時間感覚の前史、アイザック・ニュートンの影 | Accel Brain

時間感覚の前史、アイザック・ニュートンの影

Accel Brain; Console×

問題設定:ニュートン力学は如何にして可能になったのか

古代バビロニアの時代における「時間」は、主に恒星の運行から測定されていた。この時代に実施されていた日蝕の観測記録をると、バビロニアにおける時間概念は可逆的な概念であったことがわかる。日蝕は、予知可能な一定の周期で生じる。その周期は、過去に向かっても、未来に向かっても、一定である。

太陽系に生じるあらゆる現象は、プトレマイオスの周転円説の形式であっても、コペルニクスの軌道説の形式であっても、一連の車輪の回転によって表現されていた。ここでは、未来は一定の形式に従って過去を反復する時間である。かの「天球のハーモニー(die Harmonie der Sphären)」は、前から聴取しても、後から聴取しても、同一である。天文学上の事象は、過去に起こっても、未来に起こっても、同じように起こる。天体相互の位置関係を示すための天球儀は、右に回しても、左に回しても、初めの位置と方向とを除けば、何ら差異は無い。

1600年代に、既にガリレオ・ガリレイが、落下や加速、振動に関する地上の物体の運動に関する近代的な理論を構築していた。また、同時期にヨハネス・ケプラーは、太陽を回る惑星の動作を司る法則を定式化した。ガリレオとケプラーは共に、観測を介して理論化している。ガリレオは自らの実験結果を、ケプラーは天文学者ティコ・ブラーエの惑星観測を、それぞれ参照している。

これら全ての発想を一つの理論として纏め上げたのが、アイザック・ニュートンである。ニュートンが1687年に記述した一連の公理系は、完結した力学理論として記述された。それは、地上の物体に関するガリレオの理論と天上の天球に関するケプラーの理論とを、天地いずれにも当て嵌まる単一の理論として統合した内容となっている。

したがって、ニュートン力学背景には、可逆的な時間概念が色濃く反映されている。事実、彼が記述した力学の基礎法則は、時間変数tを負に変換しても不変の概念として表している。彼の古典物理学特徴は、物理現象のモデルの秩序にある。この秩序を表現した方程式は皆、時の流れを反転させても成立する。モデルで表されるいずれの運動過程も、規則正しく、逆向きにも起こり得るのである。力学をはじめとした古典物理学の各分野は、可逆法則によって成立している。そのため、時間がどの向きで進んでいるのかは問題にならない。

尤も、こうした法則は、抽象化された理論によって記述されているが故に、物理現象の諸要素を部分的に捨象することを不可避としている。例えば古典物理学の多くの法則は、摩擦の無い場合にのみ有効となる。これらの理論は、空気抵抗や付着力を考慮していない。こうした諸要素は、補正して計算すれば済むものとして、無害な問題として扱われているのである。

したがって古典力学においては、専らこの法則を確認することによって、概念の抽象化による物理現象のモデル化が如何にして可能になっているのかを把握することができると考えられる。実際ルートヴィッヒ・ボルツマンは、『力学の諸原理(Über die Prinzipien der Mechanik)』において、力学を「形象(Bild)」の概念で特徴付けている。力学とは確かに、物体の運動がそれに追従して起こる法則の体系である。しかし彼が述べている力学的な概念としての物体の運動とは、現実に実在する物体の運動それ自体であるというよりは、むしろ我々の精神知覚する物体の運動についての「形象」なのである。

力学(Mechanik)は、多くの機械(Maschine)や機構(Mechanismus)を考察する上で必要となる。その基礎を成す概念は物体の運動の概念である。他の如何なる変化からも区別された純粋な運動の概念は、剛体の分析によってのみ明らかとなる。ここでいう剛体とは、観測する空間の中における位置以外には何ら変わらない完全に不変な物である。ただし古典力学観測してきたのは、運動の最中にはその変化が気付かれないほど小さいために、剛体として近似できる対象に過ぎない。

したがって古典力学抽象化された理論は、こうした物体の運動の概念の抽象化に関わっている。この理論観点かられば、観測する対象となるのは、全質量と全重量が不変であるような物体のモデルである。それ故にボルツマンが力学を次のように評するのは、何ら辛辣なことではないのである。

「我々は精神的な現象(seelischen Phänomenen)と自然(Natur)の単純な機構(Mechanismen)の間にある類推(Analogie)を主張する以上のことはしていない。」
Boltzmann, L. (1905). “Über die Prinzipien der Mechanik” In Ludwig Boltzmann-Populäre Schriften. Severus Verlag., S.308-337., 引用はS.324より。

問題解決策:ニュートンの運動の法則

ボルツマンが述べている類推は、事象モデル化する物理学による概念の抽象化と関わっている。古典力学が物理現象を観察する場合、モデル化の対象物となる物体を質点として記述することによって、概念の抽象化が実践される。質点としての物体は、重心に全質量が集中した大きさを持たない概念として記述される。第一の運動の法則である「慣性の法則」によれば、質点は、力が作用しない限り、静止か等速直線運動を続ける。ニュートンの古典力学におけるあらゆる質点は、この慣性の法則を満たし得る座標系で運動法則を記述している。

第二の運動の法則となるのは、「ニュートンの運動方程式」に他ならない。質点を前提とした場合の物理法則として、ニュートンの運動方程式は次のようになる。

$$F_i = m_i\frac{d^2r_i}{dt^2} \ \ i = 1, 2, …, N$$

ここで、運動方程式で記述されている系はN個の質点から成る系となる。i番目の質点の質量を$$m_i$$、位置を$$r_i (x_i, y_i, z_i)$$とし、質点に働く力を$$F_i$$としている。

今、二つの質点aとbの間に、相互に働く力が加わっている時、質点bから質点aに作用する力と、質点aから質点bに作用する力は、それぞれ次のようになる。

$$\vec F_{ba}$$

$$\vec F_{ab}$$

第三の運動の法則である「作用・反作用の法則」によれば、次の定式のように、双方は大きさが等しく、かつ逆向きとなる。

$$\vec F_{ba} = – \vec F_{ab}$$

力がポテンシャルVから導かれる場合、質点に働く力は以下のようになる。

$$F_i = -\frac{\partial V}{\partial r_i} \ \ V(r_1, r_2, …, r_N, t)$$

質点の位置座標をxyzの形式から次のような系列集合として再記述すると、ポテンシャルVもまた以下のように再記述される。

$$r_1(x_1, x_2, x_3), r_2(x_4, x_5, x_6), r_3(x_7, x_8, x_9)$$

$$V(x_1, x_2, x_3, x_4, …, x_f, t)$$

ここでfは自由度で、次のようになる。

$$f = 3N$$

運動方程式から得られる値を微分していくと、次のような結果が得られる。

$$m_i\frac{d^2x_i}{dt^2} = -\frac{\partial V}{\partial x_i} \ \ i = 1, 2, …, f (f = 3N)$$

ただし、$$m_1 = m_2 = … = m_f$$

質点の運動量は、$$p_i = m_i\frac{dx_i}{dt}$$であるため、$$\frac{dp_i}{dt} = -\frac{\partial V}{\partial x_i} \ \ i = 1, 2, …, f$$

運動エネルギーKとポテンシャルエネルギーVの差分は「ラグランジュ関数(Lagrange function)」と呼ばれ、特にLと表記される。

$$L \equiv K – V$$

上述した質点の系に適用するなら、$$L = \sum_{i=1}^{f}\frac{1}{2}m_i\frac{dx_i}{dt}^2 – V(x_1, x_2, …, x_f, t)$$

ここでは、それぞれの変数が独立になるという前提から、ラグランジュ関数は次のように再記述される。

$$L(x_1, x_2, …, x_f, \frac{dx_1}{dt}, \frac{dx_2}{dt}, …, \frac{dx_f}{dt}, t)$$として、上記の両辺を$$\dot{x}_i = \frac{dx_i}{dt}$$で偏微分すると、

$$\frac{\partial L}{\partial \dot{x}_i} = m_i\dot{x}_i = p_i$$

$$K = \sum_{i=1}^{f}\frac{1}{2m_i}p_i^2$$

ガリレイの相対性原理

速度で運動する座標系から観察した質点の運動は、静止座標系における質点の速度からその運動座標系の速度を引くことで計算できる。この二つの座標系の変換を「ガリレイ変換(Galilean transformation)」と呼ぶ。ニュートンの運動法則で記述される加速度は、速度時間変化に他ならない。故に、移動体の速度が異なる慣系の間でも、その速度差異運動の法則に現れることは無い。このことは、運動方程式ガリレイ変換に対して不変であることを意味する。仮に静止座標系と運動座標系を区別するにしても、二つの座標系のどちらを静止系と見做しても、運動の法則は成り立つことになる。それは、運動静止系と見做されている座標系と静止座標系と見做されている座標系を相互に入れ替えたとしても、運動の法則が成り立つということである。

一般化して言えば、物理法則はあらゆる慣系に対して等しく記述される。法則の記述においては、如何なる慣系も同等であるという点で、いわゆる「ガリレイの相対性原理(Galilean principle of relativity)」が成り立っている。この原理が主張しているのは、如何なる慣系においても同一の物理法則が成り立つという点である。言い換えれば、互いに静止または等速度運動している座標系では、ニュートンの運動の法則が等しく成り立つということである。

問題解決策:ライプニッツのモナド

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは、微分積分の優先権を巡りニュートンと対立していたものの、彼自身の哲学は力学的に記述される傾向にあった。ライプニッツは、二つの対応する要素である精神と物質とを、それらに対応する要素の連続体となる「モナド(Monad)」に置き換えた。モナドとは、元々は霊魂に従って想定された概念である。だがこの概念は、完全な霊魂の自己意識の段階には到達しない。モナドは、ルネ・デカルトの合理主義においては物質に帰属されるであろう多くの事柄を包含した概念である。それぞれのモナドは、それ自体として閉鎖した宇宙の中に存在している。天地創造の時、すなわち無限に遠い過去から、無限に遠い未来まで、完全に、因果の鎖で接続されている。それらは確かに閉ざされている。だが、の予定調和によって、それらは互いに照応しているのである。

ライプニッツは、モナドを天地創造以来、永遠に歩調を合わせて時を刻むように設計された時計の群に喩えている。人間が造った時計とは異なり、この時計には時差は生じない。それは創造主の不可思議な完全無欠の偉業によって、常に精確な時を刻み続ける。ライプニッツが彼に数学を教えたクリスティアーン・ホイヘンスの弟子であることからもわかるように、モナド世界は、時計仕掛けの機械的な世界でもあったのだ。

それぞれのモナドは相互に照応し合っている。だがこの照応は、一つのモナドから他の因果の連鎖が移行することによって成り立つのではない。ノーバート・ウィナーの巧みな表現を借りるなら、それぞれのモナドは、音楽箱の上で受動的に踊っている人形と同程度か、もしくはそれ以上に自己充足的なのである。モナドは、外部環境からは実際何ら影響を受けず、また外部環境に対して如何なる影響も与えない。モナドは窓を持たないのである。あるモナドが別のモナドから影響を受けているかのように視えても、実際にその影響を如何に被るのかは、当のモナド自身の因果によって規定される。この限りでモナドはそれ自体の内部で完結した一つの宇宙となる。ウィナーが述べたように、モナドとは、小さく叙述されたニュートンの太陽系なのである。

実体説と関係説の差異

時間空間を実体として認識していたニュートンに対して、ライプニッツは「関係説(Relationismus)」を提唱している。ライプニッツによれば、時間空間は絶対的な枠組みではない。空間はそこに存在する物体の位置関係によって相対的に規定される。時間もまた物体の位置変化が生起することで初めて派生する。空間時間はこのように物体の関係によってのみ規定されるのである。

空間の点は、物体の状態の一種である。時間は、物体の推移の順序である。したがって、物体が存在しなければ、その関係も存在しない。故に物体が存在しなければ、空間時間存在しない。もし宇宙に存在するものが何もかも無くなるならば、時間空間もまた存在しなくなる。

ニュートン力学における時間概念は、「絶対時間」と「絶対空間」の区別を前提に記述されている。真なる絶対的な数学的時間は、それ自体の本からして、外部の如何なる事柄とも関係無く均質に流れていく。ニュートンにとっての時間は、空間位置関係、運動などのような諸概念と並び、ある種の自明な概念であった。だがこの自明視の代償として、彼は現実的な事物の運動に依存した「相対時間」の非均質的な数学的時間概念を記述する機会を持たずにいた。ライプニッツの「関係説」は、このニュートンの盲点を的確に捉えている。

問題解決策:カントの絶対空間

西洋文明の日常的な時間は、相対的で、見掛け上の概念である。日常生活における時間とは、時計の針が示す数値がそうであるように、事物の運動に依存した知覚可能な尺度であって、真の時間とは別様の概念として捉えられている。時間が量化されているという発想は、既にアリストテレスの哲学において見受けられていた。この発想はニュートン力学でも踏襲されているように視える。この量的概念としての時間は、実数の直線として表現される。つまり時間は、その両端に対する無限と、ある種「無限小」に至るほどまでの分割の可能性を有した直線的で均質な連続体として見做されてきたのである。

しかしアリストテレスの想定によれば、時間は他の全てから超越した性格を有する訳ではなかった。時間無限は運動の無限によって構成され、また運動の無限空間無限によって構成される。これに対してニュートンの場合、知覚対象となる事物や運動からも、あるいは絶対空間からも、直接的に絶対時間が演繹される訳ではなかった。ニュートン力学はあくまでも絶対時間絶対空間区別を導入し続ける。外的な何かによって影響を受けない絶対時間絶対空間は、彼においては完全に分離されていた。その結果としてニュートン以来の物理学は、長らく時間空間区別を、1次元の量と3次元の距離という形式によって構成することとなったのである。

ニュートンは時間空間差異を「持続(duratio)」によって把握する。あらゆる運動は、加速と減速の双方を可能にしている。しかし絶対時間の流れは如何なる変化も受け付けない。「絶対時間」とは、他の如何なる基準にも準じず一様(uniform)に流れる時間である。だが事物そのものの存在は持続する。ある事物存在が持続するというのは、その事物の運動の加速度とは無関連に可能となっている。一方、これに対して相対時間は、絶対時間や持続についての知覚可能な尺度(sensible measure)である。注意しなければならないのは、この事物の持続は、単なる知覚の尺度から区別されなければならない。何故なら知覚の尺度は、絶対時間ではなく相対時間を前提としているためだ。ニュートンはそれ故に持続をその知覚の尺度から天文学的な均等分割によって演繹していく。つまり、秒、分、時間、日数、週数、月数などのように、均等な時間間隔によって分割していく方法である。

ニュートン力学において均等分割されるのは、時間だけではない。微分積分においては、空間もまた時間同様に分割され得る連続体となるのである。尤も彼のこの洞察は、時間空間とは何なのかについては、何ら説明を与えていない。ニュートンはただ時間空間如何にして可能になっているのかを観察しているに過ぎない。時間空間は、あらゆる認識に先行して超越的に均質であるからこそ均等分割できるのではなく、もともと相対的な概念として把握されていた時間空間に均等分割という形式を導入することによって、絶対時間絶対空間という概念を構成したのである。

「絶対空間」と「相対空間」の差異

ニュートンの絶対空間は後に、若き日に自然科学へ強い関心を示していたイマニュエル・カントによって考証されている。尤も、初期のカントの空間論に影響を与えていたのは、ニュートンよりもライプニッツであった。1756年の「物理的モナド論(monadologiam physicam)」における初期カントの空間論では、ライプニッツ的な空間概念が物理学的に再記述されている。モナド論的に言えば、空間には全く実体が無い。空間は相互に照応し合っている多数のモナドの外的関連の表現である。しかし空間の分割とは、ある部分が他の全てから分離されることで、それ自体が自己自身の存在を保持しているような分離ではない。それはただ外的関連における多数か、ある種の量を示すに過ぎないのである。

カントが「絶対空間」に初めて言及したのは、1768年の「空間における方位の区別の第一根拠について(Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raume)」においてである。カントは確かにニュートンの絶対空間証明しようとしていた。だがここで記述される「絶対空間」の概念にはカント流の考察が加えられている。カントにとって「絶対空間」とは、何よりも方位の基準を成す概念であった。方位とはまず位置の概念である。最も抽象的意味では、方位は空間内のある事物の他の事物に対する関連に依存するのではなく、これらの位置の体系の絶対空間に対する関係に依存する。

空間観察者は、観察者の外部にある一切を観察者自身に関連してある限りにおいて、それらを感覚器官を通じて知り得る。故に、これらの切断面を観察者の身体に対する関連から、観察者が空間における方位の概念を構成すべき最初の根拠を採ってくるのは、カントにとっては少しも不思議なことではなかった。カントにとって方位とは、事物の「絶対空間」に対する関連であると同時に、事物観察者の身体に対する関連でもある。

しかしこのように論考を深めるカントの記述は、首尾一貫したものではない。彼は様々な角度から「絶対空間」を論じている。方位に関する論文を執筆したその僅か2年後となる1770年には、彼はニュートンの「絶対空間」を否定する論文となる「可感界と可想界の形式と原理(De mundi sensibilis atque intelligibilis forma et principiis)」を提出している。カントはニュートン流の「絶対空間」の代替案として、「主観形式」としての空間概念を提案している。そしてこの「主観形式」に関する洞察は、1781年の『純粋理性批判』で引き継がれる。ここでは「絶対空間」が、「主観形式」としての空間論を前提とした上で、一種の「理念」として再記述されることになる。更に1786年の『自然科学の形而上学的原理』になると、カントはより明示的な表現で、「理念としての絶対空間」を記述している。当初「主観形式」はあくまでも空間内の運動の軌跡にのみ関連していた。だがこれに対して、運動を捉えるための静止座標系が加わると、「主観形式」としての空間は、「理念としての絶対空間」となるのである。

ニュートンに対するカントの代替案を整理するには、「絶対空間」と「相対空間」の区別を導入しなくてはならない。カントによれば、「絶対空間」とは、それ自体としては無である。それは何らかの客体なのではない。それは様々な「相対空間」を包含(einschließen)する無限に拡大された空間である。「絶対空間」とは、もはやその外部にそれを包含する外部が存在しない、最も外部の空間を表わす。この場合、この「絶対空間」それ自体を計測する基準は存在しない以上、絶対静止していることになる。カントにとって空間とは、ある種の透明な<容器>であった。そして最も外部の、最も巨大な<容器>こそが「絶対空間」なのだ。一方でこの<容器>に包含された様々な空間は、あくまで「相対空間」である。「絶対空間」は、その内部の「相対空間」におけるあらゆる運動を相対的な運動として観察するための規則として機能する。「絶対空間」とは、そうした規則として役立つ理念なのである。

時間的経験

ヴァルター・ベンヤミンが指摘したように、最も純粋に正当化できる認識こそが、最も深遠な認識になると想定していた点で、カントの哲学はプラトンの理念論のそれと共通している。「理念としての絶対空間」がそうであるように、カントは深さへの要求を正当化への要求へと同一視することにより、他に類を見ないほど卓越されたやり方で、この深さへの要求に正当に応えようとしたのである。しかしベンヤミンによれば、カントに準じて時間永遠の双方に真に目を向けた「来たるべき哲学(der kommenden Philosophie)」を創り出そうとする時、極めて由々しき障害が派生してしまうという。カントは現実の認識と認識一般を確実と真理性の下に根拠付けようとした。だが、彼の眼の前にあった現実とは、実は低次の現実に過ぎなかったのである。

初期の頃のベンヤミンが学んでいたのは、カントの認識論を19世紀末に転回した「新カント派」と呼ばれる哲学である。新カント派がまず参照するのは『純粋理性批判』である。カントはここで「超越論的(transzendental)」と「超越的(transzendent)」の区別を導入している。カントによれば、理性経験の対象の認識能力から制約を受けている。我々の精神知覚された事柄のデータという生の素材に依存しているためである。その限界を踏み越えて「」や「魂」のような形而上学的な対象を認識しようとする試みは、「超越的」な試みとなる。カントはこうした試みを厳しく批判した。一方でカントは、経験を成立させているその可能性の諸条件を究明することで、経験構造を分析することについては、むしろ奨励していた。経験形式としての時間空間を把握していくことに関しては、経験の対象認識の限界を踏み越えようとする試みに結び付くかもしれない。だが理性自身による認識能力の自己吟味は、「反省」における理性の限界を確定させる「超越論的」な試みとして容認したのである。

超越論的なものは、諸概念の論理的な機構である。それは全ての精神共通して、経験組織化させる。したがって論理上、超越論的なものは概念と経験に先立つ。ここから新カント派は「先験主義(Apriorismus)」的な認識論を展開する。この先験主義経験主義に対立する。新カント派は、経験に依存せずとも真に正当な実質的な認識が可能になると考える。例えば決定論的世界が想定するように、あらゆる「結果」には「原因」があるという認識は、経験に依存せずとも先験的に獲得されるという。しかし、こうした先験的な認識はまさにカントが批判した形而上学的な範疇に留まる認識である。

ベンヤミンのカント批判は、新カント派による先験主義的な認識論の展開を念頭に置いた上で実践されている。ベンヤミンによれば、カントの認識論は、永続的な認識の確実と無時間的な妥当性については説明しているものの、永続的ではないとされている「経験(Erfahrung)」の尊厳、時間経験の確実については何も説明していない。カントは、ニュートン力学を最良の手本とした上で経験概念を強引に取り扱っていた。カントが経験概念を数理物理学的なモデルに基づいて記述したのに対して、ベンヤミンは経験概念を芸術宗教包摂するまでに拡張されるべきだと主張する。

カントは、現象の超越論的な形式となる可能性の諸条件として経験を把握するために、時間の概念を用いていた。だがベンヤミンによれば、カント自身、経験の諸原理については、諸科学とりわけ数学的な物理学から抽出しようとはしていたものの、元々彼は経験それ自体が数学的な物理学の対象世界に一致するとは想定していなかったのである。それ故にベンヤミンは、カントの哲学を拡張させるために、絶対的なものの経験を重視していた。それは言わば、カントの認識論の枠組みの中で、カント自身が厳しく批判した形而上学的なものを保持することによって可能になる。若き日のベンヤミンの試みが指し示しているのは、カントの認識論においては、ニュートン力学をはじめとする数理物理学的な概念が、芸術宗教によって生み出される形而上学的な概念と共存する可能性である。

問題解決策:ベイズの定理

ニュートン力学は可逆的な時間概念を前提とした決定論的な世界展開している。この世界は、一見して決定論とは相反すると思われる統計学確率論的な世界に対しても強い影響を及ぼしていた。象徴的なのが、僅かだがカントと同時代を生きたトマス・ベイズの確率論である。キリスト教プロテスタントに属するカルヴァン派のイギリス人牧師であったと知られているベイズは、厳密にはイギリスのハートフォードシャー州の裕福な庭で生まれている、と言われている。ただし彼はイギリス国教会の教徒ではなく、非国教徒であった。そのため彼はオクスフォード大学やケンブリッジ大学に入学することができず、遠方のエジンバラ大学に入学したという。しかし、にも拘らずベイズは、王立協会(Royal Society)の会員に選抜されている。彼の発表した論文の数は少ない。だがその発表論文は、尽く周囲の注目を集めてきた。

当時の非国教徒の歴史を遡るなら、ベイズは庭内で初等教育を受けていたはずだ。彼の父ヨシュアは礼拝堂の説教牧師であったという。ベイズは早くから父親の助手として宗教的な奉仕活動に携わっていた。こうした背景から、彼の宗教としての経歴は早くから始まっていたと考えられる。ベイズが聖職者になったのは、彼が1720年に開設されたタンブリッジウェルズの長老教会の牧師として任命された時のことだ。ベイズは少なからずこの教会に11年は在籍していたとされる。と言うのも、ジョン・ノーン(John Noon)という出版者が1731年に公開した『神の慈悲(Divine benevolence)』という論文は、ベイズが記述した論文であると言われているためである。

この論文でベイズは、慈悲深きによって創造された世界において、被造物のが何故存在しているのかという学的な問題設定を導入している。この問題設定の下で彼は、の究極的な目的が被造物の幸福であると主張していた。ベイズがまず取り上げたのは、欠陥を持つ被造物としての人間存在という、<歴史神学>や哲学的人間学でお馴染みの人間概念である。そして彼はこの<人間の欠陥>を<の欠陥>から区別する。ベイズによれば、人類は創造神意志を完全には理解していないという。ならぬ被造物には、天上の意志に辿り着くことができない。したがって、この世界の最下部だけを観察しても、幸福が喪失したと結論付けるのは、筋の通らない話なのである。

の御業を観察するなら、次のように結論付けることができる。すなわち、は最も賢明で、力強く、そして無限に完全なる存在である。そのような存在ならば、どのような道理であっても、貧弱とはなり得ない。そうした存在完全に幸福で、無知(ignorance)や弱さ(weakness)とは無縁である。そして結果的に、は、行にも、あるいは自らの被造物の幸福を損なう何物にも、何ら影響をもたらし得ない。」
Bayes, Thomas, (or Noon, John). (1731) Divine benevolence, or an attempt to prove that the principal end of the divine providence and government is the happiness of his creatures, Printed by John Noon at the White Hart, Mercers Chapel in Cheapside.(Dr Williams’s Library, 14 Gordon Square, London, WCl)., p20.、ただし強調は筆者。

決定論的世界における確率論

ベイズの後、1763年にリチャード・プライスの貢献によって出版された『偶然論における問題解決のための試論(An essay towards solving a problem in the doctrine of chances)』では、この学的な形象確率論的に再記述されている。一見すればこの論文は、未知なるデータ観測から世界事象に対する確率論的な信念構成することが如何にして可能になるのかという、統計学的な問題設定を導入しているように視える。しかしその意味論の主導的差異は<人間の欠陥>と<の欠陥>という先述した区別によって構成されている。

プライスは、ベイズの確率論的な思考を紹介する上で、太陽の観測者を例示している。この世に生を受けた観測者が初めて日の出をた場合、その観測者には、その事象正常なのか異常なのかを区別することができない。しかし、この事象を日々観測し続けるうちに、次第にこれが自然界では永続的に起こることなのだと認識するようになる。これは一種の統計的な推論に基づく学習だ。つまり観測者は、観測を反復することによって、太陽は明日も昇るという予測を繰り返すようになる。そしてその予測が的中する確率が、その観測者の信念においては、100%に近似されていくのである。

ベイズもプライスも、世界の本質が確率論的であると述べている訳ではない。厳密に言えば、ベイズの確率論における意味論は、彼が生きた18世紀のイギリス数学会の社会構造との関連からも方向付けられている。ニュートン力学を異様なまでに熟知していた彼は、自然が不変で予測可能法則に従っていると考えていた。ベイズがニュートン力学に精通していたのは単なる偶然ではない。17世紀から18世紀にかけてのイギリス数学会がニュートンとライプニッツにおける微分積分無限小概念の先取権論争の直接的な影響を受けていたことを踏まえれば、当時イギリスで活動していたとされる数学者としてのベイズがドイツのライプニッツではなくイギリスのニュートンに準拠していたのは道理である。

世界それ自体が確率論的であると認識されるようになるのは、ルードヴィヒ・ボルツマンを筆頭とする19世紀末から20世紀初頭にかけての量子力学統計力学、そして熱力学歴史意味論が記述されるようになってからである。この時代はベイズの後史である。ベイズの時代ではまだ、ニュートン力学が規定するような、決定論的な世界が支配的であった。つまりベイズの確率論は、決定論的な世界に対する分析方法として機能していたのである。世界それ自体が決定論的であるにも拘らず、分析者の方法それ自体は確率論的であるというこの意味論は、<完全性>と<人間の欠陥>という学的な形象と精確に照応している。もしも人間もまた完全なる存在であるのなら、その分析方法決定論的な方法となっても可笑しくはない。<人間の欠陥>を容認する謙虚な姿勢があるからこそ、分析者は確率論的になり得る。

アナリストのネイト・シルバーも解説しているように、ベイズとプライスのこの確率論は、世界学習する方法を解説した叙述となっている。つまり、証拠を蒐集すればするほど、真理に近付いていくという、推論を介した世界学習方法こそが、ベイズの確率論の真髄なのである。この確率論の真髄には、ベイズの学的な形象照応している。学習とは、自らの未熟さを前提としている。自身を完全であると信じる者に、学習方法は不要だ。ベイズの確率論的な思考内在する学的な形象は、<完全性>を信仰すると同時に、<人間の欠陥>を容認することを推奨している。自身の不完全性を認めることが、<救済>へと近付くための足場となるのである。

問題解決策:ラプラスの「知能」

しかしベイズの名を世に広めたのは、他ならぬ無神論者であり決定論者でもあったピエール・シモン・ラプラスである。1781年、パリに訪れたプライスの講演を聴いて感銘を受けたラプラスは、天体観測に関して自らが構築していた原因確率の定理にベイズ主義に基づいた解釈を与え、事前確率を等確率とする制約を組み込んだ。兼ねてより天体観測の予測誤差に苛立ちを覚えていたラプラスは、こうしてベイズの確率論的な思考を採用することで、それほど精密ではない望遠鏡のような測定装置であっても、予測精度を高めることに成功した。

無神論者であり決定論者でもあったラプラスは、既に自身の決定論を脱魔術化していた。彼の確率論はベイズのそれとは異なり、「」とは無縁である。代わりにラプラスが導入したのは、超人間的な「知能(intelligence)」を有した存在Xであった。

「もしある瞬間における全ての物質の力学的な状態と力を知ることが可能で、かつ、もしそれらのデータを解析できるだけの能力を持つ知能が存在するとすれば、この知能にとっては、不確実なことは何一つ無く、その眼には未来も全て視えるであろう。」
Laplace, Pierre Simon, marquis de (1820) Théorie analytique des probabilités, Paris : Mme Ve Courcier., pp.VI-VII.

ある時点において作用しているあらゆる力学的かつ物理学的な状態を完全に把握して解析する超人間的な知能を有した存在Xは、宇宙のあらゆる運動を、その未来も含めて、確定的に知り得る。この未来予知すら可能とする存在Xは、しかし「」ではない。ラプラスの想定する宇宙は、時間の可逆を前提としたニュートン力学永遠で完全なサイクルから構成されている。ラプラスの無神論というフィルターを介して語られるベイズの確率論は、もはや<完全性>を仮定せずとも、ニュートン力学的な決定論的世界を前提とすることによって、脱魔術化された世界の新しい統計学を牽引することとなったのである。

「時計仕掛けの宇宙」

自然科学における観察の重要は、既にアリストテレスによって指摘されている。これに対して、物理学の実験的な方法は、17世紀の科学革命を通じて生み出された方法である。この科学革命を成立させたのがニュートンであった。この観点かられば、ラプラスはニュートンの後継者に他ならない。ニュートン力学構造化させた方法は、観察に基づく個別的な経験を通じた一般化手続きである。それは帰納的な手続きだ。ラプラスの確率論もまた、観察された事象一般化された法則に帰属させることを目指していた。しかしながらニュートンが実践した観察とは、仮説を検証するための構成的な実験を意味する。それは、自然現象の複合性観察する際に、その中の特定の諸要素を抽出することで単純化する営みである。

ニュートンはあくまでも仮説を検証するために実験を構成していた。この意味で、帰納として知られるニュートン力学方法は、実際には仮説演繹でもある。しかし一方でニュートンは「私は仮説を立てない(Hypotheses non fingo)」と宣言している。何故なら、実際の自然現象から演繹的に導入され得ないあらゆる事柄は、例外無く仮説と呼ばれるべきであるからだ。そうした仮説は、形而上学的であろうと、形而下的であろうと、神秘的であろうと、あるいは力学的であろうと、ニュートンにとっては何ら重要な位置を占めていない。ニュートン力学においては、個別的な命題が実際の諸現象によって推論され、その後の帰納によって一般化されるのである。したがってニュートンは、少なからず自身では仮説を立てず、観察された経験的な事実によって証明されない理論を全て仮説として片付けようとした。

ニュートンにとっての仮説とは、理論的にも経験的にもその真偽を区別できず、実証もできなければ反証もできない、科学的な意味を持ち得ない説のことであった。この意味ニュートン力学はカール・ポパーの「反証可能性(falsifiability)」の命題を承知の上で構築されていたとも考えられる。そのポパーの目には、ニュートン力学を筆頭とする「科学革命」が構成してきた決定論的な世界が、「時計仕掛けの宇宙(clockwork universe)」として映っていた。この世界は、機械時計のように、規則的な法則に基づいて成立している。この世界はラプラスの「知能」を持つ存在X住む世界であって、あらゆる事象がそれ以前の事象によってのみ因果的に決定される。

しかしその一方でラプラスがベイズの確率論展開したのは、我々人間がそうした存在Xから区別されるためである。人間は、ある事象観察しようにも、その初期条件となる過去の事象を正確に知り尽くしている訳ではない。過去や未来を予測することが必要となるのは、ひとえに我々が無知であるためだ。ラプラスもまたベイズと同じように、確率論決定論的世界探索のために用いたのである。

問題解決策:ボルツマンの統計力学

ベイズ主義的な確率論決定論的な世界を前提としていたのは、ボルツマンがジョージ・クラーク・マクスウェルと共に展開してきた「統計力学(Statistical mechanics)」が当時未発展であったことを背景としている。この未発展の度合いを精確に言い表している事例が、物理学が19世紀まで「」という概念を正確に定義できていなかった事実である。

それまでの物理学にとって、はあらゆる物体を取り囲む特別な物質として認識されていた。1769年、イギリスの工学者であるジェームズ・ワットが蒸気機関を発明した。この科学技術は、特に蒸気機関車として導入されることで、社会システムの工業化を進展させた。蒸気機関車が街中を走り回るようになると、徐々に熱力学に関する研究の社会的な重要認知されるようになった。この関連から1824年、物理学者サディ・カルノーが蒸気機関の仕組みの定式化を試みた。これが後の「熱力学法則(law of thermodynamics)」の伏線となっている。

ルドルフ・クラウジウスが1859年に命名した「エントロピー(entropy)」という熱力学の概念は、エネルギーが如何に抽出し難いのかを示す尺度として用いられてきた。エントロピーが増大すれば、それだけ有用なエネルギーが減るということだ。そもそもは、分子運動の速度に対応している。例えば二つの水素原子と一つの酸素原子から成る水は、温度次第で、氷や水蒸気に変化する。低温では、それぞれの分子は緩やかに移動する。だから氷の結晶が連想させるように、各分子構造化された状態を維持することができる。氷が水になるまで温度を高めると、分子も徐々に加速化していく。摂氏100度を超えれば、水は水蒸気となる。全ての分子は急速に動き回る。そこから構造化された秩序は見出し難くなる。それぞれの分子は無秩序に運動していく。

しかしこのようにエントロピーエネルギー区別を導入しても、が何なのかについての知見が得られる訳ではない。が何故こうして特殊なエネルギーとして観測されるのかについては、まだ明確な回答が得られていない。しかしながら、それが如何にして可能になっているのかについては、多くを物語っている。には、高いエントロピーが含まれているのである。

の正体の特定に大きく貢献したのは、マクスウェルとボルツマンである。二者は、が物質中の運動の一形態であるという旧い概念を定式化することが可能であると考えていた。この定式化の前提となる意味論は、分子運動論である。つまり、物質は絶えず運動している膨大な数の微粒子から構成されているという発想である。物質を何らかの運動状態にある微小の同一な諸要素によって構成されていると捉えれば、の概念が運動の無秩序との関連から記述することが可能になる。

運動は、特定の方向に流れる風のように秩序のある運動であるにせよ、のように無秩序な運動であるにせよ、何らかのエネルギー意味する。だが風はよりも発電に向いている。風の運動には方向があるためだ。だがの中にも大量のエネルギーがあることに変わりはない。ただ、それを有用なエネルギーとして利用することが難しい。無秩序な運動では、エネルギーとして役立てることが困難であるということである。

ある気体の中の分子の全ては、厳密に同一の速度なのではない。各分子には特定の平均速度がある一方で、個々の分子速度にはばらつきがある。その平均値が低ければ温度も低くなり、平均値が高ければ温度も高くなる。この関連からマクスウェルは、物理学に統計の概念を導入した。それにより彼は、分子が一定の分布――今で言うところの、「マクスウェル=ボルツマン分布(Maxwell-Boltzmann distribution)」――に従った挙動を示すことを主張したのである。

だが分子の挙動が一定の分布に従うとしても、個々の分子観測しても、その分子を含む物質の温度を知ることができない。温度とは、同時に複数の分子があって初めて意味を成す概念なのである。ある物質の温度を調べる際に、特定の一個の分子観測しても仕方が無い。

しかしマクスウェルの統計的な発想は、この単なる還元主義的な観測の不都合を無害化している。十分に長い時間が経過していることを前提とするなら、物質を構成する各分子は、互いに衝突し続けていることになる。そうすることで、各分子は、衝突した他の分子速度についての知識情報を得るはずだ。物質が均質な温度を取ることができるのは、このためである。分子同士が衝突するからこそ、速度のやり取りが発生する。そうして平衡状態に達するのである。

かくしてマクスウェルは、このの現象を司る法則についての学問を打ち立てた。微小な各分子の運動とそれらの衝突は、ビリヤードの球の衝突をモデルとしたニュートン力学に準拠することで、運動の法則に準拠した記述が可能になる。つまりマクスウェルは、ニュートンの運動の法則と物質に関する統計的な方法との接続可能性を設けたのである。

しかしながら、これでもまだ、双方の矛盾が全て解消された訳ではない。決定的な矛盾として残存したのは、ニュートンの古典力学が自明視してきた可逆的な世界と、熱力学の不可逆的な世界との間で生じている矛盾である。マクスウェルはその後1879年に息を引き取るが、彼の理論を引き継ぐようにこの矛盾に相対するようになったのが、ボルツマンである。彼はマクスウェルの期の前後に、熱力学の厳密な定式化を目指していた。

ボルツマンは、こうした熱力学的な観測によって、ニュートンの古典力学盲点となる時間の不可逆に対する洞察を深化させていった。それぞれの分子速度のやり取りを実行している。すると運動が均質化する。そして新たな平均速度平衡状態が生起する。その前後の間には、差異がある。我々は差異から始まり均質化へと向かっていることになる。

だが同時代の物理学者たちは、このボルツマンの洞察を到底受け入れられなかった。可逆的な時間概念を前提としたニュートンの古典力学からは、不可逆的な時間概念を前提とする熱力学を導入することはできないと考えられていたためである。古典力学の立場かられば、あらゆる方程式は時間を遡及できなくてはならない。あらゆる運動過程は、前にも後ろにも進むことができなければならない。熱力学古典力学期待外れを顕在化させている。だが同時代の物理学者の多くは、ニュートンの古典力学を尚も支持したのである。

マクロとミクロの差異

ボルツマンが蒸気機関に由来するエントロピーの概念と統計学的な理論とを結び付ける理論を記述したのは、マクスウェルのぬ間際である。残念ながらマクスウェルは、このボルツマンの理論を目にする機会を得られなかった。

だがボルツマンの発想は極めて単純である。その主導的差異マクロミクロ区別によって構成されている。彼は物質の巨大な集合体の属と、その物質の個々の構成要素の属区別したのである。マクロ状態に対応するのは、温度、圧力、体積などのような属である。ミクロ状態に対応するのは、個々の構成要素の振る舞いに関する正確な記述の対象である。

気体の温度マクロ状態に他ならない。そこからミクロ状態についての情報はほぼ得られない。温度から知り得るのは、分子が非常に混沌とした形態で相互に動き回っているということである。分子は気体の温度によってあらわされている平均速度を持つ。この分子速度の分布こそが、「マクスウェル=ボルツマン分布」である。

無数の分子がある温度で飛び回っている時、分子速度が「マクスウェル=ボルツマン分布」に従ってさえいれば、個々の分子速度は問題とはならない。これは粒度の観点である。マクロ観点は粒度の粗い観点であって、ミクロ観点はより細かい粒度に対する観点意味する。特定の温度によって示されるマクロ状態と対応するミクロ状態は無数にあり得る。そして、その中のどの状態が実際に生起しているのかは、問題とはならないのである。

温度が高ければ高いほど、速度選択肢が増える。したがって、特定のマクロ状態に対応するミクロ状態の数は、温度と共に増大する。言わばボルツマンの思想は、多くの異なるミクロ状態によって実現可能マクロ状態は、僅かな数のミクロ状態と対応しているマクロ状態よりも無秩序だということである。言い換えれば、あるマクロ状態と対応するミクロ状態の数が多ければ多いほど、エントロピーは大きくなる。

ボルツマンはこのエントロピー概念を数学的に十分記述している。その内容は後述する通りであるが、むしろ重要なのは、その根本的な思想である。つまりボルツマンによれば、エントロピーとは、観測者が認識し切れないほど膨大な数のミクロ状態がどの程度あり得るのかを指し示す指標なのである。

そしてこの指標は、確率概念との関連から定量化される。エントロピーの低いマクロ状態を観測する確率の方が、エントロピーの高いマクロ状態を観測する確率よりも低くなるはずなのである。だからこそ、あらゆる事象エントロピーが増加する方向へと不可逆的に進んで行く。マクロ状態が変異すれば、よりエントロピーの大きいマクロ状態へと変異していく。それに伴い、対応するミクロ状態の数が徐々に増えていくのだ。

したがってボルツマンは、エントロピーを特定のマクロ状態に対応するミクロ状態の数の表現として記述する。だがこの記述を受け入れてしまえば、マクロミクロ区別は、主観的に導入されるかもしれない。それもそのはずである。と言うのもマクロ状態とミクロ状態の境界設定は、観察者に委ねられているためである。言い換えれば、エントロピーの定義は、観察者がどのマクロ状態を選択しているのかに左右される。マクロ状態に対する観点を設定して初めて、エントロピーの定義が可能になる。つまりエントロピーの定義が先にあるのではなく、マクロミクロ区別の導入こそが先決されなければならないのである。エントロピーを定義するには、観察を観察するしかないのだ

こうしてエントロピー概念を前提としたボルツマンの思想に向き合うと、彼が既に観測観察に潜むある特徴に気付いていたことがよくわかる。実際、ボルツマンの後間もなく発見された量子論的な世界は、このマクロミクロ区別を継承すると共に、ボルツマンの統計力学的な思想の妥当性を指し示しているためである。

問題解決策:マッハの時間感覚

ボルツマンの統計力学が前期量子力学の前史であるのならば、彼と原子論主題に熾烈な論争を展開していたエルンスト・マッハの時間論は、アルバート・アインシュタインの特殊相対性理論の前史であると考えられる。マッハの思想は、その社会背景を抜きには理解できない。と言うのも、彼自身にとって科学とは、社会的な有用の尺度で測られる対象であったためだ。マッハにとって科学は、現象についての思考を節約する経済的な役割を担うのである。

マッハの生きた19世紀後半のオーストリアでは、ドイツやイギリスなどに比して後発の産業革命が展開されていた。産業革命はオーストリアの社会構造を大きく変異させている。一般に産業革命の時代は、ブルジョワジーが貴族階級に代わって権力を握った時代である。だがオーストリアのブルジョワジーは、イギリスをはじめとした他国とは異なって、貴族階級に匹する権力者となった訳ではない。確かに1848年に勃発したオーストリアの三月革命は、一つのブルジョワ革命として観察されている。だが、結局それは王政側によって鎮圧された。そのために、革命直後もブルジョワジー側に権力が引き渡された訳ではなかった。彼らは貴族階級の譲歩によって権力を得たに過ぎない。その譲歩は、貴族階級側の意思決定によって左右されていた。

オーストリアのブルジョワジーが貴族階級の譲歩によって手にした権力には、直ちに対抗勢力が表れることとなった。それは労働者階級に他ならない。彼らはキリスト教社会党や社会民主党などのような政党組織化することで、社会的な立場を強化する運動を展開した。オーストリアのブルジョアジーは、貴族階級と労働者階級という二つの対勢力と相対せざるを得なくなった。

オーストリアの社会構造は、様々な矛盾を孕んでいた。階級間の対関係だけではない。元々はハプスブルクが支配していた世紀末ウィーン社会は、国家官僚によって支配される官僚主義的な社会であった。国家官僚は、フランツ・ヨーゼフ皇帝が掌握していた。オーストリアは憲法に基づく自由主義も標榜していたものの、この官僚主義的な権力は、皇帝の絶対的な権威を正統化していた。だが一方でこの官僚主義的な社会には、「ビーダーマイヤー(Biedermeier)」の精神に基づく市民文化形成されてもいた。それはドイツ・プロイセンの合理主義とは対照的に、「社会(Gesellschaft)」ではなく「共同体(Gemeinschaft)」に憧れを持つ精神文化である。世紀末ウィーンは、一方では産業革命による近代化によって「社会」としての構造を強化していき、しかし他方では官僚自身が共同体の文化を強化していたのである。

こうした世紀末ウィーンの様々な矛盾の中で生じたブルジョワジーの没落は、政治的には「危機」として観察された。新聞や雑誌では、この危機主題とする<批判的な意識>による様々な言説が展開された。しかしこうした言説は、必ずしも客観的な事実に照応している訳ではない。そこには主観的な願望や偏見が介在している。それ故、言葉の裏に潜む願望を探ろうとするジグムント・フロイトの精神分析学やルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの語る言語哲学、あるいはエドムンド・フッサールの現象学的還元主義がこの時代に注目を集めたのは、決して単なる偶然ではない。政治的な言説は言葉の氾濫を生み出した。社会は<一体の理性>によって成り立っている訳ではない。世紀末ウィーンの社会構造には、理性では捉え切れない人間形態についての理念が色濃く反映されていた。物理学心理学を両立しているマッハの思想もまた、この理念を共有していた。

真の経験

若き頃のマッハはカントの観念論から感銘を受けていた。しかしその思想は徐々に社会背景との関連を強めていく。物理学心理学を記述するマッハが重視していたのは、感覚に他ならない。彼が語る科学の概念史は、科学の発展生物適応思考経済発展によって成り立ったという前提で記述されている。マッハの科学論や感覚論は、事象存在する事柄の間の関連が重視される。科学法則事象の諸要素の関連である。感覚は身体の各部分の刺激によって構成される。マッハは存在するもの同士の関連を記述するのは、あらゆる事柄が、何か他のものとの関連を有するという信念の表れでもある。諸要素の諸関連を重視するマッハの思想は、芸術、科学、宗教政治経済などの社会構造が密接な関係にあるという当時のウィーンの社会構造を反映されている。

マッハは、カントとは異なり、経験の唯一の要素は感覚であると主張する。マッハによれば、経験は、単に観察した事象自我如何にして受け止めたのかを表わす訳ではない。経験とは自我による構成物であって、純粋経験ではない。真の経験とは、マッハによれば、我々に対する事象の直接的な発現である。真の経験は、我々の前に連続して流れている感覚を意味する。

マッハの思想は感覚によって表現されたものだけを実在とする現象論的な立場を採った。原子論を巡りボルツマンと対立したのも、この立場があってこそである。マッハからすれば、経験を記述するために使用されてきた事物や物自体、因果関係や目的、自我意志などといった哲学的な概念は、形而上学的な産物に過ぎなかった。形而上学的な概念は実在する概念ではない。それは認識のための虚構に過ぎないのである。マッハにとって、感覚を超越した概念は全て形而上学として排除されるべき対象であった。

科学からあらゆる形而上学を徹底的に追放しようとしたマッハは、科学の意味論を「経済」として記述している。つまり、科学とは思考経済的に実行するために存在するのだ。マッハにとって科学とは、思考にとっての有用観点から容認されるべき対象なのである。例えば物理学の運動に関する様々な法則は、それ自体としては人間の生存に有用とは見做せない物体の位置や速度についての感覚の表れを、予測可能経験へと変換する。こうした予測可能性は、事象の再現を前提としている。事象の再現によって、人間は物理的な諸概念の関連を記述することが可能になる。

科学は、しばしば同一の感覚の表れを主題とした複数の学説を構築する。ボルツマンやマクスウェルの時代に熱素エネルギー分子運動論などのような学説が存在していたのは、人間の生存にとっての有用が、社会の変化と共に移り変わるためであるという。この意味でマッハのいう学説は、唯一の真理を目指して構成されているというよりも、様々な都合で動く社会によって構成されていることになる。したがってマッハによれば、科学とは、事象それ自体の記述なのではなく、既知のモデルとの比較による事象の理解である。だが、社会がわかり易いと捉えるモデルは、時代と共に変化する。社会は、比較的わかり易いモデルを科学に要請する。だから科学の中には様々な学説が存在するという。

感覚こそを唯一の経験の要素と見立てるマッハの科学哲学は、印象主義的な科学哲学である。このことは、あの『ユートピアの精神』で知られるエルンスト・ブロッホがマッハを評価していることにも端的に表れている。印象主義の哲学は、事象には直接関わることなく、それを眺める観察者の立場に立つ哲学である。印象主義的な観察者は、偶然の瞬間のみを真なる存在であると主張する。確かにオーストリアのブルジョワジーは、貴族階級を超える政治権力を手にできず、大衆の脅威によってその地位を常に脅かされていた。オーストリアのブルジョワ階級は、貴族と大衆の板挟みの状態にあった。彼らにとって政治とは、ブルジョワ階級の「外部」の存在であった。つまりオーストリアの政治の領域では、ブルジョワ階級が「蚊帳の外」に置かれていたのである。言い換えればブルジョワ階級は、オーストリアの政治をただ眺めるだけの存在であった。彼らは観察者に過ぎなかったという訳だ。

外部からの観察者に過ぎないという印象主義は、マッハの科学哲学にも見受けられる思想ではある。だがその自覚は、社会構造を度外視した感覚でもある。マッハの印象主義は、単に社会の外部から社会観察する立場を成り立たせていた訳ではない。何故なら、他ならぬマッハ自身が、この世紀末ウィーン社会の内部に位置付けられていたからだ。マッハの印象主義は、ウィーンの社会構造に方向付けられている。マッハの印象主義は、自らを社会の「外部」に位置付けつつも、それ自体は社会の「内部」に位置している。

それ故、マッハの科学哲学には単なる印象主義だけではなく、社会の「内部」で闘する思想が根付いていることも見逃してはならない。形而上学を認めないマッハの姿勢は、一つの事象に対する別のあり方でもあり得るより経済的なモデルを探究する姿勢でもある。その先にあるのは実証主義だ。マッハの科学哲学は印象主義的であると同時に実証主義的でもあった。マッハは、単なる感覚の表れを重視したのではなく、一つの事象の記述の多様や恣意を強調していたのである。それは、政治的言説による言葉の氾濫を経験してきたウィーンの社会構造があってこその姿勢である。

「絶対時間」の価値

こうして形而上学を追放しようとするマッハの思想の社会背景を考慮すれば、何故彼がニュートン力学絶対時間に対して早くから痛烈な批判を浴びせることができたのかも明確化する。1883年、マッハは『力学の科学(The Science of Mechanics)』において、絶対時間を前提とした絶対的な量は形而上学的であるために、物理学に含めるべきではないと断言している。絶対時間は運動によっては決して測定できない。したがって、絶対時間には実用的な価値も無ければ、科学的な価値も無い。マッハによれば、絶対時間思考を節約するには足りず、無用な形而上学的概念であるということになる。

この関連からマッハの物理学は、後のアインシュタインの特殊相対性理論を先取りする発想を展開することとなる。マッハによれば、観察者は運動する事物の変化を時間によって測定することが決してできない。時間とは、むしろ観察者が事物の変化から得る一つの抽象化された概念である。マッハによれば、ある事物の運動が他の事物の運動に関係して等速であるという結果観察することは不可能ではない。だがその事物の運動がそれ自体等速であるか否かという問題には意味が無いのである。

感覚を第一に考えるマッハは、外部環境から観察者が受け取る「形象(Bild)」を最も節約して経済的に表現することが科学であると考えた。形象とは、人間精神に発現する外部環境についての表象を表わす。この論点においてマッハの物理学と科学哲学は、極めてボルツマンの発想と共通している。

ボルツマンは、力学的な概念としての物体の運動を現実に実在する物体の運動それ自体ではなく我々の精神知覚する物体の運動についての「形象」であると主張する。マッハとボルツマンの主張は、力学が取り扱うのが人間精神における形象である点で一致している。この意味で、しばしば語られる原子論についての二者の対立は、決して原子存在するか否かを巡る議論に終始している訳ではなかった。むしろ重要となるのは、原子論が物体についての「形象」を如何に節約して経済的に表現し得るのかという問題であったのである。

問題解決策:アインシュタインの特殊相対性理論

古典力学観察してきたのは、日常的に観察される物体のマクロな物理現象に過ぎない。19世紀以降、ミクロな粒子が物理学の研究対象となると、古典力学的な観察では説明の付かない事象観測されることになる。このマクロミクロ区別が導入されることによって、もはや古典力学に対する期待外れ隠蔽し続けることができなくなった。ボルツマンらによる熱力学の功績が認知されたのは、専らミクロ事象マクロ事象との間の接続可能性との関連からである。一方、ニュートン力学の基礎概念となる絶対時間絶対空間には形而上学的な要素が含まれているというマッハの痛烈な批判は、結果的に後の物理学者たちの背中を力強く押すこととなった。

古典力学では長らく、エネルギー連続的であると想定されてきた。しかし1900年にマックス・プランクは、黒体放射の観測結果から、エネルギーが不連続な値を取り得ることを示した。不連続エネルギーの単位は、光子が有するエネルギーと振動数の比例定数hとして、$$h = 6.62607004 ☓ 10^{-34} m2 kg / s$$となる。このhは「プランク定数(Planck constant)」と呼ばれている。

プランクの法則が示しているように、エーテルが高い振動数の放射を吸収する能力は、それまでの放射に関する如何なる力学的な理論が記述するよりも遥かに小さい。この関連からプランクは、放射の「準原子理論(quasi-atomic theory)」、すなわち「原子論」を与えた。この理論は確かに放射を旨く説明していた。だがその他の物理学理論とは明白に矛盾した関係にあった。

1905年になると、アルバート・アインシュタインが、光電効果現象を説明するためには、古典電磁気学においては電磁「波」として想定されていた光を、$$E = hv$$のエネルギーを有する「粒子」または「光子」として記述しなければならないことを示している。ここで、vは光を波と考えた場合の振動数を意味する。しかし光の回析や干渉は、波動論的には説明が付いても、粒子説では説明の付かない。古典力学における光の観察は、粒子と波動矛盾を派生させていることになる。

「マクスウェルの電磁力学(Elektrodynamik)は、移動体に当て嵌めて考えると、現象それ自体には帰属されない非対称(Asymmetrien)に至ることが知られている。例えば、磁石と導体の間の電気力学的な相互作用(die elektrodynamische Wechselwirkung)を考えてみよう。観察され得る現象は、導体と磁石の相対運動(Relativbewegung)だけに依存する。だが通常の見解によれば、これら二つの物体のいずれか一方が動く物体である場合には、厳密に区別されなければならない。」
Einstein, A. (1905). Zur elektrodynamik bewegter körper. Annalen der physik, 322(10), 891-921., S.893.

もし磁石が運動している導線が静止している時は、導線の各部分が位置している場所に電流を生じさせる有限エネルギーを持つ電場が、磁石の近傍に表れる。だがもし磁石が静止し、かつ導線が運動している場合には、磁石の近傍に電場が表れない。しかしながら、導線の内部に起電力が見出されるものの、この起電力に対応するエネルギーは導線の内部には無い。二つの場合の同等を仮定するなら、前者の場合の電力によって造られる場合と同様の道筋と強度の電流が生じる。

相対運動

ここでアインシュタインが念頭に置いていたのは、あらゆる運動は、何らかの別の物体との比較観点によってしか決定され得ないという「相対運動(Relativbewegung)」の発想である。二つの移動体のうち、一方を観察者とするなら、相対運動とは、その観察者からた場合のもう一方の移動体の運動を意味する。物体の運動を観察するためには、まず基準となる座標系を決定しなければならない。あらゆる運動は、この座標系の観点からた場合の相対運動として意味付けられる。言い換えれば、同一の移動体に関する相対運動でも、座標系が異なるなら、その運動は異なる意味を持つことになる。相対運動は、観点によって、別のあり方でもあり得る

相対時間絶対時間区別が導入されていたことからもわかるように、相対それ自体は、兼ねてよりニュートン力学が記述してきた概念である。ニュートン力学法則は、相互に等速運動している座標系から観察した場合にも、同じ意味を持つとされる。これは、既にガリレイの相対性原理として知られている。しかし、マクスウェルの電磁気学やその先にある電磁波論は、この原理を満たしていなかった。

アインシュタインの1905年論文は、光の波の振動媒質を表す「エーテル(Äther)」の静止系が存在するという当時の仮説に対して、ガリレイの相対性原理とは別様の相対性原理が成立することを指摘している。彼は「ガリレイ変換(Galilean transformation)」と「ローレンツ変換(Lorentz transformation)」の区別を導入することにより、ガリレイの相対性原理を満たしていなかった電磁気学も含めて、等速運動座標系間における相対性原理の成立過程を記述している。ローレンツ変換とは、1892年にヘンドリック・ローレンツとジョセフ・ラーモアによって提案された二つの慣系の間の時間座標と空間座標を結び付ける線形変換である。アインシュタインはこの変換式を「光速度一定の原理(principle of constancy of light velocity)」と相対性原理に基づいて再記述することで、電磁気学に限らず全ての法則の基礎となる時間空間に固有の質としてこの線形変換を一般化した。

ガリレオ変換の場合、静止系(x, y, z)のx軸方向に速度vで移動している運動系(x’, y’, z’)について、以下の式が成り立つ。

$$x’ = x – vt \tag{1}$$

$$y’ = y \tag{2}$$

$$z’ = z \tag{3}$$

一方、アインシュタインの相対性理論が前提としているローレンツ変換は、次のようになる。

$$x’ = \frac{x – vt}{\left[1 – \left(\frac{v}{c}\right)^2\right]^{\frac{1}{2}}} \tag{4}$$

$$y’ = y \tag{5}$$

$$z’ = z \tag{6}$$

$$t’ = \frac{t – \frac{vx}{c^2}}{\left[1 – \left(\frac{v}{c}\right)^2\right]^{\frac{1}{2}}} \tag{7}$$

このように、ローレンツ変換は、ある一つの事象を一つの静止系から観察した場合にその事象の生起した位置と時間(x, y, z, t)と、同じ事象を運動系から観察した場合にその事象の生起した位置と時間(x’, y’, z’, t’)を結び付ける線形変換である。言い換えれば、静止系の空間時間ローレンツ変換を施すと、運動系の空間時間が得られるということだ。ここで、式(4)と式(7)の分母は、「ローレンツ縮小因子(Lorentzkontraktionsfaktor: Lorentz Contraction Factor)」と呼ばれる因子である。この因子は、進行方向に対して物体の長さ時間が如何に収縮するのかを表している。これによりアインシュタインの相対性理論は、静止系の時間に比して運動系の時間が実際には遅延しているという結論が得られる。

光速度一定の原理

アインシュタインの時代には既に、光は電磁場の波としての電磁波であることが判明していた。その速度cは、その光源の速度に拘わらず、次のように一定となる。

$$c = 3 \times 10^8 m/s$$

アインシュタインは、この「光速度一定の原理」を自然法則として捉え直した。アインシュタインによれば、光は、真空中においては、光源の運動とは無関係に、あらゆる方向に対して一定速度cで伝播される。しかしこの法則は、ガリレイやニュートンの力学法則矛盾する。同一の運動を観察している場合、各慣系で観察される移動体の位置は異なる。だが時間は「絶対時間」として参照されるために、慣系には左右されない。ニュートン力学的な世界を前提とした場合、異なる速度で移動している慣系から観察されるそれぞれの物体の速度は必ず異なる。しかし光はこの法則に従っていない。

アインシュタインの相対性理論におけるローレンツ変換機能は、光がどの慣系から観察された場合でも全ての方向に対して一定速度cで伝播されるという現象が構成されるように、時間を慣系から独立した「絶対時間」としてではなく、慣系ごとに規定される固有の時間として変換する点にある。たとえ同一の移動体の同一の運動を観察している場合でも、慣系、すなわち観察者の観点次第では異なる位置や時刻が観察される。つまりあらゆる観察者に共通する「絶対時間」を仮定するのではなく、それぞれの観察者にとって固有の時間区別しなければならないのである。

脱エーテル化

長らく光という概念は、空気のような媒質によって伝播されると考えられていた。空気中を伝播される振動の代表例となるのは、音である。だが光の場合、真空中でも伝播される。エーテルという概念は、この真空も含めた空虚な空間の代替案として記述されていた。ニュートンの力学観察するカントが「相対空間」を包含(einschließen)として記述しているように、この空虚な空間としてのエーテルの中には、光をはじめとした様々な事柄が代入され得る。エーテルが何らかの内容に対する形式であるかのように記述されてきたのは、このためである。

しかしアインシュタインはこの仮定を覆した。と言うのも、あらゆる物体の運動が「相対運動」として再記述されるのならば、静止していると観察されている物体もまた、他の移動体として観察されている物体かられば、静止してはいないためである。

「絶対静止(die absolute Ruhe)という概念は、力学だけでなく、電気動力学においても何ら対応する現象が無い。むしろ力学の方程式が成立する座標系の全てにおいて、 同一の電気動力学の方程式、同一の光学の方程式が成立するのだ。」
Einstein, A. (1905). Zur elektrodynamik bewegter körper. Annalen der physik, 322(10), 891-921., S.893.

後にバートランド・ラッセルが解説していたように、光の電磁波がエーテルの中に在ると考えられていたのならば、光の測度は、エーテルに対する「相対速度」であるということになる。尤も、エーテルは天体の運動に対して何ら抵抗を示さないとも考えられていた。天体は運動によってエーテルを引き摺らないと考えられていたのである。しかしこの想定は、ある一つの基準となる座標系を観点とした場合にのみ成立する観察である。別の移動する座標系の別の観点から当の座標系をたならば、その静止しているとされる座標系は、静止してはいないのである。

問題解決策:ハイゼンベルクの不確定性関係

これに付随してニールス・ボーアは、1913年に、原子中の電子が原子核の周囲で軌道を描きながら保持するエネルギーを求めた。こうした電子が一定のエネルギーを保持して軌道を描いているのは、そもそも不連続的エネルギー存在するためである。その不連続的エネルギーを$$E_1, E_2, …, E_i, …, E_j$$とするなら、j番目の準位の電子がi番目の準位に移行する時、$$E_i – E_j = hv$$が成り立つ。ここで、j番目よりもi番目のエネルギーの方が高い場合、hvの振動数に該当する光の吸収が伴っている。逆にj番目のエネルギーの方が高い場合は、hvの振動数に該当する光の放出が伴っている。

アインシュタインやボーアの観測は、それまで波として想定されていた光に粒子を認める観察となっている。逆に、電子のように、それまで粒子として想定されていた対象に波動を見出したのが、ド・ブロイである。1924年に提唱されたド・ブロイ説によれば、一般的に運動している物体には粒子と波動の双方が伴っている。そして、粒子としての運動量pと波としての波長λとの間には、次のような関係がある。

$$p = \frac{h}{\lambda}$$

これを特に「ド・ブロイの関係(de broglie relationship)」という。p = mvとするなら、質量mが大きいマクロな物体においては、λが無視できるほど小さくなるため、波動は顕在化しない。mが微小ミクロな粒子となる場合には、波動は逆に顕在化する。ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクの「不確定性関係(Unschärferelation)」も、この粒子と波動の二重を説明している。粒子は波動を兼ね備えているからこそ、その位置と運動量を同時に正確に測定することができないのである。

ハイゼンベルクが定式化した「不確定性関係(Unbestimmtheitsrelationen; Uncertainty relations)」、あるいは俗に言う「不確定性原理(Uncertainty principle)」は、粒子の位置と速度の両方を同時に完全な正確を以って決定することが不可能であることを示している。無論これらの量のいずれか一方を必要に応じて正確に測定することは可能である。しかし、一方を正確にすればするほど、他方の不確定度は高まる。より厳密に言えば、座標$$x$$とそれに共役な運動量$$P_x$$は、同時にその不確定を任意に小さくした値$$x’$$と$$P_x’$$を取ることができない。これらの不確定をそれぞれ$$\Delta x$$と$$\Delta P_x$$と表すならば、次の不等式が成立する。

$$\Delta x \Delta P_x \geqq \frac{h}{4 \pi}$$

ここでいうhはプランク定数(Planck constant)に他ならない。すなわち、

$$h = 6.62607004 \times 10^{-34} m^2 kg / s$$となる。この値は非常に小さいために、我々の多くの日常生活経験には何の影響も及ぼさないように思える。例えばミサイルの位置と速度に対する観測においては、如何にサイバネティクス的に緻密な弾道計算においても、全く問題とはならない。

不確定性関係は、正準共役関係にある一対の力学変数に対してのみ適用される。互いに相補的に結び付けられていない変数間ではこの制約は成立しないということである。

この不確定性関係において特筆すべきなのは、ある系を観測する際には、観測装置とその系との間でエネルギー運動量を交換する必要があるということである。この交換は、対象それ自体の観測直前の質を変異させる。その結果、これらの質の測定の正確は喪失するのである。例えば顕微鏡による観測では、粒子を観測するために、対象に光子を当てることになる。そのために対象の運動量は不確定になる。

行列力学と波動力学の差異

ハイゼンベルクは1925年、このミクロな粒子の運動を記述するために、「行列力学(Matrix mechanics)」を創始している。ハイゼンベルクによって発見された統計的な理論は、ニュートン力学的なテーゼと前期量子力学アンチテーゼに対するジンテーゼと呼べるような統合を果たした。それは、通俗的にはボルツマンの統計力学の後継者として知られているジョサイア・ウィラード・ギブスの統計力学的なニュートン力学を、マクロ事象に対するニュートンとギブスの非常に類似した統計理論で代替した理論である。この理論によれば、現在と過去のデータを完全に集めたとしても、未来は統計的にしか予測され得ない。ここにおいて、ニュートンの天文学のみならずニュートン力学までもが、統計的な状態を平均したものとして再記述されることとなる。

時を同じくしてエルヴィン・シュレーディンガーは1926年に、粒子を伴わせた波の存在に関するド・ブロイ説展開することで、波の運動を記述する「波動方程式(Wave equation)」を提唱している。その後の観察により、ハイゼンベルクの行列力学とシュレディンガーの波動方程式は同一の物理現象に対する異なる記述形式であることが証明された。

ハイゼンベルクの行列力学とシュレーディンガーの波動方程式差異は、ミクロな物理現象が突き付けた古典力学に対する二者の観点差異として表れている。ハイゼンベルクの行列力学観点は、観測可能性観測可能性区別から出発している。電子の位置や周期などのような観測可能な量については、観測しようと期待するのは懸命ではない。その代わりとして、彼は観測可能な量にのみ焦点を当てることで、古典力学との整合を担保した理論量子力学を創始することの方がより筋が通っているという。

それ故にハイゼンベルクの記述は、それまで古典力学観測されていた物理量に向けられる。ハイゼンベルクは位置と運動量を行列として再記述するのみならず、順番が異なるだけの2つの値の積は互いに等価であるという前提を覆す。そしてその差異から物理量の情報抽出することで、彼は複雑な行列計算を展開した。

一方、シュレディンガーの波動方程式は、古典力学から演繹できる発想ではない。それは、もはやニュートン力学によって抽象化された諸概念からは得られない発想だ。しかし多くの仮定の導入を必要としている行列力学に比して、波動力学の原理を成しているのは、波動方程式のみである。抽象化すれば、波動力学問題解決策は、観測の対象となる物理現象の位置と運動量のハミルトン関数を直交座標上で記述した上で、量子化を施すところから始まる。量子化とは運動量を微分演算子として再記述することを指す。ここで重要となるのは、シュレディンガーの波動方程式それ自体ではなく、量子化という手続きとハミルトニアンの関連に他ならない。シュレディンガー方程式機能は、この量子化の手続きとハミルトン関数アルゴリズムによって左右される。

派生問題:アイザック・ニュートンの影

ニュートン力学は、絶対空間絶対時間を前提として記述されている。空間は三次元のユークリッド空間として表わされる。時間は第四の次元として設定されると共に、直線的な座標軸として位置付けられる。ニュートンは時間空間差異を「持続」によって把握していたのであった。あらゆる運動は、加速と減速の双方を可能にしている。だが絶対時間の流れは如何なる変化も受け付けない。「絶対時間」とは、他の如何なる基準にも準じず一様に流れる時間であるとされる。

しかしその一方で、ニュートンの運動方程式時間対称である。その時間概念は可逆的だ。時間を未来から過去へと反転させても、物体の運動は成立することになっている。そうなると、そこには一様で一方向の「時間の流れ」は存在しないということになる。ニュートン力学では、時刻tという変数は何処にでも取ることができる相対的に概念なのである。

誤解を恐れずに言えば、実はこの「時間の流れ」の不在というニュートン力学的な状況は、アインシュタインの相対性理論においても、ハイゼンベルクやシュレディンガーの前期量子論においても、表現を変えて受け継がれている状況である。つまり、「時間の流れ」の不在という点では、相対性理論量子力学は、いずれもニュートン力学共通しているのである。

アインシュタインの相対性理論では、時間空間はもはや独立して存在する概念ではなくなっている。それは観察者の観点によって相互に代替可能となる。たとえ同一の移動体の同一の運動を観察している場合でも、慣系、すなわち観察者の観点次第では異なる位置や時刻が観察される。つまりあらゆる観察者に共通する「絶対時間」を仮定するのではなく、それぞれの観察者にとって固有の時間区別しなければならない。

量子力学、とりわけハイゼンベルクの不確定性関係は、時間の概念そのものをパラドックス化させている。ある系が有するエネルギー測定する場合、その系が存在する時間は不確定になる。一方、その系の時間を確定させると、その系の有するエネルギーの方が不確定になる。この不確定性関係が暗示しているのは、「時間の流れ」どころか、まさに「時間」そのものの実在が疑われることとなる。

このように、ニュートン力学以来の物理学は、常に「時間の流れ」の不在可能性と隣り合わせであった。それは、天文学者アーサー・エディントンの用語を借りるなら、「時間の矢(Arrow of Time)」が存在しない可能性である。我々は、空間を対称的に移動することができる。これに対して時間は、過去から未来に向けて一方向に、すなわち非対称的にしか進行しない。一度放たれた「時間の矢」は、二度とは戻らないはずなのだ。しかし、そもそも物理学は、「時間の矢」以前の問題として、まず「時間」の実在に疑問を呈してきたのである。

この「時間」の実在観点かられば、相対性理論と前期量子力学の輝かしい功績は、決してニュートンの古典力学を一新したことにあるのではない。むしろこの二つの新しい物理学が明かしたのは、ニュートン力学以来、「時間」の実在は常に危うい状況にあったということである。それ故、後にジョン・エリス・マクタガートやクルト・ゲーデルのような「時間」の非実在論者が立ち上がったのは、それまでの古典力学の時代では潜在化していた「時間」の実在という問題が、相対性理論と前期量子論によって顕在化したためであると考えられる。これについては、次頁で直ぐに取り上げる。

参考文献

  • Bayes, Thomas, (or Noon, John). (1731) Divine benevolence, or an attempt to prove that the principal end of the divine providence and government is the happiness of his creatures, Printed by John Noon at the White Hart, Mercers Chapel in Cheapside.(Dr Williams’s Library, 14 Gordon Square, London, WCl).
  • Bayes, T., Price, R., & Canton, J. (1763). An essay towards solving a problem in the doctrine of chances.
  • Bell, J. L. (2002). Time and causation in Gödel’s universe. Transcendent Philosophy, 3(1).
  • Benjamin, W. (1917). Über das Programm der kommenden Philosophie. Gesammelte schriften, 2, 157-71.
  • Boltzmann, L. (1866). Über die mechanische Bedeutung des zweiten Hauptsatzes der Wärmetheorie:(vorgelegt in der Sitzung am 8. Februar 1866). Staatsdruckerei.
  • Boltzmann, L. (1868). Studien über das Gleichgewicht der lebendigen Kraft zwischen bewegten materiellen Punkten. Kk Hof-und Staatsdruckerei.
  • Boltzmann, L. (1868). Lösung eines mechanischen Problems. Wiener Berichte, 58, 1035-1044.
  • Boltzmann, L. (1885). Ueber die Eigenschaften monocyclischer und anderer damit verwandter Systeme. Journal für die reine und angewandte Mathematik, 98, S.68-94.
  • Boltzmann, L. (1905). “Über die Prinzipien der Mechanik” In Ludwig Boltzmann-Populäre Schriften. Severus Verlag., S.308-337.
  • Boltzmann, L. (2012). Wissenschaftliche abhandlungen (Vol. 1). Cambridge University Press.
  • Eddington, A. (2019). The nature of the physical world: THE GIFFORD LECTURES 1927 (Vol. 23). BoD–Books on Demand.
  • Einstein, A. (1905). Zur elektrodynamik bewegter körper. Annalen der physik, 322(10), 891-921.
  • Einstein, A. (1916). Über die spezielle und allgemeine Relativitätstheorie (gemeinverständlich); trad. it. Relatività: esposizione divulgativa, e scritti classici su Spazio Geometria Fisica.
  • Einstein, A. (1922). The Meaning of Relativity: Four Lectures Delivered at Princeton University, May, 1921. Princeton University Press.
  • Einstein, A. (1988). Relativity: The Special and the General Theory—A Clear Explanation that Anyone Can Understand.
  • Heisenberg, W. (1925) Über quantentheoretische Umdeutung kinematischer und mechanischer Beziehungen. Z. Phys. 33, pp.879—893.
  • Heisenberg, W. (1927). Über den anschaulichen Inhalt der quantentheoretischen Kinematik und Mechanik. Zeitschrift fur Physik, 43, 172-198.
  • Heisenberg, W. (1984). The development of quantum mechanics. In Scientific Review Papers, Talks, and Books Wissenschaftliche Übersichtsartikel, Vorträge und Bücher (pp. 226-237). Springer Berlin Heidelberg.
  • Kant, I. (1768). Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raume 1768. Maximilian-Gesellschaft.
  • Kant, I. (1770). „De Mundi Sensibilis Atque Intelligibilis Forma et Principiis/Von der Form der Sinnen-und Verstandeswelt und ihren Gründen. ders., Schriften zur Metaphysik und Logik, 1, 12-107.
  • Kant, I., & Friedman, M. (1786). Metaphysical foundations of natural science (pp. 171-270). Germany.
  • Kant, I. (1787). Kritik der reinen Vernunft, Projekt Gutenberg-DE.
  • Kant, I., & Weischedel, W. (1960). Vorkritische Schriften bis 1768 (Vol. 1). Insel-Verlag.
  • Laplace, Pierre Simon, marquis de (1820) Théorie analytique des probabilités, Paris : Mme Ve Courcier.
  • Leibniz, G. W. (1898). The monadology and other philosophical writings. Рипол Классик.
  • Lorentz, H. A. (1909). The Theory of Electrons. Leipzig: Teubner, 2nd edn.[1952].
  • Lorentz, H. A., Einstein, A., Minkowski, H., Weyl, H., & Sommerfeld, A. (1952). The principle of relativity: a collection of original memoirs on the special and general theory of relativity. Courier Corporation.
  • Newton, I. (1966). Philosophiae Naturalis Principia Mathematica [Mathematical Principles of Natural Philosophy], translated in English by A. Motte, revised and annotated by F. Cajori.
  • Nørretranders, T. (1991). The user illusion: Cutting consciousness down to size. Viking.
  • Mach, E. (1890). The Analysis of the sensations: antimetaphysical. The Monist, 1(1), 48-68.
  • Mach, E. (1912). Die Mechanik in ihrer Entwicklung: historisch-kritisch dargestellt. Brockhaus.
  • Mach, E. (1914). The analysis of sensations, and the relation of the physical to the psychical. Open Court Publishing Company.
  • Mach, E. (1919). The science of mechanics: A critical and historical account of its development. Open court publishing Company.
  • Maxwell, J. C. (1890). The Scientific Papers of James Clerk Maxwell.. (Vol. 2). University Press.
  • Rescher, N. (1991). GW Leibniz’s Monadology: An Edition for Students. University of Pittsburgh Press.
  • Russel, B. (1985). ABC of Relativity 4th revised ed. by E. Pirani. Routledge.
  • Schrödinger, E. (1926). Quantisierung als eigenwertproblem. Annalen der physik, 385(13), S.437-490.
  • Silver, N. (2012). The signal and the noise: why so many predictions fail–but some don’t. Penguin.
  • Smith, S. (2013). Kant’s picture of monads in the Physical Monadology. Studies in History and Philosophy of Science Part A, 44(1), 102-111.
  • Szamosi, Geza. (1986) The Twin Dimensions: Inventing Time and Space, Mcgraw-Hill.
  • Wiener, Norbert. (1961). Cybernetics or Control and Communication in the Animal and the Machine (Vol. 25). MIT press.
  • 坂恒夫. (1995). ウィーン世紀末における科学の総合. 岐阜薬科大学教養系紀要, 7, 31-64.
  • 坂恒夫. (1996). マッハにおける物理学心理学. 岐阜薬科大学基礎教育系紀要, 8, 7-38.