時間感覚の等価機能主義的社会システム理論 | Accel Brain - Part 3

時間感覚の等価機能主義的社会システム理論

Accel Brain; Console×

ハッカー文化に由来する「ライフハック(Lifehack)」は、コンピュータによる情報処理を駆使して、仕事や勉学での生産や効率を向上させる技術を意味する。それは、個々の作業、開発、分析などを如何に効率的に進めていくのかを主眼としている。その際、「時間」という指標は、ライフハックの成否を判断する上では重要な概念となる。

だが、時計が告げる以上に詳細な「時間」を感じ取ろうとする者は、この「時間」という概念が極めて移ろい易い不確実な感覚に基づいていることを痛感せざるを得なくなる。過去、現在、未来へと連続的な線分として流れていくという時間概念は、既に説得力を失っているのだ。

今や我々は、こうした線分としての時間概念に対する反対意見が、かつてアウグスティヌスによって提出されていたことを思い出さなければならない。アウグスティヌスによれば、およそ在るのは全て「現在」である。ただしこの現在は三つに区別することができる。つまり現在には、<過去についての現在>、<現在についての現在>、そして<未来についての現在>があるのだ。アウグスティヌスによれば、この<過去についての現在>が記憶に結び付き、<現在についての現在>は直感に結び付き、そして<未来についての現在>が期待に結び付くという。

アウグスティヌスを抜きにすれば、時間という概念が自覚されるほどに明確な観察の対象になったのは、近代科学が創始された後のことであった。近代科学以前の時間概念においては、例えば日没と共に「夜」という時間が訪れると言った具合に、時間は個別具体的な出来事の推移から認識されていた。これに対して近代科学以降の時間概念は、時計の針がただ時を刻んでいくように、時間それ自体が独立変数として測定されるようになる。

決定的な契機となったのは、ガリレオ・ガリレイによる自由落下運動の研究だ。彼の研究方法においては、距離速度時間との関連で記述されることになる。だが時間の経過それ自体がそれ以外の概念から影響を受けることはあり得ない。このことが、彼の方法の大前提であった。彼のこの研究方法は、後にアイザック・ニュートンの物理学によって受け継がれることになる。つまりこの時点で時間という概念は、時間以外のあらゆるものと無関係に流れていく概念として定着したのである。

ニュートンが絶対的に独立した概念として定義したのは、時間だけではなかった。彼は空間をも絶対的な概念として定着させたのである。彼によれば、空間は本質的に空間以外のあらゆるものと無関係で、不動のままである。ニュートン以来、長らく我々は、まず初めに空間時間存在を前提としていた。我々が事物を観察する際には、この絶対時間と絶対空間の中の事物を対象としていたのである。しかしマックス・プランクが黒体放射に関する実験結果を提出し、アルバート・アインシュタインが特殊相対理論を提唱して以来、徐々にこれらの想定は破綻することになった。

プランクの測定結果が言い表していたのは、原子が不連続な跳躍の形式で光を発しているということである。原子が光を発するのは、丁度振り子が揺れる場合と同じようになる。プランクによれば、原子は振動する電荷から成り立っている。光が照射されると、原子エネルギー含有量も変異する。その変異は不連続に起こる。ある原子が吸収放出する光のエネルギーには最小値がある。この最小エネルギーこそが「量子」である。この関連からプランクは、不連続性こそが自然の根本的な質であると主張した。量子論が創出されたのは、この時である。

時を同じくして、アインシュタインが特殊相対理論を提出した。彼の相対理論は、空間時間の相対を記述する理論だ。ただし、ここでいう「相対」という表現は読者に注意を要している。アインシュタインがこの理論を記述する上で前提にしていたのは、精確な物理学上の法則は全て「絶対的」であるという仮定だ。彼が絶対的な法則として提示していたのは、真空における光の伝道速度に他ならない。光は、どの時間のどの空間から観測しても、分速約1800万kmの速度で伝道していく。それはどの光源から発せられた場合も変わらない。つまり光の速度は絶対的なのである。

しかしそれ以外の観測は、全て相対的だということになる。物理学者ゲーザ・サモシがわかり易く解説しているように、ある自動車の速度が40kmだと述べても、観測者は絶対的な事実を述べたことにならない。何故なら、その観測者が別の自動車からその自動車を観測していれば、その自動車の速度は、観測者が乗車している自動車の速度次第で相対的に変化してしまうからである。しかしながらこの世界には、観測者が動作していようと静止していようと、観測すれば正確な結果へと至ることを保証してくれる物理法則は無い。仮に自分が完全に静止していると考える観測者がいたとしても、その認識は錯覚に過ぎない。観点の規模を大きくしてれば、我々は絶えず自転している地球の真上に位置している。その意味で言えば、静止している観測者などいない。だが平地を走行している自動車と比較するならば、座っている観測者は相対的に静止していることになるだろう。しかし絶対的に静止しているとは言い切れない。これは空間に関する一例だが、無論時間にも該当する。

しかし一方で、神経生理学や精神物理学の間では、「時間感覚(Time sensation)」の歪みという事象が何度も報告されている。例えば自動車に轢かれそうになった瞬間に起こる「スローモーション(slow motion)」の現象は既に有名な話になっている。危機的状況でショック体験を受けた者の心理システムは、ある典型的な異常状態を伴わせる。神経科学者ピーター・ツェーらの報告によれば、我々が知覚する時間長さは、脳の瞬間的な情報処理率に依拠している。脳の情報処理率は、「型破りな(oddball)」注意対象に遭遇した場合に、急激に上昇するという。脳内の情報処理率が急激に上昇した場合、神経システムはより多くの情報を処理することになる。

2008年にデイヴィット・イーグルマンが提出した『人間時間知覚とその錯覚(Human time perception and its illusions)』でも指摘されているように、多くの精神物理学的な報告が冗長的な刺激で時間知覚が縮減するという解釈を提示していることは、特筆すべきことである。刺激が冗長的であれば、心的な時間間隔が縮まるのである。我々は、習熟した出来事や慣れ親しんだ状態を知覚する場合には、時間が直ぐに過ぎ去っていくかのような感覚を持つ。逆に生命の危機を脅かすようなショック体験のように、既存の秩序や固定念を打破するような出来事や状態に遭遇した場合には、心的な時間感覚拡張されることになる。毎年同じような日常を繰り返していれば、年を取るごとに、1年が短く感じるようになるだろう。波乱に満ちた非日常を体験していれば、その1年は長く感じるのかもしれない。交通事故に遭遇した者がその瞬間に垣間見るスローモーション世界も、この一例であろう。

とはいえ、時間の経過が長く感じるからといって、スローモーションの現象が本当に起きているのかはわからない。それはもしかすると、後から想起した場合に、そのように感じてしまうだけなのかもしれない。その者は、その出来事から異常に長い時間を知覚しているのではなく、その出来事の記憶異常に長かった時間として想起している可能性もある。そこでイーグルマンらは、ショック効果を呈示する自由落下アトラクションを利用した人体実験によって、この真偽を確かめようとした。

被験者となるダイバーたちは、45メートル以上の地点から、ノーロープバンジーを行なう。下部に設置されてあるネットに落下するまでの約3秒の間に、ダイバーたちには時間長さを知覚して貰うことになる。落下を終えたダイバーたちには、ストップウォッチでどの程度の長さ時間を感じたのかを計測して貰う。すると、実際の滞空時間よりも平均して36%ほど長い時間を感じ取ったという結果が得られた。

落下中のダイバーたちは、「知覚クロノメータ(perceptual chronometer)」という腕時計型の実験装置を装着していた。その画面には、次々と異なる数字が点滅して表示される。点滅速度は徐々に高まる。そして遂には認識不可能なまでに加速化していくという。落下中のダイバーたちの時間感覚が歪むことで、時間の経過を遅く感じるようになると仮定してみよう。この場合、如何に通常の認識可能速度を上回る速度で点滅していようとも、ダイバーたちはその数字を視認することができるはずだ。

そこでイーグルマンらは、落下直後のダイバーたちに、自分が画面上で見た番号を回答して貰うことにした。だが結局、ダイバーたちの認識能力が増大したという結果は得られなかった。つまりこの研究から言えるのは、落下中の被験者たちの意識の中では、時間の経過が遅くなるというスローモーションの現象は発現していないということなのである。

このように結論付けてしまっても、ダイバーたちが実際の滞空時間よりも約36%ほど長く時間を感じ取ったことの説明が付かなくなる訳ではない。ダイバーたちが通常よりも長く時間を感じ取ったのは、その出来事から異常に長い時間を知覚したからなのではなく、その出来事の記憶異常に長かった時間として想起しているためなのである。長く感じたという被験者たちの報告は、後から振り返ると長く感じるということなのであって、実際に時間が減速した訳ではない。

このことを説明するためにイーグルマンは、記憶の「密度(density)」という概念を取り上げている。彼によれば、恐怖体験をはじめとしたショック体験に直面している者の脳内では、扁桃体が異常活性化することになるという。すると、海馬体をはじめとした他の部位で処理されている通常の記憶に加えて、別様の記憶が生み出されるという。その記憶は通常の記憶に比して豊か(richer)であると同時に、濃密(denser)でもある。これは、扁桃体の活性化を起因とした「通常よりも濃密な記憶形成(denser-than-normal memory formation)」に他ならない。

ここでイーグルマンが述べている記憶密度とは、言わば蒐集される記憶の新鮮味を含意している。我々は初めて体験する出来事ほど、高密度記憶として蒐集していく。だから子供は、大抵の出来事を濃密な記憶として蒐集していく。子供にとって、大抵の事柄は新鮮なのである。逆に老人は、多くの出来事を体験してしまっているために、中々新鮮味のある出来事には直面しない。だから老人が新たに蒐集した記憶は、子供が新たに蒐集した記憶に比して、密度が低いのである。

イーグルマンによると、濃密な記憶であれば、それだけ想起に時間を費やしてしまうという。だから我々は、濃密な記憶となった出来事を想起した場合に、実際に起きた出来事よりも長く続いたかのように錯覚してしまうというのである。だとすれば、常日頃から濃密な記憶蒐集し続けている子供は、老人よりも日常の時間を長く感じていることになる。逆に言えば、新鮮味の無い日常を送り続けている老人ほど、一年の経過が速く感じてしまうということになる。

こうして「時間」という概念を観察しようとすれば、我々は一つの根本的な逆説に直面することになる。時間感覚は恐らく、老若男女で千差万別である。故に時間感覚を定義するためには、自身の主的な感反省した上で、普遍的妥当する時間概念を特定していく必要がある。だが一方で、客的な視点から時間概念を論じれば、各人の時間体験内容を度外視することになる。こうした困難に対処するためには、一般普遍性に対する視点と個々人の体験に対する視点を同時に確保する方法が必要となる。そしてその方法に準拠した上で、個々の時間感覚やその体験一般化した理論を記述することにより、初めて時間を定義した上で論じることができるのである。

時間感覚の観察、等価機能分析の方法と社会システムの理論

「時間」や「時間感覚」という複雑怪奇な現象の観察と記述を可能にするには、予め構造化された科学・学問的なプログラムにおいて、普遍的に妥当し得ると期待される「方法(Method)」や「理論(Theory)」を援用することが望ましい選択となる。この関連から最も期待できる「方法」と「理論」として、ここではドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの「等価機能主義(Äquivalenzfunktionalismus)的な社会システム理論(Sozialsystemtheorie)」を推奨したい。

続きを読む

時間感覚のコミュニケーション、近代社会の社会構造とハーバーマス=ルーマン論争の意味論

ニクラス・ルーマンの等価機能主義的な社会システム理論をユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論と比較することにより、近代社会の社会構造と時間の意味論を展開する。近代社会における時間感覚の意味論は、それが常に身体による制約を受けつつも、同時に身体とは異なる固有の論理に従う社会構造との関連からも条件付けられているが故に、その偶発性を認識せざるを得ないという前提から出発することになる。

続きを読む

時間感覚の宗教学、宗教の社会構造と時間感覚の意味論

「永遠(Ewigkeit)」の時間感覚や「啓示(Erleuchtung)」の瞬間などのような宗教的な体験を観るに、宗教システムの社会構造と意味論においては、様々な時間感覚の意味処理規則が貯蓄されているように思える。神話や聖書などのような宗教的なコミュニケーションの産物を観察すれば、時間感覚の構成やその共有が如何にして可能になっているのかが判明するかもしれない。祭儀や通過儀礼は、その宗教システムの文化を背景とした独特の「非日常」という時間を提供しているはずである。こうした宗教的なコミュニケーションを観察する上でも、等価機能主義的な社会システム理論は有用である。

続きを読む

時間感覚の記述、社会学的啓蒙の社会構造と普遍理論の意味論

虚無主義以後の啓蒙プロジェクトが美学に準拠する傾向にあったのに対して、「社会学的啓蒙」は社会学の対象領域となる「社会」において発見される諸問題の分析に直接的に取り組む。そのプログラムとなるのは、等価機能主義的な社会システム理論である。システム合理性に依拠した社会学的啓蒙によって、観察者は社会の現実をより鮮明に把握していく。社会の現実が抱えている諸問題の分析に着手することによって、社会学的な観察者は偶発性に対する感度を高めると同時に、偶発性を前提としたコミュニケーション能力を高めようとする。

続きを読む

時間感覚の神経現象学、「ジョーカー」としての「自己言及のパラドックス」

ヴァレラは、エドムンド・フッサールの「現象学(Phänomenologie)」を「神経現象学(Neuro-phenomenology)」へと拡張させることにより、ルーマンの等価機能主義的な社会システム理論と近しい観点から、時間感覚を深く探究している。ここでは、まずはフッサールの「現象学(Phänomenologie)」とその周辺を観察することで、現象学そのものの限界を確認していく。その上で、ヴァレラの神経現象学をルーマンの時間論と比較することにより、時間感覚が如何なる「システム」として作動しているのかを分析していく。

続きを読む

参考文献

  • Eagleman, David M. (2008) "Human time perception and its illusions," Current Opinion in Neurobiology, Vol. 18, pp131-136.
  • Szamosi, Geza. (1986) The Twin Dimensions: Inventing Time and Space, Mcgraw-Hill.
  • Stetson, Chess., Fiesta, Matthew P., Eagleman, David M. (2007) "Does Time Really Slow Down during a Frightening Event?," PLoS ONE 2(12): e1295. doi:10.1371/journal.pone.0001295.
  • Taylor., Steve. (2007) Making Time: Why Time Seems to Pass at Different Speeds and How to Control it. London: Icon Books.
  • Tse, Peter Ulric., et al. (2004) "Attention and the subjective expansion of time," Perception & Psychophysics, 66 (7), pp1171-1189.