物体もまた、他の移動体として観察されている物体かられば、静止してはいないためである。

「絶対静止(die absolute Ruhe)という概念は、力学だけでなく、電気動力学においても何ら対応する現象が無い。むしろ力学の方程式が成立する座標系の全てにおいて、 同一の電気動力学の方程式、同一の光学の方程式が成立するのだ。」
Einstein, A. (1905). Zur elektrodynamik bewegter körper. Annalen der physik, 322(10), 891-921., S.893.

後にバートランド・ラッセルが解説していたように、光の電磁波がエーテルの中に在ると考えられていたのならば、光の測度は、エーテルに対する「相対速度」であるということになる。尤も、エーテルは天体の運動に対して何ら抵抗を示さないとも考えられていた。天体は運動によってエーテルを引き摺らないと考えられていたのである。しかしこの想定は、ある一つの基準となる座標系を観点とした場合にのみ成立する観察である。別の移動する座標系の別の観点から当の座標系をたならば、その静止しているとされる座標系は、静止してはいないのである。

関連としての時空

ニュートン力学が記述した絶対時間絶対空間という概念は、既にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツによって批判的に検討されていた。時間空間を実体として認識していたニュートンに対して、ライプニッツは「関係説(Relationismus)」を提唱している。ライプニッツによれば、時間空間は絶対的な枠組みではない。空間はそこに存在する物体の位置関係によって相対的に規定される。時間もまた物体の位置変化が生起することで初めて派生する。空間時間はこのように物体の関係によってのみ規定されるのである。

ライプニッツの「モナド論(monadologie)」から思想的な影響を受けた初期のイマニュエル・カントは、必ずしも首尾一貫した記述にはなっていないものの、やがて「絶対空間」と「相対空間」の区別を導入するようになる。カントによれば、「絶対空間」とは、それ自体としては無である。それは何らかの客体なのではない。それは様々な「相対空間」を包含(einschließen)する無限に拡大された空間である。「絶対空間」とは、もはやその外部にそれを包含する外部が存在しない、最も外部の空間を表わす。この場合、この「絶対空間」それ自体を計測する基準は存在しない以上、絶対静止していることになる。

若き日のマッハはカントの観念論から多大な影響を受けていた。だが後に展開されたマッハの力学は、カントのそれとは異なり、経験の唯一の要素は感覚であると主張する。全てを感覚の諸要素の諸関連によって記述していくマッハの姿勢は、空間時間という概念に対しても例外無く適用される。この諸要素の諸関連によって記述していく理念極限にあるのが、「絶対空間」と「絶対時間」の区別棄却なのであって、脱エーテル化なのであった。アインシュタインがマッハの理念極端に推し進めた先に「相対運動」を見出したのは、決してガリレイの相対性原理とマクスウェルの電磁気学の矛盾発見していたためだけではなく、ニュートン力学では解決可能エーテルを巡る時間空間、そして運動の相対的な関連を問題視していたためなのである。

これを前提とすれば、マッハの進化論的な認識論そのものの理念進化は、アインシュタインの相対性理論によって加速化されたと考えられる。この理念進化において引照可能性を引き受けたのは、時間空間意味論に他ならない。脱エーテル化から始まる新しい時空の関連付けが、マッハの理念進化を加速化させたのである。

一般相対性理論

初めて特殊相対性理論が記述され始めて10年以上の歳月を経て、相対性理論一般相対性理論として完成した。特殊相対性理論によれば、相対性原理が成り立つ慣系は、複合的な外力は働かないという前提で記述されている。そのため、一般的な重力場は存在しないと仮定されている。特殊相対性理論では重力を扱うことができない。特殊相対性理論で取り扱うことのできるのは、慣系に対して相互に等速直線運動する系のみである。その主題となるのは運動学と電磁気学のみである。

そこでアインシュタインはある種の「等価原理(equivalence principle)」に着目する。局所的に観測される重力は、非慣系における観測者の疑似的な力と同一であるという原理である。つまり、加速度を有した非慣系における物理法則は、慣系にとって、その系を基準とした場合の重力が生じている場合と等価になるというのが、アインシュタインの「等価原理」である。この等価が言い表しているのは、無限小の領域においては、運動の加速度と重力加速度区別することが不可能であるという点である。

等価原理特殊相対性理論拡張させる上での出発点となっている。静的重力場とこれに対応する一様加速度が物理的な差異を持たず等価であるということから、絶対加速度物理学的に無用の概念となることが示される。この論点から当初アインシュタインは、一様加速度と静的重力場に限定される対象を更に一般的な加速度系に拡張する方向から相対性理論拡張を目指していた。だがこの論点では時間の変化の生じない一様重力場が主題となるために、運動の記述もまた一様の加速度系に制限されることになる。重力ポテンシャルを$$\mathcal{\phi}$$、重力定数を$$\mathcal{k}$$、物質の密度を$$\mathcal{\rho}$$とするなら、重力場のポアソン方程式は次のようになる。

$$\Delta \mathcal{\phi} = \mathcal{k}\mathcal{\rho}$$

そして、静的重力場における重力場の方程式は、重力場における光速度をcとするなら、次のようになる。

$$\Delta c = \mathcal{k}c\mathcal{\rho}$$

したがって、特殊相対性理論の場合とは異なり、光速度は一定ではない。それは重力に依存して可変となる。重力ポテンシャルは光速度によって表現される。そしてこの光速度は、一方では位置の関数でもある。そのため静的重力場における運動量エネルギーについても、運動方程式を導入することが可能になる。しかしながら上記の二つの式にも表れているように、静的重力場の表現だけでは、位置の関数としての光速度に基づいた重力の可変性は捕捉できても、重力の時間的な可変性までは捕捉できない。そこでアインシュタインは1913年、マルセル・グロスマンと共に、多様体仮説、絶対微分、そしてリーマン幾何学的な発想を相対性理論に導入することで、重力ポテンシャルをスカラー値からテンソルへと拡張した。

特殊相対性理論においては、ローレンツ変換により、時間空間は次のような関係を満たしていた。

$$ds^2 = (cdt)^2 – (dx)^2 – (dy)^2 – (dz)^2$$

ここで、$$ds^2$$は不変量となる。これに対してアインシュタインとグロスマンの定式化によれば、この不変量は次のように拡張される。

$$ds^2 = g_{\mu \mathcal{v}}dx^{\mu}dx^{v}$$

ここで、$$g_{\mu \mathcal{v}}$$は重力場の状態を表わす重力ポテンシャルとして機能する基本テンソルである。一方、運動方程式は次のようになる。

$$\frac{d^2d^m}{d\gamma^2} + \Gamma^m_{ij}\frac{dx^i}{d\gamma}\frac{dx^j}{d\gamma} = 0$$

だがこの運動方程式では、重力場方程式がテンソルによって構成されていないために、任意の座標変換に対して同じ形を取るという一般共変が満たされない。当初アインシュタインとグロスマンは新しい重力場方程式を次の課題として認識していた。アインシュタインは、最終的に導かれるべき正しい重力場方程式が二階以上の高次微分方程式である可能性も考慮に入れていた。完全かつ正確な重力場の微分方程式が任意の座標変換に対して共変であるという可能性は尚も残存していた。しかしアインシュタインによれば、重力場の物理的特表現するには、その時点の彼らの知識はあまりにも不十分であった。

だが1914年になると、一般共変を満たす重力場方程式の定式化は不可能であると結論付けている。重力場方程式が一般共変を満たすとすれば、同一質量の分布を表わす物質の無い空間を想定する際に、同一質量の分布を表わす質量エネルギーテンソルに対して、複数の基本テンソル、複数の時空の表現が与えられることになる。これでは因果が破綻してしまう。因果を維持するのならば、重力場方程式は一般共変ではあり得ないと結論付けられる。

このためアインシュタインは一度一般共変を満たす重力場方程式を探索することから望ましい座標系の選択へと問題を再設定した。だがその後アインシュタインは望ましい座標系を発見できず、結局一般共変を満たす重力場方程式を探索する問題へと戻ることになる。そして1915年、遂に彼は兼ねてよりの要請を満たす重力場方程式の発見に至る。それは、アインシュタインとグロスマンの理論に準拠した上で、$$\Gamma^{\mu\mathcal{v}}$$をグロスマンのリッチテンソルではなく基本テンソルによって構成された二階反転テンソルに代替することで可能となった。

「マッハの原理」

アインシュタインの1918年論文となる「一般相対性理論の原理(Prinzipielles zur allgemeinen Relativitätstheorie)」では、一般相対性理論の原理を三つに区別している。

第一に、「相対性原理(Relativitätsprinzip)」である。自然法則は、時間的あるいは空間的な一致についての記述以上のものとはなり得ない。それ故、自然法則の唯一の自然表現は、一般共変を満たす方程式において記述される。第二の原理は、「等価原理(Äquivalenzprinzip)」だ。これはつまり、慣と重量は基本的に同一であるという原理を意味する。そして最後の三つ目の原理となるのが、「マッハの原理(Machsches Prinzip)」である。「マッハの原理」によれば、重力場は物体の質量によって完全に決定される。特殊相対性理論によれば、質量とエネルギーは同一である。エネルギー形式的に対称的なエネルギーテンソルで記述されるため、重力場はエネルギーテンソルによって決定され得る。この「マッハの原理」は、慣は物質の相互作用によって引き起こされるという主張の一般化として位置付けられている。

アインシュタインの取り上げる「マッハの原理」は、マッハが繰り広げた痛烈なニュートン力学批判に由来している。ニュートンはかつて、バケツの回転運動がバケツ内の水に対して引き起こす遠心力の効果を引き合いに出すことで、「絶対運動」を根拠付けようとした。だがマッハによれば、物体の運動は全てその周辺の物質との相対的な関連においてのみ理解されるべきであるという。バケツの回転運動の場合、もしバケツの周りの物質と全宇宙がバケツと共に回転すれば、バケツの相対的な意味での回転は無くなることになる。そうなるともはや、バケツの遠心力が生じているか否かはわからない。

ニュートンが地上の運動を宇宙との関連から切り離してしまっているのに対して、マッハは地上の物体の運動が遠い天体にも関連付けられ得ると考える。地球上の物体の運動は、宇宙全体の運動する物体の中の部分に他ならない。このように、部分の運動が全体の運動に照応しているというのが、「マッハの原理」なのである。

派生問題:時空の実在性

特殊相対性理論が前提としていたのは「ミンコフスキー時空(Minkowski spacetime)」である。ミンコフスキー時空世界距離dsは、次のように定義される。

$$ds^2 = dt^2 – dx^2 -dy^2 – dz^2$$

ここで、一般的に時間tは実数で、空間(x, y, z)は虚数となる。光子のような質量が0の粒子の世界距離は0となる。このことが言い表しているのは、ミンコフスキー時空におけるあらゆる事象が、反射鏡を用いて、原点0で結ばれているということである。つまり、現在のある物体は、過去や未来におけるその物体と、鏡を通じて結ばれているという訳だ。言い換えれば、ミンコフスキー時空空間のみならず時間の向きにおいても対称的に展開されている。そこに過去と未来を区別する物理法則存在しない。

ミンコフスキー時空が重力の発生源を認めない「平坦な」時空であるのに対して、一般相対性理論における時空は、如何なる座標系においても不変となる曲率Rを持つ。それは、時空の「構造(structure)」が存在する物質の重力場に依存して決定されることを意味する。しかしここでいう「構造」は、多様体(manifold)に計量場(metric field)を与えたモデルである。微分幾何学的に言えば、多様体は座標点の集合体である位相空間(topology)の表現であるのに対して、計量場は座標点の関連を表している。この意味でも一般相対性理論における時空の概念は、関連を重視する「マッハの原理」を踏襲していることがわかる。

しかしながら、この時空の概念は直接的に観測可能事象ではない。それ故に1980年代以降になると、この時空の実在が問われることとなる。この派生問題によって、時空の実在を主張する「実体説(substantivalism)」とそれを否定する「関係説(relationism)」の対立が勃発することとなった。つまり「マッハの原理」を踏襲して記述された一般相対性理論における時空の概念は、「マッハの原理」が促す「関係説」のみならず、「実体説」の議論も活発化することとなったのである。

尤も、この時空に関する「関係説」と「実体説」の区別は、マッハの理念に潜む自己言及パラドックス脱パラドックス化することとなる。それと同時に、この区別そのものが別様のパラドックスを派生させることとなった。この区別意味論は、次第に双方の差異の曖昧をも記述することとなったために、結局は<差異統一>というパラドックスを派生させたのである。部分の運動と全体の運動の原理的な照応を前提とした上で、全てを感覚の諸要素の諸関連によって記述していくマッハの理念は、脱パラドックス化と再パラドックス化意味論的変遷の果てに、進化論的に「選択」されることなく淘汰されることとなった。そして代わりに「選択」されるようになったのは、事もあろうに、時空の実在を肯定する意味論なのである。これについては、次頁で詳述する。

参考文献

  • Boltzmann, L. (1866). Über die mechanische Bedeutung des zweiten Hauptsatzes der Wärmetheorie:(vorgelegt in der Sitzung am 8. Februar 1866). Staatsdruckerei.
  • Boltzmann, L. (1868). Studien über das Gleichgewicht der lebendigen Kraft zwischen bewegten materiellen Punkten. Kk Hof-und Staatsdruckerei.
  • Boltzmann, L. (1868). Lösung eines mechanischen Problems. Wiener Berichte, 58, 1035-1044.
  • Boltzmann, L. (1885). Ueber die Eigenschaften monocyclischer und anderer damit verwandter Systeme. Journal für die reine und angewandte Mathematik, 98, S.68-94.
  • Boltzmann, L. (1905). “Über die Prinzipien der Mechanik” In Ludwig Boltzmann-Populäre Schriften. Severus Verlag., S.308-337.
  • Boltzmann, L. (2012). Wissenschaftliche abhandlungen (Vol. 1). Cambridge University Press.
  • Darwin, Charles., (1872) The origin of species: by means of natural selection or the preservation of favoured races in the struggle for lifea and the descent of man and selection in relation to sex, Random House.(邦訳:渡辺政隆 訳『種の起源〈上〉〈下〉』、光文社、2009)
  • Dorato, M. (2000). Substantivalism, relationism, and structural spacetime realism. Foundations of physics, 30(10), 1605-1628.
  • Dorato, M. (2008). Is structural spacetime realism relationism in disguise? The supererogatory nature of the substantivalism/relationism debate. Philosophy and Foundations of Physics, 4, 17-37.
  • Einstein, A. (1905). Zur elektrodynamik bewegter körper. Annalen der physik, 322(10), 891-921.
  • Einstein, A., & Grossmann, M. (1913). Entwurf einer verallgemeinerten Relativitätstheorie und einer Theorie der Gravitation. BG Teubner.
  • Einstein, A. (1914). Physikalische Grundlagen einer Gravitationstheorie. Naturforschende Gesellschaft in Zürich. Vierteljahrsschrift, 58, 284-290.
  • Einstein, A. (1914). Zur Theorie der Gravitation. Naturforsch. Gess. Zflrich Viert, 59, 4.
  • Einstein, A. (1914). Die formale Grundlage der allgemeinen Relativitätstheorie. Sitzungsberichte der Königlich Preußischen Akademie der Wissenschaften (Berlin), Seite 1030-1085.
  • Einstein, A. (1915). Zur allgemeinen relativitätstheorie (pp. 778-786). Akademie der Wissenschaften, in Kommission bei W. de Gruyter.
  • Einstein, A. (1916). Über die spezielle und allgemeine Relativitätstheorie (gemeinverständlich); trad. it. Relatività: esposizione divulgativa, e scritti classici su Spazio Geometria Fisica.
  • Einstein, A. (1918). Prinzipielles zur allgemeinen Relativitätstheorie. Annalen der Physik, 360(4), 241-244.
  • Einstein, A. (1922). The Meaning of Relativity: Four Lectures Delivered at Princeton University, May, 1921. Princeton University Press.
  • Einstein, A. (1988). Relativity: The Special and the General Theory—A Clear Explanation that Anyone Can Understand.
  • Hoefer, C. (1996). The metaphysics of space-time substantivalism. The Journal of Philosophy, 93(1), 5-27.
  • Kant, I. (1768). Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raume 1768. Maximilian-Gesellschaft.
  • Kant, I. (1770). „De Mundi Sensibilis Atque Intelligibilis Forma et Principiis/Von der Form der Sinnen-und Verstandeswelt und ihren Gründen. ders., Schriften zur Metaphysik und Logik, 1, 12-107.
  • Kant, I., & Friedman, M. (1786). Metaphysical foundations of natural science (pp. 171-270). Germany.
  • Kant, I. (1787). Kritik der reinen Vernunft, Projekt Gutenberg-DE.
  • Kant, I., & Weischedel, W. (1960). Vorkritische Schriften bis 1768 (Vol. 1). Insel-Verlag.
  • Leibniz, G. W. (1898). The monadology and other philosophical writings. Рипол Классик.
  • Lenin, V. I. (1908). Materialism and Empirio-criticism. Collected works, 14.
  • Lorentz, H. A. (1909). The Theory of Electrons. Leipzig: Teubner, 2nd edn.[1952].
  • Lorentz, H. A., Einstein, A., Minkowski, H., Weyl, H., & Sommerfeld, A. (1952). The principle of relativity: a collection of original memoirs on the special and general theory of relativity. Courier Corporation.
  • Newton, I. (1966). Philosophiae Naturalis Principia Mathematica [Mathematical Principles of Natural Philosophy], translated in English by A. Motte, revised and annotated by F. Cajori.
  • Mach, E. (1890). The Analysis of the sensations: antimetaphysical. The Monist, 1(1), 48-68.
  • Mach, E. (1912). Die Mechanik in ihrer Entwicklung: historisch-kritisch dargestellt. Brockhaus.
  • Mach, E. (1914). The analysis of sensations, and the relation of the physical to the psychical. Open Court Publishing Company.
  • Mach, E. (1919). The science of mechanics: A critical and historical account of its development. Open court publishing Company.
  • Maxwell, J. C. (1890). The Scientific Papers of James Clerk Maxwell.. (Vol. 2). University Press.
  • Russel, B. (1985). ABC of Relativity 4th revised ed. by E. Pirani. Routledge.
  • Smith, S. (2013). Kant’s picture of monads in the Physical Monadology. Studies in History and Philosophy of Science Part A, 44(1), 102-111.
  • Szamosi, Geza. (1986) The Twin Dimensions: Inventing Time and Space, Mcgraw-Hill.
  • Weismann, August., (1893b) “The all-sufficiency of natural selection. A reply to Herbert Spencer,” Contemporary Review, 64: pp309–338.
  • Wiener, Norbert. (1961). Cybernetics or Control and Communication in the Animal and the Machine (Vol. 25). MIT press.
  • 小野田波里. (2011). 慣の相対とマッハ原理: 一般相対性理論形成過程をめぐって.
  • 坂恒夫. (1995). ウィーン世紀末における科学の総合. 岐阜薬科大学教養系紀要, 7, 31-64.
  • 坂恒夫. (1996). マッハにおける物理学心理学. 岐阜薬科大学基礎教育系紀要, 8, 7-38.
  • 藤田翔. (2016). 一般相対性理論における時空論の実体説関係説, そして構造実在論への展開. 年報人間科学, 37, 123-141.