「構造」としての時空、「実体説」と「関係説」の弁証法的統合 | Accel Brain

「構造」としての時空、「実体説」と「関係説」の弁証法的統合

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問題再設定:時空の実在論は如何にして可能になったのか

特殊相対性理論が前提としていたのは「ミンコフスキー時空(Minkowski spacetime)」である。ミンコフスキー時空世界距離dsは、次のように定義される。

$$ds^2 = dt^2 – dx^2 -dy^2 – dz^2$$

ここで、一般的に時間tは実数で、空間(x, y, z)は虚数となる。光子のような質量が0の粒子の世界距離は0となる。このことが言い表しているのは、ミンコフスキー時空におけるあらゆる事象が、反射鏡を用いて、原点0で結ばれているということである。つまり、現在のある物体は、過去や未来におけるその物体と、鏡を通じて結ばれているという訳だ。言い換えれば、ミンコフスキー時空空間のみならず時間の向きにおいても対称的に展開されている。そこに過去と未来を区別する物理法則存在しない。

ミンコフスキー時空が重力の発生源を認めない「平坦な」時空であるのに対して、一般相対性理論における時空は、如何なる座標系においても不変となる曲率を持つ。それは、時空の「構造(structure)」が存在する物質の重力場に依存して決定されることを意味する。しかしここでいう「構造」は、多様体(manifold)に計量場(metric field)を与えたモデルである。微分幾何学的に言えば、多様体は座標点の集合体である位相空間(topology)の表現であるのに対して、計量場は座標点の関連を表している。この意味でも一般相対性理論における時空の概念は、関連を重視する「マッハの原理」を踏襲していることがわかる。

しかしながら、この時空の概念は直接的に観測可能事象ではない。それ故に1980年代以降になると、この時空の実在が問われることとなる。この派生問題によって、時空の実在を主張する「実体説(substantivalism)」とそれを否定する「関係説(relationism)」の対立が勃発することとなった。つまり「マッハの原理」を踏襲して記述された一般相対性理論における時空の概念は、「マッハの原理」が促す「関係説」のみならず、「実体説」の議論も活発化することとなったのである。

しかしより一層注意を払わなければならないのは、この「実体説」と「関係説」の対立の土台を提供しているのが、マッハの意味論だけではないということである。マッハの意味論から思想的影響を受けたアインシュタインは、ボルツマンやプランクを筆頭とする実在論とも分かち難い関係にある。

「プランクは、明らかに典型的に物理学発展に基づいて実在論使用した最初の人物である。この実在論においては、通常の意味での感覚(sensation)や知覚(perception)に関するあらゆる問いから遠ざかることになる。彼が実在論を支持するのは、人間知覚主観を放棄すると同時に物理学の構築の基礎となる、より遠く離れた物体についての物理学理論が継続的に経験的な成果を収めてきたためである。実在論は、科学の進歩によって引き起こされたこの種の議論で裏付けられているが故に、正当に『科学的』実在論と呼ばれるのかもしれない。そして世紀末前後に、この科学的実在論の少なくとも一つの展開は、物理学者たちへと、つまりボルツマン、プランク、アインシュタインへと結び付いていく。しかしながら、それはまた、これまで取り上げられたいずれの権威も無視できない偉大な反実在論者であるエルンスト・マッハにも結び付くのである。」
Scheibe, E. (2000). The origin of scientific realism: Boltzmann, Planck, Einstein. In The Reality of the Unobservable (pp. 31-44). Springer, Dordrecht., p33.

科学的実在論根源は、ボルツマンの統計力学やプランク以降の量子力学にある。時空の「実体説」もまた、科学的実在論と無縁ではない。時空の「実体説」が準拠する実在論は、ボルツマンらが主題としていた原子実在論の後史に位置付けられる。だとすれば、1980年代以降から専ら科学哲学の主題として記述されることとなった時空の「実体説」は、実はボルツマンをはじめとした物理学者たちと共通理念を抱いていた可能性がある。

科学的実在論は今日、科学哲学者たちによって多くの議論が為されてきた問題である。しかしながら、私の知る限り、それは物理学者たちによって発明されたものであって、このことは忘却されることになってしまったことのようだ。加えて科学的実在論は、科学者の科学哲学的な基盤の問題で、物理学者たちの態度に一般的な転換が起きた時期に現れた。19世紀末の新しい分野としての理論物理学の確立と関連して、我々は新しい理論物理学者たちが物理学に関する様々な哲学的問題についての活発な議論を交わしてきたことを目の当たりにしている。」
Scheibe, E. (2000). The origin of scientific realism: Boltzmann, Planck, Einstein. In The Reality of the Unobservable (pp. 31-44). Springer, Dordrecht., p31.

19世紀末前後の時代、既にドイツ観念論への失意を隠せずにいた多くの物理学者たちは、ありきたりな実証主義を採用するか、あるいはボルツマンの原子論(atomism)を支持しない現象論的態度を採用していた。これに対してボルツマンは、当時から原子論を支持する哲学の登場を心待ちにしていた。実際ボルツマンは、自身の人生における最後の10年あまりの間、そのライフワークの中心的な主題を哲学に移している。しかしながら、原子論の哲学的な検討を加えた彼の出版物は、意図した成果を出せずにいた。ボルツマンは、言論の場において、ますます自身が陣に追いやられていく状況を目の当たりにしていた。

しかしボルツマンの理念は簡単には無常化しなかった。「プランク定数(Planck constant)」へと結び付くプランクの1900年の黒体放射に関する観測結果や、1905年におけるアインシュタインの「粒子」や「光子」に関する観測結果は、ボルツマンの理念を具象化した内実となっている。そして、当初は「マッハの原理」から一般相対性理論を記述していたアインシュタインは、その後の研究者人生の歩みの中で、徐々にマッハに背を向けるようになる。彼はマッハ側の「関係説」にはもはや加担せず、彼自身に固有の観点から「プログラム的または構造的な実在論(programmatic or constructive realism)」を提唱するようになった。

忘れてはならないのは、当初からボーアらと量子力学を巡る熾烈な論争を繰り広げていたのもまたアインシュタインであったということだ。そのためなのか、彼の実在論に対する姿勢はアイロニカルでもある。アインシュタインは確かに、物理系の「現実的(real)な」状態が観測測定とは無関係に存在することを容認している。それは、原理的には、物理学表現手段によって記述することが可能であるという。だが彼は、量子力学理論の基礎を論じない限り、量子の理論を含めた全ての人間は、この実在についての理論に固執することになるとも述べている。

アインシュタインの実在論に対する態度は乾いている。誤解を恐れずに言えば、どうもアインシュタインは、実在する物理現象をプログラムの「型(type)」のように考える傾向にあった。アインシュタインにとって、存在(being)というものは、我々によって精神的に構成(mentally constructed)されたものであった。それは我々が自由に主張する事柄に過ぎないという。

しかしこのアインシュタインのアイロニカルでドライな姿勢が、当初こそマッハの「関係説」的な理念から出発した彼が徐々にボルツマンやプランクの「実体説」的な実在論へと接近した結果でもあるとるなら、彼のアイロニカルでドライな姿勢を背景として記述された「プログラム的または構造的な実在論」の意味論は、「実体説」と「関係説」の区別を「実体説」の内部に「再導入(re-entry)」することで成立していると考えられる。これに照応するように、彼の一般相対性理論の発表を契機として勃発した時空を主題とした「実体説」と「関係説」の対立は、次第に双方の差異が「実体説」の側へと「再導入」される結果を招いている。この実例は、とりわけ1980年代以降の科学哲学的な議論を観察することで抽出することができる。

問題解決策:「多様体実体説」

時空に関する初期の「実体説」は、「多様体実体説(manifold substantivalism)」として提唱された。この「実体説」は、時空を多様体上の点として記述した上で、一般相対性理論の曲率Rを与える計量場(metric field)としての重力場をこの多様体上の点としての時空から区別する。

多様体実体説」における時空は、物理的な事象とその過程の基礎となる基盤を形成する物質である。こうした事象と過程の間の時空間的な関連(spatiotemporal relations)は、時空点と領域の基層(substratum)に固有の時空間的な関連に対して寄生的である。この「実体説」は、「実体説」と「関係説」の活発な議論が、容器(container)としての見做される時空とその内容(content)となる物理系とを明確に区別する必要があるという前提に基づいている。

しかし実際のところ、この「実体説」は根拠に乏しい。一般相対性理論における時空の構造多様体に計量場を与えたモデルである。この時空から電磁場やその他の物体を取り除いたとしても、多様体の全ての点には計量場が与えられているために、重力場は尚も存在していることになる。故に、ニュートンやカントが記述したような、物体や相対空間を「包含」する<容器>の如き絶対空間存在しない。

マルト・ドラートも指摘しているように、しばしば「多様体実体説」の擁護者たちは、抽象的(abstract)な数学的モデルとしての多様体と物理世界の具象的(concrete)な時空の特徴とを混同してしまっている。こうした「実体説」を擁護するためには、数学的な理論が物理的な世界表現するということが如何にして可能になるのかを見極めなければならない。

問題解決策:「多様体・計量場実体説」

これに対して「多様体・計量場実体説(manifold plus metric field substantivalism)」は、時空を多様体と計量場を合成した概念として再記述する。この「実体説」における時空とは、事実上座標点と重力場を合成した概念となる。座標が現実世界の物理的な時空点に対応するのは、既に座標が計量場を伴わせているためである。「多様体・計量場実体説」はこの座標が既に計量場を伴わせているという発想から、時空の実体を探究している。

ある存在が実体であると考えられるのは、その存在が別の如何なる存在にも依存せずに独立して存在しているためである。座標点の数値が指し示しているのは、任意に規定された原点や他の座標点に対する位置関係に過ぎない。つまり座標点を観察するだけでは、個々の存在の関係を記述するに留まる。この観点かられば、「多様体実体説」だけでは多様体としての時空が計量場に依存している状況が派生問題となる。故に「多様体・計量場実体説」は、時空の概念の枠組みに多様体と計量場を同時に包摂することで、外部への依存否定するのである。

多様体・計量場実体説」は、多様体に計量場を加えることで、多様体と計量場以外の事柄から時空概念を区別する。その際、この概念に同一性(identity)を与えるのが、時空点(spacetime points)が有する「原始的な同一性(primitive identity)」であるという。「原始的な同一性」とは、個々の時空点には座標や計量場における相互の位置関係とは独立に与えられる質を表わす。それは、個々の点を相互に異なる実体として区別する上で必要となる普遍的同一性意味する。時空の個々の点が「原始的な同一性」を有しているのは、それぞれの点を計量場無しに識別することができるということである。

問題解決策:「計量場実体説」

しかし時空点を単独で識別できるという発想は、ライプニッツの「不可識別者の同一性」の原理に反する。ライプニッツによれば、二つの実体が完全に類似し、ただ数においてのみ差異化されているというのは、正しくない。「二つ」の対象が質を完全に共有しているのならば、それは「一つ」の対象として観察されるべきである。ある対象の完全な記述が与えられれば、その対象を他の対象から区別することで、一義的にその対象を確定できる。言い換えれば、完全な記述はそれを「一つ」の個体としての同一性を指し示すための必要十分条件となる。

仮に時空点同士を計量場無しに識別できるとすれば、ここで想定される時空概念は、座標点に計量場を与えて初めて構造としての時空となり得るという一般相対性理論の概念から逸脱することとなる。それどころか、多様体上の点それ自体が時空の質を規定しているという発想は、一般相対性理論決定論的な因果関係を破綻させてしまう。

そこでカール・ホーファーは、「計量場実体説(metric field substantivalism)」の立場から、時空の個々の点が「原始的な同一性」を有しているという発想を否定した。「計量場実体説」は重力場と時空を同一視する。この「実体説」における多様体は、時空点の連続性や全体の位相を与える情報として再記述される。多様体とは、先行して存在している訳ではなく、局所的な計量場から構造化される概念なのである。

派生問題:「関係説」としての「計量場実体説」

しかしこの説は、後にマルト・ドラートが指摘したように、「関係説」との差異を確保し切れていない。時空についての「関係説」は、ライプニッツ以来主張されてきた物体同士の関連を重視する「関係説」ではなく、時空点同士の関連を重視する新しい「関係説」である。時空についての「関係説」は、物理理論を時空点から切り離したとしても、それを存在している対象間の質のみに依存して再記述することが可能であると主張する。「関係説」の意味論は、一般相対性理論における時空に関する物理法則を道具主義的に記述することで、時空に関する反実在論展開している。そうすることで「関係説」は、時空点や計量などのような物理量が、存在する物質やその質に還元することを目指している。

「仮に多様体の各点、そしてそれらの要素となる各部分は実体ではなく、かつ、どの実体も常に他の実体を部分として有しているとするなら、そのような非実体的な部分(多様体)の『融合(fusion)』によって一つの実体が生じ得るという見解を保持することは困難となる。」
Dorato, M. (2000). Substantivalism, relationism, and structural spacetime realism. Foundations of physics, 30(10), 1605-1628., p5.

計量場実体説」によれば、計量場は、時空から切り離されることで、物理的な場として再定義される。この場合、物質やその物理的な場の位置関係距離関係は、時空幾何を与える計量場の質に還元される。したがって、重力場と時空を同一視する「計量場実体説」は、計量場を物理的な場である重力場と見做す限りにおいて、時空を物理的な場の質に還元する「関係説」となる。このように、時空を計量場と同一視する立場は、相対してきたはずの両者、「計量場実体説」と「関係説」の共通認識となっている。この共通性は、「計量場実体説」側の曖昧に起因している。と言うのも「計量場実体説」は、重力場の質から、時空を物質の占めていない領域に宿るものとして見做しながらも、その領域そのものの実体を説明してはいないためである。

問題解決策:「構造的時空実在論」

ドラートは、「計量場実体説」と「関係説」の差異が曖昧であるからといって、決して単純に「関係説」の立場を採用した訳ではない。また「第三の何か(tertium quid)」を探究した訳でもない。むしろドラートはここから双方の統合の可能性を探究することで、時空の実在可能性を再記述する。

ドラートはまずホーファー同様に、時空を表わすのは多様体ではなく計量場であると考えた。時空点は計量場という構造によって初めて同一性を獲得するという見解についても、ドラートはホーファーの説を踏襲している。一方、エネルギー運動量伝播する重力場は、他の物質場(matter field)と同様に、相互に影響し合う。だが同時にそうした重力場は、時空点や物体の位置関係を規定する四次元座標を設定してもいるという。時空点は重力場によって提供された関係構造(relational structure)によってのみ特定され得るということである。

エネルギー運動量伝播し、『作用すること(acting)』と『作用されること(being acted upon)』の双方が可能であることによって、計量場は、一方では質料的(material)と見做されるべきである。だが他方で計量場は、他の全ての物質場の空間方向と時間方向の区別を提供することによって、個別化の原理と見做される古典的な空間時間の典型的な個別化を実行する。」
Dorato, M. (2000). Substantivalism, relationism, and structural spacetime realism. Foundations of physics, 30(10), 1605-1628., p6.

こう考えると、計量場は他の物質場とは区別されることになる。計量場はそれを構成する座標に依存することで、様々な表現形式(form)を持つ。そこでドラートは、時空を座標変換によって変換する一連の計量場の群であると定義する。そしてこの関連からドラートは、従来は相反する概念として区別されていた物質と時空の双方を兼ね備えた概念として、重力場を定義する。そして彼は、最も重視する主張として、計量場の作用を受けている空間と物質の『弁証法的な(dialectical)』統合によって、時空の質に関する新しい哲学的観点要求する。この新しい観点として彼は、空の時空を重視した従来の「実体説」でもなければ、時空の実在否定してきた「関係説」にも留まらない、「意味論的な、モデル理論的なアプローチ(a semantic, model-theoretic approach)」から成る「構造的時空実在論(structural spacetime realism)」を提唱したのである。

構造的時空実在論」は、ニュートンやライプニッツの時代における「実体説」と「関係説」の区別棄却する。この実在論は、物質的な性格と時空としての性格を共存させた計量場という概念を記述することによって、一般相対性理論以降の時代における時空に関する「実体説」と「関係説」を統合した新しい時空の意味論として展開されている。計量場によって生じる「構造」としての時空は、時空点同士の関連を指し示す。この「構造」としての時空は単なる数学的-物理学的なモデルや数式として記述されている訳ではなく、それ自体は他の物質とは独立して物理世界に実在している。厳密に言えば、時空の幾何構造そのものが物理世界によって具象化されているということである。幾何「構造」としての時空がオブジェクト指向プログラミングの「クラス」に該当するなら、物理世界の時空はその「インスタンス」を表わすとも言えよう。

ここで重要となるのは、計量場が座標ごとに異なる表現形式を得るということだ。重力場は「構造」のモデルの中で計量という形で表わされる。だが計量場は座標系によって異なる。故に「構造」としての時空は、座標系に依存している。つまり、異なる座標系に位置する観測者は、異なる「構造」としての時空を観測することになる。観測者によって、時空の「構造」の実在、その在り様が変わるのである。言い換えれば、時空点は「構造」としての時空を伴わせることで初めて意味を成すということだ。座標変換によって、時空点は別のあり方でもあり得る時空点へと変換される。だがその時空点は、「構造」としての時空の中で初めて特定される。時空点それ自体は、「構造」無しに単独では存在し得ない。時空点を表現した数学的な座標の値それ自体には決して本質的な意味な無いのであって、時空点は変換の前後で同一であることが示される。

構造的時空実在論」は、時空を数学的なモデルとしてのみならず、「真に存在する(really exists)」と考える。ただし「構造的時空実在論」の意味論は、この「真に存在する」の概念を三つに区別する。第一に、「精神とは独立して(mind-independently)」という意味で、「真に(really)」実在するという概念である。第二に、物理的な世界を記述するために使用される数学的な構造に関するある種のプラトニックな実在論意味で、「真に実在する」という概念である。そして第三に、「構造」としての時空は自然法則を生み出し、事象や他の物理的対象に対して完全には付随しない(non-supervenient)構造を与えるという意味で、「真に存在する」という概念である。

時空は、数学的なモデルとして記述されているだけではなく、物理系の構造の一つとして確かに存在している。時空は他の物質とは独立して存在している構造である。時空点はその全体の中での関連によってのみ特定される。これは、重力場によって生じる「構造」としての時空が、全体との関連によって構成されているということである。だからこそ、計量場の群によって表現される構造は、座標に依存した上で、別のあり方でもあり得るのである。そしてこの「構造」としての時空を生み出す重力場によって、質量を持つ移動体の軌道が曲げられる。これは、時空という観測可能理論的な実体が他の移動体に影響を与え得る因果的質(causal property)を有しているのではなく、他の物理的な存在によって生じる時空の関連を表わす幾何的質によって移動体への影響が生じているということである。こうした意味においても、構造的時空実在論は時空についての「実体説」と「関係説」を統合した意味論として記述され、かつ、この理論一般相対性理論が主張する物理的な質と一般共変を同時に満たすのである。

問題解決策:実在論の意味論

科学理論意味論的な概念の枠組みでは、一般相対性理論は次のような構造構成されている。

$$\bf{M} = <M, g, T>$$

ここで、Mは四次元のリーマン多様体を、gは計量テンソルを、そしてTは応力エネルギーテンソルか物質場を表す。この意味論的な枠内で「構造的時空実在論」を定式化しようとする場合、その観点は基本的に二つに区別される。

  1. M + gの時空点間で保持する理論的な関連の集合は、現実事象によって具象化された時空間的かつ物理的な関連の集合に全体的または部分的に照応する。
  2. gによって想定されたMの時空点間の数学的関連の集合は、現実事象によって具象化された時間的かつ物理的な関連の集合類似しているか、あるいは少なからず一定の意味類似している。

この関連からドラートは、科学哲学者であり学の哲学者でもあるフレデリック・サッピの『科学理論構造(The Structure of Scientific Theories)』に準拠することで、「構造的時空実在論」を深化させるための第三の観点を加えている。この第三の選択肢は、通常ならば意味論には属さない。だが理論言語概念には属しているという。この観点は次のように定義される。

  1. 構造Mの抽象的な数学的オブジェクトM + gは、実際には物理的な時空を言及している(refers to)。

この観点から採り入れられる方法、とりわけ「言及している(to refer)」という動詞の使用は、この場合の時空の実在が、その現実を確立するより一般的な問題設定におけるインスタンスであると見做すことを可能にする。つまり、記述された数学的なオブジェクトとなるM + gがより抽象的な「クラス」であるのに対して、現実世界の物理的な時空はそのより具象的な「インスタンス」となる訳だ。尤も、ここでいう「インスタンス」としての時空は、視認可能事象ではないが故に、専ら「理論的(theoretical)」で、「観測可能な実体(unobservable entities)」と呼ばれる傾向にある。そうした実体は、いわゆる「理論的な語彙(theoretical vocabulary)」として、その理論に属するTの言語の用語によって推定的に言及される。

こうした言語的枠組みの中で、実在論者たちが「リーマン多様体」という単語とその推定される「デノタム(denotatum)」、すなわち言語表現によって指し示される実在の対象との間に何らかの参照関連を確立しようとする理由も明白となる。ここでいう参照関連とは、典型的には因果関係を表わす。モデル理論的なアプローチでは、命題が指し示す対象に関連付けられている命題の項ではなく、関連構造に重点を置いた場合、関連は喪失することになる。

ドラートは、意味論的なアプローチの枠組みでは、上記の第三の選択肢を定式化することができないとは主張していない。また彼は、実体の実在論を信じる意味論理論が、理論的実体の因果関係を提唱できないとも主張していない。彼は観測可能な実体と理論的な実体の区別を支持するつもりもないという。これは、観測された科学の言語学的見解に本質的に関連する反実在論的な議論を提供するための事柄に過ぎない。

経験的な適切性

上述した第一の観点によれば、時空の実在に関するあらゆる主張は、一般相対性理論モデルが、モデル世界の間の同型的(isomorphic)な関係を介して、物理的な宇宙を正しく表現するという主張と等価である。科学哲学者バス・ファン・フラーセンの『科学的形象(The Scientific Image)』によれば、モデル現実の関連が一種の同型的な関係となるというこの発想は本質的である。モデルMから現実オブジェクト事象集合Rへの全単射Fが与えられると、モデルの要素間の関連と、実世界の実体間のそれらは、Fによって保持される。

仮に、Fが成立する条件が、Fはモデル経験的な部分構造に作用する時のみである場合、その領域はFを介してFが観測可能な実体に関連しているモデルの「部分(part)」に制限される。こうした制限により、<理論経験的に適切であると受容されること>と<理論が真理であると信じられること>の区別を導入することが可能になる。前者の認識論的な姿勢は、Fが直接的に観測可能な実体の存在のみを保証するために、理論Mの理論的な部分構造に留まることになる。同型Fは確かにMの理論的な部分構造拡張可能性否定しない。だがこの場合、理論的な実体に起因した理論的な関連の集合存在する場合とそうではない場合が派生する。

結果的に、ファン・フラーセンの科学哲学的な観点では、「構造」としての時空が実在するか否かを確立する問題は、一般相対性理論に対応するモデルの時空間のサブ構造経験的あるいは理論的なサブ構造に属するか否かを規定することになる。この文脈において、観測可能な運動と理論的実体と見做される時空との区別を導入することにより、「構造的時空実在論」に反して次のように主張することもできる。すなわち、もし形而上学的でなければならないのならば、ファン・フラーセンが推奨したように、リーマン多様体によって仮定された時空間的な構造が物理的な時空によって真に具象化されるか否かについては、不可知のままにしておかなければならない。

構成的経験主義

ファン・フラーセンは、規範的に考えても、記述的に考えても、科学的実在論を誤りであるという。これに対するファン・フラーセンの代替案は、「構成的経験主義(Constructive Empiricism)」という立場である。構成的経験主義における科学の目的は、科学的実在論者が求める真なる理論の導入などではなく、経験的に適切(empirically adequate)なモデルの構築である。科学理論の記述において問題となるのは、真理ではない。科学の目的は経験再構成することで、現象を救済すること(to save the phenomena)にあるのだ。

「一つの理論を提示するということは、一群の構造、すなわちモデル群を特定し、その後それらのモデルのある一定の部分(経験的部分構造(empirical substructures))を、観察可能な現象の直接的な表現の候補者として特定するということである。実験報告、観察報告によって記述できる構造外観(appearance)と呼ぶことができる。だとすれば、理論経験的に適切であるのは、その理論が、全ての外観がそのモデル経験的部分構造と同型であるようなモデルを有する場合である。」
van Fraassen B. (1980), The Scientific Image, Oxford University Press, Oxford., p64.

ファン・フラーセンの構成的経験主義を実際の科学の実践に結び付けているのは、観察可能性という概念である。ファン・フラーセンは肉眼では不可視の対象の実在を認めない。確かに観察可能性を阻む不可視性は、実験器具や測定器による視覚化によって補うことができる。だがファン・フラーセンは、実験器具や測定器を介して得られた情報を実在している事柄とは見做さない。一見すれば、こうした観点に立つ構成的経験主義によれば、科学的な事柄のほとんどは、観察可能な対象となってしまう。ボルツマンの論じた「原子」は勿論、宇宙の星々も含めたマクロ的な事柄もまた、観察可能な対象となる。ファン・フラーセンによれば、ある事柄が観察可能であるための条件となるのは、次の通りである。

「Xは、それがその状況の下で我々に提示された場合に、それを観察すると言えるような状況がある場合に、観察可能となる。」
van Fraassen B. (1980), The Scientific Image, Oxford University Press, Oxford., p16.

ファン・フラーセンはこの条件を定義として記述しているのではなく、あくまで誤謬を回避するための大まかなガイドとして記述している。このガイドはかつてジョージ・クラーク・マクスウェルの問題意識に結び付けられる。観測可能な事柄とより遠回りの方法でのみ検出可能な事柄との間の線引きは、極めて曖昧な差異に基づいている。だがこの曖昧は、可変性として逆手に取ることもできる。地球上から惑星を視る場合、観察者は望遠鏡を用いる。だが、観察者が地球から離脱することで、衛星の側に十分に近付けば、肉眼でも観察可能になる。つまりファン・フラーセンにとって、観察可能性とは観察者の観察行為によって拡張可能な概念なのである。

とはいえ、観察可能であるということが曖昧であるという点に変わりは無い。ファン・フラーセンはこの曖昧を認めた上で、もとより自然言語の述語はほとんどが曖昧だという。そしてファン・フラーセンは、曖昧な述語は使用することができるのは、それが明確に妥当する場合とそうではない場合を挙げられる場合であるという。この条件が満たされるのならば、曖昧な概念である観察可能性もまた、使用可能となる。

科学的実在論としての「構造的時空実在論」

ファン・フラーセンは、実在に関する哲学的な立場の違いは、「スタンス(stance)」の違いによって成立するという。ここでいうスタンスとは、科学者や哲学者たちの態度やアプローチ、信念のようなものの集合体である。理論が真であるという信念を持つことと経験的に適切であるという信念を持つことは、それぞれに整合があるのならば両立して構わないという。ファン・フラーセンにとって、科学的実在論科学的反実在論差異は、価値差異でしかない。ファン・フラーセンが科学的実在論要求しているのは、科学的反実在論の容認などではなく、単にそのスタンスにおいて整合的であることであるという。

しかしこのファン・フラーセンのスタンスは、それ自体が科学的反実在論の価値から発せられている。科学的実在論の立場かられば、立場の差異をスタンスの差異に還元する必然性が無い。価値差異でしかないという相対主義的な思考停止も確かに選択可能選択肢ではある。だが我々には、このファン・フラーセンの選択肢を選択する必然性が無いのだ。実際ドラートは、自らの「構造的時空実在論」の意味論を記述する上で、ファン・フラーセンの提供した選択肢を観察した上で、別のあり方でもあり得る選択肢を自ら探索している。

ドラートは、時空間構造に関するファン・フラーセン的な反実在論を遮断するための二つの戦略を講じている。一つは、観察可能性観察可能性区別が時空には適用できないとする戦略である。またもう一つは、目的に対してより効率的かつ建設的で、尚且つ経験主義的な方法によって、「構造」としての時空の本質的な要素が観測可能であるという単純明快な理由によって、実在していると結論付ける戦略である。

しかし第一の戦略について言えば、観察可能性観察可能性区別が時空に対して導入し得るという論理的な根拠がそもそも見当たらない。と言うのも、「構造」としての時空という概念は、その全体が「理論的な」記述の対象となっているためだ。時空についての理論を記述する観察者は、時空という概念を記述することで、時空の全貌を観察可能にしている。たとえその全体、もしくはその一部が実体として観察可能であるとしても、理論の記述者は、<観察可能な概念>として、時空を観察可能にしているのである。このようなパラドックス化可能なのは、そもそもファン・フラーセンのような反実在論者が観察可能性に伴う曖昧解消できていないためでもある。

一方、第二の戦略について言えば、「構造」としての時空の本質的な要素が、時系列的に順序化されている<事前>と<事後>の事象や、空間的に相互隣接する複数の事象であることを念頭に置けば、我々はそれを直接的に認識していることが明確になる。ここで特に重要となるのが、<事前>と<事後>の時間的な連続性が、ミンコフスキー時空で非常に重要であるという点だ。こうした事象は、幾何学的で因果的な構造の全体を記述するだけで、観察可能であることがわかる。

これに対して、時空間的に一致している二つの事象は、単一の知覚によって確認できるものの、それらが完全に同時的に生起している出来事として認識されなければならない。例えば、鏡の表面と交差する光線が、空間的に隣接する時計の針の特定の位置と同時に発生するとしよう。だがその判断根拠が得られないのなら、物理学的な理論経験的な根拠も得られない。この意味で、経験主義の方法においては、「構造」としての時空は、少なくても部分的には、理論経験的な部分構造に属する。したがって、時空は、現象間の観察可能な関連として実在するものと見做されなければならない。

機能的等価物の探索:「クラス」と「インスタンス」の区別

ドラートの「構造的時空実在論」によれば、幾何「構造」としての時空が「クラス」に該当するなら、物理世界の時空はその「インスタンス」を表わす。ドラートは比較抽象的な概念としての時空と比較的具象的な概念としての時空を区別している。この点で言えば、「構造的時空実在論」はアインシュタインのあのアイロニカルでドライな姿勢から記述された「プログラム的または構造的な実在論」の機能的等価物である。実際、この実在論を思い描くアインシュタインにとって、実在する物理現象はプログラムの「型」のようなものであった。また、「実体説」と「関係説」の区別を「実体説」の内部に「再導入」することで成立しているという背景も、双方の実在論共通意味論特徴となっている。

この機能的等価を前提とすれば、存在とは我々が精神的に思い描いた事柄であるというアインシュタインの主張も、「構造的時空実在論」によって補完することが可能になる。存在精神的に思い描くのは、存在観察者に他ならない。時空の観察者は、時空点は重力場によって提供された関係構造によってのみ特定され得るという前提の下で、時空を精神的に思い描く。計量場は座標ごとに異なる表現形式を得る。重力場は「構造」のモデルの中で計量という形で表わされる。だが計量場は座標系によって異なる。故に「構造」としての時空は、座標系に依存している。異なる座標系に位置する観測者は、異なる「構造」としての時空を観測する。観測者によって、時空の「構造」の実在、その在り様が変わるのである。

再び「クラス」と「インスタンス」の区別を導入するなら、異なる座標系に位置するそれぞれの観測者は、同一の「クラス」に準拠しつつも、異なる具象化の手続きによって、異なる「インスタンス」を構成する。異なる観察者によって構成されたそれぞれの「インスタンス」は、座標変換が可能である限り、必ずしも「翻訳」不可能であるという訳ではない。だが、ある観察者の「インスタンス」を理解するためには、その観察者が如何にして「クラス」と「インスタンス」の区別を導入しているのかを観察しなければならない。そしてまた、その観察者が構成した「インスタンス」とそうではない別のあり方でもあり得る「インスタンス」との差異観察しなければならない。観察観測という営みは、このように、区別の導入に基づいている。実在とは、その認識においては、区別に基づいているのである。

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