Accel Brain; 序論としてのREADME

概念実証の主題

このWebサイトでは、「ライフハック(Life Hack)」を主題とした私のプライベートな「概念実証(Proof-of-concept: PoC)」の内容を記録している。ソフトウェア開発の生産性や効率性の観点から観れば、ここでライフハックとして想定しているのは、設計実装の「速度」である。この関連からこのWebサイトでは、「時間感覚」や「記憶」や「陶酔」などのような脳神経機能や、近年Googleのエンジニアとの関連から脚光を浴びた「マインドフルネス瞑想」のような主題を集中的に取り上げている。具体的にライフハックをサポートするツールのプロトタイプとしては、情報蒐集と探索を担うマルチエージェント的なWebクローラ型の人工知能や、注意力や集中力を人工的に高める知覚メディアを公開している。

概念実証のプロトタイプ

Accel Brain; Media:Webクローラ型人工知能による自動生成ブログ

Accel Brain; Media』と題したブログは、Webクローラスクレイピング自然言語処理、論理学、強化学習深層学習による人工知能のブログとして、自動的に運用されている。20001体ものWebクローラ型のマルチエージェントが、WWW上の様々なWebページをクロールし、キュレーションメディア構成している。

各記事では、まず文書自動要約により、エージェントたちの観察対象となったWebページの要点や概要となる文を引用する。その上でエージェントたちは、観察したWebページに潜む「パラドックス」や「排除された第三項」をグラフ理論強化学習、そして深層学習によって探索し、推定する。これらの機械学習機能によって、エージェントたちは文書から様々な問題を発見し、問題解決策を記述する。こうした人工知能のマルチエージェントによって自動生成されたブログは、最終的には検索エンジンサイトとして構造化されることになる。

デモンストレーション

Accel Brain; Beat:音響刺激の知覚メディア

Accel Brain; Beat』というブログでは、マインドフルネス瞑想をはじめとした注意力や集中力を極限まで高めた情態を人工的に再現するという意図から、主に音響刺激を応用した知覚メディアの実験用ツール設計して共有している。

デモンストレーション

Accel Brain; Code:ソースコードのAPI Documentation

Accel Brain; Code』では、文書自動要約制限ボルツマンマシン深層ボルツマンマシン自己符号化器、強化学習、または様々な知覚メディアツールとなるソースコードをライブラリ化して公開している。

とりわけオブジェクト指向分析オブジェクト指向設計を前提とすれば、API Documentationの機能は、各オブジェクトの関連、継承、包含などのような論理的な構造をオントロジーとして可視化することにある。これらの構造は、ハイパーテクストハイパーリンクによって表現される。これらのリンクを辿ることによって、オントロジーにおける諸概念の関連性を観察することが可能になる。

デモンストレーション

このWebサイト

このWebサイトの概念実証を記述したハイパーテクストは、それ自体として、概念実証から生み出されたプロトタイプの一つである。このWebサイトで展開している概念実証は、遅くても10年前から始まっていた。当初はMicrosoft Wordで記述していたが、テッド・ネルソンやティム・バーナーズ=リーが提唱したハイパーテクスト設計思想を知って以来、徐々に概念実証そのものをハイパーテクスト上で再記述するようになった。ハイパーリンクは、当初は想定していなかったような意外性のあるアイディアの関連性や忘却していた諸概念の関連性を発見することを可能にしている。このデータビジュアライゼーションとしての仕組みは、概念実証そのものの取り組みにも大いに役立つ機能である。

この機能は先述したWebクローラ型の人工知能と無関係ではない。こうしてハイパーテクスト上で自らの思考内容を記述し始めた時点で、私はこのハイパーテクストが上述したWebクローラ人工知能によって参照されるコーパスやオントロジーとしても機能的に再利用できるようになることを想定していた。

以下の各Webページでは、上記のプロトタイプを開発する上での前提となった概念実証の理論方法美学とその設計思想を詳述している。

概念実証の理論・方法・美学

 

「時間」感覚の等価機能主義的な社会システム理論

ニクラス・ルーマンの等価機能主義的な社会システム理論をユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論と比較することにより、近代社会の社会構造と時間の意味論を展開する。更にフランシスコ・ヴァレラとウンベルト・マトゥラーナのオートポイエーシス概念やヴァレラの神経現象学との比較により、システムの再帰的な自己言及の「速度」を追求することによる時間感覚の制御可能性を観察する。

記事を読む

「記憶」想起の人間学的唯物論的なメディア美学

17世紀ドイツバロック芸術の憂鬱な自然史的世界観を背景とした「根源」の歴史哲学に準拠した上で、ヴァルター・ベンヤミンの「人間学的唯物論」をフリードリッヒ・ニーチェの『悲劇の誕生』、テオドール・アドルノの『美学理論』、そしてエルンスト・ブロッホの『ユートピアの精神』と比較する。更に、複製技術の知覚メディアを主題とした「メディア美学」を展開することで、記憶の想起と忘却を駆動する神経刺激の機能を理念論的に叙述する。

記事を読む

仏教の社会構造とマインドフルネス瞑想の意味論

仏陀の原始仏教の時代から伝承されている「ヨーガ」や「ヴィパッサナー瞑想」の歴史的意味論を背景として、諸行無常、諸法無我、五蘊論のような諸概念を手掛かりに、「マインドフルネス」と「アウェアネス」の心的経験を探究していく。更に哲学的人間学と結び付けることで、「側頭葉癲癇」、「トランス状態」、「変性意識状態」、「フロー状態」などのような心理状態に関する神経生理学や心理学だけではなく、瞑想状態を文化的に方向付ける神経刺激の知覚メディアを設計することの重要性を指摘する。

記事を読む

Webクローラ型人工知能によるパラドックス探索暴露機能の社会進化論

ELIZA、PARRY、Watson、TayのようなChat bot、エキスパートシステム、認知コンピューティングの歴史を遡り、ユーザーの「精神」や「意識」なるものを文化的に方向付けるテクノロジーの代表格が「人工知能」であるということを説明していく。これらの文化的歴史は心理学や近代教育学による影響から脚色されてはいるが、ここではその影響を排除することで、社会的文化的進化を妨げる既成概念のパラドックスを探索して暴露するWebクローラ型の「人工知能」が要求されることを説明する。

記事を読む

概念実証の設計思想

 

深層強化学習のベイズ主義的な情報探索に駆動された自然言語処理の意味論

Webクローラ型の人工知能の設計への応用を見据えて、ベイズ主義の基本となる「ベイズ更新」、確率的バンディット問題における「バンディットアルゴリズム」、Q学習をはじめとした「強化学習」、深層ボルツマンマシンをはじめとした「深層学習」、状態-行動価値推定の関数近似を目指した「深層強化学習」、そして言語モデルに基づく「自然言語処理」を説明していく。

記事を読む

ハッカー倫理に準拠した人工知能のアーキテクチャ設計

クリストファー・アレグザンダーの「セミラティス」とハーバート・アレグザンダー・サイモンの「人工科学」の差異を背景に、「人工知能」と「アーキテクチャ設計」を社会システム理論的に接続させる。その上で、「パターン・ランゲージ」、「不確実性の吸収」の設計理論を機能的に比較し、「ハッカー倫理」や「コンヴィヴィアル・ツール」などの設計思想を「ラショナル統一プロセス」と「オブジェクト指向設計」の思想に接続させる。

記事を読む

ヴァーチャルリアリティにおける動物的「身体」の物神崇拝的なユースケース

ベンヤミンの人間学的唯物論をゲオルク・ルカーチ、ゲルショム・ゲルハルト・ショーレム、フランツ・カフカ、ベルトルト・ブレヒト、エルンスト・ブロッホとの関連から再記述することで、「サイボーグ」、「トランスヒューマニズム」、「人間後の存在(ポストヒューマン)」、「技術的特異点(シンギュラリティ)」、「バイタルサイン」、「エンハンスメント論争」、「人間中心主義」の派生問題に対する解決策が、ヴァーチャルリアリティにおける「物象化」された動物的身体の「物神崇拝」であることを指摘する。

記事を読む

「人工の理想」を背景とした「万物照応」のデータモデリング

トマス・ド・クインシーとシャルル・ボードレールの「麻薬美学」をベンヤミンの人間学的唯物論に接続させることにより、麻薬に頼らない「意志」による集中の重要性を確認する。この関連からボードレールの「万物照応」を<陶酔の技術>として参照することで、記憶、想起、言語、言葉、街路名の機能を記述する。その際、群衆の観察、探偵の推論、ギャンブラーの精神、寓意家の蒐集を、アルノルト・シェーンベルク、グスタフ・マーラー、そしてダニエル・パウル・シュレーバーの「音楽」と組み合わせることで、<陶酔の技術>の機能的拡張案を展開する。

記事を読む

このWebサイトにおける概念実証の意味論

ライフハックのライフハック

一般に概念実証は、新しい概念の有用性を論理的に根拠付ける営みを意味する。それは「研究開発(Research and development: R&D)」の機能的な実用化や商用化の前段階で実施される。そしてこの成果物となる「プロトタイプ(prototype)」が、予算獲得のための意思決定やリスク評価の判断材料として観察される。

しかし、概念実証で検証すべき概念が「ライフハック」となり、そしてそれがとりわけプライベートで実践される場合、概念実証の営みは「自己論理的(autologisch)」に展開される性質を持つことになる。つまり、「ライフハック」の概念実証それ自体が、「ライフハック」の対象となるのである。そのため、このWebサイトで記録している概念実証とプロトタイプ開発は、循環的な関係で結ばれている。ある概念実証から開発されたプロトタイプの機能によって、別の概念実証の生産性や効率性が高められているということである。そうした概念実証は、また別のプロトタイプ開発を可能にする。かくしてこの循環は、<ライフハックのライフハック>を加速させることになる。

極端な論理を極限まで突き進めるノウハウ

このWebサイトで記録している概念実証のもう一つの特徴は、全てがプライベートで実践されているということである。この特徴はフットワークの軽さを物語っているが、とはいえ珍しい特徴ではない。リー・フェルゼンシュタインを筆頭とする、1960年代から1970年代の非商業主義的で反権威主義的なハッカーたちがラジカルイノベーションを起こし得たのは、プライベートの時間を費やしたためである。遅くても1980年代の終わりには彼らのコミュニティも資本主義的な組織に絡め取られていった訳だが、しかしオープンソース運動には彼らの設計思想が受け継がれている。

概念実証で検証されるような「新しい概念」に関しても、何を以って「新しい」と考えるのかは、自身が所属する組織や市場に左右される。これは一見不可避である。だがプライベートの立場からであれば、これを相対化することもできる。「ライフハック(lifehack)」を「生活の質(quality of life)」を向上させることであると広く捉えるなら、社会学や哲学、あるいは思想史の先行研究は、有用な参考文献を提供しているはずだ。

このWebサイトの概念実証で参照する先人たちは、彼らが生きた時代背景から観れば、極端に逸脱した思考極限まで突き進めた者たちばかりである。彼らはそう簡単に妥協せず、常に自身の思想を先鋭化させることで、全く異なる新しさを記述している。意図的な飛躍、過剰な展開、作為的な断定口調を躊躇わない彼らにとっては、論理的な整合性よりも極端な論理であることの方が重要なのであって、討議合意形成など眼中に無い。しかし彼らの極限性をその軸となる歴史的背景との関連から比較していけば、極端な新しさが如何にして可能になるのかについての「ノウハウ」を抽出することが可能になる。

<比較の観点>と<観点の比較>

フリードリッヒ・ニーチェ、シャルル・ボードレール、ゲオルク・ルカーチ、エルンスト・ブロッホ、テオドール・アドルノ、そしてヴァルター・ベンヤミン――これらは極端に逸脱した思考極限まで突き進めた者たちの名前の若干に過ぎない。相互に別次元のベクトルとして突き進んでいった彼らの思考法を的確に整理した上で観察するには、<比較の観点>と<観点の比較>が不可欠となる。極端な観点は、確かに統一させることができない。だがそれらの同一性と差異性を区別していく理論方法があれば、宇宙規模に掛け離れた彼らの「星座のような位置関係(Konstellation)」から、更に全く新しい極端な発想として「構成(Konfiguration)」されている「形態(Gestalt)」を判読できるはずである。

この点で言えば、「社会構造(Sozialstruktur)」と「意味論(Semantik)」に関するニクラス・ルーマンの社会進化論は、極端な論理を社会システム歴史的背景との関連から記述することを可能にする有力な手掛かりを提供している。もし極端な論理の歴史を記述するのならば、自己自身もまたその歴史の影響下に組み込まれているという「自己言及(Selbstreferenz)」を実行せざるを得なくなる。別のあり方でもあり得る観点から観れば、「他者を極端であると見做している自己自身もまた極端であり得る」という自己論理的な推論展開していくということになる。

このWebサイトの姿勢

このWebサイトで実践する概念実証は、「ライフハック」という緩い問題設定の中で、常軌を逸した極端な論理を展開した先人たちが想像していたシステムツールメディアを現代のソフトウェアのプロトタイプとして具現化していく営みである。先人を観察するのも私自身であって、具現化していくのも私自身である。これはまず、専門主義を意図的に等閑視した姿勢である。無い物を自分で造るという点で、この姿勢はハッカー倫理に近しい。実際この姿勢は、ただ単にシステム要件が定義されるのを待つだけのエンジニアたちと足並みを揃える姿勢でもなければ、「Hype Driven Development」の影響下にあるフレーム化された労働者たち(frameworkers)と歩調を合わせる姿勢でもない。更に付言しておくと、この姿勢は単なる「エンド」ユーザーのように、誰かに造って貰うことを待っている姿勢からも区別される。それはハッカー倫理に反するためである。

私が極限の形式を突き進めた先人たちを観察するのは、その自己論理的な推論によって、プロトタイプ開発を実践する私自身を極端に飛躍させるためである。この自己言及性は、観察対象、批判対象、批評対象と「距離」を取ることができるという前提を躊躇無く破壊している。そのためこのWebサイトの取り組みは、「5つ星レビュー」や「読書感想文」、そして「批評」のようなものから区別できる。

最後に、このWebサイトは「教養主義」的ではない。意識の高い「教養俗物(Bildungsphilister)」とは異なり、このWebサイトは読者となる人間には何も教示していないからである。むしろこのWebサイトの態度は、しばしばフランツ・カフカが物語の片隅で叙述していたあの「愚者(Narren)」たちの身振りや、グスタフ・マーラーの叙事的な音楽が醸し出す「弱者(Die schwache)」の「リズム」に、同一視できずとも類似してはいるのかもしれない。

こうした「愚かさ」と「弱さ」の性格は、核心において、ベルトルト・ブレヒトの「破壊的な性格(Der destruktive Charakter)」に照応する。あらゆる障害物を尽く「取り除く(räumen)」この性格は、道を切り拓く代わりに、至る所を岐路にする。岐路に立つということは、決して<選択の自由>を得ることではない。何故なら破壊的な性格の持ち主は、如何なる瞬間においても、「このまま進めば破局する」と直感し、一番深い極限からまた別の極限へと突き進むためである。破壊的な性格の行動は、極端かつ臨機応変に破局を回避することを意味する。目の前には常に、弁証法的に分極化した<極限>同士の区別が導入されている。そこには、これらの区別形式化する「メディア(Media)」こそあれど、「媒介(mediation)」は存在しない。破壊的な性格の持ち主は、現存するもの全てを<極限>の区別観察するのだから、「このまま進めば破局する」と感じる場所では、いつでも抜け道を発見する。

想定する読者

このWebサイトは、以上の背景から、まず以って私が開発しているWebクローラ人工知能のコーパスやオントロジーとしての機能を果たしている。そのため、このWebサイトが第一に想定している読者となるのは、人工知能であって、人間ではない。

しかしそれでも、このWebサイトの内容に対して、ソフトウェアエンジニアやデータサイエンティストたちの理解も得られることを私は確信している。と言うのも、ソフトウェアエンジニアやデータサイエンティストは知ったかぶりなどせずに読まれるだろうし、常軌を逸した極端な思考を単なる「ポエム」として片付けることもないであろうし、また知的冒険心と情報探索能力に関して言えば、私が開発しているWebクローラ人工知能を遥かに凌駕すると思われるからである。