量子力学、統計力学、熱力学における天才物理学者たちの神学的な形象について

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問題設定:天才物理学者の憂鬱

成功とは無縁の人生を送っていたルートヴィヒ・ボルツマンの晩年は、恐らくその後世の名声とは著しい対照を成している。彼が生きた時代、19世紀末には、物質が原子から構成されているという理論はまだ受容されていなかった。ボルツマンは、熱を膨大な数の分子から成る集団――でいうところの「アンサンブル(ensemble)」――の中で起こり得ている確率的な現象であると見做したことから、同時代の哲学者たちから猛攻撃を受けた。

当時の権威によって受容されていたのは、無論ニュートン力学に他ならない。その運動法則は可逆性を自明視した世界観を提供している。この世界観では、あらゆる運動過程が時間を遡ることができる。これに対してボルツマンが提示したのは、不可逆の世界観である。彼の分子運動論においては、分子が速度のやり取りを経て、運動が均質化する。そして新たな平均速度と新たな平衡状態が生起する。その事前と事後との間には、歴然たる差異がある。この世界観では、万物が差異から始まり均質化へと向かっているのである。

しかしこのボルツマンの理論に対して、周囲の哲学者たちは、実証的な根拠の脆弱性を指摘した。周囲の物理学者たちによれば、可逆性を否定するボルツマンは、単に「時間」という概念を誤解したのだという。ボルツマンは、自身に対するこうした批判が、単に誤解に基づいているだけであると確信していた。彼は権威が認めている時流に弱々しく逆らっていることをはっきりと自覚していた。

しかし、ボルツマンは力尽きてしまった。彼が物理学の発展に多大な貢献を果たしたことは、紛れも無い事実である。だが彼が英雄として讃えられることは最期まで無かった。それどころか、元々患っていた憂鬱気質化させ、物理学の講義をすることすら恐怖していた。彼はかつて、ライプツィヒの教授職として招かれていたが、それも断っていたという。遂には科学・学問の世界で孤立せざるを得なくなったのだ。そして1906年9月6日、イタリアのトリエステ付近で夏の休暇を取っている最中に、ボルツマンは自ら命を絶った。

その最期が1906年であるというのは、歴史の皮肉であると言えるであろう。1905年にはアルバート・アインシュタインが「ブラウン運動(Brownian motion)」に関する論文を提出している。この発表を契機として、物理学会は緩やかに原子存在を認め始めた。遅くても20世紀前半には、アインシュタインやニールス・ボーアらの貢献によって、原子が紛れも無く存在していることが立証されている。ボルツマンが後少し生き永らえていたならば、自死に至るまで追い詰められることは無かったのかもしれない。

いずれにしてもボルツマンは、ニュートン力学の可逆的な運動過程の世界観と熱力学の不可逆的な運動過程の世界観を統合する運命にはなかったようだ。彼の伝記を手掛けたカルロ・セシニャーニが述べていたように、ボルツマンの自殺は、不可避的な結末であったという点で、丁度ギリシア悲劇における「運命(Fate)」と重なる。しかしながら、セシニャーニの伝記をよく読むと、このことに触れる直前の文脈では、ボルツマンの最も重要な特徴が「心理的な不安定性(psychological instability)」にあるという記載もある。この不安定性が、彼を自殺へと追いやったのである。後世に語り継がれている彼の手紙や著作物から判読できるように、ボルツマンは常々「完璧(perfection)」に対する不安と欲望を抱え込んでいた。

「初期の成功の結果として、彼は自身を同時代の人間から誤解されている偉大な人間であると認識した。しかし、彼は時折、この自画像(picture)の水準を維持することができなくなっていると感じていた。この弱い側面のために、我々の眼には、彼が物理学の歴史における偉大な英雄というよりは、普通の人間に近いように見えた。」
Cercignani, C. (1998). Ludwig Boltzmann: the man who trusted atoms. Oxford University Press., p49.

周囲の無理解に伴う運命憂鬱気質に苦しめられた性格を観るなら、ボルツマンの人物史は、ギリシア悲劇的な運命というよりはむしろ、バロック悲劇的な無常性に近いであろう。少なからず生前、彼の理念は無常にも埋もれていたからだ。

しかし、どれ程人物史を眺めていても、彼の思想を本質的に特徴付ける根源を知ることはできない。根源は、そうした事実の前史や後史と関わっている。恐らくそれは、一方では復興して再生されたものとして、他方では未完成で未完結なものとして、再認されなければならない。何故なら、根源は単なる起源ではなく、ボルツマンの理念が総体的に完成して認識されるとするならば、それはまだ先のことであるためだ。根源の認識における歴史的な展望は、過去を志向する場合であれ、未来を志向する場合であれ、原則的には無限に深化させなければならない。この深化が、理念を総体的にする。

ボルツマンの後史における影響範囲を確認すれば、彼の理念が諸分野で完全に受容されている訳ではないのは明らかであろう。だがその不完全な受容ゆえの競合が、逆にボルツマンの理念特徴付けることになる。その「差異」が、「地」の中から「図」が浮上してくるかの如く、彼の理念を「形態(Gestalt)」として認識することを可能にする。理念は、こうして々のように掛け離れた存在同士の「星座のような位置関係(Konstellation)」から「構成(Konfiguration)」されたものとして判読されるべきなのである。

「したがって、諸理念によって明示される法則は、次のようになる。あらゆる本質的なものは、完全に自立して、互いに触れ合うことなく実在している。互いに触れ合うことの無い星辰の運行に基づいた天球のハーモニー(die Harmonie der Sphären)のように、叡知的世界(mundus intelligibilis)の存在もまた、純粋に本質的なもの同士の間の既成の距離に基づいている。あらゆる理念は一個の恒星であり、諸々の理念同士が互いに振る舞い合う関係は、諸々の恒星同士のそれと等しい。そうした本質的なもの同士の響きの関係(tönende Verhältnis)が真理なのである。そうしたものには多くの名が付与されているが、それは数えられる(zählbar)。何故なら、それらは不連続(Diskontinuierlichkeit)であるためだ。」
Benjamin, Walter. (1928) “Ursprung des deutschen Trauerspiels”. In: Gesammelte Schriften Bd I-1, Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1974. S.203-430., 引用はS.217-218.より。

以下の記述は、まさにこの「響きの関係」を観察した上で展開されている。これらの記述は、ボルツマンの理念と関連してきたであろう諸現象の中からその根源を抽出するための目印となっている。各目印は、ボルツマンの理念歴史的な範疇における根源をより良く認識するための探索を可能にする。だが注意していただきたいのは、ここで展開する発見探索の方法の対象が、必ずしも権威によって殊更取り上げられてきた概念には限定されないということだ。この発見探索の方法は、諸現象の中でも最も例外的な、最も新奇を衒うようなものの中から、あるいは無力で不確かな試行、末期的で成熟し切った事物の中から、真正なものを発掘する姿勢となる。

問題再設定:前史としての古典力学

1687年、アイザック・ニュートンは、森羅万象を説明し得る一つの理論を構築した。彼の有名な法則は数学的にも洗練されている形式を提供していた。だがそれ以上に注目されるべきなのは、それまで別物として考えられていた諸現象の間に一つの統合的な概念を提供した点である。

1600年代に、既にガリレオ・ガリレイが、落下や加速、振動に関する地上の物体の運動に関する近代的な理論を構築していた。また、同時期にヨハネス・ケプラーは、太陽を回る惑の動作を司る法則を定式化した。ガリレオとケプラーは共に、観測を介して理論化している。ガリレオは自らの実験結果を、ケプラーは天文学者ティコ・ブラーエの惑観測を、それぞれ参照している。ニュートンの偉大な抽象化の功績は、この両者の統合を果たしたことにある。つまり地上の物体に関するガリレオの理論と天上の天球に関するケプラーの理論とを、天地いずれにも当て嵌まる単一の理論に統合したのである。

ニュートンの古典物理学の特徴は、物理現象のモデルの秩序にある。この秩序を表現した方程式は皆、時の流れを反転させても成立する。モデルで表されるいずれの運動過程も、規則正しく、逆向きにも起こり得るのである。力学をはじめとした古典物理学の各分野は、可逆性の法則によって成立している。そのため、時間がどの向きで進んでいるのかは問題にならない。

太陽系で生起しているあらゆる現象の形式は、プトレマイオスの周転円説の場合であっても、コペルニクスの軌道説の場合であっても、車輪やその回転によって表現されていた。この形象(Bild; image)においては、「未来」とは、一定の形式に従うことで「過去」を反復する概念となる。かの「天球のハーモニー(die Harmonie der Sphären)」は、前から聴取しても、後から聴取しても、同じであると考えられていた。天文学上の事物は、その志向が過去を向いていようとも、未来を向いていようとも、同じように生起する。だから、天球の位置関係を示すために天球儀を回す場合、右に回しても左に回しても、初期位置と方向以外は何の違いも生じない。ニュートンによる理論的な統合においては、これら全ての要因が一連の公理系に纏め上げられた。その際、力学の基本的な法則として、時間を表す変数tは負でも構わない概念となったのである。

尤も、こうした法則は、抽象化された理論によって記述されているが故に、物理現象の諸要素を部分的に捨象することを不可避としている。例えば古典物理学の多くの法則は、摩擦の無い場合にのみ有効となる。これらの理論は、空気抵抗や付着力を考慮していない。こうした諸要素は、補正して計算すれば済むものとして、無害な問題として扱われているのである。

したがって古典力学においては、専らこの法則を確認することによって、概念の抽象化による物理現象のモデル化が如何にして可能になっているのかを把握することができると考えられる。実際ボルツマンは、『力学の諸原理(Über die Prinzipien der Mechanik)』において、力学を「形象(Bild)」の概念で特徴付けている。力学とは確かに、物体の運動がそれに追従して起こる法則の体系である。しかし彼が述べている力学的な概念としての物体の運動とは、現実に実在する物体の運動それ自体であるというよりは、むしろ我々の精神知覚する物体の運動についての「形象」なのである。

力学(Mechanik)は、多くの機械(Maschine)や機構(Mechanismus)を考察する上で必要となる。その基礎を成す概念は物体の運動の概念である。他の如何なる変化からも区別された純粋な運動の概念は、剛体の分析によってのみ明らかとなる。ここでいう剛体とは、観測する空間の中における位置以外には何ら変わらない完全に不変な物である。ただし古典力学が観測してきたのは、運動の最中にはその変化が気付かれないほど小さいために、剛体として近似できる対象に過ぎない。

したがって古典力学抽象化された理論は、こうした物体の運動概念の抽象化に関わっている。この理論の観点から観れば、観測する対象となるのは、全質量と全重量が不変であるような物体のモデルである。それ故にボルツマンが力学を次のように評するのは、何ら辛辣なことではないのである。

「我々は精神的な現象(seelischen Phänomenen)と自然(Natur)の単純な機構(Mechanismen)の間にある類推(Analogie)を主張する以上のことはしていない。」
Boltzmann, L. (1905). “Über die Prinzipien der Mechanik” In Ludwig Boltzmann-Populäre Schriften. Severus Verlag., S.308-337., 引用はS.324より。

問題は、この「類推」によって力学的な形象を記述するということが如何にして可能になっているのかである。

問題解決策:運動の法則

古典力学が物理現象を観察する場合、モデル化の対象物となる物体を質点として記述することによって、概念の抽象化が実践される。質点としての物体は、重心に全質量が集中した大きさを持たない概念として記述される。第一の運動の法則である「慣性の法則」によれば、質点は、力が作用しない限り、静止か等速直線運動を続ける。ニュートンの古典力学におけるあらゆる質点は、この慣性の法則を満たし得る座標系で運動法則を記述している。

第二の運動の法則となるのは、「ニュートンの運動方程式」に他ならない。質点を前提とした場合の物理法則として、ニュートンの運動方程式は次のようになる。

$$F_i = m_i\frac{d^2r_i}{dt^2} \ \ i = 1, 2, …, N$$

ここで、運動方程式で記述されている系はN個の質点から成る系となる。i番目の質点の質量を$$m_i$$、位置を$$r_i (x_i, y_i, z_i)$$とし、質点に働く力を$$F_i$$としている。

、二つの質点aとbの間に、相互に働く力が加わっている時、質点bから質点aに作用する力と、質点aから質点bに作用する力は、それぞれ次のようになる。

$$\vec F_{ba}$$

$$\vec F_{ab}$$

第三の運動の法則である「作用・反作用の法則」によれば、次の定式のように、双方は大きさが等しく、かつ逆向きとなる。

$$\vec F_{ba}$ = – \vec F_{ab}$$

問題解決策:ラグランジュ関数

力がポテンシャルVから導かれる場合、質点に働く力は以下のようになる。

$$F_i = -\frac{\partial V}{\partial r_i} \ \ V(r_1, r_2, …, r_N, t)$$

質点の位置座標をxyzの形式から次のような系列の集合として再記述すると、ポテンシャルVもまた以下のように再記述される。

$$r_1(x_1, x_2, x_3), r_2(x_4, x_5, x_6), r_3(x_7, x_8, x_9)$$

$$V(x_1, x_2, x_3, x_4, …, x_f, t)$$

ここでfは自由度で、次のようになる。

$$f = 3N$$

運動方程式から得られる値を微分していくと、次のような結果が得られる。

$$m_i\frac{d^2x_i}{dt^2} = -\frac{\partial V}{\partial x_i} \ \ i = 1, 2, …, f (f = 3N)$$

ただし、$$m_1 = m_2 = … = m_f$$

質点の運動量は、$$p_i = m_i\frac{dx_i}{dt}$$であるため、$$\frac{dp_i}{dt} = -\frac{\partial V}{\partial x_i} \ \ i = 1, 2, …, f$$

運動エネルギーKとポテンシャルエネルギーVの差分は「ラグランジュ関数(Lagrange function)」と呼ばれ、特にLと表記される。

$$L \equiv K – V$$

上述した質点の系に適用するなら、$$L = \sum_{i=1}^{f}\frac{1}{2}m_i\frac{dx_i}{dt}^2 – V(x_1, x_2, …, x_f, t)$$

ここでは、それぞれの変数が独立になるという前提から、ラグランジュ関数は次のように再記述される。

$$L(x_1, x_2, …, x_f, \frac{dx_1}{dt}, \frac{dx_2}{dt}, …, \frac{dx_f}{dt}, t)$$として、上記の両辺を$$\dot{x}_i = \frac{dx_i}{dt}$$で偏微分すると、

$$\frac{\partial L}{\partial \dot{x}_i} = m_i\dot{x}_i = p_i$$

$$K = \sum_{i=1}^{f}\frac{1}{2m_i}p_i^2$$

問題解決策:ハミルトンの正準運動方程式

エネルギーをHと置くなら、$$H = K + V$$となる。運動エネルギーKは運動量の関数でもあるため、$$x_i, \dot{x}_i = \frac{dx_i}{dt}, t$$がそれぞれ独立変数であるのならば、同様に$$x_i, p_i, t$$もまた独立変数となり得る。これらの独立変数を前提に$$H(x_1, x_2, …, x_f, p_1, p_2, …, p_f, t)$$を再記述するなら、$$\frac{\partial H}{\partial p_i} = \frac{\partial K}{\partial p_i} = \frac{p_i}{m_i} = \dot{x}_i$$

$$\frac{\partial H}{\partial x_i} = \frac{\partial V}{\partial x_i} = -\dot{p}_i$$

ただし、$$\dot{p}_i = \frac{dp_i}{dt}$$

したがって、$$\frac{dx_i}{dt} = \frac{\partial H}{\partial p_i}$$
$$\frac{dp_i}{dt} = -\frac{\partial H}{\partial x_i}$$

以上の定式化は質点の位置が直交座標$$x_1, x_2, …, x_f$$で表現されている。しかしこの定式は極座標をはじめとした一般の座標$$q_1, q_2, …, q_f$$で表現される場合にも成り立つ。つまり、$$H(q_1, q_2, …, q_f, p_1, p_2, …, p_f, t)$$において、$$\frac{dq_i}{dt} = \frac{\partial H}{\partial p_i} \ \ i = 1, 2, …, f$$
$$\frac{dp_i}{dt} = -\frac{\partial H}{\partial q_i} \ \ i = 1, 2, …, f$$となる。これを特に「ハミルトンの正準運動方程式(Hamilton’s Canonical Equations of Motion)」と呼ぶ。

ただし、ここでの運動量は、$$\dot{q}_i = \frac{dq_i}{dt}$$

$$p_i \equiv \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i}$$を満たす「一般化運動量(generalized momentum)」となる。

また、一連の用語法を前提とした場合、総エネルギーを示すHは特に「ハミルトン関数(Hamiltonian function)」と呼ぶ。

座標の形式に左右されずに運動方程式を適用する力学は特に「解析力学(analytical dynamics)」と呼ぶ。

ハミルトン関数時間変化は、運動量と位置座標が時間tの関数であるため、以下のようになる。

$$\frac{dH(q_1(t), q_2(t), …, q_f(t), p_1(t), p_2(t), …, p_f(t), t)}{dt} = \sum_{i=1}^{f}(\frac{\partial H}{\partial q_i}\frac{dq_i}{dt} + \frac{\partial H}{\partial p_i}\frac{dp_i}{dt}) + \frac{\partial H}{\partial t}$$

$$ = \sum_{i=1}^{f}(\frac{\partial H}{\partial q_i}\frac{\partial H}{\partial p_i} – \frac{\partial H}{\partial p_i}\frac{\partial H}{\partial q_i}) + \frac{\partial H}{\partial t}$$

$$ = \frac{\partial H}{\partial t}$$

そのため、Hがtの関数とはならない場合には、$$\frac{dH}{dt} = 0$$となる。これは、$$H = K + V$$が時間変化しないことを表す。ここでのHは一定の総エネルギーとなるため、KとVが可変であっても、力学エネルギーは一定に保たれる。

こうした物体が有するエネルギーの値は、初期条件の設定を指定することによって、任意の値を連続的に取ることができる。古典力学はこの連続性を自明視してきた。大雑把に言えば、この任意の物理量を連続的に取り得るという前提が、古典力学の可逆的な世界観を有利な立場に押し上げていた。しかし例外もあった。「熱(heat)」や「温度(temperature)」が物理学の主題となる時、可逆的な世界観に準拠した古典力学理論は、一気にその貢献度を弱めることになる。

19世紀初期まで、熱は粒子の運動ではなく、「熱素(caloric)」という物質によって構成されていると考えられていた。しかしボルツマンは、遅くても彼以来の物理学において、この熱素説が不完全な仮説として棄却されたという。

「力学は、熱理論の領域へのキャンペーンを、熱が物体の微小粒子の運動であるという想像によって展開した。この運動は、まさにこれらの微小粒子が知覚不可能であるが故に、目に視えないままである。しかし、我々の身体を構成する分子に伝播する時には発熱の感覚を引き起こし、また我々の身体から離れる時には冷却の感覚を引き起こすことによって、この運動は認識されるようになる。」 Boltzmann, L. (1905). “Über die Prinzipien der Mechanik” In Ludwig Boltzmann-Populäre Schriften. Severus Verlag., S.308-337. 引用はS.312より。

派生問題:熱とは何か

19世紀まで、物理学は「熱」を定義することができていなかった。それまでの物理学にとって、熱はあらゆる物体を取り囲む特別な物質として認識されていた。1769年、イギリスの工学者であるジェームズ・ワットが蒸気機関を発明した。この科学技術は、特に蒸気機関車として導入されることで、社会システムの工業化を進展させた。蒸気機関車が街中を走り回るようになると、徐々に熱力学に関する研究の社会的な重要性が認知されるようになった。この関連から1824年、物理学者サディ・カルノーが蒸気機関の仕組みの定式化を試みた。これが後の熱力学の法則の伏線となっている。

熱力学第一法則(first law of thermodynamics)」によれば、閉鎖的な系の内的なエネルギー変異は、外部環境から系へと入力された熱と外部環境から系に対して行なわれた仕事の和に等しい。これが開放的な系である場合は、外部環境から系に事物が流入することによって派生するエネルギーの増加量も加わることになる。

この観点から導き出されるのは、次の点である。閉鎖された空間においては、外部環境との熱や仕事の交換が生じない限り、熱やエネルギーの総量に変化は伴わないということだ。つまり、エネルギーの総量は一定である。我々はエネルギーを利用することができている。だがそれは、食物のように消費できる類の物ではない。確かに我々は石炭を蒸気に変えることができる。しかしそれは、単にエネルギー形式変異しただけのことなのである。したがって、厳密に言えば、我々はエネルギーを利用することができる。ただしそれは、ある形式エネルギーを別様の形式へと変換する営みなのである。

我々がエネルギーを利用することができるというのは、「熱力学第二法則(second law of thermodynamics)」が認める通りである。第一法則が示す通り、エネルギーの総量は一定ではある。だが第二法則によれば、その形式は別のあり方でもあり得る。それは実に多様な形式を取り得る。しかし、エネルギーは無償で扱える代物なのではない。例えば蒸気機関車が作動し得るのは、ボイラーが外部の環境よりも遥かに高熱だからだ。言い換えれば、温度に<差異>があるからこそ、蒸気機関車は作動し得るのである。熱が機能するのは、高温状態にある事物を冷却する場合のみである。だが、高温状態にある事物を周囲と同じ温度にまで冷やすと、改めてエネルギーを利用しない限りは、再び熱することができない。

ここから第二法則は、俄かには信じ難い現実を突き付けてくる。第二法則が指し示しているのは、エネルギーを別様の形式へと変換すると、必ずその一部が熱エネルギーへと変換されていくということである。したがって、如何なる形式エネルギーであれ、最終的には熱エネルギーに変換されるということになる。全てが一様に熱エネルギーと化せば、もはや<差異>が消失する。そこから有用なエネルギーを抽出することはできなくなる。世界の全てが同じ温度で固定されれば、熱は機能しなくなるのである。

問題解決策:分子運動論

ルドルフ・クラウジウスが1859年に命名した「エントロピー(entropy)」という熱力学の概念は、エネルギーが如何に抽出し難いのかを示す尺度として用いられてきた。エントロピーが増大すれば、それだけ有用なエネルギーが減るということだ。そもそも熱は、分子運動速度に対応している。例えば二つの水素原子と一つの酸素原子から成る水は、温度次第で、氷や水蒸気に変化する。低温では、それぞれの分子は緩やかに移動する。だから氷の結晶が連想させるように、各分子は構造化された状態を維持することができる。氷が水になるまで温度を高めると、分子も徐々に加速化していく。摂氏100度を超えれば、水は水蒸気となる。全ての分子は急速に動き回る。そこから構造化された秩序は見出し難くなる。それぞれの分子は無秩序に運動していく。

しかしこのようにエントロピーエネルギー区別を導入しても、熱が何なのかについての知見が得られる訳ではない。熱が何故こうして特殊なエネルギーとして観測されるのかについては、まだ明確な回答が得られていない。しかしながら、それが如何にして可能になっているのかについては、多くを物語っている。熱には、高いエントロピーが含まれているのである。

熱の正体の特定に大きく貢献したのは、ジェームズ・クラーク・マクスウェルとボルツマンである。二者は、熱が物質中の運動の一形態であるという旧い概念を定式化することが可能であると考えていた。この定式化の前提となる意味論は、分子運動論である。つまり、物質は絶えず運動している膨大な数の微粒子から構成されているという発想である。物質を何らかの運動状態にある微小の同一な諸要素によって構成されていると捉えれば、熱の概念が運動の無秩序性との関連から記述することが可能になる。

運動は、特定の方向に流れる風のように秩序のある運動であるにせよ、熱のように無秩序な運動であるにせよ、何らかのエネルギー意味する。だが風は熱よりも発電に向いている。風の運動には方向性があるためだ。だが熱の中にも大量のエネルギーがあることに変わりはない。ただ、それを有用なエネルギーとして利用することが難しい。無秩序な運動では、エネルギーとして役立てることが困難であるということである。

マクスウェル=ボルツマン分布

ある気体の中の分子の全ては、厳密に同一の速度なのではない。各分子には特定の平均速度がある一方で、個々の分子の速度にはばらつきがある。その平均値が低ければ温度も低くなり、平均値が高ければ温度も高くなる。この関連からマクスウェルは、物理学に統計の概念を導入した。それにより彼は、分子が一定の分布――で言うところの、「マクスウェル=ボルツマン分布(Maxwell-Boltzmann distribution)」――に従った挙動を示すことを主張したのである。

だが分子の挙動が一定の分布に従うとしても、個々の分子を観測しても、その分子を含む物質の温度を知ることができない。温度とは、同時に複数の分子があって初めて意味を成す概念なのである。ある物質の温度を調べる際に、特定の一個の分子を観測しても仕方が無い。

しかしマクスウェルの統計的な発想は、この単なる還元主義的な観測の不都合を無害化している。十分に長い時間が経過していることを前提とするなら、物質を構成する各分子は、互いに衝突し続けていることになる。そうすることで、各分子は、衝突した他の分子の速度についての知識や情報を得るはずだ。物質が均質な温度を取ることができるのは、このためである。分子同士が衝突するからこそ、速度のやり取りが発生する。そうして平衡状態に達するのである。

かくしてマクスウェルは、この熱の現象を司る法則についての学問を打ち立てた。微小な各分子の運動とそれらの衝突は、ビリヤードの球の衝突をモデルとしたニュートン力学に準拠することで、運動の法則に準拠した記述が可能になる。つまりマクスウェルは、ニュートンの運動の法則と物質に関する統計的な方法との接続可能性を設けたのである。

しかしながら、これでもまだ、双方の矛盾が全て解消された訳ではない。決定的な矛盾として残存したのは、ニュートンの古典力学が自明視してきた可逆的な世界観と、熱力学の不可逆的な世界観との間で生じている矛盾である。マクスウェルはその後1879年に息を引き取るが、彼の理論を引き継ぐようにこの矛盾に相対するようになったのが、ボルツマンである。彼はマクスウェルの死期の前後に、熱力学の厳密な定式化を目指していた。

ボルツマンは、こうした熱力学的な観測によって、ニュートンの古典力学盲点となる時間の不可逆性に対する洞察を深化させていった。それぞれの分子は速度のやり取りを実行している。すると運動が均質化する。そして新たな平均速度平衡状態が生起する。その前後の間には、差異がある。我々は差異から始まり均質化へと向かっていることになる。

だが同時代の物理学者たちは、このボルツマンの洞察を到底受け入れられなかった。可逆的な時間概念を前提としたニュートンの古典力学からは、不可逆的な時間概念を前提とする熱力学を導入することはできないと考えられていたためである。古典力学の立場から観れば、あらゆる方程式は時間を遡及できなくてはならない。あらゆる運動過程は、前にも後ろにも進むことができなければならない。熱力学古典力学期待外れを顕在化させている。だが同時代の物理学者の多くは、ニュートンの古典力学を尚も規範的に期待したのである。

問題再設定:ボルツマンの思想は如何にして可能になったのか

ボルツマンのライフワークと言える「統計物理学(Statistical physics)」の理論は、大別して次の二つの理論区別できる。すなわち、分子運動論統計力学だ。分子運動論は、急速運動している非常に多数の分子から構成されていると仮定された気体の性質を説明することを目的とする。1860年代には、確率理論がこの理論に導入された。その目的は、様々な分子状態の確率の観点から、特に熱平衡状態における気体の特性を特徴付けることであった。分子状態や速度確率論的な変数と見做される。これらの変数は、分子状態の挙動に対応する。これらの確率それ自体は、全ての気体の系の状態の力学的な特性として想定されている。分子運動論では、特定の状態での分子の相対的な数か、あるいは分子がその状態を有する相対的な時間が、確率論的に表現される。

しかし歴史的には徐々に、統計物理学の主題は、分子運動論から現代の統計力学へと移行していった。統計力学的なアプローチにおいては、確率は分子の状態に対してではなく、気体の系の全体に関連する。したがってこのアプローチでは、気体の確率分布を決定する代わりとして、や気体の状態それ自体が確率変数となる。このアプローチの利点は、分子間の相互作用を説明することが可能になるという点にある。確かに、このアプローチは気体に限定せずに適用できる。だが、このアプローチはまた原理的に液体や固体にも適用できる。だからこそ統計力学は、「気体の理論」とはなり得ないのだ。

とはいえ、統計力学における確率概念は高度に抽象化されている。全体の系の力学的な状態を確率として記述されるようになると、こうした概念はもはや力学的な状態からは規定されなくなる。その代わりとして、統計力学では、確率は「アンサンブル」によって規定されるようになる。

1860年代におけるマクスウェルの研究や、1902年におけるジョセフ・ウィラード・ギブスの著作を抜きにして、この歴史的な経緯を把握することはできない。ボルツマン自身の研究は、この二者の中継地点に落とし込むことができる。言い換えれば、ボルツマンの前史がマクスウェルの歴史であるならば、その後史はギブスの歴史なのだ。ボルツマンの1868年の論文では既に気体の系全体に対して確率概念を適用しているものの、彼の初期の研究成果は気体の力学的な理論に属している。一方、1877年以降のボルツマンは、一貫して統計力学理論に準拠した研究を展開している。しかしながら、ボルツマン自身が力学的な理論統計力学的な理論区別を導入したことは一度も無い。

力学的な気体理論から統計力学的な理論への移行は、二つの基礎的な問題を派生させている。その一つは、何のアンサンブルを選択するべきなのか、あるいはアンサンブル特徴付ける確率分布が何なのかである。ギブスはこの問題に対して体系的な議論を導入していない。後述するように、彼は平衡アンサンブルに関する特殊な場合を提示したに過ぎないのである。それは、確率分布の幾つかの特殊な形式を規定するためである。二つ目の派生問題は、確率に準拠したアンサンブルを、単体の気体モデルのための初期の力学的なアプローチにおいて得られている確率に関連付けることである。

ボルツマンのいわゆる「エルゴード仮説(the ergodic hypothesis)」は、少なからず平衡状態無限時間を仮定するなら、旧い力学的な気体理論における確率概念と統計力学的な気体理論における確率理論の接続可能性を保証している。だが、周知のように、エルゴード仮説は周囲から強烈な嫌疑を掛けられてきた。遅くても1910年代を迎える頃には、この仮説は到底受容できない理論と見做されている。

しかし、エルゴード仮説否定されるからといって、ボルツマンの統計力学が提供している意味論の全てが棄却される訳ではない。確かに、ボルツマン自身もまたこの仮説に疑念を抱いていた。特に1872年と1877年に提示されたボルツマンの2つの論文では、この仮説を回避することが明言されている。しかし、ボルツマンの統計力学における思想的な背景として、このエルゴード仮説が如何にして機能し得たのかは、十分には語られていないように思える。

ボルツマンの理論の基礎は1866年から1871年の間に構築されている。彼の最初の論文では、力学から熱力学第二法則を抽出するという問題の解決が試みられた。だがこの論文では、まだ確率概念が導入されていない。続く1868年と1871年の論文では、マクスウェルによる1860年と1867年の論文を読んだ上で記述されている。マクスウェルの例に従い、ボルツマンは確率分布によって平衡特徴を扱った。それにより彼は、気体が静的な外力を受けるか、あるいは多原子の分子によって構成されている新たな場合を探究している。この関連からボルツマンは、確率概念を定期的に時間平均、粒子平均、そしてアンサンブル平均という三つの概念に区別した上で使い分けるようになる。

後にギブスが指摘しているように、ボルツマンの1871年論文は、系の集団とその位相空間上の分布を想定することで、分布の時間変化を記述した最初の探究となっている。この論文では、分子運動論を多原子分子の理論へと拡張することが重要であるという観点から、そのための数学的な基礎付けが行なわれている。

だがこの研究の流れは長続きしていない。1872年から1878年の時期になると、ボルツマンは熱力学第二法則に対峙することとなる。彼は1872年に非平衡希薄気体の運動方程式である「ボルツマン方程式(Boltzmann equation)」と理想気体のエントロピーが不可逆的な過程で増大することを指し示す「H定理(H-Theorem)」を提示した。ボルツマンはこの時点で、H定理が熱力学第二法則に対応する望ましい定理となることを主張した。しかしこの主張は、先述したように、深刻な反論を招いた。その反論とは、純粋に力学的な定理が不可逆的な時間の結果を生み出すことは不可能であるという主張である。そこで彼は、1877年に二つの論文を提出することで、この反論に応じることになった。これらの論文では、ボルツマンは自身のアプローチを再検討することで、従来の平衡概念とは異なる分析技術を編み出した。ここで彼は、平衡概念を進化概念と関連付けることになる。

従来確率分布を表していた分布関数は、度は確率分布の対象となる確率変数として想定されていた。その確率分布は、同じマクロ状態を生起させる全てのミクロ状態に対応する位相空間内の体積の大きさによって規定される。平衡という概念は、固定のマクロ状態の代わりに、最も可能性の高いマクロ状態として想定されていた。ボルツマンは特に平衡に向かう進化を想定する。それは、確率の低い平衡から可能性の高い平衡への進化として表現されることになる。

1880年代になると、ボルツマンは再びエルゴード仮説を導入することで、これをアンサンブルと組み合わせたアプローチを採るようになる。この関連から1881年以降のボルツマンの研究を駆動したのは、マクスウェルの論文である。マクスウェルの論文において特筆すべきなのは、ボルツマンの1868年論文の定理を直接的かつ好意的に取り上げていることである。マクスウェルは、ボルツマンの定理が気体衝突の仮定に依存していない現象であると指摘した。

しかしマクスウェルはまた、ボルツマンの思考手続きに沿った上で、適切な観察を実践している。彼は1879年において、ボルツマンのエルゴード仮説に対して極めて慎重に触れ、例外もあり得ることを指摘しているのである。恐らくマクスウェルは、ボルツマンが後の論文において自ら同様の疑念を表明していることに気付いていなかったのだ。そしてマクスウェルは、時間平均に関するボルツマンの理論否定した上で、代わりにρをアンサンブル密度として解釈することを提案している。

これに対してボルツマンは、1879年のマクスウェルによる指摘をドイツ語圏の物理学者たちに普及させるために発表を行なっている。と言うのもこのマクスウェルの指摘によって、ボルツマンは再びエルゴード仮説に対する関心を抱き始めたためである。彼はマクスウェル論文によってアンサンブルエルゴード仮説を接続させる発想を得たのである。

この発想に準拠した上で、ボルツマンは後述するヘルマン・フォン・ヘルムホルツの「単循環系(monocyklisches System)」を採用している。このモデルに依拠することによって、ボルツマンは熱力学の力学的なモデルの記述を試行するようになった。しかしながら彼は直ぐに、こうしたモデルが望ましい熱力学的な類推を提供するとは限らないと考え、この主題を放棄している。

ボルツマンの理念は、ボルツマンによるマクスウェルの観察観察と、ギブスによるボルツマンの観察観察によって、漸く浮き彫りとなってくる。ただしそれは、必ずしもこの三者が同じ目線で相互に観察し合っていたことを意味するのではない。この三者の認識には歴然たる差異がある。

まずボルツマンとマクスウェルの関係には、相互の無理解が伴っている。実際マクスウェルは1873年に次のようなコメントを残している。

「ボルツマンの研究から、私は彼を理解することができなかった。彼は私を理解できなかったし、私の不足点を説明できなかった。彼の長さ(his length)は、私にとって障害となっていた。」
Maxwell, J. C. (1995). Maxwell on heat and statistical mechanics: On” avoiding all personal enquiries” of molecules. Lehigh University Press., p123.

ここでマクスウェルが述べている「彼の長さ(his length)」とは、ボルツマンの次のような性格に対する皮肉として読み取れる。

「長さ(length)に没頭させる非常に多くの論文という明らかな結果を伴わせた、彼の直観(intuition)、力学的なモデルへの信念、そして勝つための道具としての熱意」
Cercignani, C. (1998). Ludwig Boltzmann: the man who trusted atoms. Oxford University Press., p140. 強調は筆者より。

したがって、ボルツマンによるマクスウェルの観察観察と、マクスウェルによるボルツマンの観察観察は、区別して考えなければならない。恐らくマクスウェルにとって、ボルツマンの分析は論理や言語に先行した直観的なアイディアに準拠し過ぎているがために、彼は自身の発想を十分に他者へと伝えることができていなかったのだ。

一方、ボルツマンに対するギブスの認識は、好意的であるものの、部分的な認識に留まっている。彼がその主著『統計力学の基礎原理(Elementary Principles in Statiscical Mechanics)』で引用している唯一の文献は、ボルツマンの1871年論文である。ギブスはこの著作の序文において、このボルツマンの1871年論文が、系の集団とその位相空間上の分布という発想を編み出した上で、分布の時間変化を考案した最初の業績であると論じている。

注意しなければならないのは、ギブスが取り上げているのが、ボルツマン方程式やH定理を記述している1872年論文ではないということである。ギブスの統計力学では、ボルツマンによる1872年論文の主題は勿論、1880年代から始まるアンサンブルエルゴード仮説の関連付けに関するボルツマンの思想とは、直接的な関係が無いということになる。

以上を前提とすれば、ボルツマンの思想史の歴史意味論を分析する上で、マクスウェル-ボルツマン-ギブスの連続性を前提にすることはできない。確かにこの三者の論文には、同じ用語が冗長的に登場する場合もある。しかし、三者の認識には差異がある。しかもそれは、しばしば論理や言語を先行した直観によって進行している。これは後に示す重要な論点となる話だが、直観的な洞察によって駆動されていたのは、ボルツマンだけではない。マクスウェルやギブスにおいても共通して観られる性格である。この共通性があるからこそ、我々はこの三者の認識を飛躍を伴わせる差異として観察しなければならない。

問題解決策:「マクロ」と「ミクロ」の区別

ボルツマンが蒸気機関に由来するエントロピーの概念と統計学的な熱の理論とを結び付ける理論を記述したのは、マクスウェルの死ぬ間際である。残念ながらマクスウェルは、このボルツマンの理論を目にする機会を得られなかった。

だがボルツマンの発想は極めて単純である。その主導的差異マクロミクロ区別によって構成されている。彼は物質の巨大な集合体の属性と、その物質の個々の構成要素の属性を区別したのである。マクロ状態に対応するのは、温度、圧力、体積などのような属性である。ミクロ状態に対応するのは、個々の構成要素の振る舞いに関する正確な記述の対象である。

気体の温度はマクロ状態に他ならない。そこからミクロ状態についての情報はほぼ得られない。温度から知り得るのは、分子が非常に混沌とした形態で相互に動き回っているということである。分子は気体の温度によってあらわされている平均速度を持つ。この分子の速度の分布こそが、「マクスウェル=ボルツマン分布」である。

無数の分子がある温度で飛び回っている時、分子の速度が「マクスウェル=ボルツマン分布」に従ってさえいれば、個々の分子の速度問題とはならない。これは粒度の観点である。マクロな観点は粒度の粗い観点であって、ミクロな観点はより細かい粒度に対する観点を意味する。特定の温度によって示されるマクロ状態と対応するミクロ状態は無数にあり得る。そして、その中のどの状態が実際に生起しているのかは、問題とはならないのである。

温度が高ければ高いほど、速度の選択肢が増える。したがって、特定のマクロ状態に対応するミクロ状態の数は、温度と共に増大する。言わばボルツマンの思想は、多くの異なるミクロ状態によって実現可能なマクロ状態は、僅かな数のミクロ状態と対応しているマクロ状態よりも無秩序だということである。言い換えれば、あるマクロ状態と対応するミクロ状態の数が多ければ多いほど、エントロピーは大きくなる。

ボルツマンはこのエントロピー概念を数学的に十分記述している。その内容は後述する通りであるが、むしろ重要なのは、その根本的な思想である。つまりボルツマンによれば、エントロピーとは、観測者が認識し切れないほど膨大な数のミクロ状態がどの程度あり得るのかを指し示す指標なのである。

そしてこの指標は、確率概念との関連から定量化される。エントロピーの低いマクロ状態を観測する確率の方が、エントロピーの高いマクロ状態を観測する確率よりも低くなるはずなのである。だからこそ、あらゆる事象はエントロピーが増加する方向へと不可逆的に進んで行く。マクロ状態が変異すれば、よりエントロピーの大きいマクロ状態へと変異していく。それに伴い、対応するミクロ状態の数が徐々に増えていくのだ。

したがってボルツマンは、エントロピーを特定のマクロ状態に対応するミクロ状態の数の表現として記述する。だがこの記述を受け入れてしまえば、マクロミクロ区別は、主観的に導入されるかもしれない。それもそのはずである。と言うのもマクロ状態とミクロ状態の境界設定は、観察者に委ねられているためである。言い換えれば、エントロピーの定義は、観察者がどのマクロ状態を選択しているのかに左右される。マクロ状態に対する観点を設定して初めて、エントロピーの定義が可能になる。つまりエントロピーの定義が先にあるのではなく、マクロミクロ区別の導入こそが先決されなければならないのである。エントロピーを定義するには、観察観察するしかないのだ。

こうしてエントロピー概念を前提としたボルツマンの思想に向き合うと、彼が既に観測や観察に潜むある特徴に気付いていたことがよくわかる。実際、ボルツマンの死後間もなく発見された量子論的な世界観は、このマクロミクロ区別を継承すると共に、ボルツマンの統計力学的な思想の妥当性指し示しているためである。

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